前へ次へ
26/67

【16】『豊鑑――淀殿呪詛疑惑事件 控』


 淀殿の呪詛疑惑は、結局は淀殿本人の思い込みであった。

 とはいえ、強いて犯人をあげるとすれば、それは関白秀吉という事になる。


 側室である淀殿を『至上の愛』で喜ばせようとした『策』が裏目に出た。

 言葉にしてしまえば簡単だが、それが天下人のレベルになると、事はここまで大きくなってしまうのであった。


 本来であれば満開の白椿たちは、淀殿の心を打つはずであった。

 それが逆に淀殿を恐怖に陥れ、天下人の世継ぎをも巻き込む騒動となったのだ。

 ともあれ、誰も犠牲者が出なかった事は幸いというべきであろうか。


 だが、結果的に何も得るものがないと思われた今回の騒動にも、副産物があった――。それは世継ぎ鶴松の体質が分かった事であった。

 左京の要請によって、施薬院全宗の診断を受けた鶴松は、現在でいうところの動物アレルギー持ちの可能性を指摘された。

 それは今後を考えれば、鶴松の健康管理に大きなプラスとなる。


 亡き秀長は、幼き鶴松を守り、外征を断念する様に秀吉に遺言した。

 今や鶴松は、日ノ本すべての希望の星といっても過言ではなかったのだ。

 だがこの半年後に、大きな悲劇が豊臣政権を襲う事になるとは、この時いったい誰が想像したであろうか。

 

 

 

 

 

「あー、なぜこうなったー……」


 事件解決の数日後、左京は黒田屋敷の離れにある自邸で、いつもの様にぼやいていた。

 なぜなら、聚楽第での五右衛門騒動は、ちょっとした話題になっていたからであった。


 聚楽第に現れし大盗賊を捕縛せんと、敢然と現れた傾奇者二人――。事実は当然のごとく歪曲され、さらに脚色され、左京と長政はちょっとした『時の人』になっていた。

 長政は知名度があるものの、左京は無名に近いので、『黒田の若殿の銀髪の従者』として、派手好みの洛中の人々に、謎の存在として噂になっていた。


 とはいえ、都は話題には事欠かないので、いずれこの事も風化するであろうが、ともあれほとぼりが冷めるまで、左京は外出もできない有様となっている。

 その元凶となった『偽石川五右衛門』こと不破イタチは、ごろごろと横になっている左京のそばで、悪びれもせずにニヤニヤと笑っていた。


(お前のせいだぞ……)


 と言ってやりたかったが、言ったところでそれが改まる訳でもない事を知っている左京は、無駄な事はしなかった。

 その他にも、左京には外に出たくない理由があった。

 それは左京宛に届いた二通の文――。一通は京極竜子から、もう一通は織田夏子からのものであった。


 それぞれの内容は、竜子は秀吉を呼び寄せるために仕立てた着物を、左京にも見に来いというものであり、夏子の方は今回の左京の男っぷりに惚れ直したので、婿が無理なら男(めかけ)にしてやろうというものであった。


 どちらにしても赴けば、ろくな事がないというのは明白であった。

 だから左京は、狸寝入りを決め込む事にしたのである。

 そんな時、


「おーい、左京。また文が届いているぞー」


 と、長政が左京のいる部屋に顔を出してきた。


「…………。誰からだ?」


「摩阿姫様からだ」


 長政の答えに、左京はまた頭を抱えたくり、そっぽを向いてしまう。


「おい、読まないのか?」


 長政が困った顔で言うと、


「長政……、読んでくれ」


 左京は無気力にそう頼んでくる。


「やれやれ……」


 と言いながら、長政が読み上げた文面の概略は、


 ――あの日から、阿茶子が寂しがっている。だから会いに来てほしい。


 というものだった。


「――――!」


 左京は声にならない声を出すと、全身で拒絶感をあらわにする。


(じょ、冗談じゃない――。ぜ、絶対、誰の所にも行くものか!)


