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23 大捜索?

「もう目を開けても大丈夫だよ」


 朔の声に従って四人が目を開けると、彼女たちの目の前には、いつもの子猫の人形ではなく、新月の夜にだけ現れる裸の幼女――なぜかここでは男の子の姿があった。


 ソフィアは朔とは初遭遇だったが、話には聞いていたので、さほど驚くこともなく受け容れていた。

 男性に免疫がない彼女だが、さすがに10歳児の裸では取り乱さない。


 朔も、元より自身の性別を意識したことがなく、それ以上に重要な問題を抱えていたため、性別が変わっていても気にした様子はない。



「きゃっ!?」

 しかし、アイリスが、彼女たちも裸だったことに気づいて、可愛い悲鳴を上げて、身体を押さえながらしゃがみこんだ。


「ボクたち以外は誰も見てないから大丈夫。それでも気になるなら、服を着ているイメージを強く望めば反映されるよ。ここにあるのは精神だけだからね」


 朔は、そんなアイリスに何でもないことのようにアドバイスを送ったが、それは言葉にするほど簡単なことではない。

 アイリスも、朔に言われたとおりに服をイメージしようとしたものの、服飾に明るくなく、元より立体イメージの苦手なアイリスにはまともな服をイメージすることはできなかった。


「ああ、実体はボクが管理してるから心配しないで。魂は実はよく分からないんだけど」

 朔は、そんなアイリスには気にも留めず、情報の補足をする。


「――いえ、大丈夫です」

 アイリスも、恥ずかしがっていたのは彼女だけということもあり、多少羞恥の色は残っているものの、お風呂と同じようなものだと開き直って立ち上がる。

 朔の言ったことが気になりもしたが、朔もよく理解していないようなことを聞いても、彼女たちが理解できるはずがない。


 四人は、ユノを探すことが先決だと割切って、今は気にしないことにした。



「何も無いんですね」

 まだ少し恥ずかしそうに、辺りをぐるりと見回したアイリスが、見たままの感想を漏らす。


「ここはまだボクの中だからね。みんなの準備がよければユノの精神世界に行くけど、強く思ったことがそのまま反映されて、それにユノ――本質的なユノが反応するから、迂闊な真似は止めてね」


 みんな死んじゃうからね、と聞こえたような気がした瞬間、またもやツッコむ暇もなく世界が一変した。


◇◇◇


 ユノの精神世界に到着した彼女たちの第一印象は、ひたすらに暗い世界。


 月のない夜。

 月どころか星も見えない。

 それどころか、空があるのかも定かではない。


 両足で立てているので地面はあるようだが、他に分かることといえば、波の打ち寄せるような音が聞こえているくらい。

 ここは海岸か湖岸か、それらの付近であるらしい。


「あれ? お客さんかな? お兄ちゃんのお友達? あはは、ないわー」

「ダメだよ、【真由】ちゃん。兄さんにだって友達くらい――さすがにいるよね?」


 アイリスたちは、突然聞こえてきた声に驚いて振り向いたが、暗くてその人物の姿は確認できなかった。


「精神世界の住人だよ。現実世界の人物とは関係無いし、君たちの姿をした住人もいるから、絶対に混同しちゃダメだよ。特にソフィア、君の妹もいるけど、他人として接すること」

