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33. 人攫いのあとしまつ(3)

 リタは息を呑みながら切り出した。


「あんた……いえ、あなたは、もしや」

「おーい! 誰が北に行くか、決まったのかよ!」


 だが、リタが思わず身を乗り出したそのとき、前の馬車に移った行商人が声を張り上げた。


「北に向かう1人はこっちに来い。特等席だ。誰も選べないってんなら――てめえら全員、そこに置いていくからな」


 酷薄な口調で付け足された言葉に、女たちがぎくりと身を強ばらせる。

 だがそれを聞くと、掠れ声の女がすっとその場に立ち上がった。


「私が……」


 短く告げて、さっさと荷車を降りてしまう。


 迷いのない足取りで馬車へと向かう彼女の背中を、リタたちは息を詰めて見守った。

 中には涙ぐむ者さえいた。


 だって、教会の口車に乗せられていた愚かな女たちに忠告を寄越し、自ら身代わりとなり、コートまで与える――そんな慈悲深い人間が、この世のどこにいるというのか。


 躊躇いなく馬車へと移動してきた女のことを、行商人たちは冷やかしながら迎えた。


 辻に出ると、リタたちの乗った荷車をほかの馬につなぎ替え、宣言通り北と東に分かれる。

 荷車に残り、港に向かうリタたちは、先ほどまでのやかましいおしゃべりからは一転、誰もが息を潜め、身を寄せ合っていた。


 時々、すすり泣きの声が響く。


「あの人、これからどうなるんだろう」

「馬鹿」


 リタは鼻をすすり上げながら、隣の女の足を蹴った。

 答えのわかりきった問いだったからだ。


 きっと彼女は、自分たちの代わりに殺されるのだ。

 だが自分たちだって、このままでは半月後には、ドラゴンの生け贄にされてしまう。


「どうすりゃいいんだよ……っ」


 恐怖と罪悪感で、コートを掴む手に力が籠もる。

 そのときだ。


 ぱあああ……!


 ふんだんに毛皮が使われたコートの端、なにか複雑な刺繍が施されたあたりから、突然強い光が溢れ、リタたちは悲鳴を上げた。


「きゃああ!」

「な、何!?」


 疾風が吹き荒れ、荷車が激しく揺れる。

 光が眩しすぎて目を開けていられない。


 それぞれ、壁に掴まったり、身を屈めたりしてやり過ごすことしばし。

 恐る恐る目を開けたとき、彼女たちは揃ってぎょっとすることになった。


「空間転移は成功のようですね、マルティン兄さん。お疲れ様でした」

「ああ。でも、まじで疲れる……。陣描くの、向こう3日は無理だわ……」

「師匠はどちらに?」


 なぜなら、先ほどまで女たち5人しか乗っていなかったはずの荷車に、冷ややかな雰囲気の金髪の女性と、疲れきった様子の男性と――天に愛されたとしか思えない絶世の美男子が、リタたちを見下ろすように立っていたのだから。





 ***






 エミリーとマルティンは、空間転移の影響でふらついた体を素早く立て直した。


 なにしろ即座にアデルを捕まえて、レイノルドとしっかり対話させなくてはいけない。

 そのために、「もっともてなしを」と訴えるクレフの人々を振り切って、この場に転移してきたのだから。


 アデルのコートに位置探索の陣を縫い付けてある、それとマルティンの能力を合わせればすぐにでもアデルを追える、と聞いたレイノルドの反応は素早かった。

 それまでつまらなそうに傾けていた酒杯を投げ捨て、延々と飲まされていたにもかかわらず、顔色ひとつ変えずに「今すぐ行きましょう」と立ち上がったのだ。


 おかげでマルティンは、本来1日かかるはずの転移陣の設置を、半日で済ませることになった。


(でもこれで、レイノルドを怖がりすぎている師匠も、師匠を美化しすぎているレイノルドも、きちんと対話ができる。そうすれば誤解が解けるはず……!)


 そして、この誤解にまみれた追走劇も終焉を迎えるはずだ。

 エミリーたちは気迫を漲らせて周囲を見回した。


 ――が。


「あ、あんたたちは……?」


 どれだけ目を凝らしてもアデルはおらず、代わりに黒髪の女たちばかりが5人ほど、こちらを見上げてくるので驚いた。

 彼女たちは怯えた様子で、ぎゅっとコートを握り締めている。


(まさか)


