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08 どんぶらこ

 村を出てから、山をひとつ越えるのに1日かかってしまった。

 とはいえ、普通の馬車なら5、6日かかる行程を、道無き道を進み、谷を飛び越え、崖を垂直に走ったりなど、できる限りの短縮をしてのことだ。


 さすがに、これだけ厳しいコースで、近隣にあるのが寒村くらいだとすれ違う人は皆無で、ここでは稼ぎにならないのか山賊すら見なかった。


 それでも、もう数時間も進めば主要街道に出ることになるので、襲われる可能性があるとすれば、その辺りだろう。

 とはいえ、昨日のうちに簡易トイレやシャワー室まで設置された、ファントム号内部にいる私たちには関係の無いことだけれど。



 その予測どおり、街道に乗った辺りから、冒険者さんたちに護衛された隊商や乗り合いの馬車をチラホラと見かけるようになった。

 それからしばらくすると、こちらも予想どおりに山賊の襲撃を受けた。


 他にも襲撃対象がいる中で私たちだけが襲われるのは、やはり護衛がいないことと、人目があるので加減して走っていることもあるのだろう。



 しかし、日中であっても、山賊程度にどうにかされるマリアベルでも旦那さんでもない。

 彼女たちは、大魔王の称号を持つソフィアが、私のお酒の勢いも借りて呼び出したエリートデュラハンなのだ。

 何を言っているのかよく分からないけれど、とにかくすごいのだ。


 轢殺を含め、反撃は許可しているので、ヘッドオンで向かってくる無謀な人は撥ね飛ばし、後ろから追い縋る人たちをスピンターンで巻き込み踏み潰し、地面に赤い染みを作りながら突き進む。


 マリアベルも、旦那さんも、出来高報酬があるのでヤる気満々だ。


 しかし、ミーティアの報告では、落石を起こして道を塞ごうとしている山賊までいるようなので、後続の一般人に迷惑にならないように、ひとつ手を打つことにした。


◇◇◇


――第三者視点――

 ユノたちの遙か前方、その街道の側面にある、高さが二十メートルほどの急勾配の高台の上。

 そこには、人の頭ほどもある大きな石を、数十と乗せたネットがいくつか吊り下げられていて、ひとりの男がそのネットを支えるロープにナイフを当てて、仲間からの合図を待っていた。


 男がそのロープを切れば、ネットに乗っていた石は斜面にある諸々を巻き込んで街道へ降り注ぎ、街道を塞ぐよう計算されている。

 こんな物騒なことをしようとしている男は、言うまでもなく山賊の一員である。


 男は久々の極上の獲物を足止めするため、街道を挟んで反対側にいる観測手の合図を待っていた。


 男のいる場所は、街道が緩やかにカーブしている先にあり、男の側からは下を通る馬車を直接確認はできないが、馬車の方からも男や仕掛けを確認できない。

 待ち伏せには絶好の場所だった。


 当然、岩を落とすのが早すぎれば回避されたり転回されたり、遅すぎれば逃げられたり潰してしまったりするので、タイミングが肝心となる。

 そして、上手く足止めできれば、後は後詰が来るまで制圧射撃で釘付けにする手筈になっている。

 成否の全てがかかっている男の役割は重要だった。



「なぜあの馬車を狙っている?」

 合図を見逃すまいと集中していた男に、背後から質問が投げかけられた。


「決まってんだろ。あれだけ立派な馬車なら、さぞかし金持ってる貴族様なんだろ。だってのに護衛も無しなんて、襲ってくださいって言って……」

 合図かと思ってナイフを持つ手に力を入れかけた男だったが、すんでのところで踏み止まった。


 そして、そんなことも分からないのかと、不機嫌そうに、そして莫迦にしたような顔で振り返って、質問者の姿を目にして動きを止めた。


「ふむ。この世で最も貴い御方が乗っておられるのは間違いないが」


 アドンの呟く声は、既に首を斬り落とされている男に届いているかは定かではないし、アドンにも特に関心は無い。


 ただ、この場には敬愛する主を煩わす愚か者が、まだ何人も残っている。

 それは許されることではない――と、再び姿を消して次の標的に忍び寄る。



 アドンは、ユノからできる限り目立たないようにと、殺していいのは山賊だけだと指示を受けていた。


 ユノは、敵対していない者には、特に仲間と認めた者には寛容である――いや、ある意味では敵に対しても寛容であるといえる。

 一方的に消滅させることも可能な力を持っているのに、なぜか抵抗を許すのだ。

 その抵抗の末に、力や勇気、知恵などを示すことができれば、認められてアドンのように恩寵にあずかることもある――と彼は思い込んでいるが、彼自身は朔の気紛れで助かったにすぎない。