「――うん」


「真由、レティシア、久し振り。ユノいる? それと、灯りつけてほしいんだけど」

「朔ちゃんだー! 久し振りー。元気してた?」

「久し振りだね。兄さんは見てないなあ。あ、灯りつけるね」

 朔は、ソフィアが頷いたのを確認すると、精神世界の住人に気さくな感じで話しかけた。


 残念ながらユノの行方は分からなかったが、レティシアの言葉のとおりに世界に明かりが灯り、皆の目にその姿が映し出された。



 そこには終末があった。


 大量の天使の死体で埋め尽くされた海は赤く染まっていて、砂浜にも大量のモザイクが掛かった何かが打ち上げられていた。

 ひび割れた空から、天使の死体が止め処なく零れ落ちていて、海に、砂浜に、そこかしこに積みあがっていく。

 その中で空だけが透き通るように青いのが、サイコパス的な面を象徴しているようで、余計に恐ろしく感じさせられた。


「「「うわぁ……」」」


 想像を超えた光景に、四人の声が思わずハモった。


 妹の姿を楽しみにしていたソフィアも、この光景はスルーできなかった。


「天気予報だと天使が降るとか言ってなかったし、傘持ってこなかったよー」

「兄さん、こんな天気のグロい日は帰ってこれないね」


「精神世界の住人は、ユノのイメージする当人たちなんだけど、時折ユノの気持ちを代弁したりもするから注意してて」

 あまりに酷い光景に心を奪われていた四人には、朔のアドバイスもろくに入ってこない。


「うーん、とりあえず、これを片付けなきゃ駄目かな」


 朔も、この状況を作った原因が自身にあることは理解しているが、戻す方法は理解できていない。

 ユノを見つけることができれば元に戻る可能性が高いが、どうすれば見つかるかは分からず、困っていたところに彼女たちが駆けつけた。

 そこで、ユノが大事にしている人間性にヒントがあるのかもと考えて彼女たちを連れてきたのだが、すぐに役に立つとまでは考えていない。

 むしろ、この世界を異常だと感じている彼女たちだからこそ、朔とは違う視点でユノを探せると考えているため、必要以上に指示や誘導をするつもりはなかった。



「何なんですか、この世界……」


「壮絶な世界じゃの……」


 しばらくすると、アイリスたちも状況を思い出す。


「ここはユノの精神世界。その表層だよ。表層だから、現実世界の影響を強く受けてるけど、いつもはもっと平和だよ。もちろん、表層っていうくらいだから深層もある。どこまでの深さがあるのかは分からないけど」


「それじゃあ、ユノさんの精神世界は天使に侵されてるんですか?」

「罪の意識――は、ないじゃろうな」


「いつもは静かな場所なんだけど、単に現実世界で起きたことの影響が、精神世界に反映されてるんだろうね。それにまあ、罪の意識に苛まれるような繊細な性格ではないね。ひと晩寝たら大体のことは忘れてスッキリしてるし」


 朔は、彼女たちの質問に丁寧に答え、二度目となる説明でもしっかりと行っていた。


「お兄ちゃんの罪かー、何でもかんでも簡単に切り捨てちゃうことかな。あまり執着がないんだよね」

「本当に大切なものはここにあるもの、手の届く範囲だけ。それ以外は割とどうでもいいって人ですよね」


「このふたりの言葉は、ユノのイメージや記憶にあるこのふたりの言葉。たまに、ここの誰かの姿を介してユノの本心が語られたりもするけど、見分けが難しい。

ボクの所感だと、ユノが執着が薄いというのは、傍目にはそう見えるみたいだし、ある意味では合ってると思う。でも、ユノはユノなりに大事なものがあって、それが他の人とはちょっと違うだけ。深層に行けばそういうのも分かると思うけど、危険も増すからまずは表層でユノを捜そう」


「つまり、この世界はユノにとって重要なもので構成されていて、それを傷つけたりすると駄目ってことですね」

「ユノさんが帰ってこれるように、お掃除すればいいんですか?」


「そうだね。何が正解かは分からないけど、理解が早くて助かるよ」


「いろいろと訊きたいこともあるが、現実世界の方はどうなっておる? そんな悠長なことをやっておっても大丈夫なのか?」


「話は作業しながらってことで。現実世界では、君たちが意識を失ってから一秒も経ってない。ここはある種の種子の中だからね。一応、魔物とか、多少のことならボクだけでも対処できると思うけど、それでもミーティアの言うとおり何があるか分からないから、手早く済ませよう」


