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【06】『京極竜子』


 北政所との対面から数日後――。左京と長政は、大坂城西の丸にある絢爛豪華な屋敷の中にいた。


「ほう。北政所様からの賜り物とな――」


 整った目鼻立ちの絶世の美女が、絹織物を手に呟く。

 女の名は京極竜子――。淀殿とその寵愛を競う、秀吉の側室であった。


「はい。北政所様が明の絹織物が手に入ったので、ぜひ京極殿にもと――」


 長政が当たり障りのない口上を述べる。

 その間、左京は小西行長の事を考えていた。


 ――白椿の件に深入りするな。

 行長は、左京にそう警告してきた。

 なぜ行長が――、という疑問がまず起こるが、それよりも自分たちの動きが、他所に漏れていた事の方が問題であった。


 淀城での、淀殿との密談に立ち会っていたのは、大蔵卿局ただ一人だけだった。

 淀殿の乳母でもあり、何よりも主を大事にする大蔵卿局が、情報を漏らしたという事はまず考えられない。

 となると、これは予想だが、淀殿が陰陽師に白椿の件を問い合わせたのが、まずかったのかもしれない。


(いや、あの天真爛漫な淀の方の事だ――。他にもどんなボロを出しているか分かったものじゃないぞ……)


 考えれば考えるほど、左京は頭を抱えたくなってくる。

 そんな時、


「これは小西行長殿の交易品かえ?」


「――――⁉︎」


 ふと竜子が口にした言葉に、左京は目を見張る。


「はあ。詳細は聞いておりませんが、おそらく小西殿からマグダレナ殿を通じて、北政所様に献上されたのかと」


 長政が思案顔でそう答えると、


「お、おい。これは小西行長が関わっている品なのか⁉︎ それにマグダレナって誰だ⁉︎」


 左京は場をわきまえず、思わず前のめりに問いかけてしまう。

 ポカーンとそれを見つめる竜子――。瞬間、左京もしまったと思ったが、もうここは開き直るしかないと思い、


「京極殿、しばしお待ちを――。で、どうなんだ長政?」


 と、本当に開き直って、長政に詰め寄った。


「アハハハッ」


 その滑稽なやり取りに、竜子も笑いだす。


「お、おい左京――」


 思わぬ展開に長政は動揺するが、


「よいよい、長政殿――。(わらわ)も噂の『解策師(げさくし)』殿が見たいでな」


 竜子の方は、いたって上機嫌であった。


(チッ。また殿下は(ねや)で私の事を話したのか――?)


 左京は心で舌打ちするが、それよりも今は小西行長の事だ。


「長政――」


 左京が促すと、


「小西殿の母上は、北政所様の側近のマグダレナ殿だ。お前も北政所様との謁見の時に、会っていたじゃないか?」


 長政は怪訝な顔をしながら、事の真相を教えてくれた。


「なっ……⁉︎」


 言われて左京は思い出す――。北政所のそばにいた二人の女官のうちの一人が、胸に十字架を下げていた事に。


(そういう事か……)


 女官のうちの一人が北政所の側近の孝蔵主(こうぞうす)である事は知っていたが、まさかもう一人の女官が小西行長の母親とは、左京もノーマークであった。

 十字架という繋がりから、想像力をはたらかせるべきかもしれなかったが、あの場はなんといっても北政所ワールドに流されてしまったので、そこは仕方がないと左京も諦める。


 だが行長が、側近である母を通じて北政所と繋がっているというのは、まずかった。

 おそらく大坂城で行長と遭遇したのも、偶然ではなかっただろう。


(今後は、もっと動きに気をつけなければならないな……)


 左京が、ひとり思案していると、


「で、『解策師(げさくし)』殿――。何か分かったのかえ?」


 と、上座から竜子が楽しそうに顔を覗き込んできた。

 これはしまったと左京も我に返るが、竜子は別に不機嫌になる事もなく、むしろ左京の推理に興味津々という様子であった。


 ここで左京も、竜子という女性を分析し始める。

 世上では淀殿と秀吉への寵愛を争っていると喧伝されているが、竜子はいたって自然体な女性という印象を左京は受けた。


 亡夫である武田元明との間に、すでに二男一女をもうけているとの事だが、とてもそうには見えない若々しさであるし、純粋な美貌だけなら淀殿を凌駕していると、不謹慎ながら左京は思った。

 一応、淀殿があげた容疑者リストに竜子も入っているが、この人もまた他人を呪詛する人ではないと左京は判断する。

 それに何よりも、


(もしこの(ひと)が呪詛の犯人なら、それに明らかに関与している小西行長の名を、自分から出すはずがない)


 理論的にも、竜子を容疑者から外す事ができた。

 なので、


「ええ。京極殿のおかげで、一歩前に進む事ができました」


 左京もここは意味深に、そうとだけ答えておく。

 すると竜子は、その言い回しが気に入ったらしく、


「そうか。何かあったら、また妾を頼るがよいぞ」


 と、さらに上機嫌な顔になる――。深く詮索をしてこないあたり、なかなかの賢女でもあった。


(さて、ここいらが引き時だな)


 左京が目くばせで合図すると、


「で、では我らはこの辺にて――」


 正使の役回りである長政が、退出を宣言する。

 北政所公認の訪問とはなってはいるが、小西行長の件もあるし、目立つ動きはできるだけ避けるべきであろう。


「うむ。ご苦労でした、黒田殿、竹中殿。北政所様にもよしなに――」


 天下人秀吉の寵姫だというのに、節目にいたっては丁寧な口調になるあたり、やはり竜子は人間としてもできた人であった。

 どこかの姫君にも見習ってほしいものだ――、などと考えていると、


「ところで、この絹織物は茶々にも届けるのかえ?」


 いきなり竜子が言ってきたので、左京はドキッとする。

 茶々とは淀殿の幼名である――。竜子と淀殿は従姉妹同士でもあり、その気さくな口ぶりからも竜子が淀殿を恨んでいるという事はなさそうであった。


「え、ええ、この後に……」


 左京は曖昧に答えるが、


「そうか。だが、茶々よりも妾を先に訪ねるとは――、なかなかに()い奴じゃ。左京」


 最後に竜子はそう言って、女の意地を口にする。

 しかも左京を名前呼びして、あからさまな好意まで見せてきた。


「し、失礼いたします」


 左京はそう言って、唖然とする長政の袖を引っ張って退出するのが精一杯だった。


「ホホホッ」


 廊下を進む背中越しに、竜子の上機嫌な笑い声が聞こえてくる。


(なぜ……、なぜこうなる?)


 これまで淀殿、北政所、そして竜子と、秀吉の妻たちから、立て続けに寄せられる好意に、左京は全力で困惑するのだった。


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