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【02】『脅迫状』


「ハハッ、三成。いきなり左京に出会うとは奇縁じゃの」


 有馬での宿所である極楽寺湯山御殿。その大広間に、天下人の高笑いが響き渡る。

 豊臣秀吉――。この時、五十三歳。

 その出自には諸説あるが、下層階級の身分から織田信長に仕え、本能寺の変を経て戦国の覇者にまで成り上がったのは、揺るぎのない事実である。


 今も屈託のない笑顔で場をなごませてはいるが、時折り見せる鋭い眼光は、まぎれもない征服者のものであった。

 そんな秀吉は三成に声をかけた後、下座に目を移すと、今度は退屈そうに控えている竹中左京に声をかける。


「よう来たの、左京――。で……、何か分かった事はあるか?」


(――――!)


 まるで親類縁者に語りかける様な口調もそうだが、いきなり脅迫状の核心に迫る秀吉に、三成は表情こそ変えないが内心目を見張る。

 本当にこの竹中左京重門という男は、いったい何者なのだろうか?


 さっき黒田官兵衛は左京の事を、『策を解く者――解策師(げさくし)』と言っていたが、まったく要領を得なかった。

 だから三成は、わざわざ秀吉と左京の謁見の場まで、こうして同席してきたのである。


 だがその左京は、秀吉を前にしても飄々としたまま、まったく掴みどころがない。

 それどころか、


「阿弥陀堂に投げ込まれたという和歌ですが――」


 と前置きすると、マイペースにその全文を滔々とそらんじ始めた。

 

 

 天が先

 有馬の西は浄土にて

 猿も転ぶは

 是非もなきかな

 

 

 そしてウンウンと頷くと、


「――よくできた歌ですね」


 と、本心から感じ入った様に、平然とそう言ってのけるのだった。


「き、貴様、殿下に無礼だぞ!」


 即座に三成が非難の声を上げる。

 秀吉暗殺を示唆する和歌を褒めるとは、不敬もはなはだしい。

 だから三成は臣下として、当然の振る舞いをしたつもりだったのだが、


「三成!」


「――――⁉︎」


 案に相違して飛んできたのは、秀吉からの叱責だった。


(な、なぜだ? なぜ殿下はこの竹中左京に、ここまでの無礼を許すのか⁉︎)


そう思いながらも、


「も、申し訳ございません……」


 内心の葛藤を押し殺して、三成は秀吉に謝罪する。

 明らかに秀吉は、話の腰を折った事に不快感を示した。

 ならばと三成も、ここは黙って左京の話に耳を傾ける事にした。


「まず……、天が先――。これは天下の行き先と、尼崎の地名をかけていますね」


 三成が黙ったのを見計らって、左京が涼しげな顔で淡々と分析を始める。


「あとこれは、最後の『是非もなきかな』と合わせると、明智光秀が織田信長公を討つ前に、詠んだ歌ともかけているのが分かります」

 

 

 ときは今 あめが下しる 五月かな

 

 

 明智光秀が本能寺の変に臨む前に、愛宕山の西坊威徳院にて詠んだといわれる、連歌の発句。

 この『あめ(天)が下しる』と、『天が先』の共通点。そして信長が最期に口にしたと伝えられる『是非もなきかな』の親和性を、左京は説いたのである。


「これはある意味で、必殺の決意とでもいえましょうか」


 その暗殺対象を前に、ぬけぬけとそう言ってのける左京に、傍らに控える黒田官兵衛は苦笑し、三成は今度は声こそ上げないが、苦虫を噛み潰した様な顔になる。

 だが当の秀吉は、


「続けよ」


 と、不敵な笑みで続きを促す。

 すると左京も涼しい顔付きのまま、


「その他は読んで字のごとくです――。尼崎の西にあるこの有馬の地が浄土。すなわち死に場所――。で、『猿も転ぶは』は当然ですが、殿下の事を差しております」


 と、脅迫状の解析をそう締めくくる。


「なるほどのう。天下の行く先は、この有馬の地で儂が殺される。それは仕方がない――という事か」


「ご推察の通りです」


 秀吉の下問に、左京は恭しく頭を下げる。

 そして、しばしの静寂が場を支配した。


(――――? まさか……、これで終わりなのか?)