「えっ、朔ちゃんたち、これを片付けてくれるの? 助かるよ。何かあったら呼んでねー」

「私、ゴミ袋持ってきますね。これ、燃えるゴミでいいのかな?」


「レティが良い子に育っててくれてよかったわ……。よし、頑張って片付けなきゃね!」


「実際のところは分からないけど、やる気を出してくれるのは有り難いね。ここは現実世界の能力は意味が無い、想いの強さが力になる場所だから」


「それなら、私にも勝つチャンスはありますね」

「リリーも負けないように頑張ります!」

「ほほう、役立ち勝負で儂に勝つつもりか?」

「レティの見ている前で負けるわけにはいかないわ!」

 四人の中でなぜか勝負が始まっていたが、朔はあえてスルーした。


 何をどう争うのかとか、それで何が得られるのかは誰にも分からなかったが、和やかな雰囲気で、凄惨な作業が始まった。


◇◇◇


 片付けといっても、実際にユノが喰らったという万単位の天使を処分するわけではない。


 それは精神世界とは別のところで朔がやっていることで、彼女たちがすべきことは、精神世界のユノに安心感なりを与えて呼び戻すことであって、そのイメージ作りだ。



 彼女たちはユノを呼び戻すために、必死になって天使の残骸を――モザイクの掛かった何かを片付け続けた。

 それは、多感な少女や年頃の乙女だけでなく、長い時を生きた吸血鬼や古竜でもつらい作業だった。


 体感時間にして、既に十時間以上が経過している。


 たかが十時間ではない。


 想いが形になるところで、それに集中するということは、通常の感覚では測れない負担が掛かっている。

 それは精神衛生上――精神そのものにとても悪いものだったが、片付けの最中、時折ユノの――ユーリだった頃の記憶の欠片が見つかることがあって、それが彼女らを奮起させた。



 ユーリの記憶の大半は、両親やふたりの妹たちとのものだった。

 学校生活とか社会に出てからのものも確かにあるのだが、妹たちとのものに比べて薄っぺらい。


 恐らくユーリの最も古い、強く印象に残った記憶は、彼の異常性が露見した時の周囲の反応だった。


 異質なものに対する根源的な恐怖。


 幼かったユーリに悪気があったわけではなかった。

 しかし、彼の周囲には彼を排除しようとする者や、自分の欲望のために利用しようとする者、それをネタに脅迫しようとする者が増えた。


 実際にはそれだけではなかったのだが、最初の経験が強烈だったこともあり、ユーリ自身がそう認識してしまっているためか、それらに気づくことがない。

 傍目には、盛大なフラグクラッシャーであることも多かった。



 そういうことを何度も経験すると、ユーリは素の自分を見せることはほとんどなくなり、周囲に溶け込む努力を始めた。

 可能な限り目立たず、普通に見えるように。


 ただ、能力は隠せば済むものの、残念ながら容姿の方は、ウィッグを着けようが、カラーコンタクトを着けようが目立ってしまう。

 しかし、現代日本においては、さすがに常時覆面を被っているわけにもいかず、ある程度は諦めざるを得なかった。



 ユーリが本当の自分を見せられるのは、両親と年の離れた妹たちだけだった。

 彼らだけはユーリの異常性を知っても普通に接してくれた。

 ユーリの世界との接点はこの四人だけ。

 そして、両親が失踪してからは妹たちだけになった。


 そんな彼は、自身のことなら、多少の被害は笑って適当に流すだけだった。

 しかし、妹たちに危害を加える者には容赦はしなかった。


 それでも、彼にとって妹たちが大事なのは確かだが、「妹たちのため」とは決して言わない。


 ただ、自分がそうあろうと決めて、それを貫いているだけ。

 妹たちがどう思うかもあまり気にしていない、究極の利己主義ともいえるものである。



 ユーリは、彼自身を標的とする悪意には寛容だった。

 むしろ、それを心待ちにしている節さえあった。


 しかし、彼を害するために妹たちに手を出すような輩には、どこまでも残酷になる。

 ユーリは好んで他者を害したいと思っているわけではない。

 彼の大切なものに手を出さない限りは、好きにやってくれていいというスタイルである。

 むしろ、穏便に済むなら、多少のことは受け容れていた。


 それでも、際限なく要求を釣りあげるような性質の悪い相手などには、実力行使以外の手段が無いと考えるのは、彼でなくてもあることだ。

 ただ、一度そうなってしまうと、倫理観や道徳観などもどこかに行ってしまい、殺さない程度に四肢を砕いたり、拷問紛いのことをして心を壊すくらいは普通にやっていた。

 一度やると決めれば、それ以外のことがどうでもよくなるのは、彼の悪い癖だった。


 それでも相手を殺さなかったのは、殺人事件となって、警察が躍起になるのが面倒だからと思っていただけである。

 いい方を変えれば、死体さえ出なければ問題無いというスタイルである。

 生き残った被害者が何かを言ったところで、生身で自動車を撥ね、人体どころか鉄筋コンクリートの建物を素手で解体するなど、現代司法の場で証明のしようがないことだと楽観視していた。



