07 異世界の車窓から
お城の方のあれこれを、シャロンたち兎の巫女たちに任せて、ジェンキンス男爵領へ向かうことにした。
シャロンたちに任せるのは若干の不安もあったけれど、そう何か月も空けるわけではないので大丈夫だと思いたい。
さておき、事が事なので、みんなには来たくないならお城に残っても構わないと言ったのだけれど、誰ひとりとして「残る」と答えた人はいなかった。
まあ、人捜しに粗探しなどの雑務はあるものの、大体は観光のようなものだと思えば、少しは楽しみもあるかもしれない。
それとも、ここに残って、半ば狂信者と化した亜人たちの相手をするよりもマシだと思ったのかもしれないし。
それでも、天使のような闖入者が現れないとは限らないのだけれど、それはどこでも同じことだと押し切られた。
みんなの覚悟が決まっているなら、私も覚悟を決めるしかない。
そうなると、残る問題は移動手段である。
大雑把な異動はミーティアに頼むとして、「短距離移動用の足が欲しいね」という話になった。
全てをミーティアに頼んで、人目のあるところで目撃されたり、公爵の警戒網に引っかかっても面倒だ。
《認識阻害》の魔法も完璧ではないそうだし、痕跡までは消せない。
この世界で一般的な乗り物といえば、馬と馬車である。
一応、魔石を動力とした自動車も存在するらしいけれど、ゴムタイヤやトランスミッションなど、この世界の技術では再現できないとか難しい物も多く、それらをすべて魔法で代用すると、魔石などの素材調達と運用コストが素晴らしく嵩む。
仮に造れたとしても作れたとしても、一部の名工と呼ばれるような人にしかできないのであれば、量産化は夢のまた夢である。
もちろん、コスト的な問題だけならそれを問題視しない人もいるのだけれど、それが運用できるように整備されている道がほとんどなく、故障したときに自力で直すことができないと詰むし、直せるところも限られているようでは普及は難しい。
もっとも、仮に自動車が一般的に普及していたとしても、私には運転できないのだけれど。
テレビの録画予約もできない人が車を動かすつもりなのかと、みんなに止められたことを思い出す。
それに、当時の私の状況を考えれば、つまらない事故でも起こして目立つようなまねもできなかった。
そもそも、車に乗るより車を担いだ方が速く走れたので、免許は必要無かったのだけれど。
それはさておき、馬や馬車以外に手軽な乗り物も思いつかないけれど、そんな遅い乗り物にずっと乗り続けるのも、飽きっぽい私には苦痛以外の何物でもない気がする。
馬と馬車を眷属化して強化するのもひとつの手だけれど、それはみんなに止められた。
代替案として、ソフィアの召喚魔法に頼ることになった。
そうして召喚された魔物が、首無し騎士の【デュラハン】とよばれる魔物である。
しかし、呼び出されたデュラハンのその手には、胴体からセパレートされた、ショートボブの白い髪に金眼黒目の頭部がきっちりと抱えられていた。
明らかに詐称である。
それ以前に、小さい。
騎士といわれるだけあって、立派な全身鎧を着こんで、身の丈ほどもある両手剣を背負っているけれど、リリーと同じくらいの背丈しかない。
ソフィアが酔っていたせいかもしれない。
飲酒時の禁止事項に、魔法も付け加えなければいけない。
とにかく、この【マリアベル】という名の幼女と、一日三食プラス出来高で使い魔契約を結んだ。
なお、本来ならソフィアの使い魔にするところなのだけれど、マリアベル自身が私との契約を望んだことと、ソフィアもそれを承認したので私の使い魔となっている。
これが人望の差か。
「ユノ様にーー忠誠を……、っぷはぁっ、誓いますー」
身体は恭しく跪いて忠誠を示していたけれど、頭はアイリスに差し出されるショートケーキやジュースで既に餌付けされている。
こんなに幼いのに、心と身体は別だというのか。
そもそも、頭部の飲み食いしたものはどこへ消えて行っているのだろう?
