18 充電期間
宿に戻ると、魔王を連れ帰ったことで、ちょっとした騒ぎになった。
しかし、アルも程度の差はあれ「普通」からは逸脱していたので、奥さんたちが慣れるのも早かった。
しょせん他人事だと思っているのかもしれない。
リリーに至っては、いつもどおりのタックルで出迎えてくれた。
既に竜や死神という前例があるので、魔王程度では今更驚くには値しないらしい。
改めて自己紹介のようなものをする中で、ソフィアはこの世界の吸血鬼についていろいろと教えてくれた。
それらは「驚いた」と言うほどのものではなかったけれど、私が思っていた吸血鬼のイメージとはかなり違っていた。
まず、吸血鬼のランクにもよるけれど、彼女のように最上位の吸血鬼は、日の光の下でも能力は低下するものの普通に活動はできる。
そして、ニンニクや十字架などのような信仰のシンボルを弱点としない。
代わりに聖属性という、よく分からない属性には弱いとのことだけれど、仮にも魔王なので生半可なものは通用しないようだ。
そして、日本ではよく不老不死の代名詞として扱われるらしいけれど、決して不死ではない。
吸血という行為というか儀式によって不死性と不老を得るらしく、過剰ともいえる再生能力を持つけれど、残存魔力以上のダメージを受けると再生しきれずに普通に死ぬ。
アンデッドというよりは、鬼の亜種とかハイブリッドに近いらしい。
もちろん、アンデッドのような特性を多く持っていることも事実で、特定属性に極端に弱いとか、回復薬や回復魔法が効かないだとかの制約を受ける。
問題の眷属を作る方法は、対象を吸血した上での契約というかスキルが必要で、病気のように感染したりはしないそうだ。
また、日常生活を送るだけなら人間と同じように普通の食事だけで事足りる。
しかし、通常の食事の味は砂を食べているような感じで美味しくはないそうで、生命維持以上の意味は無いのだとか。
その代わりかどうかは分からないけれど、吸血という行為には非常に強い快楽が伴う。
さきにミーティアが言ったように、吸血鬼が吸血鬼であるために必要な行為であると共に、禁断症状が非常に酷いこともあって、暴走したり精神が壊れる吸血鬼も多いのだとか。
要は麻薬のようなものなのだろう。
なお、吸血が重要とか言っておきながら、代替の飲み物でも吸血衝動を解消できるらしい。
朔の読んだ漫画の知識では、トマトジュースとかワインとか、血を連想させるような赤いものという安易なものだったのだけれど、ソフィアがグレゴリーさんに作ってもらっていたポーションも、赤い色だった。
まあ、本人は吸血行為を忌避しているし、それがあれば暴走はしないらしいので、切らさないように気をつけていれば問題は無いだろう。
ちなみに、《鬼殺し》は赤ワイン――ガーネットのような暗赤色の飲み物だった。
実に安易な色味はともかく、アルコール度数と魔素濃度は《竜殺し》に比べてかなり控え目で、爽やかな酸味で後味がすっきりしている、とても飲みやすくていくらでも飲める――そんなお酒だった。
ただ、ミーティアにとっては物足りないらしく、「儂はやはり《竜殺し》の方が良いのう」と言いつつ、樽に入れるように要求された。
「こんなものは儂にとってはノンアルコールも同じ。つまり、飲んでも酔わぬゆえにいつ飲んでもよいのじゃ!」
そんなわけない。
というか、その台詞自体酔っ払っているとしか思えない。
しかし、あまり美味しくないらしいくせに値段がお高い市販魔力回復薬の代わりに、私の魔法でソフトドリンクが出せるようになれば、アイリスやリリーも喜ぶだろうか。
さておき、《鬼殺し》の本来のターゲットであるソフィアは、《鬼殺し》を飲んで昇天していた。
そのあまりにだらしない表情に、アイリスたち常識人だけでなく、ミーティアまでもがドン引きしていた。
ソフィアにはもちろんのこと、ついでにそれを出した私にまで。
どうやら、吸血鬼にとっての吸血行為には、いろいろな快楽が集約されていることが問題で、ただでさえ鬼が殺されるレベルのお酒は、彼女には刺激が強すぎたらしい。
さらに、味の違いが分からないはずの普通の食事も、私の料理魔法で出したものは例外らしく、料理とお酒のダブルパンチで、ソフィアは液状化したのかと思うくらいに蕩けていた。
嫁入り前の娘とか関係無く、人様にお見せできる状態ではない。
とはいえ、程度の差はあれ、みんな私の料理とお酒にメロメロなので、ソフィアを非難する人はいない。
あれ、麻薬よりヤバい?
それと、どうでもいいことだけれど、初遭遇時のソフィアの口調は、魔王としての威厳を保つための演出だったらしい。
演出家はグレゴリーさんだ。
ソフィア自身は、戦いはあまり好きではなく、止むを得ない場合であれば戦うけれど、普段は召喚魔法と《威圧》や《魅了》で戦闘を回避していたそうだ。
そんなもので戦闘が回避できるのか。
目から鱗が落ちた思いだった。
具体的にどうやるのかを訊こうとしたら、全員一致で止められた。
なぜだ?