 そうして出来上がった人格は、容姿と表面上の愛想は良くて、言葉や知識は足りないものの、礼儀も一応はわきまえている好青年。


 他人には深く踏み込まないが、それは彼の容姿に惑わされたり、能力に怯えて暴走する者が出ることを嫌っているからで、決して人嫌いだとか、他人に無関心だからではない。

 むしろ、彼は敵味方関係無く、強い意志をもって行動し、信念に従って生きる人には好感と尊敬を覚える方だ。


 だからこそ、強い意志をもって自分の道を進むアイリスやアルフォンスは好ましく思っているし、異質なところも含めて、彼を認めてくれるみんなは、新しく得た宝物だった。



「お主らの世界は、法の秩序とやらの下で平和な世界じゃと聞いておったのじゃが、儂にはあやつが好き放題やっておったように見えたがのう」


「基本的にはそのとおりですよ。犯罪を犯すと、法によって裁かれます。ですが、ユーリの規格外の身体能力を使った犯行は立証不可能、それ以前に、考えつきもしないでしょう……。それでも説明がつかない事件もありましたけど、あれでバレないとか、あの世界はどうなってるんでしょう? それと、トラックに轢かれて受け身、というのはまあ分かります――いえ、分かりませんけど、突っ込んできたトラックで受け身を取るって、しかも無傷でってどうなんですかね?」

 ユノの受け身は、アイリスの常識では理解できるものではなかった。


「そうじゃな。事件の方は、まるで無かったことになっているか、洗脳でもされたのかと思うほど不自然なものもあったのう」

 ユノの受け身は、ミーティアですら理解不能で、それについては考えることを止めた。


「でも、殺しは一度もしてないわよね。――死んだ方がマシなのはあったけど」

 ソフィアが何かを思い出して、身体をぶるりと震わせる。

 身体は不死に近いソフィアだが、心の傷はまだ癒えていなかった。


「ユノさんは優しいですから、きっと再起の機会をあげてるんですよ」

 リリーの好意的解釈は、その前提にあるユノの犯罪行為については考慮されていなかった。


「いえ、私たちの世界では、回復魔法とか再生魔法のような便利なものはありませんので……。あの世界の医療技術では、恐らく、その、彼らは以降ずっと、死んだ方がマシな状態です……」


「それでも、レティを大事にしてくれてたことは分かったわ。暴れるのは家族に害が及びそうな時だけだしね。ちょっと過剰だけど」


「そう考えると、ソフィアは危ういところじゃったのう」


「ソフィアは直接アイリスたちを狙ってなかったからね。本気じゃないのも分かってたし」


 朔の言うように、直接ユーリを狙った者に対する対応は、そこまで酷いものではなかった。

 むしろ、相手の攻撃や要求に対して、相応の対応をしていただけともいえる。


「それなのにあそこまでやるって酷くない!? 何の感情も見せずに拷問されて、すっごく怖かったのよ!?」


「アイリスさんを誘拐した人、酷いことになってましたよね……」


 直近の記憶として、アイリスを誘拐した実行犯のものもあった。

 声の出せなくなる呪いの装具を付けられて、悲鳴を上げさせようとした挙句、悲鳴を上げなかったので存在を侵食されていた。


「腹の中に虫を入れたのかと思っておったが、臓腑を自らを喰らう何かに創り替えておったとはのう。怒らせると――いや、勘違いじゃというのに容赦ないのう……」

「思い出させないで……」

 ミーティアとソフィアは、少しでも状況が違えば自分たちもそうなっていた可能性を垣間見て、肝を冷やしていた。


「そもそもなのですが、ユーリは、財産や彼の能力が悪い人に狙われていると思っていたようですけど、ほとんどの人は、ユーリ自身を狙っているように見えました。もちろん、恋愛的な意味です。実際に見ていたわけではないので確かなことは言えませんが、お金は他でも稼げますし、力も機械や武器で代用できますし……。そうだとすると、人心を惑わせすぎです。暴力に訴えた人や、ご姉妹に手を出した方は、自分を見失っていたか、妹さんたちを頼ろうとしたのか……」