というか、彼女が惹かれたのは私の人格ではなく、味覚だったようだ。
もっとも、私たちの目的も彼女自身ではなく、彼女の付属品にあったので文句を言うつもりはない。
私たちの目的は、彼女の愛馬【ダンナインザダーク】――どこかの競走馬のような名前の黒馬、通称【旦那さん】と、彼が
主であるマリアベル同様、アンデッドである旦那さんは、日中は著しく能力が低下するものの、アンデッドゆえにスタミナに囚われることがない。
そして、私が魔力――魔素を供給し続ける限り、彼の限界を超えて働き続けることができる。
意味は分からないけれど、馬車ももちろんアンデッドなので、魔力でカスタマイズ可能とのこと。
そこで、先に結んだ契約に晩酌をプラスすることで、最高級のものを用意してもらった。
年齢的な問題は、アンデッドなので問題無いらしい。
その馬車は、元々が大型なこともあったけれど、時空魔法で拡張された内部は更に広く、私たちが全員で横になってもまだ充分な余裕があった。
しかも、どれだけ悪路を走ろうとも、内部には一切の振動やロードノイズが発生しない、正に【幽霊】と呼ぶに相応しい静粛性を備えていた。
その車体は、黒光りするほど磨き抜かれた、高級感を通り越して豪華な――華美ともいえる装飾がひと昔前の霊柩感を醸し出す、【ファントム号】という名前も相まって、意味を知っている人からするとあまり乗りたくない感じのものだ。
幸い、アイリスにはこの手の知識はなかったようで、「お社みたいですね」と言っていただけだったけれど。
私の実家は地方だったせいか、つい最近まで走っていたのだけれど、都会では見る機会はほとんどなくなったと聞くし、これも時代の流れなのだろう。
そんな感じで、旦那さんが一頭で牽くには少々大きすぎる物ではあったものの、アンデッドである旦那さんが過労死する心配はなく、また、労働基準法や動物愛護法なども適用範囲外なので問題は無い。
旦那さんがいる闇――それは現代社会の闇かもしれない。
◇◇◇
お城を出てから、のんびりと4時間ほど空の旅を楽しんだ――というか、飽きてきたところで、ミーティアの姿を見られることのなさそうな、街道から外れた山奥に降りた。
そこからは、マリアベルを御者台に、旦那さんに牽かれるファントム号に乗って、ジェンキンス男爵領を目指す。
残念ながら、音がしないからといっても、目立たないわけではない。
首無し馬と、首を自分の横に置いた幼女が御者をしているのだから当然だ。
もちろん、何の対処もせずにそのまま走らせたわけではない。
しかし、首と胴を連結するのはデュラハンとしてのアイデンティティを崩しかねないらしく、そういった偽装は拒否された。
使い魔のくせに我が儘である。
妥協案として、マリアベルの首にチョーカーのように見えるお盆を乗せて、更にその上に頭部を乗せてもらっている。
大きめのフリルで誤魔化しているものの、よく観察すれば、首が回らないことや、僅かにずれていることに気づかれるかもしれない。
そして、旦那さんの首は純正もオプションの装備もなかったので、社外品――それっぽく見えるイミテーションに防具を被せて、リリーの幻術で誤魔化している。
旦那さんとファントム号は、どんな悪路も平地のように走るし、邪魔になる木々や岩石を粉砕して、魔物や盗賊を撥ね飛ばしながら走る。
もちろん、人に目撃される場所では大人しく走れと命令しているけれど、盗賊にまで配慮する必要は無いので、目撃者を消す方向で走っているのだ。
外ではそんな感じで軽い絶叫マシン状態になっていたけれど、中は至って穏やかなものだ。
振動も騒音も慣性も感じず、みんなゆったりソファに腰掛けて、ファントム号内部に設置している自動販売機や、鉢植えサイズのケーキの生る木から好きな物を手に取って寛いでいる。
そんな中での話題は、公爵への対策や男爵領でどうする――という目標や行動指針などではなく、ファントム号にトイレを設置するか否かといった切実な、そして喫緊のものだった。
