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【09】『タイムリミット』


「で――。お前ら、ここんところ何をチョロチョロと嗅ぎ回ってるんだ?」


 聚楽第の黒田屋敷で官兵衛にそう言われ、左京と長政はドキッとする。


「…………」


「…………」


 しばし互いに顔を見合わせてから、


「もう……親父殿の耳にも入っているのですか?」


 腹を括った左京が観念して、逆にそう問い返す。


「まあな。といっても奉行衆に、尻尾を掴まれている訳じゃねえが――、おそらく殿下は勘付いているぞ」


「――――!」


 官兵衛の見解に、左京は緊張する。

 秀吉は側室である淀殿に接近している事を、承知の上で放置している――。それはあらゆる意味で、おだやかな事ではなかったからだ。


「何をしているのか――、なんて聞く気はねえ。お前が自分を信じてそう決めたんだったら、義父(おや)はそれを黙って見守るもんだ」


 官兵衛はそう言って微笑むと、


「だが、あまり時間はかけるな――。あまり事を長引かせると、女絡みはロクな事がねえからな」


 と、今度は軍師の顔付きになって、左京にそう警告してくる。


「はい……」


 左京はあらためて、黒田官兵衛という男の大きさに舌を巻く。

 おそらく官兵衛は独自の諜報網を持っているのだろうが、ほぼ正確に左京の動きを掴んでいる。

 それどころか、今回の案件が淀殿絡みという事も見抜いた上で、アドバイスまでしてくるのだから、これはとてもかなわない。


 しかも、

 ――女絡みはロクな事がない。

 という言葉が胸に突き刺さってくる。

 事実、ここまで本当にロクな事がなかったからだ。


(まったく、なぜこうなった……)


 と嘆きながらも、左京には言っておかねばならない事がある。


「長政を巻き込んだ事――。すみませんでした」


「ああ?」


 左京の言葉に、官兵衛が首をひねる。


「フン。言ったはずだろ。長政はお前の味方――。お前と運命を共にする覚悟があると」


「…………」


 左京は有馬の地で、官兵衛が長政に『解策師(げさくし)』の正体を明かした時の事を思い出す。

 チラリと長政を見ると、彼もまた、言うまでもないとばかりに、力強く頷いていた。


「俺と長政は、お前の親父――半兵衛殿が命をかけてくれたおかげで、こうして生きている。だから今度は俺たちが、お前を助ける事に何の理由がいる?」


 そう言って官兵衛は、大あざのある頬を歪めてニヤリと笑う。

 その姿に左京は、父と官兵衛がいかに強い絆で結ばれていたかを、あらためて思い知った。

 そして深々と頭を下げると、


「ありがとうございます――。では長政を遠慮なくお借りします」


 と、今度は態度とは裏腹に、ぬけぬけとそう言い放った。


「ヘッ、それでいいんだよ」


「いつも言ってるだろ。お前には俺がついているって」


 官兵衛と長政も、左京のへらず口にそう言って受け合う。

 ここで終われば、竹中黒田の結束が固まった美談で終わったのだが、


「おい、左京はいるか⁉︎」


 という声と共に、突然波乱が訪れる。

 聞き覚えのある声に、左京が居間から飛び出すと、美しい顔立ちの若武者がドタドタと廊下を歩き回っていた。


(あんの、じゃじゃ馬が……!)


 左京が顔を歪める――。なぜなら若武者は、どう見ても男装した淀殿だったからだ。


「あっ、竹中様」


 黒田家中の者が、勝手に侵入してきた若武者の対応に困り、救いの視線を投げてくる。


「何やってるんですか⁉︎」


 すぐに淀殿の袖を引っ張り、部屋に引き入れる。

 その後、官兵衛が『大丈夫だ』という手ぶりで、家中の者を引き下がらせた。

 そして障子を閉じた瞬間、


「左京、今までいったい何をしておったのじゃ⁉︎ 何か分かったら、すぐに知らせろと言うたではないか!」


 淀殿が左京の胸ぐらを掴んで、至近距離でまくし立てた。


「だからって、なに男装までして、こんな所まで来てるんですか⁉︎」


 左京も淀殿の呼吸に慣れたのか、即座にそう言い返す。

 まったく、じゃじゃ馬ながら、この行動力には頭が下がる。

 左京と長政を、淀城に来させるために女装させた時もそうだが、まさか今度は自分が男装までするとは思ってもみなかった。


(わらわ)が怪しいと言った者どもの事は、調べたのであろうな?」


 淀殿はそう言って、さらに左京に詰め寄ってくる。


「行って来ましたよ。だからこんなに時がかかったんじゃないですか」


 人の苦労も知らないで――、とばかりに左京もまた顔を寄せて言い返す。


「ふむ。では北政所様はどうじゃった?」


「とてもいい人でした」


「京極竜子は?」


「とても綺麗な人でした」


「織田夏子は?」


「とても怖い人でした」


「前田摩阿は?」


「侍女がとても変でした」


「………………。なんじゃ、それはー⁉︎」


 淀殿が身を震わせ、左京に噛みつかんばかりに叫ぶ。


「でもそれが本当に答えです――。あの四方に、淀の方様を呪詛した方はおりません」


 左京もここは怯まずに、はっきりとそう言い切る。

 そもそも調べていくうちに、これは呪詛ではないと左京は思い始めていた。


 それについて分かりかけた事もある――。だが推測の域を出ない情報を淀殿に与えれば、またどんな暴走をするか分かったものではない。

 だが何も与えなければ、淀殿も引き下がらないだろう。


「では誰が犯人なのじゃ⁉︎」


 予想通り、淀殿は牙を剥いた犬の様になって、左京を詰問してくる。

 それに、


「淀の方様。必ず真実は突き止めてみせます――。だから今少し、私に時間をください」


 左京はそう言って、まっすぐ淀殿を見つめる――。ここは心意気で押し切るのが得策と、左京は判断したのだ。

 すると淀殿も、


「…………。本当にあと少しだけじゃぞ」


 と言って、少し頬を赤く染めながら、そっぽを向いた。


(やれやれ……、うまくいった)


 左京は息をつきながら、ふと我に返ると、呆れ顔の官兵衛と長政の視線に気付き、思わず苦笑する。

 すると同じく淀殿も我に返ったのか、


「お、おお、黒田官兵衛。久しいの――。よ、よいか。この事、他言したら黒田の家は取り潰すからな」


 と、聚楽第で長政に言ったのと同じ口ぶりで、官兵衛にも口止めをする。


「ははっ。かしこまりまして候」


 赤面する淀殿の顔を見ない様に、そう言って官兵衛は頭を下げる――。このあたりの対応は、やはり老練の軍師のなせる業であった。


「うむ、ならばよい――。よいか左京、待っておるからな」


 淀殿がそう言い残し、また嵐の様に去っていく。

 その後、口には出さないものの、


(お前も大変な事に、首を突っ込んじまったな)


 という官兵衛の視線を感じ、思わず左京はため息をつきたい気分になった。


「まっ、しっかりやれや――。左京、長政」


 そう言って官兵衛も、部屋を後にする――。それは何気ない口ぶりだが、重い一言であった。


「左京……」


「大丈夫だ、長政」


 残された部屋で不安そうな声を出す長政に、左京はそう言って相棒を勇気づける。

 だが官兵衛の言った通り、これ以上時間はかけられなくなった。


(今回の事で、いったい誰が――『損』をして、『得』をしているんだ……?)


 まだ推論の域を出ない左京の解策(げさく)――。そこに刻々とタイムリミットが迫っていた。


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