婚約破棄された悪役令嬢はヒロインの激昂を目の当たりにする
「ラステリア・ドゥ・フォンティーヌ、私レオナルド・ファナ・ラッセンゼルドは公爵令嬢であるそなたとの婚約を破棄し、こちらの男爵令嬢マリア・ポナメールを新たに婚約者として迎える」
舞踏会が始まってすぐ、わたくしではなくポナメール男爵令嬢をエスコートしていらしたレオナルド・ファナ・ラッセンゼルド第一王子殿下は、歩み寄ってくるなりわたくしにファーストダンスをお申し込みになるわけでもなく、高らかに宣言なさいました。
ポナメール男爵令嬢は学園でレオナルド殿下がお目をかけているともっぱらの噂になった方です。ポナメール家は画期的な農法を広め、昨今男爵位をお受けになった家でした。
名指しされたポナメール男爵令嬢は、レオナルド殿下の腕に取りすがり、顔を俯けて震えています。あらあら、そんなに指に力を入れていては、レオナルド殿下の上着に皺が残ってしまってよ?
「突然のお申し出ですのね。理由をお伺いしてもかまわなくて?」
困惑をお見せしないように口元を扇で隠して問いかけると、レオナルド殿下は鼻で笑って脇に立っていらしたご令息に顎で指示なさりました。
「ラステリア!」
こちらのご令息はレオナルド殿下のお取り巻きの一人で、宰相であるイグラッテ侯爵の御子息です。
……レオナルド殿下のご指示であるため、発言は許されているのでしょうが、何故侯爵の御子息が公爵令嬢であるわたくしを呼び捨てになさるのでしょうか。
この茶番の舞台となっている舞踏会は、正式にレオナルド殿下とわたくしの婚約を発表する場のはずでした。
つまり、私的な舞踏会とはいえ、準公式の場と言っても差し支えないのです。
そのような場で、爵位を軽んじるような言動は褒められたものではないどころか、不敬として処罰を求めることもできます。
レオナルド殿下の周囲には、騎士団長様のご子息と、情けないことにわたくしの弟までおりました。どちらもポナメール男爵令嬢を励ましているかのごとく寄り添って立っていました。
弟など、本来であれば侯爵ご子息の不敬に抗議をせねばならない立場でいるにもかかわらず、事もあろうにポナメール男爵令嬢の肩に手を添えております。
エスコートでもなくダンスでもないのに未婚の令嬢に触れるなど、許しがたい所業です。しかも、レオナルド殿下が新たな婚約者となさる、と宣言されておりますのに。
「ラステリア、あなたはレオ殿下とマリアの仲を邪推し、マリアに対して嫌がらせを行った。配下の者に指示を出していたようだが、その者たちの証言はこちらで得ている。もはやこの国にあなたの味方はいない。謹んで婚約破棄をお受けするように」
観衆たちのざわめきには、わたくしを嘲るような笑い声や罵倒がありました。
なるほど、その証言は確かにあったのでしょう。
もっとも、それらは自身の罪をわたくしに擦り付けるためのものが大半であるに違いありません。あとは妬みなどの思い込みからくるものが残りの証言でしょう。
なにしろ、わたくしはポナメール男爵令嬢に対し、嫌がらせをしたことも、またそれを指示したことも、ほのめかしたことすらないのですから。
「婚約破棄、謹んでお受けいたします」
私の返答に、また観衆のざわめきが大きくなりました。
さて、婚約破棄自体は仕方のないこととして、以降どう立ち回るべきでしょうか。
王家に不貞行為からの一方的な婚約破棄、また衆人環視の中、十分な調査もなくいわれのない誹謗中傷を浴びせかけた名誉棄損による慰謝料を求めるのは当たり前として、虚偽の証言を行った者たちへの慰謝料請求のため、集めたという証言もその集め方も開示してもらわねばなりません。
かかわった方々への処分も求めることになりますが、その中に弟がいるのが本当に頭の痛いことです。
「さぁ、これで憂いはなくなった。身分などと言わず、私の求婚を受けてくれるね、マリア」
そう言って、第一王子殿下はポナメール男爵令嬢の前に跪きました。
ポナメール男爵令嬢は答えに窮しているのか、祈るように胸の前で手と手を組み合わせました。
とても付き合いきれません。
「では、わたくしにはすべきことがございますので、これをもちまして失礼させていただきます」
「ちょっと待ってください」
一言申し上げて退場しようとすると、ようやくポナメール男爵令嬢が声を上げました。
「そうだ、姉上! 退場する前にマリアに謝って……」
「黙ってろ、そういうことじゃねえ!」
響き渡った大声に、会場はしんといたしました。
今のごろつきのような言葉はいったい……?
