前へ次へ
11/67

【01】『聚楽第』


「あー、なぜこうなったー……」


 帝のおわす京都御所にほど近い、聚楽第外郭にある黒田屋敷の離れで、竹中左京はいつもの様に嘆く。

 時は天正十九年(一五九一年)三月。いまだ奥州での一揆は続いているものの、成立間もない豊臣政権は安定そのものであった。


(こんなんなら、解放してくれませんかね……)


 政権内部の闇を暴く『解策師(げさくし)』として秀吉から指名されたものの、肝心の事件がなければ、こちらとしてはやる事がない。

 京大坂に詰める事を厳命されているが、これなら用のある時だけ、領地の美濃菩提山から出て来ても同じではないか。


 一応、三日に一度は聚楽第に出仕はしているが、行政と違い警察行動に近い役職にとって、平和とは無職と同義なのである。

 しかも石田三成に会った日には、まるで無駄飯食らいの様に見られる始末であった。

 だから出仕日にあたる今日が、左京にとっては気が重く億劫なのであった。


「おい、左京。そろそろ行くぞ」


 そんな時、黒田長政が迎えに来た。

 若年とはいえ、豊前中津十二万五千石の領主であるのに、こうして左京の出仕日には、あてがわれた住まいに迎えに来るのだから、マメというより他にない。


(うー、やはり来たかー)


 頭を抱えるのと同時に、


「なあ長政――。お前、暇なのか?」


 と、左京は鬱憤晴らしの嫌味をぶつける。

 幼なじみ、かつ父親の官兵衛が烏帽子親という家族の様な間柄、左京は長政には容赦がない。

 だが長政は、


「あのな、左京。お前は俺が迎えに来なければ、なかなか出仕しようとしないだろう? お前の身は黒田家の預かりでもある――。だからこれは、当主として当然の務めなのだ」


 と、その純朴な瞳をキラキラ輝かせながら、かえって胸を張る始末であった。


(どこの世界に、駄々っ子を出仕させるのが務めの当主がいる……)


 とはいえ長政の言う通りで、左京は何かれと理由をつけては出仕をしたがらないのも事実であった。

 そこは左京も認めているので、観念していそいそと出仕の準備を始めた。




 聚楽第は有力大名の屋敷を、堀の代わりに外郭としているので、北東に位置する黒田屋敷から聚楽第の門まではほど近い。

 その道のりを長政は数名の供を、左京は不破イタチだけを連れて粛々と進む。


(ああ、面倒くさい……)


 ため息をつきながら歩く左京だったが、ふと大通りの人だかりが目に入ると、一人そちらに足を向ける。


「お、おい左京?」


 長政もその後を追うと、


「――落首の様だな」


 と、左京はすぐに騒ぎの正体を見極める。

 だが、人が多すぎて壁に書かれたその内容を読む事ができない。


「イタチ――」


「はーい」


 左京が声をかけると、忍びの者であるイタチが素早い身のこなしで、人だかりの中に潜り込んでいく。

 そしてすぐに戻ってくると、

 

 

 末世とは別にはあらじ木の下(木下)の

 さる(猿)関白を見るにつけても

 

 おしつけて結えば結わるる十らく(聚楽)の

 都の内は一らく(楽)もなし

 

 

 と、落首の内容をそらんじた。


「…………」


 あまりに見事に、秀吉をなじった内容に左京も長政も声が出ない。

 やはり天下を統一したといっても、不満分子はこの様に、京の都にでさえ内在しているのである。

 それからすぐに、役人が騒ぎを聞いて駆けつけてきた。


「行こう」


 そう言って左京が先に進んでいく。

 その後に続く長政が、


「左京、これは内々の儀だが――、唐入りの軍役が申し渡された」


 と、小声で驚くべき内容を耳打ちしてきた。


「――――⁉︎」


 左京も足を止めずに、目線だけで続きを促す。


「俺たち九州勢は、一万石あたり兵五百。中国四国勢で四百。それ以外は一万石あたり兵三百らしい」


「なっ⁉︎」


 思わず声が漏れてしまう。


(待て待て、という事は私は美濃菩提山五千石だから、兵百五十? おいおい、そんな兵がどこにいるんだ⁉︎)


 単純な算出方式に、左京は猛烈に抗議したくなる。

 検地により石高の正確性は高まったが、それと領内の人口は別問題だからである。


(やれやれ。こんな事なら、秀長様と利休様の策を解策(げさく)したのは失敗だったか……)


 思わず左京は、そこまで考えてしまう――。その秀長と利休も、もうこの世にはいない。


(時代は変わる。それは誰にも止められない……か)


 その象徴ともいえる聚楽第に、左京は顔を歪めながら足を踏み入れていく。



 だが出仕したところで、すぐに秀吉に謁見できる訳ではない。

 秀吉は秀吉で、朝廷の関白として、そして武家の頂点として政務に追われているからである。


「俺は奉行衆に会ってくるが、お前はどうする?」


 まだ謁見まで相当の時間があると判断すると、長政はそう言って席を立つ。


「何が好きで、石田殿に穀潰し扱いされなきゃいけないんだ……」


 左京がそう言い返すと、長政も苦笑して控えの間を後にする。


「やれやれ、海を渡って唐入りなど、絶対にごめんだぞ……」


 一人になると、左京は襖絵に描かれた豪壮な大海原を見つめながら、存分に愚痴る。

 そこに、


 ――ニャー。


 と、不意に動物の鳴き声が聞こえてきた。


「――――?」


 首をかしげながら襖を開けると、そこには白くて毛が長い猫がいた。


「……なんだ?」


 この時代、長毛種の猫はまだ舶来品として、日本では広く知られていない。

 なので左京が訝しんでいる間に、猫はサッとどこかへ行ってしまった。

 そして、それと入れかわる様に、


「お方様、そんなに奥に進んではいけませぬ」


「うるさい! うるさい、うるさい、うるさい!」


 という、やかましい女の声が聞こえてきた。

 会話の内容から、女主人と侍女のやり取りの様だが、そのヒステリックな声に、左京は猛烈に嫌な予感に襲われる。


(これは関わると、まずい気がする)


 声からして女主人は若い女だ。おそらくさっきの猫を探しているのだろうが、厄介事に巻き込まれてはたまらないと、左京はいそいそと襖を閉めようとする。

 だがそこに、ドタドタという足音と共に、一人の姫君が踏み込んできてしまった。


「――――⁉︎」


 左京はその姿に目を奪われる。

 高貴な身分を思わせる優雅な気品。それでいてすべての男を魅了する様な妖艶な色香――。それが少女の様な可愛らしさと混ざり合い、なんの矛盾もなく目の前に立っていたのだ。


 思わず左京は、


(これが『傾国の美女』というものかもしれない)


 と無意識に思い、戦慄さえ覚えた。

 だが女も女で、左京をまじまじと見つめると、


「銀髪……。お前、竹中左京か⁉︎」


 と、例のヒステリックな声でいきなり詰問してくる。


(――――⁉︎ なぜ、この女は私の事を知っている?)


 思わぬ展開に左京が困惑していると、


「淀の方様――。どちらにおわしますかー?」


 と、また侍女らしき女の声が、近くに聞こえてきた。


「チッ!」


 それに女は舌打ちすると、切れ長の目をさらに吊り上げながら、左京の胸ぐらを掴み、顔を寄せ迫ってくる。


「『解策師(げさくし)』、(わらわ)を助けよ! 妾は――呪詛されておる!」


 

 左京と淀殿――。それは新たな時代が動き出す、運命の出会いであった。


前へ次へ目次