そういった煩わしさを知らない私には思いつきもしなかったけれど、人間には――ソフィアやミーティアにも必要なことである。
ズルいと言われても困る。
もちろん、それぞれに携帯用トイレや超小型装着用トイレを所持しているのだけれど、音や臭いは漏れないと分かっていても、人前でいたすのは乙女たちにとってハードルが高いらしい。
というか、魔法を発動するときに発生する風――魔法風の発生でいたしたことがバレるのだ。
戦闘中や移動中なら誤魔化せるかもしれないけれど、馬車の中ではちょっと誤魔化しようがない。
しかし、サービスエリアなどないこの世界では、そのたびに馬車を止めて外に走るのも面倒――恥ずかしいことも理解できる。
何より、最中は隙だらけだし、だからといって私の領域による警戒も望まないだろう。
とりあえずは、2時間に1度小休止を入れることで決まったのだけれど、彼女たちの気の済むようにしてもらえばそれでいい。
私は私の問題で頭がいっぱいなのだ。
昨夜の夕食はカレーうどんだった。
もちろん、私の創った麺の生る木から収穫して、自動販売機の出汁で作ったもので、麺もスープも最高だった。
さらに、出汁の方の自動販売機にも、辛さやスープのこってり具合を調整できるボタンを追加したので、激辛好きなミーティアから、辛いものが駄目なリリーにも美味しいと好評だった。
最早、私の眷属は私より有能である。
ちなみに、この世界にはラーメンやうどんなどの麺類は普通に普及している。
過去に多くの日本人が召喚されているのだから、異世界にないもので儲けようとする人も多かったとか、負けず嫌いを発揮して「俺の作るラーメンの方が美味い!」と、勇者の本分を忘れて先輩たちに立ち向かった人も多かったのだろう。
実際に、私もアルスで何度か口にしたけれど、日本人の私からしても、かなりクオリティが高くて満足ができるものだった。
それでも、私の創ったものは、次元というか存在の階梯が違う。
魔素濃度が高いことが影響しているのも確かなのだけれど、五感を超えた何かが魂を直撃しているとしかいえない美味しさなのだ。
だからこそ、具が入っていないことが許せない。
しかし、私が迂闊に具を出そうとすると、何が出てくるかは容易に想像がつく。
最悪、具は料理人を雇って作らせるとか、出来合いの物を買って保管することも考えたけれど、麺とスープのクオリティからすれば満足のいく物とはならない――むしろ、蛇足になりかねない。
何か妙案でも浮かばないものか。
◇◇◇
思考は出口の無い迷路を彷徨っていたけれど、馬車は順調に街道を進んでいたようで、気づけば男爵領の外れにある、山間の寒村に到着していた。
時刻は既に午後9時過ぎ。
この村がなければ夜通し走らせるつもりだったのだけれど、辺境とはいえ、せっかくの男爵領の村なので、少し様子を見てみようと寄ってみることにした。
村はそれほど高くも頑丈でもない木製の壁に囲まれていて、門は二枚の落とし格子。
大都市だと備え付けてある近代兵器は、当然のように存在していない。
貧しい貴族領の、貧しい――よくある規模の村らしい。
私たちの到着時には落とし格子は二枚とも降りていたけれど、マリアベルが門番さんとひと言ふた言話すと門を上げてくれて、村へ招き入れてくれた。
恐らく、マリアベルに《魅了》でもされたのだろう。
彼女はアンデッドだけれど、顔は腐っていなくて可愛いんだよね。
私たちが村に入った時には、当然のごとく村は寝静まっていたけれど、気配に敏感な村人さんたちが、私たちに気づいて起き始めた。
その中のひとり、真っ先にこちらに近づいてきた老齢の男性がこの村の村長さんだったので、ひとまず夜分遅くに騒がせた謝罪と、ひと晩過ごす許可を貰った。
とはいえ、辺境で主要街道からも外れた場所にあるこの村には、宿泊施設も無い。
もっとも、市販品のお酒を土産に彼らの話を聞かせてもらおう――農閑期なら付き合ってくれる人もいるだろうと、そういう算段なので、宿泊施設の有無はどうでもいい。
下手な宿より、ファントム号の方が安眠できるしね。