 さておき、アドンにとってのユノは、誰よりも強く、何よりも美しく――頭の中身は少しアレだが、それもまた憎めない最高の主である。

 その圧倒的な存在をもって、敵にすら言葉をかけ、期待をかけ、慈悲をかける。

 アドンもそれで救われた。


 反面、ユノの庇護下にあるものに危害を加えようとしたときは例外となる。

 ちょっとイキってみただけのソフィアに対する拷問や、尋常ならざる気配での脅迫には、恐怖耐性が無効なはずのアドンですら恐怖を覚えたものだ。

 だからこそ――というと語弊があるが、使い魔になって良かったと、アドンは心の底から思う。



 アドンが思うに、ユノは限りなく絶対者に近い存在である。

 しかし、朔が言うには、ユノは絶対者足り得ない。

 能力だけを見れば絶対者たる資質はあるのだが、ユノ自身がそれを望んでいないからだそうだ。

 そして、ユノが言うには、絶対者といえるものはどこにも存在しないのだそうだ。


 ユノの考えでは、仮に絶対者というものが存在するなら、全ての事象は絶対者の中で完結するはずであり、絶対者の外側の世界に干渉する必要などどこにも存在しない。

 むしろ、絶対者以外の世界があることがおかしく、絶対者しか存在しない世界においては、「絶対者」などという概念が存在しない。


 ただ、ユノも絶対者に至る可能性までは否定していない。

 自らに足りない物を認識して、それを補おうと努力し続けていればいつかは届くかもしれない――届いてほしいという願望込みのものだが。



 アドンが使い魔となった時は、まだその意味がよく理解できていなかった。


 しかし、それを証明したのが、天使との戦いの際にユノが解放した力である。

 世界を消し去る力すら喰らう、全ての事象をユノという世界で塗り潰す圧倒的な力は、正に絶対者として相応しいものだった。

 その力をもってすれば、新世界であろうと、現実世界の複製であろうと、そこに存在する生命ごと創ることも造作もないだろう。


 そしてユノは世界となり、ユノ以外の世界を必要としなくなる。


 しかし、ユノが求めているのは、世界である彼女ではなく、世界にある彼女であり、世界を壊すことはあっても、彼女に都合の良いものを創ろうという想いはほとんどない。


「ユノが世界と共にあるために、君の力を貸してほしい」


 アドンは、ユノの使い魔となるべく、朔に誘われた時の言葉を忘れることはない。

 この言葉の真の意味を知った今では、忘れられるはずがない。


 絶対者たる資質を持つ存在が、それゆえに自分の力を必要としている――アドンはそう受け取っていた。


 ユノに魂を壊され、奪われ、喰われた者は、生まれてきた意味さえ失ってしまう。

 しかし、アドンら魂の案内人の手によるものであれば、魂はあるべきところに還る。

 主はそれを求めているのだと。

 無論、そういう面も無いわけではないが、ユノはそこまで深く考えていない。


 アドンにとって、「魂を狩る」という行為は同じでも、ただそうあるべき存在だからではなく、主のためになると考えれば、このようなつまらない命を刈り取ることですらも、無上の喜びを得ることができた。


