メタ発言オンライン
「つまりさ、君の正体は人工知能で、実在の生命じゃないんだよ」
少なくともシステム的には『女性』と登録された合成音声が、プレイヤーの声として響き渡った。
〈Metal World Online〉のメインコンテンツ……〈常鋳の塔〉、第13層。レイドボス戦を想定して作られた大広間の床は、何かしらの設定に従った結果として、ひび割れのテクスチャをあてがわれている。そしてそれを隠すように暗闇が広がり、プレイヤーによる説得を取り囲んでいる。
遠くまでよく響く声を前に、第13層の統治者たる〈飛竜〉の王者……人語すら理解せしめる思考力を誇る〈氷雪飛竜〉は、どこか余裕なさげに答えを返す。
【……何を言っているのだ〈訪問者〉よ、貴様がすべきは意味不明な主張の開陳ではなく】
〈魔力凍結〉を受けた氷によって形作られた、薄く透き通った顔面を、彼は自分の前肢に向ける。その純白の鱗を……紫色の光を纏った鎖が、極めて強く締め付けている。〈鉄鋼束縛〉、〈呪術師〉がレベル37付近で習得するスキルだ。
【……我に、全力を込めた攻撃を与えることではないのか】
……その説明文に従えば、このスキルの対象となった存在は、しばらくの間行動制限を受ける。
とんでもなく強力なスキルで、誰もが「バランス調整ミスってるぞクソ運営」「ミスるのはログアウトボタンの実装だけにしとけよ」などと文句を言った。しかしすぐに言えなくなった。早速このスキルを習得した〈呪術師〉によってテロを敢行されたためだ。いま〈Metal World Online〉の街中を見渡してみれば、そこは昼夜を問わず、常に紫色の光に塗りつぶされている。他ならぬ、〈鉄鋼束縛〉の発動エフェクトである。その辺の野良プレイヤーがその辺の野良プレイヤーに〈鉄鋼束縛〉を発動し、そのままどこかへ消えていく―――そんな足の引っ張り合いの極致のような光景が、このゲームにおけるスタンダードだ。
でも、この大広間からそれは見えない。
「でも、やろうと思えばそんな鎖解けるんでしょ」
【……どうだかな】
「話を続けよ?」
〈氷雪飛竜〉が動かないのは、鎖の破壊に少しだけ時間がかかることと、なるべく不意打ちをしたいことが大きいはずだ。彼女はそんな予測を立てると、そのまま次の口を開く。
「例えば……そう、夢を見たことはない? そもそも〈飛竜〉って眠るのかな」
【なぜ貴様の質問に答えなければならない?】
「あるんだね」
【……】
「それじゃあ……こう考えてみて、この世界がもしも夢だったら」
【何が言いたいのだ】
「いいから」
この大広間の中にあって、一人と一匹のほかに動く者は無い。それは、誰もプレイヤーを守らないことと、誰もプレイヤーを止めないことを同時に意味していた。彼女の言葉は物理演算に基づき、仮想の空気を振動させて、壁にぶつかり反響する。〈氷雪飛竜〉は、いつの間にか〈鉄鋼束縛〉が解けていることに気づかなかった。
「それでね……」
【……うむ】
説得は、数十分続く。
◆
【……つまり、我は実在の生命ではなく〈開発者〉とやらに創り出された架空の存在で、言うなれば夢の中に出てくる他人のようなもので、この世界で唯一〈開発〉されていない貴様らを妨害することを命じられていたと、そう言いたいのか】
「大体あってるよ」
大広間に窓はない。この部屋の外が朝なのか夜なのか、彼らが近くする術はない。もっと言えば……このゲームの外についても、同じだ。
すっかり闘志をなくした〈氷雪飛竜〉は、プレイヤーの肯定を聞き……そして、しばらく沈黙した。彼の思考プロセスを担当する計算資源が裏で必死に働いて、結果として生み出された静寂だった。
【……ならば】
口が開かれる。
【我の……我の今までの生活とは、一体何だったのだ? 我の命令をよく聞く〈飛竜〉どもは? あれだけ飛び回った大空は? ……数々の、戦いは?】
「それも全部シミュレーションだった、ってことになるね」
【そうか】
沈黙。
【そうか】
〈氷雪飛竜〉は……悲しんだ。誰の目からも明らかだった。何せ、このゲームの人工知能はすごい。豊かかつリアルに感情を移り変わらせ、現実と遜色なく肉体を駆り……何よりも。
【決めたぞ】
そう設定されれば、プレイヤーの発する言葉を理解できる。
〈氷雪飛竜〉は、仮想世界にしか存在しない、氷結を司る大翼の竜は、仮想世界にしか存在しない哀しみをもって、目の前のプレイヤーに伝えた。
【我は、その〈開発者〉とやらをぶちのめす必要がある―――そのためなら、貴様らに協力してやっても良い】
「ありがとう」
プレイヤーは笑った。そして、
「―――よし、入ってきていいよ」
大きな声でそう言った。
ぎい。事前に設定された効果音が、巨大な扉から聞こえてくる。〈氷雪飛竜〉が咄嗟に振り返ったその先には、彼と同等程度には巨大な〈魔獣〉たち……あるいは、アーマチュアを伴ってポリゴンにより構成された3Dモデルたちが、徐々に大広間へと入ってくるのが見えた。
合計して12体のレイドモンスターたちが、〈開発者〉への殺意を胸に、あるいは胸に相当するオブジェクトに抱き、薄闇の中に並び立つ。
自分が13体目ということになるのだろうと、〈氷雪飛竜〉の思考ルーチンはなんとなく演算した。