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30. 湧き出る魔物のあとしまつ(4)

「勇者様!」


 丘の向こうから、大人数の足音と呼び声が響いたので、一同は何事かと振り返った。


「勇者様、こちらでしたか」

「本当に魔物を倒してくださったんですね!」

「さっき、すごい光が見えました」


 足音と声の正体は、この町の住人たちだ。

 どうやら暗闇に突如立ち上がった光につられてやってきたらしい。


 明らかに勇者とわかる出で立ちをしたレイノルドを取り囲むと、熱気を帯びた表情で称賛しはじめた。


「我々の町は、かつてあんな過ちをしでかしたというのに、魔物を倒していただけるなんて」

「おかげで人死にも、作物が台なしにされることもなく済みました」

「その慈悲深さに感謝いたします!」


 それを冷めた表情で聞いていたレイノルドは、最後の一言にふと目を瞬かせる。


「『慈悲深さ』」


 ずっと考え続けていた難問が不意に解けたような、感動を含んだ表情だった。


「『師匠の意思』……なるほど」


 そして彼は、手にしていた腕輪をそっと握り締めたのである。


「『助けて』とは、このことだったのか。つまり師匠は、クレフの民の救済を、この末弟子に求めていたと……なんて慈悲深いお方だ」

「いや待って!?」


 思わずマルティンとエミリーは揃って叫び声を上げてしまった。

 怯えまくった末に魔物で弟子を足止めしようとしただけなのに、なぜそんな、民の幸せを願う聖女のような解釈になるというのか。


「そうではなくて――」

「ゆ、勇者様!」


 ところがエミリーたちが身を乗り出した途端、今度は住人たちの輪から、数人の青年が飛び出してきた。


 ひょろりとして色白の、真面目そうな青年。

 先ほどエミリーが、教会跡地で見かけた三人だ。


 彼らは緊張に顔を赤らめ、裏返った声でレイノルドに叫んだ。


「ぼ、僕たちの顔を覚えておいででしょうか。もしかしたら、二度と見たくないとお思いかもしれませんが……っ」


「ですが勇者様は、そんな僕たちの町を救ってくださった。どうか、お礼をさせてください!」

「かつての過ちを、心から反省しております。その償いも込めて、どうかおもてなしをさせていただければと!」


 エミリーたちは松明に照らされた3人の顔を今さらながらじっくり見つめ、やっと事情を察した。

 彼らは7年前に、アデルに石を投げた学生たちだったのだ。


 当然彼らを覚えていたらしい執念深いレイノルドは、たちまち冷えた目つきになり「結構だ」と断った。


「べつにこの町を救おうと思ったわけではない。魔物がやって来たから、返り討ちにしただけのこと。魔物を町外れに誘導したのは、どうやら我が師匠のようだから、感謝するなら彼女にすればいい」


 ところがそれを聞くと、3人はますます必死な顔になって食い下がった。


「ええ。まさにその魔女様に、あなたをもてなすよう託されたのです!」

「自分のことなどどうでもいい、どうか勇者様を休ませて、もてなしてほしいと。恩人の願いは、なんとしても叶えなくてはなりません」

(師匠、何やっているんですか!?)

(なんかまた余計なこと吹き込んだだろう、師匠!)


 エミリーとマルティンは瞬時に悟った。

 おそらくアデルは念押しでレイノルドの足止めをしようと考え、ドツボに嵌まったのだと。


 発言を聞いたレイノルドの変化は劇的だった。


「師匠が……ご自身よりも僕の休息を願って……?」


 大きな手で整った口元を覆い、息を呑んでいる。

 どうやらいたく感動しているらしい。


 今、とんでもない誤解が生まれようとしている。


 危機を察知した兄姉弟子たちは、大慌てでレイノルドと青年たちの間に割って入った。


「いや、ちょっと待つんだレイノルド!」

「ねえ、その話というのは――」


 だがその瞬間、レイノルドがすっと指を動かし、同時に、喉が奇妙に閉まるような感覚を抱いたので、ぎょっとする。


「――!?」

「すみません、マルティン兄さん、エミリー姉さん。彼らは大事な話をしているようなので、どうかお静かに」


 なんと、きりっとした顔つきのレイノルドが、指の一振りで、マルティンやエミリー周辺の空気を奪ってしまったのである。


「な……っ、げほっ、ごほっ!」

「こ、こんな……っ、ごほっ」


 幸い、息苦しかったのは一瞬だけで、すぐに自由に呼吸できるようになったが、今度は一気に入り込んだ空気に()せてしまう。

 二人が仲よく噎せている間にも、青年たちは報告を続けた。


「あ……っ、魔女様からはご自身の名前を出さないように言われていたのでした」

「本当に奥ゆかしいお方です」

「ですがそんなふうに言われると、僕たち、絶対に伝えなきゃという使命感が湧き上がって……!」


 などと、照れながら肘を小突き合っている。


(それ、額面通りの口封じのはずだから! 言うなってば!)