 左京はそう思ったが、


「なあ、左京――」


 と、長政が顔をのぞき込んでくる。


「お前の気持ちも分かるが……、かといって、今回はたくさんの人たちの世話にもなったんだぞ」


「…………」


 長政の言い分に、左京は何も言い返せない。まったくもって正論だったからだ。


「少ししたら、ちゃんとみんなの所にお礼を言いに行こう――。俺もついていってやるから」


「…………」


 いつもは保護者の様にまとわりついて、うっとおしい事この上ないと思っていた長政の言葉が、今回はやけに左京の心にしみ込んでくる。

 だから、


「……すまん。頼む」


 左京も素直にそう言った。

 そして左京は思う――。今回の呪詛騒動は、長政がいなけれな解決できなかったと。

 仕方なく巻き込んだつもりだったが、長政は『獣忌み』の解明だけでなく、奥御殿からの脱出では父親の官兵衛を彷彿とさせる知略と軍略でもって、左京を救ってくれた。


(ただのお節介な幼なじみ――、というだけではなさそうだな)


 左京が密かに、長政を見直そうとした瞬間、


「おーい、お前ら――。殿下がお呼びだぞ」


 と、官兵衛がニヤケ顔で、部屋に入り込んできた。




 聚楽第謁見の間――。そこで左京と長政は、ガチガチに緊張していた。

 用件など一つしかない。淀殿の呪詛騒ぎの件だ。


 捜査中から官兵衛によって、秀吉は左京たちの行動を黙認しているという情報を得ていたので、よもや切腹という事はないだろうが、叱責の一つぐらいは食らうかもしれない。

 主君である秀吉の命を得ずして独断専行したのだから、それもやむなしだが、とにかく穏便に済んでくれと左京は祈るばかりであった。


 そして秀吉が、上段の間に現れた。

 すかさず左京と長政は平伏する。

 その頭上から、


「あー、今回の事は……、すまんかったのう」


 と、秀吉から思いもかけぬ言葉が降ってきた。

 思わず二人が顔を上げると、秀吉はひどく気まずそうな顔をしていた。

 だから、


「いえ。私こそ殿下のご裁可も得ずに、勝手に動きましたる事、深くお詫び申し上げます」


 左京もすかさず謝罪の言葉を述べる事で、秀吉の体面を守った。


「そうか――」


 秀吉はそう言うと、まじまじと左京の顔を見つめる。


「――――?」


 左京は首をひねるが、


「北政所……、寧々(ねね)が言いおったのよ。『半兵衛様の息子を信じてあげて』とな」


「――――⁉︎」


 秀吉の言葉で、すべてに納得がいった。

 独断専行を秀吉が黙認してくれていたのは、この北政所の口添えのおかげだったのだと。


 初対面の時、北政所は左京に教えてくれた。

 かつて秀吉が、


「半兵衛がいれば何も怖くない。半兵衛が大丈夫と言えば、絶対に大丈夫なんじゃ」


 と言っていたと。


 今も秀吉は左京を通して、亡き半兵衛を見ているのかもしれなかった。

 そんな左京の思いに気付いたのか、


「長政も大儀であった。これからも左京の事、頼むぞ」


 秀吉は長政にそう申し渡すと、そこで謁見を終了させてしまった。




「はあ……」


 二人は揃ってぐったりしながら、退出の廊下を歩く。

 出頭を告げる官兵衛がニヤけていたので、大事にはならないと思っていたが、それはそれでやはりすごい緊張感であった。


(やれやれ。なぜこうなった……)


 左京は思う――。振り返れば、淀殿に始まり、その後何人もの『豊臣の女たち』に振り回された今回の騒動だったと。


 ――女絡みはロクな事がねえ。

 そう言っていた官兵衛の言葉も、さらに胸に染み入ってくる。

 そんな左京の目に、


「さー、きょー、お」


 と、廊下の先で待ち受ける北政所の姿が映る。


「北政所様!」


 左京は長政と共に駆け寄っていく。

 いったい今回の件では、どれだけこのお方の世話になった事か分からない。

 なので、何から礼を言おうか戸惑っていると、


「左京――」


「――――⁉︎」


 突然、北政所の胸に抱きしめられた事に、左京はさらに戸惑ってしまう。


「左京、よーやってのけたねー。さすが『半兵衛様の息子』じゃ」


 そう言って頭をなでてくれる北政所に、左京は不覚ながら子供の様な安らぎを感じてしまう。

 北政所は、左京を『豊臣の子』と言ってくれた。

 すなわち北政所は『豊臣の母』であり、淀殿、京極竜子、織田夏子、摩阿姫たち、『豊臣の女たち』の筆頭であり、象徴でもあるのだ。


(通りで……)


 左京は北政所の胸の中で納得する。


(この『豊臣の女たち』には、とてもかなわない訳だ)


 だがそれを、その時の左京は、なぜかとても心地よく感じていた。



 第二話、完結です。

 ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

 ご感想、ご評価、お待ちしております。


前へ次へ目次