【13】『傾いて候』
奥御殿からの脱出をはかる左京を援護するべく、不破イタチが突如聚楽第に登場する。
――もし奥御殿周辺に不穏な動きがあったら、お前は聚楽第の周囲で派手に動き回って撹乱しろ。
あらかじめ左京は、『奥の手』としてイタチにそう指示を出していた。
だが、できる事ならこの『奥の手』は使いたくなかった。
イタチは優秀な忍びの者であるし、有馬の解策でもその機動力は十二分に発揮された。
それでもなぜか左京は、今回のイタチ投入に、猛烈に嫌な予感がしていたのである。
「石川五右衛門、参上ーっ!」
内塀を跳ね回るイタチが、声高らかに、しかも耳を疑う口上を述べた。
(…………は?)
左京は唖然とする。
「お、おい、五右衛門だ! 石川五右衛門が現れたぞ!」
聚楽第内も騒然となっている。
見ればイタチは、顔はしっかり覆っているものの、その扮装は傾いているどころか、一昔前の婆娑羅を彷彿とさせる派手なものであった。
しかも当時の天下の大盗賊、石川五右衛門の名を騙るとは――。左京は悪い予感が当たり、頭を抱えたくなった。
(まったく矢足といい、イタチといい――)
不破の家系は、やり口が芝居がかっている。
かつてイタチの父矢足も、幼き左京を信長の前に引き出すにあたって、これが『松寿丸の首』だと言って平然としていた事を思い出す。
(まったく、なぜこうなった……)
左京はいつもの様に嘆くが、
「よし。これならいけるぞ」
隣にいる長政はそう言って、目を輝かせた。
「長政?」
「左京、俺についてこい!」
長政は左京にそう言うと、先に駆け出していく。
そして、
「聞けい! 黒田長政、推参、推参ーっ! 天下の大盗賊、石川五右衛門、この黒田甲斐守長政が捕らえてくれるわ!」
と、あたりに響き渡る大音声で、華麗に名乗りを上げた。
「おお、黒田甲斐守様だ!」
「五右衛門を捕らえにいらしたのか。しかも、なんと傾いたお姿か」
(――――!)
長政の後に続く、左京は人々の反応に目を見張る。
当時、五右衛門の様な賊の侵入は、洛中では頻繁に起こっており、またそれらを捕らえて一躍名を上げようとする傾奇者も多かった。
そういった背景を利用しつつ、長政は一瞬で状況を判断すると、口上一つで周囲の者を納得させてしまった。
つまりこの瞬間、長政は奥御殿への侵入者ではなく、五右衛門捕縛にたった今推参してきた者として認識されたのだ。
(こいつ……)
幼なじみの思いがけぬ知略に、左京が驚いていると、
「おい左京――」
その長政が促してくる。
言いたい事は分かる――。自分にも同じ様に、推参の名乗りを上げろというのだろう。
しかし恥ずかしい! といってアリバイ作りのためには、これは絶対に必要な事である。
もし万が一の時、前田邸で阿茶子と逢い引きしていましたと供述するか、賊徒捕縛のために駆けつけていたと胸を張って答えるか――。答えは簡単であった。
「た、竹中半兵衛が一子、左京! 推参、推参ーっ!」
がらにもない大声を張り上げて、左京は恥ずかしさにたまらなくなる。
そこに、
「おー。黒田様のお付きの者は、銀髪でおなごのようじゃのう」
「それに随分とちんまい身なりで、なんとも可愛らしい事よ」
という声まで聞こえてきたものだから、本当に逃げ出したい気分になる。
そんな左京をよそに、
「おのれ五右衛門、南へ逃げるか⁉︎」
と、長政が大声を上げる。
すると五右衛門に扮したイタチも、塀の上を南へと駈けていった。
これは長政とイタチの連携であった。
南の大門を抜けて、洛中の市街に入ってしまえば、もうどうとでも事をうやむやにできる。
事前に打ち合わせていた訳ではなく、これも長政の一瞬の閃きであった。
(長政は、確実に親父殿の才を受け継いでいる――)
この緊迫した状況下での軍略に、左京は長政の中に、天才軍師黒田官兵衛の片鱗を見た。
そしてそのおかげで、なんとか脱出できそうだと安堵した瞬間、
「――――!」
左京は南門の近くに、ある男の姿を見つけた。
端正な顔立ちに、首から大きな十字架を下げた男――小西行長であった。
左京の、ここまで積み重ねた推論を実証するためには、二つの要件があった。
その一つ目が『獣忌み』の病的作用の実証であり、それは今しがた織田夏子と長政の協力で、見事に果たされた。
もう一つは――淀殿が呪詛の根拠とした『白椿』の出どころを突きとめる事であった。
赤ではなく白い椿を、しかもあれだけ大量に集めるには、相当な流通ルートが必要になる。
おそらくそれには、大商人の側面も持つ小西行長が関わっている事は、これまでの経緯から間違いないと左京は断定していた。
その事を、日をおかずに追求するつもりでいた左京にとって、この遭遇は僥倖であった。
行長は左京を捕縛して、捜査を打ち切らせようと兵を率いて来たのだろうが、今ここに立場は逆転したといってよかった。
「長政、小西行長を押さえるぞ!」
左京は長政にそう言い残すと、行長目がけて全力で駆けていった。