「大人のユーリさん、すっごくすっごく綺麗でした」


「性別だけではなく、種族も超越しておったのう。儂、本物のアルカイックスマイル初めて見たわ。あれは心の弱い者じゃと惑わされるじゃろうなあ……」


「一番怖いのが、本人がそれを全く意識してないことよ。個性で片付くレベルじゃないでしょう!? いえ、あの娘にとって異常こそが日常だったから、『普通』を知らないんだわ!」


 良くも悪くも――大体が悪い方に転がっていたが、ユノには「普通」が分からない。

 普通を知るアイリスたちはもちろん、知識として知っているだけのミーティアが見ても、ユノは異質な存在だった。


 当然、ユノも知識としての「普通」は知っている。

 しかし、そこに自分を当て嵌められないのは、「共感性」が大きく欠落していたからであり、同時に「他人は他人、自分は自分」と、度を超えて自身を確立させていたことによる。


「ですが、ユノの好みは分かりました。なかなか難しいことですが、参考にはなりました」


 アイリスたちの収穫は、ユーリの記憶もそうだが、彼の嗜好が判明したことだった。


「ユノさん、頑張ってる人が好きなんですね。味方だけじゃなくて、敵でも頑張ってる人は好きみたいな感じでした」


「強者ゆえの傲慢じゃが、勝敗にすら頓着せんとはのう。儂に降参した時も、あやつは本心から認めとったのか……。あやつの表情からは、そんなことは一切読み取れんかったが……」


「善悪は気にしないのに、好みの傾向はあるっていうのが面倒臭いわね」


「でも、もう攻略法は分かったんじゃない?」

 朔の言葉に、四人は無言で頷く。


 それは決して簡単なことではなかったが、彼女たちだけでなく、誰にでも可能性のあることだった。

 だからこそ、手を抜くことは許されない。

 彼女たちは決意を新たに、彼女らのすべきことに向き合う。



「考えてみたんですけど、ユノは妹のことを除けば、こちらの世界にいた方が幸せですよね? というより、戻るべきじゃないですね」

 しばらく考え込んでいたアイリスが、自身の考えを口にする。


 そして、ひとたびお題が提示されると、他の者たちは待っていましたとばかりに乗ってくる。


「確かに、あっちの世界は窮屈そう」


「平和そうなのはいいです」


「美味そうな酒や食い物が豊富なのはよいのじゃがのう。――じゃが、それだけじゃな」


「あの子、魔王とか竜がいる世界でも異質なのに、人間だけの枠に押し込めるのは無理があるわね」


「レティシアさんも魔族ですし、もうひとりの妹さんも、彼女ほどではないにせよ異質でしたので、案外こちらに召喚すると喜ばれるかもしれませんね」


 ユーリの記憶がどれだけ正確なのかという点には疑惑が残るが、彼女たちが見る限り、レティシアはこっそり魔法を使っていたし、真由と呼ばれた方の妹も、明らかに身体能力が「普通」から逸脱していた。

 しかし、ユーリの「普通」は、自身や家族が基準となっているので、よほど派手な能力や魔法でも使用しない限り、そんなことには気づかない。


「そうじゃのう。ざっと見た感じじゃと、どう見てもこちらの世界向きじゃのう」


「私も、日本でユーリと会っていたら怖いと思ったかもしれません。あっちの世界は安定していますが、明らかに異質なものを受け容れる余裕は無いんです」


「ユノさんは、『ユノさん』っていう生き物だと思えばいいのに」


「リリーは上手いことをいうのう。じゃが、そう思えれば、力あるもの特有の傲慢さもあり、小動物的な愛嬌もある。見ていて飽きのこん面白い生き物じゃの」


「猛獣だけどね……。可愛い見た目に騙されて手を出したらガブリと……。それどころか、世界まで喰ったわよね?」

 噛みつかれた結果があれだったソフィアには笑えなかった。



 世界を喰らうなどと称される存在は古くから数多くあるが、それらのほとんどは人の認識から生み出された想像上のものだ。

 実際に目にした者などおらず、見たとしてもそれがそうだと認識できるかは不明である。


 だからこそ、人の認識を超えた、実際に世界が喰われる瞬間は、彼女たちにとってかなり衝撃的な光景だった。


 認識できたのは、感動とも恐怖ともつかない、何かが振り切れた先にある理解できない感情だけだった。


 朔の推測では、喰われた部分は「無」になったわけではなく、可能世界論でいうところの世界と定義できない、物理法則や概念すら定まっていない可能性だけの状態になっていただけで、本来は現実世界の住人である存在には認識できないものだ。

