【10】『必然と偶然』
「ありがとうございます。全宗様」
豊臣家の侍医である施薬院全宗の見送りに、左京は頭を下げる。
「いえいえ。私もあらためて、勉強になり申した。こちらこそ御礼申し上げます」
全宗もそう言って、柔らかい笑顔で頭を下げてきた。
「それでは――」
左京は同行の長政と共に、全宗の屋敷を出ると、ひとり思考をめぐらす。
(やはり『獣忌み』は呪いではなかった――。あれは『病い』の一種に違いない)
有馬での面識を利用して、左京は全宗から『獣忌み』を医学的見地から判別してもらった。
これによって、推論が一つ確信に変わった。
だが、淀殿がしびれを切らしてきた事。そして関白秀吉が、左京の動きに勘付いているという官兵衛の情報で、もはや猶予はならなくなった。
「着いたぞ。左京」
長政の声で、左京は我に返る。
見れば全宗の屋敷からほど近い、聚楽第の政庁の前まで来ていた。
「さて――、行くか」
左京はそう言って気持ちを入れ直すと、長政と連れ立ってその中に入っていく。
そして――、
「なぜ私が、そんな事を調べなければならない?」
石田三成に苦い顔でにらみつけられる事となった。
「そんな事、言わないでくださいよ。石田殿なら訳ないでしょう?」
左京はめげずに、忙しく書庫を歩き回る三成にまとわりつく。
記録書類のある場所に三成がいてくれた事は、左京の狙いとしてもまったく幸いであった。
「なぜ淀の方様の滞在記録などを知りたいのだ?」
三成からの当然の質問に、
「それはちょっと言えないんですよね――」
左京はそう言って悪びれない。
「…………! 貴様はいつもそうだ。理由を――、理由を言え! 竹中左京!」
さすがに三成も左京の言いように腹を立てる。
有馬での秀吉暗殺予告の解策は見事であったが、三成はそのすべてにおいて、左京にいいように利用されたからだ。
しかも今回は秀吉からの命ではなく、私的な案件で来ているとの事だったので、三成も奉行としてそこは譲れなかった。
言われる側の左京も、さすがに今回の立場の弱さは理解しているので、
「豊臣の未来のため……。それではダメでしょうか?」
と、核心は隠しつつも真実を告げる。
この件には豊臣家の跡取りである、鶴松の命がかかっている――。そこを理解してくれと、左京が哀願する様な視線を送ると、
「………………。今回だけだぞ!」
吐き捨てる様に、三成がそっぽを向いて叫んだ。
その光景を見ていた長政は、淀殿の時もそうだが、左京には無意識の『あざとさ』があると思った。
だが当の長政自身が、幼き頃からそんな左京のあざとい魅力に、あてられている事に気付いていないのだから、そこは救えなかった。
それはさておき、三成は左京の依頼に従って資料を漁り始めた。
さすが秀吉が見込んだ『豊臣の頭脳』であるだけに、三成のデータ検索のスピードは早かった。
「淀の方様は、昨年の十二月二十九日から聚楽第に滞在されている」
淀殿は秀吉の年賀に際して、聚楽第入りしたと言っていたが、記録もそれをちゃんと証明していた。
「で、御寝所はどのあたりになっていますか?」
「なっ、貴様何を言っている⁉︎」
左京の質問に三成が慌て出す。
天下人の側室の寝所を問うなど、忠義心に厚い三成にしてみれば、破廉恥極まりない事であった。
だが左京もぬけぬけと、
「いや、そこが肝心なんですよ」
と言ってみせる。
これは功を奏し、かえってその様に平然と言ってのける事で、逆にやましい事は考えていないという印象を三成に与えた――。事実、左京にそんな気持ちは、さらさらなかった。
「…………。まったく――」
ため息をつきながら三成は、淀殿の聚楽第滞在期間における寝所の位置を教えてくれた。
(やはり奥の御殿か――)
心の内で、左京は顔をしかめる。
奥御殿といえば、後年の江戸城大奥に等しい場所であったからだ。
つまり、たとえ重臣であろうと、そこに入るのは難しいという事である。
「淀の方様はこちらに一月二十九日まで――、いや雷雨のために三十日まで滞在されているな」
「――――?」
三成が言い直した事が気になった左京は、その帳面をのぞき込む。
「お、おい」
体を入れられて三成は慌てるが、左京はそんなことには構わない。
見ると、帳面には線が引かれ、滞在記録が書き直された形跡があった。
「…………」
それに左京の『解策師』としての頭脳がフル回転を始める。
(雷雨という事は必然ではなく、偶然予定外に滞在が延びたという事だ――)
淀殿の滞在場所だけ分かればいいと、左京は考えていただけに、これは思いもかけぬ新たな情報が手に入った。
推論は事実を積み重ねる事で、真実へとたどり着く――。犯罪捜査の基本であった。
(だが、まだ誰が『得』をしているのかが見えない)
損得勘定を推理の基本とする左京としては、これでもまだパズルのピースが足りなかった。
(殿下の目もあるし急がねば――)
そう思った瞬間、左京の頭脳に閃きが起こった。
(――殿下⁉︎)
冷静に考えれば、なぜ秀吉は己が側室と接触している左京を、見て見ぬふりをする様に黙認しているのか?
(もしや――)
事が発覚すると『損』をするのは、関白秀吉なのではないか?
左京の脳内で、新たなる推理が構築されていく。
「石田殿、ありがとうございました――。長政、いくぞ!」
左京はじっとしていられないとばかりに、そう言って長政を連れて、さっさと書庫を出ていく。
「竹中左京! これは『貸し』にしておくからな!」
三成のそんな言葉も耳に入らず、左京は聚楽第の外に出ると、大きく深呼吸してから、長政をじっと見つめる。
「本当にやる気なのか? 左京」
不安げな声を出す長政に、
「ああ、もうやるしかない。どのみち京極殿、織田殿、摩阿姫には、もう声をかけてしまったからな」
左京もそう言ってから、不安な気持ちを振り払うかの様に、両手でピシャピシャと頬を叩く。
それから二人は、どちらからともなく背後を振り返った。
そこにあったのは、今までいた天下人の黄金の城――聚楽第であった。
(それにしても、なぜこうなった……)
左京は自分で決めておきながら、そのとんでもない計画に嘆かずにはいられない。
なぜなら――左京と長政は、明日、聚楽第の奥御殿に潜入するからであった。