(師匠! どうしてあなたは……師匠――!)


 弟子二人は荒ぶる喉を撫でながら内心で突っ込み、そんな互いの姿に気付くと、そっくり同じ絶望の表情を浮かべた。


 この、やることなすこと裏目に出ていく感じときたらどうだろう。


「そ、そして」


 ひょろりとした青年が、そのときごくりと喉を鳴らし、レイノルドへと一歩踏み出した。


「魔女様は、このようにも仰っていました。『許してくれ』『寛容さが大事』『対話が大事』と」

「『許せ』?」


 レイノルドがアイスブルーの視線を向けると、青年たちは悲鳴を上げそうな勢いでその場に跪いた。


「も、申し訳ありません! 僕たちが言い出すべき立場ではないとは理解しています! ですが、魔女様から託された伝言だったので、お伝えしなくてはと思って……!」

「魔女様は『さりげなく伝えて』とも言ってくださっていたのです。でも僕たち、気が急いて、どうしても、早く伝えねばと」

「魔女様が、仰っていたんです!」


 3人は固く目を瞑っている。

 7年前、レイノルドにひと睨みしただけでどのような目に遭うことになったかを思い出しているのだろう。


 しかし今、「魔女が言っていた」という魔法の一言を聞いたレイノルドは、そこで青年たちに凄むのではなく、代わりにはっと息を呑んだ。


「師匠が、僕に『許せ』と伝言を……」


 聞いていたエミリーたちは、そのとき思った。

 なにか、理解がねじ曲げられた音がすると。


 案の定レイノルドは、神妙な顔になると、ゆっくりと頷いた。


「――そうか。よくわかった」

(なにを?)


 聖なる主に愛された、と評される美貌の彼は、彩度の高い碧眼を優しく和ませた。


「師匠は、君たちのことを許せと――寛容な心をもってよく対話せよと仰ったのだな」

「おっ!?」


 マルティンたちの喉から思わず変な声が出た。


(師匠をじゃなくて、石投げ人を「許せ」って解釈になったの!?)


 アデルの性格をよく知るマルティンたちだからこそわかる。

 きっと彼女はどさくさに紛れて、青年たちに仲裁を頼もうとしただけだろうと。


 いつだったか彼女がマルティンお気に入りのカップを割ってしまったとき、こっそりエミリーに「カップごときで激怒する男って嫌われるらしいですよって囁いておいて!」と根回ししていたことがあった。

 彼女にはときどき、そうした小者臭さがあったのだ。


「はい。魔女様は、僕たちが石投げ人だったことを、きっと見通していたのです」

「なのに躊躇いなく、そちらのお弟子さんに命じて僕たちを助けさせた。自分のことはいいと、しきりと仰っていたのを見るに、本当に他人のためばかりに心を砕く、高潔な方なんですね……!」