 しかし、認識できないだけで存在はしている。

 それがユノの魔素によって現実性を帯び、現実世界の人に認識できる範囲でそう見え、そう感じただけなのだという。

 それが理解できる朔ですら、ユノのことを完全には認識できない。


「とにかく、ユノさんを起こしてからですね!」


 しかし、彼女たちにとってそんなことは問題ではない。

 理屈は分からなくても、ユノが本気で世界を壊そうとしていないことは、リリーだけでなく、他の三人や、ユノに拒絶された朔にも分かっている。


 ユノにしてみれば、ただ少しやりすぎたとか、想像より大事になったとかそれだけのこと。

 ユノにはよくあることである。


 アイリスやミーティアにとっては、「やっぱり私がついていてあげていないと駄目だな」と思う程度で、恐怖だけに囚われたりはしない。


 むしろ、ユノが世界を壊すと決めたのなら、どうせなら最初に壊されたいと思う者や、一緒に壊したいと思う者など、否定しない者もいるくらいである。


◇◇◇


 それぞれの想いや妄想に耽りながら、時折発掘されるユノの記憶を肴に盛り上がる。


 しばらくはそんな感じで精神の均衡を保っていたものの、ユノの記憶の欠片の出現頻度も下がってくると、精神への負荷は増大する。


 彼女たちの精神は朔が保護しているため、限界までは幾許かの余裕はあるとはいえ、他者の精神世界とは、常人であれば一時間ともたずに精神が崩壊するようなところである。

 朔もそこまで理解していたわけではないが、彼女たちを保護しているのは朔なりの誠意である。


 もっとも、危険性を具体的に述べなかったことや、精神世界でユノを見つけたとしても、現実世界のユノが目を覚ます確証はないこと、その仮説が正しかったとして、肝心のユノが表層にいるとは限らないことを話していないなど、不誠実な点も多い。