目論見どおりというほどではなかったけれど、お酒の差し入れは、村人さんたちから歓迎された。
彼らからすれば、どうせ差し入れてくれるなら塩や食料、魔石などの生活必需品の方が有り難かったようだけれど、現状ではそこまで困窮しているようにも見えなかったので、そういった物は、この村をほぼボランティア状態で訪れているであろう商人さんに任せることにする。
それに、塩や魔石では口は軽くならないし。
彼らの本音が聞きたいのだ。
私の見た目に関しても。
「儂らには、まだ領主様が反逆して処刑されたなどとは信じられんのですじゃ……」
「このとおり貧しい村ですから、いつもギリギリでやっとるのですが、飢饉や魔物が出た時などには、こんな金にならん村にも手を差し伸べてもらえたくらいですわ」
「領主様が亡くなられてからそれほど経っておらんというのに、盗賊の被害は増えとりますし、余所の村では、公爵様の遣いと名乗る輩に若い娘を連れて行かれとると聞いとります」
「この付近の山にも山賊が住み着いて、商人さんが来る回数がめっきり減ってしまいましてのう……」
村長さんや村人さんたちの口から出るのは前男爵を惜しむ声ばかりで、お酒で口の軽くなった人は、公爵に対する不満と不安を口にしていた。
ミーティアの目には嘘は映らなかったことから、少なくとも嘘ではないらしい。
そして、私の容姿には一切触れられることはなかった――いや、「お嬢ちゃん可愛いね」的ないつもどおりのことは言われて、お小遣いとかお菓子をあげようとしていたけれど、翼や耳や尻尾には触れられることはなかった。
もちろん、後者は丁重にお断りした。
たとえ気持ちの問題だとしても、私には貧しい人たちから金品を毟り取るような真似はできない。
気持ちだけで充分である。
とにかく、リリーの尻尾にも触れられなかったところを見るに、この世界の人々は細かいことは気にしない性質なのだろうか。
さておき、村人さんたちの話のとおりなら、前男爵は勇者を私物化しようとしたり、魔物化テロをするような人物には聞こえなかった。
そうすると、前男爵の魔物化を解除してみるのもひとつの手だけれど、公には処刑されたことになっている人間の証言が役に立つのかも確認しなければならないし、広く私の能力がバレることも考えなければならない。
ひとまず、ジェンキンス前男爵が、自発的にテロを起こすような評判の人間ではないらしいということは分かった。
私たちの目的からすれば、それだけでは意味の無い情報だけれど、現男爵に話を聞く機会でもあれば、また何か分かるだろうか。
どういう名目で、どうやって会うかは考えなければいけないけれど。
◇◇◇
翌朝のまだ日が昇る前に、別れを惜しんでくれている村人さんたちに別れを告げて、次の山道へと向かう。
領主の館は山を二つ越えた先の町で、直線距離では大したことはない。
ただ、道中は険しい山道と、山賊が出る可能性が高いことなど、女子供だけで行くのは危険だと村人さんたちに引き止められた。
もしかすると、農閑期で暇な青年たちを護衛に雇ってもらえないかという下心もあったのかもしれない。
大半は低レベルの農夫だけれど、《鑑定》持ちの山賊はそんなに多くない――というか、スキルがあればまともな職に就けるらしい。
とにかく、そんな事情なので、頭数がいて武装していれば滅多に襲われることはないと売り込んできているのだ。
そういう意味では、目に映る武器はマリアベルの持つ大剣のみなので、村人さんの言い分も分からなくはない。
やんわりとした断り方では、善意か下心でついてこようとするお人好しもいるかもしれない。
どのみち、二度と会うこともないだろうと、マリアベルに首を外させて、アドンやサムソンも呼び出して軽く威嚇させる。
空気を読んだミーティアやソフィアも翼や爪を見せつけて、リリーの幻術で魔物がいっぱい湧き出てきた。
驚いて腰を抜かす村人さんに、「護衛は間に合っているので」と告げて、にこやかに手を振りながら馬車に乗り込んで、アイリスに怒られながら村を後にした。
もちろん、誰もついてくることはなかった。