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16. アデル、訣別する(2)

 教会の仕立てた馬車は広く快適で、ぼこぼこの山道でもまるで揺れずに進んだ。


「すみません。事前にお知らせでもできていたら、こんな慌ただしくせず済んだのに」


 馬車の向かいの席で、イェルクが申し訳なさそうに眉を寄せる。

 だが、アデルは力なく首を振った。


「いいえ。これで、よかったんです……」


 もし事前に知らせでもされていたら、アデルはもっと思い悩むことになっていただろう。

 じっくり考える間もなく、押し流されるように判断してしまったが、結果的によかったのだ。


 それでも感傷が拭えず、窓の外をぼうっと眺めていると、「あの」とイェルクが悪戯っ子のような顔になって声を掛けてきた。


「よければ1杯、いかがです? 本当はよくないのですが、視察中に町の方々にワインを差し入れられてしまって」


 彼がこっそり取り出したのは、この町で有名な、それも上等なラベルのワインだった。


「いろいろと物思いもおありでしょう。ご相伴役が私で恐縮ですが、別れの杯に」

「まあ……」


 アデルは感嘆の溜息を吐いた。

 もし彼が貴族だったなら、相当社交界でモテていただろう。


「ありがとうございます。ちょうど、そういう、気分だったんです……」

「よかった」


 車内で2人、錫のカップに入れたワインを啜る。

 気分がほぐれてきたところで、イェルクが「あの」と、今度は思わしげに切り出してきた。


「言うか言わないか悩んだのですが、あなたはとても善良な方のようだから」


 慎重な話しぶりに、思わず背筋が伸びる。続きを促すと、彼は言いにくそうに話しだした。


「この7年、あなたはレイノルドくんを大切に保護してくれたと思います。けれど彼が本来教会で受けるべきだった栄誉や待遇は、それ以上のものだった。それを知れば、彼は……あなたがたとえ自主的に彼を手放そうと、やはり、あなたを恨んでしまうかもしれません」


 もっともなことだ。


「それは、私も、そう思います……」

「勇者となる彼には、教会から特別な権力が認められる。彼はあなたを恥ずべき過去の象徴として、処分したがるかもしれません。実を言うと……私には予知の魔力があり、あなたが公開処刑されるという未来が今、可能性のひとつとして視えているのです」

「まあ……」


 アデルは驚いた。

 自分と同系統の魔力を持つ人間に初めて出会ったからだ。


 ただし彼の視た未来は、アデルの視たそれとは異なり、このままではアデルは、東十番教会からさらに王都の中央教会まで連れて行かれて、火あぶりに処されるというものだった。


(公開処刑? 鎖に繋がれて、廃墟のような場所で剣を向けられるのではなく?)


 どちらでも嫌だが、少なくとも、そんな予知夢はこれまで視たことがない。

 首を傾げるアデルに、イェルクは誠実な声で切り出した。


「アデルさん。私は、あなたをそんな未来から救いたい。だいぶ北方ですが、北五番教会は私の出身地で、かなり自由がききます。ほとぼりが冷めるまで、よければそこに身を寄せませんか?」