 あまりにあっけない展開に、三成は困惑する。

 こんな内容なら、最初から自分でも読み解けた。


(殿下は竹中左京という男を、買いかぶっているのではないか?)


 三成はその邂逅に戦慄さえしてしまった分、怒りさえ込み上げてくる。

 だが次の瞬間、


「で――、本当の意味はなんなのじゃ?」


 左京の平伏した背中に向け、秀吉の柔らかくも刺す様な声が打ち落とされた。


「――――⁉︎」


 三成もすぐさま、左京へと目を移す。

 すると、


「…………」


 無言のまま顔を上げた左京が、心から面倒くさそうな顔をしていた。


(こ、この男……!)


 三成はその不遜極まりない態度に内心憤慨するが、当の秀吉には左京のそんな仕草が、たまらなく心地よいのか、くくくっとふくみ笑いを漏らす。

 そして、


「ほれ、早うせい――。『解策師(げさくし)』よ」


 と、左京の二つ名を呼びながら、心から楽しそうに、それでいて有無を言わせぬ勢いで迫った。


「ハア……」


 こうなっては、もはや致し方なしと左京も覚悟を決める。


「よろしいでしょうか。これはあくまで私の推測ですが――」


 そう前置きしてから、左京は脅迫状の『真の意味』を語り出す。


「これは――陽動ですね」


「陽動?」


 秀吉が初めて険しい顔付きになる。

 その顔は天下を統一した為政者のものでも、公卿の頂点である関白のものでもなく、歴戦をくぐり抜けてきた戦士――戦国武将のものだった。


「ええ、気になるのは、『有馬の西は浄土にて』のところです」


「ふむ」


「もし尼崎という地名にかけているのなら、ここは『西の有馬は』でいいはずです――。それをわざわざ『有馬の西』……と言っているのは」


「西国か?」


 核心に触れずとも、左京の謎かけに秀吉はすぐにその答えを見出した。

 その慧眼に、二人のやり取りを見守っていた三成も、思わず息を呑む。

 そしてついに秀吉の腹心として、ここは黙っていられないと、


「西国諸将が殿下に謀反を企んでいるというのか⁉︎ 」


 と、思わず前のめりに、口を差しはさんでしまう。

 だが左京は半開きの目で、またもや三成を面倒そうにチラリと見ると、


「…………。言ったでしょう? あくまで私の推測ですよ」


 はぐらかす様にそう言って、すぐに目をそらしてしまう。


「――――!」


 怒りに我を忘れそうになる三成だったが、秀吉からまた叱責されるのを恐れ、ここは歯を食いしばって耐える。

 左京も話の腰を折られた事など、どこ吹く風で述懐を続けていく。


「それと『猿も転ぶは』ですが――。これは深読みが過ぎましょうが、安国寺恵瓊殿が信長公の末路を『高ころびに、あおのけに転ばれ候ずる』と予言した事に、かけている気がするんですよね……」