 そして、次の喜びを得るために、待っているのが獲物ではなく、避け得ぬ終わりであることを知らない哀れな山賊の許へと移動を始めた。


◇◇◇


「くそっ! あの馬車、速すぎるだろ!?」

「もう少し先まで行けば予定のポイントだ! 他に逃げ道はねえ、袋の鼠だ!」


 徐々に迫るその瞬間を想像して――そして、そこにあるお宝の山を想像して、馬車を追う男たちの口元がいやらしく吊り上がる。

 馬車の前方から仕掛けた一団はことごとく返り討ちにされていて、後方から追走していた仲間も、少なくない人数が巻き添えを喰らった。


 護衛はいないと油断して痛い目を見たが、今更止められない。

 それに、人数が減った分、分け前も多くなる――と、この期に及んで成功することが前提の、正常性バイアスが働いていた。



「これだけ速けりゃ馬車は特注の魔法道具だろうし、それをぶん回す馬も相当なもんだ! 中にいる奴らの身代金も期待できそうだな!」


 男たちの中では、既に皮算用が始まっていた。

 犠牲になった仲間の人数は少なくないが、馬車が逃げ続けていることを考えると、まだ戦力の質も、数も自分たちの方が上で、地の利もある。

 しかし、それは正常な状態での判断ではなく、そう信じたかっただけである。


「へへっ、女いるかな? 新しいの捕まえてこねえと、いつまで経っても俺たち下っ端には回ってこねえからな!」

「いるぞ。この世ならざる強さと美しさを兼ね備えた御方と、そのご友人方が」

 予想外の返答に、男が声のした方に振り返ると、理解できない光景を目にした。


 つい先ほどまで会話していた、十騎以上もいた仲間たちが、その半分もいなくなっていた。

 残りの半分も、落馬していたり、落馬していなくても首から上が無かったり、生きている仲間が見当たらない。

 男は混乱しつつも正面に視線を戻そうとすると、突然平衡感覚を失って倒れそうになりながら、遠ざかって行く誰かの身体を見送った。


「貴様らがその姿を見ることは適わぬがな。だが、我が野望の糧となることを喜ぶがよい」

 数珠繋ぎにされた10個の首を満足げに見て、サムソンは次の行動に取りかかる。



 サムソンは、アドンに感謝していた。

 これ以上ない主に巡り合わせてもらったことについては。


 しかし、使い魔になった時期がほんの少しの差でしかないのに、先輩面をされることが非常に気に食わなかった。


 主には二体同時に呼ばれることが多いのだが、サムソンの名前を呼ばれるのは、いつも決まってアドンの後だった。

 しかも、神前試合の時などは、肩にユノを乗せるなどという大役を仰せつかったアドンに比べ、サムソンは茶番のやられ役である。


 しかし、ユノは努力を怠らない者には非常に好意的だ。

 サムソンも、今回のような雑用程度で評価が一気に上がるとは思ってはいない。

 それでも、小さなことでもコツコツと積み上げて、いつしか自分が先に名を呼ばれること――それがサムソンのささやかな野望だった。


◇◇◇


――ユノ視点――

『この先の休憩所で一旦休憩しよう』


 アドンとサムソンからの報告を受けて、夕食も兼ねて小休止を取ることにした。


 ファントム号に休憩は全く必要無いのだけれど、今更トイレに行ってくるとか白々しいことも言えないし、何を言ったところでミーティアにはすぐバレる。


 正義の味方になりたいわけではないのだけれど、夕飯前に軽く山賊退治をしてこようと思う。


 それに深い理由はない――あえて挙げるとするなら、見つけてしまったからだろうか。


 サムソンの話では、そこには拉致被害者らしき人が何人か捕まっているらしく、運が良ければ、その中か山賊の中に当たりがいるかもしれない。

 公爵か、公爵に繋がりのある個人か団体の情報でも出てくれば大儲けである。


 それに、陵辱みたいなのは好きじゃない。

 目の届かないところまでどうにかしようとは思わないけれど、やはり知ってしまった以上は、見て見ぬ振りは寝覚めが悪い。



 休憩所は、現代でいうパーキングエリアのようなもので、簡易な休憩所があったり、複数の馬車が手入れなどを行えるだけのスペースがあった。

 また、簡易な防衛設備などもあるので、魔物や山賊に襲われた際に逃げ込めば、運が良ければ後続の冒険者などが追いついてきて、挟撃できることもあるそうだ。

 そして、そういう事例があるというだけでも、山賊の侵入抑止になる。


 もちろん、私たちにとっても有難迷惑な代物である。


 現代のそれほど数が多いわけでもないこともあって、そこを利用する人たちは結構多く、そんなところにファントム号で乗り込むと、いやでも目立つ。

 私たちが到着した頃には、やはり何台もの馬車が利用していて、当然のように私たちのファントム号は奇異の目に晒された。

 もっとも、こういう時は、堂々としていれば勢いでどうにかなるものだけれど。


