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【01】『一条戻り橋』


「利休様の……亡霊が出る?」


 黒田屋敷内の自邸で、左京が首をひねる。


「うん。その噂のせいで、一条戻り橋のあたりは、すごい人だかりだよ」


 配下の忍びの者、不破イタチがそう言って目を輝かせる。

 だが左京は、魑魅魍魎の類いを信じない。

 それは左京のこれまでの人生観もあるが、『損得勘定』でものをはかる『解策師(げさくし)』としては、そんな不確定要素は許容できないからだ。

 ちなみに先般の淀殿の呪詛騒ぎにしても、結局はアレルギーという肉体的要因と、関白秀吉の見栄が原因だった。


(願って叶うのなら、私は楽隠居したい……)


 今も左京は、そんな事を考えている。

 時は天正十九年(一五九一年)五月。

 千利休の切腹から、はや三ヶ月が過ぎていた。


「行ってみないの?」


「なんで私が行く必要がある?」


 イタチの質問に、左京は苦い顔をする。


「気になるかなーと思って」


「…………」


 イタチの指摘に、左京は声を詰まらせる。

 秀吉の唐入りを阻止するべく、利休が秀長と共謀した策を解いたのは、誰でもない左京だからである。


 それが直接の原因ではないが、利休は先に冥土に旅立った秀長の後を追うべく、切腹の道を選んだ。

 もし左京が、利休の策を解策(げさく)しなければ、利休が死ぬ事はなかったかもしれない。


 そんな感傷にひたるほど、左京も子供ではなかったが、気にならないと言えば嘘になる。

 なぜなら――利休の死の直後、不可解な事件が起こっていたからであった。


「――案内しろ」


「うん」


 立ち上がり帯刀する左京に、イタチが飛び跳ねる様に応じる。

 この左京と一歳しか違わない年下の従者は、野放図に見えて主人の事をよく理解している。

 何であれ、『真実』を知る事が左京にとっては一番の薬だからだ。




 イタチと共に左京が現地に着くと、なるほど一条戻り橋付近は多くの人々であふれていた。

 一条戻り橋は、豊臣政権の政庁である聚楽第の東にある。

 聚楽第の東部外郭の一部を担っている黒田屋敷からも、ほぼ真東に直近の位置でもある。

 普段から人の往来は少なくないが、ここまで賑わっているのを見るのは左京も初めてであった。


 今でこそ御所は東方に移動しているが、平安遷都の時分には一条戻り橋は、御所から北東――つまり『鬼門』の方角であったため、様々な伝承が残っている。

 あの世とこの世の境界線。茨木童子という鬼の出没。かの安倍晴明の式神が封印されている――。などなど、何かとこの橋にはいわくが多い。


 だけでなく、梟首――すなわち晒し首の場としても、この橋は歴史上何度も用いられてきた。

 そして切腹した利休の首も、この一条戻り橋に晒されたのであった。


「…………」


 左京は三ヶ月前の光景を思い出す。

 それは利休の『偽首』が晒されるという、豊臣政権にとってある意味での『事件』であった。


 利休切腹の翌日、それは起こった。

 早暁の一条戻り橋に、高札が立っており、その隣には(はりつけ)にされた木像に、無残に踏みつけられる僧形の生首が置かれていたのだ。

 そして高札には、利休の不敬を弾劾する罪状が、秀吉の名で書き連ねられていた。


 当然、それを見た者は、その生首が利休のものであると理解した。

 だが騒ぎを聞きつけ、現場に駆けつけた左京が目にした首は、まったく別人のものだった。


 そもそも秀吉は、そんな命令は出していない。

 余人は知る由もないが、利休は有馬で秀吉暗殺を偽装するという大罪を犯したが、秀吉本人はその真意を理解して、死一等を減ずるはずであった。

 だが利休が頑なに死罪を求めたため、秀吉もやむなくそれを認めたが、その死には最大の敬意を払っていたのだ。


 それが何者かによって、秀吉の利休に対する残酷な仕打ちとして演出された。

 首は木像や高札と共に数時間で撤去されたが、もはや噂を止める事はできなかった。

 下手に釈明すれば、かえって事が大きくなると判断した豊臣政権側も、事態が風化するのを待つ事にした。


 そして三ヶ月という月日が過ぎ、ようやく事件の噂も消えかかった頃に、新たなこの『亡霊騒ぎ』である。

 左京は、何者かの悪意――。すなわち『策』を感じてしまう。


(誰がこの事で『損』をして……、『得』をする?)


 自然と左京の『解策師(げさくし)』としての頭脳が動き出す。

 だが何も見えてこない。


(情報が少なすぎる……)


 左京は我に返る。

 確かに自分は利休の死に関わったが、かといって秀吉から捜査を依頼された訳ではない。

 また今回も、下手に首を突っ込めば、自分の身を危うくするかもしれない。

 それに本当に、ただの噂話かもしれないのだ。


「帰るぞ、イタチ」


 そう言って、左京は人だかりの中に入る事もなく、屋敷に帰ろうとする。

 その背中に、


「おや、もうお帰りですかな? 『解策師(げさくし)』殿」


 という、くだけた声がかかる。


「――――⁉︎」


 振り向きざま刀に手をかける。

 政権内では、それなりに名は知られてきたが、この様な街中で――、しかも『解策師(げさくし)』と呼ばれるのは、けっして穏やかな事ではないからだ。


 イタチもすでに、編笠を被った武家風の男の背後に回っている。

 もし左京に危害を加える気なら、懐に入れたクナイで瞬殺するつもりだ。


「あー、いやいや、(それがし)は怪しい者ではござらぬ」


 編笠の男はそう言って両手を振るが、その口調がすでに怪しさ満点だった。


「やれやれ……」


 警戒を解かない左京たちに、男はそう言って編笠を上げてその顔を晒す。


「――――⁉︎」


 その目が――利休と似ていた事に、左京は息を呑む。


「お初にお目にかかる――。拙者、古田織部と申します」


 それは利休の高弟である『利休七哲』の一人――。かつ利休の後継者として、豊臣の茶頭筆頭となった男の名であった。


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