「にもかかわらず、僕たちはなんということをと……改めて自分の罪を思い知るようで……うっ」


 青年たちは、極度の緊張状態から一転、レイノルドに微笑まれたことで急激に気が緩んだらしい。

 感情を溢れさせている。


「ああ。君たちもようやくわかったのか。師匠の高潔さが」


 レイノルドは、まるで新規ファンを前に共感と優越感とを滲ませる古参ファンのように、鷹揚に頷いてみせた。


「立っていい。師匠が許せと仰った以上、クレフをこれ以上苦しめるつもりもない」

「勇者様……!」

「ということは――」

「ああ」


 おずおずと顔を上げはじめた青年たちに、レイノルドは頷いた。


「クレフの教会を再建するよう王都に言っておく。魔物が湧くことがあれば、都度人を派遣して阻止しよう」

「勇者様……!」

「ありがとうございます!」


 青年たちだけでなく、聞き耳を立てていた町の人々も一斉に沸き立つ。


 それはそうだろう。

 7年もの間打ち捨てられていたクレフが、とうとう勇者本人からの許しを得たのだから。


「そ、そんな」


 エミリーは顔を強ばらせた。

 アデルの本性を突き付けてやろうと決意してからここまで、わずか数分の出来事である。

 すっかり出来上がってしまった空気を前に、ここからどうやって、「魔物たちの誘導にそんな意図はありませんでしたが」と切り出せるのか。


 引き攣った表情で佇むエミリーたちに、レイノルドはふと振り返り、こう微笑んだ。


「7年ぶりに現れたのに、師匠がなぜ逃げ出してしまったのかとずっと考えていたのですが……ようやく答えを確信しました」


 そっと胸に片手を当てる仕草は、敬虔さに満ちている。

 彼の心には、聖主ではなく、アデルという名の神がいた。


「師匠は、この愚かな末弟子が引き起こしてしまった事態を憂えて、行く先々で、後始末をしてくださっているのだと。本当に、なんて慈悲深く美しい人なんだろう」

「い――」


 いや、そうじゃない。

 エミリーは口を開き掛けたが、マルティンがぐいと腕を引いてきた。


 途端に心話が流れ込む。


『よせエミリー。ここで否定したら、せっかく許されたクレフの人たちがまた元の状況に戻っちまう。さすがに胸が痛むよ』

『ですがこのままでは、幻滅させるどころか、師匠の神格化がどんどん進んでしまいます』

『それはそうだけど……この流れ、どうせ今から切り出しても、俺たちが難癖つけてるとしか思われないよ。仕切り直そう』


 レイノルドの気質をよく知るマルティンに諭され、エミリーは歯噛みした。

 たしかに、反論したことで逆上され、レイノルドに攻撃魔法でも放たれたら、残念ながら自分たちでは敵わない。


『……わかりました。思うに、間に人を挟むから、変な解釈が生まれるし、誤解が生じるのです』


 考えを巡らせたエミリーは、やがてこのように切り出した。


『精神世界で会うのですらだめだった……。こうなったら、一切遮るものがない状態で、レイノルドを師匠に直接引き合わせましょう。あの人の抜けているところ、意外に強かなところ、考えなしなところを目の当たりにさせて、誤解の余地なく実像を思い知らせるのです』

『なるほど。でも過去7年、レイノルドはあの師匠を目の当たりにしつづけたうえで、ここまで美化しているんだが、その点は大丈夫なのかな』

『当時は師匠も猫を被っていましたし、その後の会えなかった7年で、美化が進んだ可能性があります。少なくとも、このまま妄想が進むよりかは、現物を見せた方がましでしょう』

『それもそうだ。再会を引き延ばしたほうがいいかと思っていたけど、結局逆効果だったもんな』


 素早く打合せ、頷き合う。

 だがすぐに、マルティンが眉を顰めた。


『でも、実像を知った結果、逆恨みしたあいつが師匠を「よくも騙したな」って攻撃する展開にはならないよな? ほら、予知夢の時期が近いし』


 彼もまた、アデルが長年訴えていた拷問死のことが気になっていたらしい。

 しかしエミリーは首を振った。


『私はどちらかといえば、師匠を神聖視しすぎたレイノルドが、思いあまって監禁する、という展開のほうが予知夢の真相なのではないかと思っています。逃げないように鎖で繋ぐとか、大いにありえそうですし』

『それもそうか……』


 悪夢の実現を恐れたアデルは、弟子たちにあまり内容を頻繁には語ろうとしなかったし、語る際には慎重に言葉を選んでいた。

 エミリーが数日前に問いただした内容が一番正確かと思っていたが、今となってはそれも怪しい。


『ひとまず、師匠が今どこにいるかはわかるか、エミリー?』

『もちろん』


 問われたエミリーは、悠々と頷く。


『師匠は方向音痴なので、旅の途中ではぐれたときに備えて、こっそり位置探索の陣を刺繍したコートを渡しておいたのです。師匠にはレイノルド避けのおまじないと称して、いつも着用するように言っておきました』

『さすがエミリー! 君は昔から賢かった!』


 マルティンは目を輝かせたが、一拍置いてから半眼になった。


『でもこっそりする必要はあった? 君もたいがいストーカー気質だよね』

『自覚はありますので、それ以上言わないでください』


 エミリーは手を離し、心話でのやり取りを打ち切る。


 レイノルドはまだ町の人々に囲まれていた。

 どうやら「師匠の言いつけだから」と、もてなしの宴を受けることにしたらしい。


 エミリーたちは頷き合い、転移陣の設置を終え次第、アデルの元へと急ぐことを決めた。

 大丈夫、位置探索の陣さえあれば、すぐに追いつく。


 このときは2人とも、そう思っていたのだ――。

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