 ひとまず、アイリスたちには彼らからの情報収集をお願いして、私は使い魔だけを率いて山へ首狩りに行く。

 当然のようにみんなついてきたがったけれど、山菜ならともかく山賊狩りなど、みんなで楽しくやることでもないので遠慮してもらった。


◇◇◇


 山の中腹の、少し開けたところにある、本拠地というのも烏滸がましい掘っ立て小屋の数々。

 一応、外縁部には防柵などが張り巡らされているけれど、魔物ならともかく、私たちには全く意味が無い。


 それよりも、何かの屍骸や残飯らしき物など、離れていても悪臭が漂ってくる衛生環境の悪さの方が強敵だ。

 虫とかいっぱい湧いていそうだし。


 帝国領の砦の時と同じ手段を使おうと思っていたけれど、これにはどうにも躊躇いを覚える。


 領域を広げて探査した結果、盗賊の残党は39人で、拉致被害者らしき人は11人。その大半は、山肌に掘られた穴の中に作られた、簡易な牢に入れられている。

 牢から出されている被害者女性たちは、これから山賊たちの慰み者にされるようだ。



 少し迷ったけれど、全て使い魔たちに任せることにする。


 本当は、こういうことを人任せにするのは駄目だと思うのだけれど、山賊も、被害者も、鼻が曲がりそうなほど臭いのだ。


 兎と犬の亜人を助けた時はもう少しマシだったのだけれど、今回はちょっときついし、代替手段があるならそれを使うべきだ。



『アドンは左翼から、サムソンは右翼から、マリアベルは人質の確保を優先。人質と頭目以外は殺していいよ』

 朔の指示を合図に戦端が開かれた。


 日は既に山の稜線に消える寸前。

 戦端とはいったものの、これから行われるのは本来の能力を取り戻した使い魔たちによる、一方的な蹂躙劇だ。



 小柄で、しかも重装備な見た目に似合わない速度で、進路上の山賊を切り伏せるマリアベルに、

《鈍足》の魔法と短距離《転移》で、無駄に恐怖を演出するアドンとサムソン。


 混乱の中、命乞いや悲鳴すら満足にあげることもできず、次々と命を落としていく山賊たち。


 私が砦を攻めた時には結構反撃されたものだけれど、アドンとサムソンには反撃しようとする人が皆無なのは、やはり見た目の差なのだろうか?



 そんなことを考えていると、山賊の頭目らしき大男が、自分が襲われていないことをいいことに、手下を見捨てて逃げ出そうとしていた。


 そして、偶然私と目が合うと、なぜか「お、お助けえ!」と叫びながら、いろんな体液を撒き散らしつつ、手足を縺れさせながら突進してきた。

 ヤバい、汚い、臭い。

 私の方が助けて欲しいわ!



 慌てたのは、私以上に使い魔たちの方だったのだろう。

 殺すなと言われていたので後回しにしていて、そして誰かがやるだろうと思っていたところにこの失態。


 しかし、この窮地を救ってくれたのは、猛烈な勢いで突進してきた旦那さんだった。


 旦那さんに撥ねられて、錐もみ状態で空を舞う大男。


 衝突時か、それとも落下の衝撃かは分からないけれど、頭目らしき人の両足が明後日の方を向いていた。

 そして、白目を剥いて気絶している人の隣で、旦那さんが勝ち誇ったように嘶いていた。


 その声なき叫びは、旦那さんがマリアベルの付属品でも、社会の歯車でもないといわんばかりのものだった。

 首がないのにどうやって――と、もうこの程度ではいちいちツッコまない。


◇◇◇


「「「お納めください」」」


 蹂躙劇は、時間にして僅か十数秒で終わった。

 捕縛された頭目、保護された被害者、そして犠牲になった山賊の首が一箇所に集められて、使い魔たちが私の前に跪いている。

 何かおかしい。


 なお、首級――戦果はアドン21、サムソン25、マリアベル9。

 数が合っていないのは、道中の戦果も含んでいるのだろう。


 心なしか、サムソンがドヤ顔に見える。

 そして、アドンが歯軋りしていて、マリアベルは舌打ちをしていた。

 しかし、MVPは旦那さんだ。


「ご苦労様」

 褒めはしたものの首は要らない。


 私が首を刎ねるのは、頭や胴を吹き飛ばすよりは視覚的に優しいからであって、収集したいからではないのだ。

 それでも、必要であれば我慢する――努力はするけれど、好き好んで見たいものではない。


 とはいえ、首が無ければゾンビにはならないらしいし、放っておけば獣の餌にでもなるだろう。


 来た時より美しく?

 動くクズが動かないクズになったのは、一定の美化だと思う!


 ということで、念のために、首は少し先にある沢にまとめて流しておいた。

 昨日の寒村ですら水を出す魔法道具があったのだから、水質汚染などの問題も無いだろう。

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