04. アデル、勇者と出会う(2)
「きゃああああ!」
アデルは自分の喉が上げた声で我に返った。
「師匠!?」
「どうしましたか、師匠!?」
両隣から、マルティンとエミリーが心配そうに身を乗り出している。
草の匂い。
茂みから飛び出た枝が、ちくちくとローブを突き刺す感覚。
悠々と広がった青空に、頬を撫でる温かな春風。
五感から伝わる情報で、今の自分が春の森にいることを理解すると、アデルはようやく肩の力を抜いた。
はあ、はあ、と、いまだ息が乱れている。
「予知を、視た……」
なんとか身を起こし、そうっと茂みの向こうを覗いてみる。
馬車は、もう去ってしまったようだ。
あの少年――レイノルドを連れて。
「予知?」
「そう。あの子……今の馬車に乗っていた子。彼は、レイノルドという名の勇者になるみたい」
息を呑んだ二人をよそに、アデルは馬車の去った方角を見つめながら、呆然と話し続けた。
陽光を集めたような金髪。
輝く青い双眸。整った顔立ち。
間違いない。
あれは、先ほど馬車に乗っていたあの少年の、未来の姿だった。
「きっとこの後、王都の教会で育てられるのね。それで、将来」
無意識に腕輪を撫でながら、アデルは必死に記憶を辿った。
あのとき映った腕輪は黒色で、左側に太いものが1本と細いものが2本。そして右側に2本。
黒色は8番目の色だから、聖主教歴1018年か、1028年ということになる。
レイノルドなる青年も、一緒に映っていたマルティンも、20歳を超しているように見えたから、舞台は4年後ではなく、14年後の1028年だろう。
月は12、日付は20から29の間。
つまり――。
「14年後の12月下旬に、彼は、私をなぶり殺しに来る」
震える声で告げると、二人の弟子は素っ頓狂な声を上げた。
「なんで!?」
「辺境のしがない魔女を、勇者がわざわざ殺しに来るのですか!?」
さりげなく暴言が混ざってしまったエミリーを、今は窘めることもできない。
アデルは「詳細はわからないけど」と前置きしながら、鳥肌が立ったままの二の腕をさすった。
「復讐のようよ。なんて言っていたかな……そうだ、私が彼の大切な存在を踏みにじったって」
「そんな。勇者といったら、強大な魔力を持つエリートでしょ? 師匠がどうやったら、そんな偉人から大切な人を奪えるんだよ」
「わからないわよ! でもとにかく、なんかやらかしたことは確かよ。憎しみに満ちた声で、『卑劣な魔女・アデルめ』って吐き捨てられたもの。なんかこう……こう、卑劣だったんでしょ!」
肝心なところが曖昧な状況に、アデルが苛立ちを募らせていると、エミリーが困惑したように呟いた。
「もしや……師匠への個人的な恨みというより、魔女全体への憎悪という可能性もありますか?」
「え?」
「この国は、魔女への弾圧と融和を、数十年おきに繰り返しています。今はだいぶ寛容ですが、14年後までに魔女への風当たりが強くなって、それで、魔女狩りが起きたのかも、と」
遠慮がちな指摘を聞き、アデルは唇に指を当てて考えた。
たしかに一昔前までは、魔女や魔術使いに対する教会の姿勢は強硬的で、言いがかりのような罪状で、次々と魔女たちが処刑されたと聞く。
選民思想的な王都派中央教会で育てられた勇者が、魔女を嫌悪し、たとえばアデルが彼の恋人や友人の足をちょっと踏んだだけで激怒した、というのは、考えられなくもない。
「そうね。そういうこともあるかも」
アデルの予知は、こういうところが不便だ。
得られる情報が断片的で、大部分を解釈や想像に頼らなければならない。
だが、事態を是正する行動を取らない限り、予知は必ず実現されるものでもあるのだ。
その精密さだけは、ほかの魔女たちと比べてもずば抜けており、つまりこのまま何もせずにいれば、アデルは絶対に勇者に殺されてしまう、ということなのだった。
「どうすりゃいいのよ……っ」
師匠が予知を外したことがないと知っているマルティンたちも、ともに頭を抱えてしまう。
だが、ひとしきり唸った後、やがてふと、エミリーが顔を上げた。
「わかりました、師匠」
小さな拳をきゅっと握り、彼女は真顔で頷く。
「今のうちに、彼を殺ってしまいましょう」
「ちょい待ち!」
これにはアデルも、マルティンと一緒に叫んでしまう。