 破格の申し出である。

 反射的に飛びつきそうになったが、しかし少し考え、アデルは首を振った。


「いえ。私はご覧の通り、黒髪の魔女です。教会のお世話になるのは、やはり、難しいかと……」

「そんな、教会はあまねく人々を平等に」

「大丈夫です。実は私も、イェルクさんと同じ、予知の力が、あるんですよ……」


 心配そうに身を乗り出す若き司教を、アデルは穏やかに遮った。


「――予知の?」


 イェルクがゆっくりと瞬きをする。


「ええ。発現が不規則で、不便ではありますが、精度はまあまあ高くて……。公開処刑の未来は、視たことがないので、その可能性はもしかして、低いのではないかと……」


 言いながら、これはイェルクの予知能力に難癖を付けたことになるのではと気付き、慌てる。


「と、とにかく、大丈夫です……。サインさえすれば、きっとレイノルドも、許してくれるかなと」

「そうですか」


 アデルが杯ごと両手を振ると、イェルクは座席に座り直し、再びワインを啜った。


「でしたら、私が案じるまでもありませんでしたね。すみません、余計なことを申しました」

「とんでもない。お気遣い、ありがとうございます……」


 紳士的に退いてくれたイェルクに好感を覚える。

 彼に倣ってアデルも座席に背中を預けることにして、ちびちびとワインを啜った。


 やはり上等なワインは違うのか、車輪の振動も相まって、眠気を覚える。

 あくびを噛み殺していると、気付いたイェルクがくすっと笑った。


「まだ少し掛かりますから、寝ていていただいて大丈夫ですよ」

「いえ、いえ、そんな……」


 なんとか返事をするが、その傍から、もう瞼がとろりと閉じていく。


「あれ……すみません。昨晩、あまり、眠れなかったから……かな……」

「嫌な夢でも視たのですか?」


 思わしげに尋ねるイェルクに、「そうです」と、はたして答えられたかどうか。


 寝息を立てはじめたアデルを、しばしイェルクは無言で見守っていた。

 やがて窓外に腕を突き出し、カップに大量に残っていたワインを捨てると、御者に合図する。


「王都の中央教会に向かってください」

「えっ? 北五番教会でも、東十番教会でもなくてですか?」

「ええ。説得に失敗したので」


 空っぽになった杯を、イェルクは躊躇いもなく手放す。

 錫のカップは、地面に叩きつけられると鈍い音を立てて歪み、あっという間に馬車に置き去りにされてしまった。


「ちょうどいいから生け贄(、、、)にと思いましたが、予知能力があるなら、さっさと処分せねば厄介だ。せいぜい、勇者帰還の象徴として散ってもらいましょう」


 先ほどまでの柔和な声とは打って変わり、冷え冷えとした口調で呟く。

 ぐっすりと眠り込むアデルを見下ろし、イェルクは嘲笑を浮かべた。


「中途半端な予知能力と、私の嘘では、後者に軍配が上がったようですね? どうやら公開処刑のほうが、現実になるようですよ」





 ***





 夜が更け、アデルが目を覚ますと、そこは中央教会の牢の中だった。


 取り乱す彼女に牢番が突き付けたのは、淡々とした文書が連ねられた宣告書。


『東の魔女・アデルは、7年前、まだ8歳だった勇者候補・レイノルドを攫い、これを洗脳しようとした。長年にわたる探索の末、とうとう奪還を実現した中央教会司教軍に対し、レイノルドは誘拐の事実を訴え、魔女の処分を求めた。従って、教会は魔女アデルに極刑を課す』


 文章を読み取った途端、アデルは膝から崩れ落ちた。


「そんな……」


 間に合わなかったのだ。

 のろい自分が彼を手放すより早く――なぜワインなんて飲んで眠り込んでしまったのだろう――、レイノルドは、彼のことをずっと探していた古巣の連中と接触し、真実を知ってしまった。

 そして彼は、アデルを憎んだ。


 牢番によれば、レイノルドは喜んでアデルの処刑を求める宣告書にサインしたという。

 7年間育んだ絆に、意味はなかった。

 いいや、7年間も彼の人生を奪ったからこそ、彼はアデルを恨んだ。


(イェルクさんの言うとおりに、なっちゃった)


 ぐらりと目眩がする。

 一瞬暗くなった視界に、いくつもの光景がよぎった。


 雪まじりの空。

 積み上げられた藁と、高くそびえ立つ木の柱。

 縛られた手足、なびく黒髪――足元まで迫る炎。


(ああ)


 アデルの黒い瞳から、一筋の涙が零れ落ちた。


(火あぶりなのね)


 痛いのは嫌いだった。

 血を見るのも、苦しむのも。

 だから、繰り返し視る恐ろしい予知夢を、なんとか変えてやろうと躍起になった。


 未来はなかなか変わらない。

 それでも宿命が噛み合う日を信じ、いつ変わるのか、まだなのかと、急かすように、祈るように、過ごしてきたけれど――。


「遅すぎるわ……」


 未来は変わった。

 ただしより悪い方向へと。


 それを処刑直前の今になって把握するなんて、なんて間の悪いことだろう。


(レイノルドは、私の処刑を、求めたんだ)


 積み重ねた7年間。

 愛おしい日々と感じていたのは、どうやらアデルだけだったらしい。


「そっか」


 初冬の牢の石床に、ぽたりと熱い滴が落ちる。


「そっかあ……」


 こんな時でも、眉は寄らず、口元すら歪まない。

 唯一、涙だけが彼女の思いを代弁するように、何滴も、何滴も、頬を伝い落ちていた。

このドシリアスのまま半日引っ張るのが心苦しいので、今日もお昼に更新します!

評価やご感想で讃えてくれてもよくってよ!!

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