 極論すると、朔にとって重要なのはユノのみである。

 アイリスたちはユノのお気に入りだから、それ以外の人もユノを活かすために必要なので、必要な範囲で保護したりもするが、それはユノや朔に余裕のある時の話である。

 そして、ユノの現状は非常に危険な状況にある。


 朔にもユノの変化については把握しきれていないが、世界を喰らった時の様子から、ユノの能力が以前より遥かに高い階梯にあることは間違いない。

 もしかすると、さきの光の柱ももう効かなくなっている可能性もあったが、確証が無い以上は試すわけにもいかない。

 それに、神の攻撃が、あれが最大のものではない可能性もゼロではない。


 それでも、朔は自身の取った行動が間違っていたとは思っていない。


 あのままユノを自由にさせて、最悪の事態が起こった場合、誰にとっても望まない未来が待っていたはずだ。

 そう考えての緊急措置だった。


 そうして重大な危機を招いているのだが、挽回の可能性があるというだけでも最悪よりマシである。


 しかし、朔も精神世界内では、領域を使っての探査や、大規模な能力の行使などはできない。

 やろうとすれば実力をもって排除されるのは、これまでの経験で明らかになっている。


 ただ、普通の人間のように、精神体が殺されたからといって本体まで死ぬことがないのは利点ではあるが、それ以外は普通の人間とそう変わらない。

 時間が無限にあるのであれば問題は無いが、一刻も早くユノを復活させたい状況において、朔のみで事に当たるのは非効率的だった。


 そして、復活の可能性を僅かでも上げるため、彼女たちに都合の悪いことは伏せたままで、ユノの復活について語った。

 朔の能力では、同意の無い相手の精神に干渉するのは難しかったのだが、揃いも揃ってお人好しだった彼女たちは、朔の誘いに乗った。

 これで、少なくとも朔のみでの捜索よりは効率は上がるだろうし、彼女たちの呼びかけにユノが応えるという可能性も出てくる。


 ただ、彼女たちが背負う危険は大して考慮されていない。


 それどころか、朔は最後の手段として、彼女たちを生贄にしてユノを誘き出すことすら考えている。


◇◇◇


 幸いなことに、彼女たちは、朔の計画が最終段階に至る前に、目的のものを見つけることに成功した。


「これがユノさんの自我なんですか?」


 五人の視線の先には、リリーや朔より更に幼い、銀髪紅眼の怯える子供の姿があった。


 モザイクの山の中から発掘されたのだが、その身体は全く汚れていない――それどころか、存在の全てが無垢だと思えるような、恐ろしいまでに純粋な少女だった。

 天使よりもよほど天使、神の器とはこういうものかという説得力があった。


「これがユノの本質的な姿、ということなんでしょうか?」


「うーん、このユーリはもっと深層にいるはずのユーリに見えるんだけど……。とりあえず、ユーリの名誉のために言っておくけど、男って、歳をとっても大きな子供になるだけなんだよ」


「イメージと違う! ……でも、何だかとっても可愛いわね。胸がキュンキュンしちゃうわ。というか、この子、女の子じゃない?」


「朔の言うとおりだとは思うのじゃが、ギャップが酷いのう。しかし、この感覚は何じゃろうか、お持ち帰りしたくて堪らん。宝石なんぞより、よっぽどキラキラしておるのう……」


 幼ユーリににじり寄る朔を除く四人を、幼ユーリが震えながら見上げる。


「私のですから、持って帰らないでください!」

 アイリスが逸早く幼ユーリを胸に抱き、所有権を主張した。


「ユノがそう望んどる間は譲ってやろう。どのみち長くても百年程度じゃろうしのう。儂はその後であとでゆっくり愉しむとするわ」

 ミーティアが、アイリスから幼ユーリを奪い取ってニヤリと嗤う。


「リリーもずっと一緒にいるために、頑張って魔王になります!」


「わ、私も魔王だし、真祖のヴァンパイアだから、ずっと若いままで一緒にいられるわよ! す、好きとかそういうのじゃないけど! 友達として!」


 残るふたりも幼ユーリ争奪戦に加わった。

 少々テンションがおかしいのは、朔に保護されていたとはいえ、精神的な抑圧から解放されたからである。


「では、アイリスの後は、儂ら三人で競争じゃの。儂は独り占めには拘らぬゆえ、妾の座ならくれてやるぞ?」


「簡単に正妻の座を譲るとは思わないで下さいね!」


「あのさ、ユーリを奪い合うんじゃなくて、呼びかけて起こして欲しいんだけど……」

 朔の声も空しく、興奮する四人には届かない。


 それぞれが幼ユーリの手足を持って奪い合う。

 大岡裁きも、しょせんは異世界の話である。


 裸の美女に揉みくちゃにされるのは、健全な男なら誰しも望むものだろう。

 それが修羅場でなければ。


 しかも、幼ユーリは女の子である。



「――この件は後でじっくり話し合いましょう。今はユノの意識を戻すことが先決です」

「分かりました」

「よかろう」

「異存はないわ」


 各々がひとしきり幼ユーリを堪能したあと、ぐったりしている幼ユーリをそっと寝かせ、休戦協定が成立した。

 そして何事もなかったかのように――何かをやり遂げたような表情で、朔に向き直った。


「それで、何をすればいいのでしょうか?」


「……起こしてもらえれば何でもいいよ。あ、もちろん性的な意味じゃないよ」

 呆れた感じの朔が、これ以上の暴走を抑止するように釘を刺す。


「――っ! ――それでは、みんなで呼びかけましょうか」

 何を想像したのか、少し顔を赤くしたアイリスが、少し早口に音頭を取った。


「では、せーので。――せーの」

「ユノ、帰りましょう!」

「ユノさん、帰ろう!」

「ユノ、帰るぞ!」

「ユ、ユノ、帰るわよ!」


 言葉もタイミングもバラバラだったが、気持ちはひとつだった。

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