「確かに嫌がらせは受けてたよ。でもそれもこれもあんたらのせいだろうが! もし、ラステリア様が指示していたんだとしても、責任があるのはあんたらだろう!」
なんと、大声で弟を怒鳴りつけたのはポナメール男爵令嬢、その人でした。
「身分関係ないって言うんなら言わせてもらうけど、あたしいっつっも構うな、ってお願いしてたよね? あんたたちは平民上がりの令嬢なんて珍獣みたいで面白がってたのかもしれないけど、礼儀に勉強、学ぼうと必死にやってきたあたしの邪魔ばっかりしやがって、ほんっとうに迷惑だった! お嬢様たちに嫌味言われるのも、嫌がらせされるのも、あんたらが近づいてこなきゃ収まる話だって、何度も説明したよな?」
「わ、私たちは嫌がらせをさせないために、あなたのことを守ろうと……」
驚いて言い訳をしようとする侯爵の御子息に、ポナメール男爵令嬢は声を張り上げました。
「それが余計なお世話だって慣れない令嬢言葉で何回もご辞退申し上げたんだけど。あんたらに付きまとわれるせいで予習復習の時間は取られるし、休日は休日であっちこっち連れまわされるしいい迷惑だった!」
「いい迷惑って、マリアだって俺たちにランチを作ってくれたり、喜んでいたじゃないか」
縋るように腕を掴んできた騎士団長子息を振り払って、ポナメール男爵令嬢はきっと睨みつけます。
「あんたたちにも作らなきゃ、あたしの弁当をかっさらっていくじゃねえか。あたしのきんぴらクリームチーズベーグル! 最高傑作だったのに! あんたらみたいな高位貴族に乞われて、男爵令嬢風情が差し出さないわけにいかないと何故理解できなかったんだい? あたしは午後の授業でしょっちゅう腹を鳴らしていたよ。それを防ぐために持っていった焼き菓子だって片っ端から平らげやがって。休日におごってもらったって、すきっ腹で受けた授業は取り戻せないんだよ! それに食費だってバカにならない。いくら奢ってもらおうと、毎日毎日食費がかさむせいでうちの家計は火の車だ!」
そういえば、弟がポナメール男爵令嬢が焼いたクッキーが美味しかった、などと話しているのを聞いたことがあります。
毒の混入を疑われても仕方がないのに食物を差し入れるなどなんと愚かな、と思っていたのですが、まさか奪い取っていたものだとは……。
「第一王子からの求婚などお断りいたします! 冗談じゃねえ! 何なら父ちゃんに爵位も返すように頼むから、もう関わってこないでくれ! 惚れたの腫れたのそんなもんは、高位のお貴族様同士で勝手にやっておくれな。金輪際あたしを巻き込むんじゃないよ!」
ふうふうと肩を怒らせて、ポナメール男爵令嬢がおっしゃいました。
皆ポナメール男爵令嬢に圧倒されて、会場は静まり返っております。
私はあまりにもいたたまれなくなって、ポナメール男爵令嬢に向かって膝を折りました。
「ポナメール男爵令嬢様、申し訳ございませんでした」
「嫌がらせをしていたことを認めるのだな」
何を勘違いしたのか、第一王子殿下が喜々としておっしゃいます。
わたくしはそれを無視して、ポナメール男爵令嬢だけをまっすぐに見つめました。
「わたくしがあなたに嫌がらせをしていたなどという事実はありません。それらの証言は虚偽でございます。しかしながら、わたくしは第一王子殿下や弟をいさめるべき立場におりました。力及ばず安穏としていたことを誠に申し訳なく思います」
わたくしが頭を下げますと、ポナメール男爵令嬢は深々と溜息をつかれました。
「ラステリア様が頭を下げるいわれはないでしょう。ですが、ありがたく謝罪は頂戴いたします。大変失礼かとは存じますが、わたくしはラステリア様こそ、このような方々のために頭を下げられるなどお気の毒に感じますわ」
「お心遣い痛み入ります」
「あたしは当事者ですから、きっとお家の方にご説明になるのに役に立つことでしょう。どうか、わたくしのこともお連れ下さいませ。この度の婚約破棄について、証言させていただきます。もちろん虚偽などなく」
ポナメール男爵令嬢が会場内をじろりとにらむと、そこかしこから「ひっ」と悲鳴が上がりました。
「あら、ありがとうぞんじます。では、ご同道願います」
会場を後にするわたくしたちの背中にかかる声は聞かなかったことにして、わたくしはお父様の元に向かいました。
その後どうなったかは語るまでもないことです。
ポナメール男爵家が爵位を返上することはなく、主だった高位貴族家嫡子の顔ぶれが少々変わりました。
当家フォンティーヌ家でも、わたくしが婿養子を取って爵位を継ぐことになりました。
少々口の悪い元男爵令嬢とはその後も長く親交を繋いでおります。
いくら奢ってもらっても勝手にご飯横取りされるのやだな、とか、お勉強に来てるのに纏わりつかれたら迷惑ですよね、って話。
なお、元公爵令嬢(現女公爵)も、元男爵令嬢(現???)も、良いご縁を得てお幸せに暮らしておられるそうです。