「――――⁉︎」


 左京の発言に広間が緊張に包まれる。


「毛利か⁉︎」


 沈黙を破ったのは、やはり三成であった。この男は頭が回るだけに、この様に才気が突出する悪い癖があった。


「まあ、そう考えれば辻褄が合う気がするんですがね……」


 またもや左京は、答えをはぐらかす様に、自身の発言に首をひねってみせる。

 食えない素ぶりだが、左京の読みに誰もが、一理あると認めざるをえなかった。


 安国寺恵瓊は西国の雄、毛利氏の外交僧である。

 怪僧とも呼ばれる恵瓊は、かつて信長との会見後に、その破滅を『高ころびに、あおのけに転ばれ候ずる』と予言したといわれている。


 その恵瓊の発言と、信長の『是非もなきかな』をかけて考えれば――、次に破滅するのは『猿』。すなわち関白秀吉と示唆している事になる。


「官兵衛、どう思う?」


「おっと、ここでそれがしに振りまするか?」


 秀吉からのいきなりの指名に、官兵衛が苦笑いで応じる。


「フン、お前は豊臣の軍師――。それに信長公が横死された時も、ぬけぬけと儂に『御運が開けましたな』と抜かしおった奴じゃ」


「これは手痛い――。まったく口は災いの元ですな。ハッハッハッ」


 そのトゲのあるやり取りに、左京は呆れ、三成は緊張する。

 秀吉と官兵衛は、左京の父、竹中半兵衛亡き後、軍略面で共に天下統一に向け邁進してきたが、この様にある面では同床異夢の間柄でもあったのだ。


 まさに秀吉も秀吉なら、官兵衛も官兵衛であった。

 だから官兵衛も、


「まあ左京の読みをまとめるなら――、陽動とはいえ、殿下はこの有馬から西に踏み込めば、毛利によって信長公と同じく破滅する――。といったところですかな」


 と、さらりと言ってのける。


「フン」


 秀吉も官兵衛の答えに満足すると、ニヤリと笑いながら、再び左京の方に向き直る。


「――――!」


 左京は嫌な予感に襲われる――。猛烈に嫌な予感であった。

 それは正解であり、


「よし左京――。この策、解いてみせい」


 と、ついに秀吉はこの暗殺計画の謎解きを、左京に直々に申し渡した。


(あー、やはりそうなるかー……)


 おおよその見当はついていたが、いざ命じられるとなると、頭を抱えたくなるほど面倒くさい。

 とはいえ、天下人の下命に逆らう訳にもいかない。


 だから左京は、左京なりの流儀で、


「…………。はあ、善処いたします」


 と仕方なく、悪気はなくとも全力で気だるげに拝命した。


 この左京の態度に、ついに三成の堪忍袋の緒が切れた。


(おのれ竹中左京、もはや我慢ならん!)


 だが、立ちあがろうとする三成の機先を制する様に、


「よし、下がれ」


 と、秀吉は左京たちに広間からの退出を命じてしまう。


「くっ……」


 左京の背中を目で追いながら、三成が苦悶の声を漏らす。

 そんな三成に向かって、


「よいか三成――」


 と秀吉が声をかける。


「はっ」


 すぐさま三成は居住まいを正し、秀吉に向き直る。

 同時に三成は気付く――。秀吉の顔付きが、先刻までの戦国武将のものから、為政者のものに変わっていた事に。


 これは只事ではないと、三成は緊張しながら秀吉の言葉を待つ。

 そして秀吉が、重々しく口を開いた。


「儂は信長公の意志を継ぎ、お前らと共に、この日ノ本六十余州を平らげた――」


「ははっ。ひとえに殿下の御威光の賜物にございます」


 追従ではなく、三成は本心からそう述べる。

 だが秀吉は、三成のそんな称賛も意に介さず、一方的に喋り続ける。


「儂らは勝った。攻めて、攻めて、攻め勝った――。だがな……勝ったモンちゅうのは、今度は『攻める側』から『守る側』になるんじゃ」


「――――」


 思わぬ秀吉からの言葉に、三成は呆然となる。

 守る――。それは天下統一に向け、ひたすら攻勢に出ていた、これまでの豊臣にはあり得ぬ発想であった。


「これからの敵は外だけではない。敵は内側にもおる――。お前もこれから心せい、三成」


「ははっ!」


 確かに今回の暗殺予告も、平定したはずの国内の不満分子によるものに違いない。

 創業と守成――。三成はいきなり突きつけられた、これからの政治課題に思いを巡らせる。


 だが何があろうと豊臣政権を守るのは、誰でもないこの石田三成である。

 その自負と共に、決意をあらたにしようとした三成に、秀吉から思いもかけぬ言葉が投げかけられる。


「じゃから、これからの豊臣には――、あの竹中左京の様な男が必要になる」


「――――⁉︎」


 三成の衝撃をよそに、秀吉はすでに退出した左京の背中を追う様に、遠い目をしている。


「竹中左京……。『解策師(げさくし)』……」


 三成も絞り出す様な声で、その名を呟く事しかできなかった。

 竹中左京重門――。秀吉も認めるその存在に、あらためて三成は息を呑んだ。


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