【14】『丸損』
「――おやおや。窮鼠猫を噛むつもりですか?」
城門で兵に指示を出していた行長は、左京が迫ってくるのに気付くと身の危険を感じ取る。
そして、これは困ったという顔をすると、
「ではここは任せました――。織田様が退出すれば、すぐに兵を引きなさい」
と副将に指示を残すと、呆気に取られる兵の中を掻き分け、城外へと一目散に逃げていった。
「クソッ、逃げる気か!」
さすがに勘がいいと、左京は敵ながら感心する。
捕縛に失敗した事を悟ると、恥も外聞もなく撤退を始めるなど、それはそれで並の将にできる事ではなかったからだ。
だが同時に、行長が逃げた事で、左京は己の推理が正しかったと確信する。
(今回の、淀の方への呪詛は『損得勘定』が合わない――)
左京はずっとそう考えていた。
策とは、それによって『損』をする者と、『得』をするものがいなければ成立しない。
淀殿は自分が呪詛されていると主張したが、そもそも死にかけたのは淀殿ではなく、その子鶴松だった。
それを世継ぎの母の地位を狙う陰謀であると、一度は左京も信じたが、淀殿があげた秀吉の妻たちは皆、人を呪詛する様な人間ではなかった。
しかも鶴松の発病が、呪詛ではなく病ではないかと調べるうちに、左京は関白秀吉の不審な動きを知る事となった。
――天下人第一の側室に、隠密に接触している事を知りながら、それを黙認している。
普通なら、詮議されて然るべきだ。
そこで左京は気が付いた。
(関白殿下は、淀の方の呪詛疑惑が発覚するのを、恐れているのではないか?)
それならば、『損得』が成立する。
これは変則的思考だが、世の中には『得』をしようとして『損』をしてしまう事がある。
つまり『当てが外れた』という事だ。
石田三成の協力によって、左京は淀殿の正月における聚楽第滞在が一日延びた事を知った。
それは雷雨という『不測の事態』で起こった――。まさに『当てが外れた』のだ。
そして左京は、一つの推論に行き当たった。
(白椿は、殿下が本当は満開の状態を、淀の方に見せたかったのではないか?)
だが不幸な計算違いで、白椿の花たちは無惨に地に落ちた状態で淀殿を出迎えた。
言うなれば、歓喜のサプライズが、恐怖のサプライズになってしまったのである。
しかも何百という数だっただけに、かえってそのおぞましさは何倍にもなった事だろう。
(殿下は、その失態を隠そうとしているに違いない――)
それによって秀吉は体面を守るという『得』をする。
だが、これでは淀殿が『丸損』になってしまう。
(そんな事はさせるか!)
左京は見た――。己の腕の中にいた淀殿の不安そうな顔を。そして弾ける様な可憐な笑顔を。
(私は約束した――。あの女の力になると!)
そのために真実を突き止める――。おそらく今、逃走している行長も、秀吉の体面を守るためにこれまで動いてきたのだろう。
(だから、なんとしても行長を捕まえて、事実を吐かせなければ!)
だが、その行長の足が速かった。
城内での作戦のため、行長も歩兵と同様に騎乗していなかったので、これは捕らえられると思っただけに大誤算であった。
その出自から商人としての側面がクローズアップされがちだが、行長も数々の修羅場を潜ってきた戦国武将である。
ゆえにその身体能力は高く、洛中の市街をするすると、機敏にひた走っていく。
左京も全速力で追いかけているが、その距離はみるみると開いていった。
「大丈夫か、左京?」
追いついてきた長政が、心配そうに声をかけてくる。
早くも体力の限界がきたのか、左京はすでに肩で息をしていた。
「私の事は……いい! 長政……、お前だけでも追ってくれ!」
左京は苦しそうな声で、長政に行長の追跡を頼む。
その時、二人の隣りを、風の様に駆け抜けていく男がいた。
「おや――?」
男はそう言って速度を落とすと、左京と長政の隣に並走してくる。
「おお、やっぱり左京じゃないか。それに長政まで――。しかし二人とも随分、傾いた格好をしているな」
そう声をかけてきた男は――。誰でもない、左京が苦手意識を持つミスターイケメン、加藤清正であった。
(げっ⁉︎)
左京は心の中で、思わずそう口走る。
よりにもよって、こんな時に――。いやそれよりも、なぜこんな場所にいるのだろうと左京は疑問に思う。
「お前らも、あれか? 五右衛門をひっ捕えに来たのか?」
清正は走り続けているのにもかかわらず、爽やかな顔でそう言ってきた。
(なるほど――。そういう事か)
左京は納得すると、一計を思いつく。
「ええ。私たちも五右衛門を追っているのですが、思いの外足が速く見失いそうです――。そこで、どうか加藤殿のご助力を願いたいのですが?」
左京としては行長の服装の特徴を告げて、五右衛門と偽り、捕まえてもらおうと思ったのだが、
「よし! それじゃあ案内してくれ!」
清正はそう請け合うと、なんと今にも倒れそうな左京を、お姫様抱っこの状態で抱えてしまった。
「…………は?」
「どうした? 急ぐんだろ?」
呆然とする左京の顔を、速度を落とさないまま清正がのぞき込む。
イケメンの思考が理解できずに困惑するが、ここは考えている場合ではないと左京も判断すると、
「ご、五右衛門は、赤い伴天連風の陣羽織をまとっています!」
と、悪びれもせずに、行長の服装を清正に伝えた。
「よし――! 加藤清正、推して参る!」
そして清正は気合いの声と共に、さらに速度を上げていった。
小柄とはいえ左京を抱いているのに、その驚異的なスピードに長政もついていくのが精一杯であった。
(なぜ……、なぜこうなる?)
思わぬ援軍を得た左京だったが、その胸中は千地に乱れていた。