どうもこの可憐な二番弟子は、時折突拍子もない苛烈さを披露することがあった。
「今から走れば、馬車に追いつきます。それか夜まで待って、闇討ちを」
「いや、それはまずいわよ、エミリー。絶対ほかの人を巻き込むし。むしろそれが原因で恨まれるまである」
「うわ想像つくー! レイノルドくんを庇って、きっと誰かが死ぬんだよ。で、それが奇しくも初恋の幼なじみだったりするんだ。で、恨まれる。これだよ!」
なにが「これだよ!」だと突っ込みたかったが、アデルも同感ではあった。
本能が告げている。
今下手に動けば、裏目に出ると。
「とにかく関わらないように、徹底的に接点をなくせばいいのよ」
「避けるだけなんて……このまま何もせずにいれば、予知は必ず実現してしまうんですよ。師匠が恨みを買う真似を控えても、彼がやがて教皇にでもなって、魔女弾圧を行うのかもしれません」
だが、意外に頑固な二番弟子は譲らなかった。
可憐な唇をきゅっと引き結び、大きな瞳にじわりと涙を滲ませる。
「私……師匠が死んでしまうだなんて、いやです」
「わあ、エミリー! 涙を引っ込めて!」
「師匠が手を下さないなら、いっそ私が」
「わああ、エミリー!! 殺意も引っ込めて!!」
実はアデルは、高齢女性と年下の子どもに大変弱い。
自分自身が幼少時に、年嵩の魔女によくしてもらったし、赤子の子守で日銭を稼いだこともあったため、本能的に「これらの人間は大切にすべし」と刻み込まれているのだ。
エミリーはぐすぐすと鼻を鳴らし、小さな手でアデルの裾を掴んでくる。
ろくな大人に恵まれなかった彼女は、6歳年上でしかないアデルのことを、半ば母親だと思っているのだ。
失いたくないのだろう。
「師匠がひどい目に遭うなんて、絶対にいやです」
そしてエミリーは、言い出したら聞かない、不屈の魂の持ち主でもあった。
なにせたった9歳で、襲いかかってきた伯爵の男性機能を殲滅し、使用人に渡されたはした金で見事生き抜き、東の森まで一人で移動してきたのだ。
土壇場での強かさは、おそらくアデルをも上回る。
(この子は、殺ると言ったら、絶対殺るわね)
両目を閉じて天を仰いだアデルは、次の瞬間には腹をくくった。
「わかった」
しっかりとエミリーの目を覗き込み、頷く。
ただし決意したのは、レイノルド少年の殺害ではない。ほかの策だ。
「でも私は殺さない。教会から、あの子を攫うわ。攫って、弟子として育てる」
「ええ!?」
素っ頓狂な声で叫んだマルティンを、アデルはきっぱりと制した。
「だって、予知は『勇者に殺される』、だったんだもの。私が彼のどの逆鱗に触れたかはわからないけど、ひとまず彼を勇者でなくせば、未来は必然的に変わるはずでしょ」
話しながら、これはなかなか名案かもしれないと思う。
だいたい勇者や聖女は、王都に集められて、閉じた箱庭で贅沢三昧なんかしているから、選民思想の持ち主になるのだ。
ならば、彼が教会に染まる前に、こちらの陣営に引き込んでしまえばよい。
「そりゃそうかもしれないけど……、僕は反対だなあ。接点が増えれば、危険も増えそうだよ」
「危険は増えるかもしれないけど、その変化を目の前で、即座に把握できるのは利点よ。どのみち運命っていうのは、大胆な対策に打って出ない限り、変わらないんだから」
生まれてこの方、予知という能力と付き合ってきたからわかる。
未来や運命というものは、ただ漫然と過ごしているだけでは変わらないのだ。
思いきり気合いを込めて、足掻いて足掻いて、空回りなんかもして、無駄に見える努力を積み重ねたその先に、思いがけないことを契機に様変わりする。
であるならば、殺されてしまうという14年後まで、打てる手はすべて打つべきだった。
「ひとまず、作戦を立てましょ。いつ、どこで、どうやって彼を攫うか」
さっさと行動に移してしまえば、エミリーはもちろん「はい」と即座に返事を寄越す。
マルティンは「ええー」と気乗りしない様子で頭を掻いていたが、最終的にはしぶしぶと話を了承した。
「わかったよ」
結局のところ、この弟子たちはアデルのことを師匠として認めてくれているし、師匠の言うことはきちんと守ってくれるのだ。
「師匠思いの弟子に恵まれて嬉しいわ」
アデルは鷹揚に頷いて、草原の向こう、馬車が消えていった道のはるか先を見つめた。
「末弟子も、ぜひ師匠思いに育てましょう」