 嫌な予感に、エミリーはさっと顔を強ばらせた。


「君たちは? 我が師匠――『東の魔女・アデル』はどこへ?」


 硬直してしまったエミリーたちに代わり、レイノルドが尋ねる。

 すると女たちははっとしたように顔を見合わせ、中でも一番年長と見える、泣きぼくろが印象的な女が、おずおずと切り出した。


「その美貌……『東の魔女』……。あの、もしや、あなたは勇者様? レイノルド様ですか?」

「そうだ」

「やっぱり!」


 途端に、女たちは一斉に身を乗り出し、堰を切ったように話しはじめた。


「あの、あたし、あたしたちは、『アデル』ではありません」

「あたしたちは、彼女に成り代わるように集められた、単に黒髪で魔力持ちの女たちなんです!」

「教会に唆されて!」

「治癒魔法で顔を変えるって……ちょっと演技ができれば、玉の輿に乗れるって言われて」


 その内容に、レイノルドたちは目を見開いた。


「この地域で『偽物』を集めていたのか」


 何度となく教会から遣わされていた「アデル似」の女たち。

 怒りに任せて撃退するばかりで、彼女たちの来歴に思いを馳せることなどしてこなかった。


「おい、何事だ!」

「誰だてめえ、どこから湧いて出やがった!」


 とそのとき、前方の馬車にいた行商人がわらわらと降りてきて、荷車へとやって来る。

 女たちはさっと身を寄せ、彼らを指差した。


「でも、いざこの荷車に乗ったら、『アデル』役に漏れた人間は、北五番教会に連れて行って、ドラゴンの生け贄にするって言われて……!」

「あいつら、教会の手先です! あたしたちを騙したんです!」

「あたしたちの中から1人生け贄を出せって言ってきて……あの人を、アデルさんを、あたしたちの身代わりに、北五番教会に連れていったんです!」


 最後の言葉を聞いた途端、レイノルドの目が獰猛に光った。


「……彼らが、師匠を?」


 腕を振る――いいや、指先を振るまでもない。

 ちらりと振り返っただけで、たちまち疾風が巻き起こり、荷車に足を掛けようとしていた男たちが一斉に地に叩きつけられる。


「うわああああ!」


 もがく彼らをさらに風で押さえ付け、レイノルドは女たちに続きを促した。


「それで?」

「それで、それで……!」


 一瞬で敵を無力化してしまった勇者の強さに、女たちは安堵するやら、圧倒されるやらだ。

 興奮に浮かされ、ぽろぽろと零れるような彼女たちの話を総合すると、このようなことだった。


 教会の連中に唆されて荷車に乗ったら、そこには先客がいた。

 自分たちと同じ黒髪で黒い瞳を持つ彼女を、最初はライバルだと思った。

 けれど彼女は自分たちに「魔女を演じるなどやめろ」、「生け贄にされてしまう」と真摯に忠告を寄越してきた。

 自分たちはそんな彼女に反抗したというのに、行商人が本性を現して教会の真意を明らかにしたとき、自ら生け贄になると志願し、北五番教会行きの馬車に乗り換えた。

 その時になってようやく、彼女こそが本物の「アデル」だったのではないかと気付いた――。


「彼女はあたしたちに『身を守ってくれるはずだから』と言って、このコートまで渡してくれたんです!」

「勇者様ともし遭遇したら、必ずすぐに自分たちの正体を明かせって。そうしたら安全になるって」

「そしたら本当に、勇者様が来た! あの人は、予言者なんですか!? いいえ、きっとそうなんですよね。あの神秘的な話し方……彼女は、すべての未来を見通しているんだわ!」


 話しているうちにどんどん興奮が強まってきたのか、女たちは皆声を詰まらせている。

 涙ぐんでいる者もいた。


 命の恐怖にさらされたところを救出され、感情が荒ぶっているのだろう。

 だが、話を聞いていたエミリーとマルティンは、ほとんど同時に、


(どうして……!)

(そうなる……!)


 とその場に崩れ落ちたり、天を仰いだりしていた。


 彼らからすれば、アデルが単に北五番教会を目指していたのだろうことも、女たちとレイノルドを遭遇させてしまっては申し訳ないなと考えたのだろうことも、罪滅ぼしに「レイノルド避け」の効果があるコートを押し付けたのだろうことも、明らかだったからだ。


 だが、そうとは知らぬレイノルドは、女たちから震える手で差し出されたコートを、言葉を詰まらせた様子で受け取っていた。

 青い瞳は鮮やかさを増し、感動で潤んでいるようにすら見える。


「そうか……。師匠は、今度は彼女たちを救おうと」

「いや――」

「自分の偽物を許し、それどころか僕たちが追いかけてくることを見越して、彼女たちを救うように誘導し、自らは生け贄に。本当に、なんという方だ……!」

「いや、そうではなくって」


 マルティンも必死に言い募るが、もはや耳を貸すレイノルドではない。


 たしかにこの状況で、どれだけ「師匠は何も考えてません!」「偶然です!」と訴えたところで、到底信じてもらえないだろう。

 歯車があまりにも上手く噛み合いすぎて、マルティンたちすら、「もしや師匠には本当にそういう能力があるのかも……?」と不安になってくるほどだ。


「ドラゴン……北五番教会と言ったな。そうか、夢で師匠が空を仰いでいたのは、ドラゴンを見ていたからか。師匠は、ずっとそれを恐れていたのか……! 早くお助けに上がらねば」


 白皙の美貌を紅潮させ、強くコートを握り締めているレイノルド。

 言いたいことは多々あるが、アデルの元に一刻も早く駆けつけるべきというのはその通りだ。


 アデルがなんだってまた、「ドラゴンがいても大丈夫」と判断したのかはわからないが、普通に考えて、あの師匠にドラゴンが倒せるはずもないのだから。


「北五番教会……聖主教歴1028年の12月……レイノルドが駆けつける」


 と、エミリーが不安そうにマルティンを見つめてきた。


「なんだか結局、予知の通りになってしまっているような。この流れに乗ってしまって、大丈夫なのでしょうか」

「でも、ここで放置するわけにもいかないだろう。ドラゴンだぞ」


 マルティンは眉を顰めて応じた。


「それに、今日はまだ12月の17日。例の予知は、正確には12月の20日以降に起こるんだから、まだ3日の猶予がある」

「そう……そうですよね」


 結局2人は、「レイノルドの優良誤認を解く」という当初の目的をいったん置いて、アデルの救出を優先することにする。


「おい、起きろ。知っていることをすべて吐いてもらおう」



 昏倒していた行商人をレイノルドが蹴って起こし、教会の企みについての尋問を始めた――。

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