【15】『至上の愛』
「淀の方様――。これより解策仕ります」
そう言って左京は、淀殿と向かい合う。
まわりに余人はいない――。左京も淀城に一人で来ていのだ。
その理由は長政が、
「二人でちゃんと話をしてこい」
と言ったからだ。
(いったい、何の気をまわしているんだか……)
左京はそう思ったが、とにかく真実をいち早く伝えるために、奥御殿の侵入の翌日には、こうして淀城を訪ねてきた。
もう身分を偽る必要はないので、女装もしていない。
つまり今回の訪問は、『解策師』竹中左京としてのものであった。
そして左京は最初に、鶴松の発病が呪詛ではなく、聚楽第で舶来の獣たちと戯れた事が原因であると説明した。
「まさか、そんな……」
淀殿は唖然としたが、
「人は不安になれば、すべてを疑ってかかってしまいます。それを利用するのが策――。ですが今回は、だれが犯人でもありませんでした」
左京はそう言って、続けて白椿の件についての顛末を明かす。
聚楽第奥御殿潜入の後、加藤清正の思わぬ助力を得た左京は、ついに洛南市街地で小西行長を追い詰める事に成功した。
「ハア、ハア……。まさか加藤殿まで、お味方につけていたとは――。これはもうかないませぬな」
行き止まりの壁に手をつき、肩で息をする行長は、そう言って苦笑しながら降参の意を示した。
「まあこれは、こちらも計算違いというか、なんというか……」
左京もここまで清正の胸に抱かれて、洛中を駆け抜けてきたのが気まずかったので、まずそう弁解してから、
「小西殿、単刀直入に伺います。白椿の件――、枯れ落ちてしまったのは、殿下の計算違いだったのですね?」
と、いきなり事件の核心に踏み込んでいった。
背後では、
「ん? 五右衛門じゃないのか?」
と首をひねる清正に、長政が懸命に状況を説明してくれていた。
「さすがは殿下が恐れた『解策師』殿――。お見それいたしました。すべてあなたの見立てた通りです」
行長も、もはやこれまでと判断して、あっさり事実を認めてくれた。
「殿下はなぜ……、事実を隠そうとしたのですか?」
左京はただ一つ、納得できない点を行長に訊ねる。
「そうですね……。あなたが思っていらっしゃる様に、これは手違いだったと、正直に言えれば良かったのかもしれません……」
行長はそう言って、少し困った顔になる。
「関白としての体面を守るためですか?」
「それもあるでしょう。ですが、人は愛深きゆえに過ちを認められない時もあるでしょう」
左京の質問に、行長はそう言って胸の十字架に手をやる。
「殿下は淀の方様を喜ばせるために、私に崇高かつ珍しき花を集めよと命ぜられました。なので私は、白椿を選びました」
行長はそこまで言って、一旦言葉を切ると、左京に謎かけをしてくる。
「竹中殿、花には花言葉なるものがあるのを、ご存知ですか?」
「いえ――、私はそのようなものは存じません」
「白椿の花言葉は――『至上の愛らしさ』です」
「至上の……愛……」
思わず左京も、そう口走ってしまう。
「そうです。殿下も淀の方様に、『至上の愛』をお伝えしたかったのでしょう。ですが不幸な手違いで花は落ち、淀の方様は恐怖にかられ、それを陰陽師に問い合わされてしまいました……」
(やはり、淀の方様の動きは筒抜けだったか――)
左京はすべてに納得すると、
「つまり殿下は、淀の方様の一人合点で、謝るに謝れなくなったという事ですね」
そう言って、今回の一連の騒動を総括した。
「お察しくださいますか?」
「ええ」
行長も行長で主命に従っただけである。それが分かれば、左京に遺恨はなかった。
あとは真実を淀殿に伝えるだけであった。
「白椿は……、呪詛ではなく、殿下が妾を喜ばせるためのものだったのか……⁉︎」
淀殿も真実を知り、声を失っている。
「はい――。有り体に言ってしまえば、淀の方様の『一人合点』の『勘違い』ですね」
左京もここまで振り回され続けただけに、思わず本音が漏れてしまう。
「な、なんじゃとー⁉︎」
またもや左京は地雷を踏んでしまったのだが、もはや後の祭りであった。
それから淀殿が金切り声を上げ続けたため、人払いを願った部屋に、大蔵卿局が様子を見に顔を出してきた。
その腕には――、一人の禿髪の童子が抱かれていた。
「おやおや、鶴松様」
鶴松と呼ばれた童子は、するりと大蔵卿局の腕から逃れると、まだおぼつかない足取りでヨロヨロと左京に向かって歩いてくる。
思わぬ邂逅に左京は驚くが、膝立ちのまま進むと、鶴松が転ばない様に、優しく腕で抱きとめてやる。
だあだあ、と鶴松が元気に笑いかけてくる。
その顔を見て、
(絶世の美男子の様にも見えるし……、猿の様にも見える)
不謹慎にも左京はそう思った。
だがこれが秀吉の、淀殿への『至上の愛』の結晶なのだ――。そう思った瞬間、左京はまた胸にチクリと小さな痛みを覚えた。
それを振り払う様に、
「淀の方様――。あなたは、もっと人の愛を信じてください。殿下、北政所様、京極殿、織田殿、摩阿姫……、みんなあなたを愛しています」
左京はガラにもない事をさらりと言いながら、鶴松を淀殿の腕にそっと渡した。
「左京……」
淀殿も切ない顔で、左京を見つめ返す。
その瞬間、
「だーっ! だーっ!」
と、鶴松が小便を漏らしたらしく、ぐずり始めた。
「お、大蔵卿!」
慌てる淀殿は、わめきながら一瞬で母の顔になった。
(やれやれ、本当に嵐の様なお方だ)
そう思いながら、左京は小さく頭を下げると、そっと淀城を後にした。
(……………。これで終わった)
帰路で左京はそう思うが――、運命はまた二人を結びつける。
――唐入り、秀頼、関ヶ原、そして大坂の陣。
今回の呪詛騒動は、これから長きに渡って続く左京と淀殿との、ほんの始まりの出来事にすぎなかったのである。
当然、それをまだ左京は知る由もない。
だが――、
(………………? なんだこの胸騒ぎは⁉︎)
なぜか心の片隅では、猛烈に嫌な予感がしていたのであった。