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【11】『総力戦』


「ほう――。これが猿の城か」


 聚楽第の門を、織田夏子が大手を振って通り抜ける。


「こ、これは織田殿。こたびはいかなるご用事で? か、関白殿下は大坂城に京極殿をお訪ねで不在でございますが――」


 慌てる取り次ぎの武士たちに対して、


「はあ? 私は猿の主、織田信長の娘ぞ。主筋の者が家臣の城にまかり越すのに、なんの理由がいるのだ⁉︎」


 夏子は毅然と一喝する。


「は、はあ……」


 こうなると、もはや誰も夏子を止められない。

 秀吉の側室となりながら、その秀吉でさえ手のつけられない夏子の傍若無人ぶりは、豊臣家中でも知らぬ者がいないほどだったからである。


「では、参るか」


 夏子が、背後に控える二人の侍女を促す。


「は、はい」


 侍女の声は二人揃って裏返っていた。

 皆はそれを『女信長』と異名を取る、夏子に対する緊張と受け取ったが、真実は違う。

 実際、二人の侍女は緊張していた。だが声は裏がったのではなく『裏返らせた』のだ。

 なぜならその正体は、侍女に扮した竹中左京と黒田長政だったからだ。


 時間との戦いのために追い詰められた左京は、賭けに出た。

 それは、ここまでかけて積み重ねてきた推論を、一気に実証する事であった。


 その一つ目は、鶴松の発病は呪詛ではなく、『獣忌み』ことアレルギー反応によって起こったと証明する事。

 そのために石田三成に頼んで、淀殿の滞在場所を調べてもらったのだ。


 だがそれは予想通り男子禁制の奥御殿であったので、左京は一人の女人の力を借りる事にした――。それが織田夏子であったのだ。

 左京としては幼少期から因縁のある、苦手な夏子に頼みたくはなかったが、結果として予想通りの突破力を発揮してくれている。


 ちなみにこの潜入には、京極竜子と摩阿姫の力も借りている。

 まず竜子には事情を話し、北政所からの絹織物で着物を仕立てたので、ぜひ見に来てほしいと秀吉を大坂城に呼び寄せてもらった。


 ――何かあったら、(わらわ)を頼るとよいぞ。

 そう言っていた竜子は、お気に入りの左京から、さっそく頼られた事を喜び、左京の計画に乗ってくれた。

 薄々は左京も感じていたが、どうやら竜子はこういった事に首を突っ込むのが大好きらしい。

 だがそのおかげで、秀吉不在の隙を突く事には成功した。


 続いて摩阿姫にも頼み込んで、潜入当日に『前田邸に来ていた』というアリバイを作ってもらった。

 摩阿姫も左京たちを気に入って、また遊びに来てほしいと言っていたので、それを()り所にしたのだが、


「まあ、まあまあまあ。では――、竹中様と阿茶子が逢い引きしていた。黒田様はその見張りをしていた。という事にしましょう」


 と、予想のはるか斜め上をいく、とんでもない提案を申し渡された。

 摩阿姫としては嘘でも、左京を慕う侍女の願いを叶えてやろうと思ったのだろうが、


「は、はいー。たとえ何があろうと、私は竹中様と逢い引きしていたと言い張りますー。あ、黒田様も見張っていてくださいましたー。はいー」


 その場にいた阿茶子の目がギラギラと光っていた事に、左京は戦慄した。


(も、もし潜入がバレて詮議でもされたら、私はこの女と逢い引きしていたと世間に公表しなければならないのか……)


 長政も引きつっていたので、左京と同じ事を考えていたに違いない。

 天然ゆえの悪意のない無茶振りだが、左京としては受け入れるしかなかった。

 その時、左京と長政は無言で頷くと、必ず潜入を成功させるぞと目で誓い合った。


 そして織田夏子には、聚楽第への無断訪問という鉄砲玉に近い役目を頼んだのだが、これまた左京を婿候補と言って寵愛する『女信長』は、その依頼を快諾してくれた。

 こうして聚楽第奥御殿への潜入は、恐れ多くも秀吉の側室たちを用いた、左京にとってまさに『総力戦』となったのであった。


「フフッ。しかし、なかなかの扮装っぷりだな。左京」


 城内を闊歩する夏子が、侍女姿の左京を振り返る。


「は、はあ……」


 淀殿に女装させられた経験が、まさかここで活きるとは思いもしなかった左京は、そう言って苦笑するしかなかった。


「それにしても、長政の方は……傑作だな」


 続けて夏子は、田舎娘そのままになった長政に、淀殿と同じ感想を述べながら笑いを堪えている。


(長政――。耐えろ!)


 羞恥に身を震わす長政に、左京は目線でもって必死にそう訴えかけた。


(さて、ここまではうまくいった――)


 だが問題はこれからだ。


「夏姫――。奥御殿はあちらです」


 左京が昔通りの呼び名で、夏子に進行方向を指し示す。

 この先の奥御殿は女人禁制――。ついに左京と長政は、禁断の領域に足を踏み入れる事になるのだ。


「なんじゃ、この金光りの御殿は――。まったく趣味が悪いのう。どれ、見てやるか」


 奥御殿の前まで来ると、夏子は聞こえよがしに見え見えの口上を述べる。

 そして左京を振り返ると小声で、


「本当によいのか? たとえバレても私はどうとでもなるが、お前はただでは済まないぞ」


 と、最後の覚悟を問うてくる。


「そうですね。でも――」


 左京もそこまで言って苦笑すると、


「あの信長公の前に引き出された時に比べれば……、全然恐ろしくありませんよ」


 今度はそう言って、不敵に夏子に笑いかけた。


「フフッ。で、あるか――。いい度胸だ。惚れ直したぞ」


 夏子も左京に笑いかけると、着物の裾をひるがえし、まるで(いくさ)に赴く武将の様に悠然と足を進める。


「織田信長が六女、夏子――。これより猿の寝所に攻め入るぞ!」


 大音声で叫ぶ夏子の後に、左京と長政も続いていく。


()るか()るか――)


 ここからは左京も、己の解策(げさく)に賭けるしかなかった。


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