◇◇◇
お風呂では更にひと悶着あって、私が実は男であると知ったソフィアが激しくショックを受けていた。
「レティシアに変なことをしてないでしょうね!?」
などと人聞きの悪いことを言われたけれど、私が妹たちに手を出すような外道だと思われているのだろうか。
まったくもって心外である。
問題はそれだけでなく、アルと一緒に男湯へ向かおうとしたところ、またもや全力で待ったがかかった。
男同士で男湯へ向かう――そこに何の問題があるのか?
もしや、アルは何でもいける口なのか?
だとしても、アルが私を力尽くで――などは不可能なのだから、みんな心配しすぎだと思う。
もちろん、アルの手前、アルの奥さんたちもいる女湯に入ることは論外なので、ひとり寂しく内風呂で済ませることになった。
仲間外れにされるのは少し寂しい。
今度、クリスさんに完全なオッサンに変装できる道具でも作ってもらうか。
作ってくれるかな……?
あの人も、変なこだわりを持っているからなあ。
◇◇◇
お風呂と食事を済ませた後の議題は、まずは今回の件を王国にどう報告するかになる。
話し合う面子はアイリスとアル、ミーティアとソフィア、そして私――というか、朔の事情を知る人だけ。
リリーやアルの奥さんたちには、知らない方が安全だということで当面は話さない方針になっている。
しかし、王国に対してはそうはいかない。
それでも、全てをありのままにというのはリスクが大きい。
下手に種子の情報を報告して、世界に知れらることになれば大混乱は間違いない。
生贄確保のための争いや、人攫いが各地で起きるとか、特に現状国力で劣る小国が、起死回生のチャンスと躍起になって、惨劇を起こすかもしれない。
そうなると、他国も先を越されないようにと対抗心を燃やすだろうし、もしかすると、戦争という直接的な衝突に発展する可能性も無くはない。
さらに、そうして弱体化した人間勢力に対して、悪魔族や魔王が侵攻してくることも充分に考えられる。
それに、万一種子の召喚に成功しても、それが人間に制御しきれるとは思えないし、神や天使の介入を招く可能性もある。
だからといって、全く報告しないのも、それはそれで問題がある。
ひとつは、全くの偶然か狂気によって、グレゴリーさんたちと同じ実験を試みる人が出現する可能性。
もうひとつは、怪しい動きを見せている帝国への備えとして。
亜人を集めて、何かの儀式に使っているとか、どう考えても楽観できるものではない。
私としてはかかわりあいたくない、かかわる前に日本に帰りたい、異世界のことは異世界の人でどうにかするべきだというスタンスだけれど、状況次第では、時間稼ぎくらいは必要になるかもしれない。
それくらいは仕方ないと考えるべきだろう。
結局、誤魔化しようのない魔王を連れている件と併せて、王国には警告を与える方向で調整することになった。
迷宮深部で魔王と遭遇して、戦闘になった結果、お互いを認め合うに至って和解――河原で殴り合って友情が芽生える系のノリに聞こえるけれど、この世界のコミュニケーションは殴り合いから始まるのようなので、問題は無さそうに思える。
よくよく考えれば、ミーティアやアルともそうだった気がするし。
とにかく、古くから迷宮の調査をしていた魔王の弁で、生贄を用いた儀式の危険性を警告する。
そして、もし勇者などが80階に到達したとしても、そこにあるものには手を出してはならないとも警告してもらう。
そこにあるのは邪神の残滓で、今は休眠状態にあるものの、ひとたび起こせばどんな災厄が起きるか分からない――これだと脅迫か?
まあ、心配せずとも、迷宮で生み出される魔物は、種子が安定したことによって質、量共に増強されているので、そう簡単に到達することはできないはずだけれど。
◇◇◇
私の次の予定は神前試合。
私の出番までまだまだ時間があるけれど、王都に戻るのは出番の直前になるらしく、今回も王都観光はできそうにない。
何でも、アルが王都での仕事中に何度か刺客に襲われていたらしい。
もちろん、全て返り討ちにして捕らえたそうだけれど、背後関係を吐かせる前に自害されたのだとか。
とはいえ、十中八九アズマ公爵の差し金であることは間違いない。
違っていても、公爵のせいにしてしまえばいいような気もするけれど、貴族社会はさすがにそう単純なものでもないらしい。
さておき、公爵はアルを消せば、アルと同じセブンスターズの一員である彼のところに、私との交渉権が回ってくるとでも考えているらしい。
アルがいなければ、私は陛下と直接交渉するだけだと思うのだけれど、やはり莫迦なのだろうか?
そんなわけで、私が王都で襲われることでもあればアルの責任問題になる可能性もある。
アルの仕事を増やさないためにも、本番まではアルスで英気を養っておくことになる。
その気になれば刺客は私に接触することすら不可能だと思うし、記憶を喰らって情報を得ることもできるのだけれど、そこまで手の内を晒さなくてもいいだろう。
神前試合が終わるまでにボロを出してくれればそれでいいし、出さなければ叩きに行けばいい。
それこそ、いくらでも埃は出るだろう。
それが終わればソフィアの故郷――というか、事件のあった場所へ行ってみるのもいいかもしれない。
二百年以上も前のことで、望みは薄いかもしれないけれど、種子には時間など無意味なものらしいし、私が行くことで何か分かるかもしれない。
とりあえず思いつく予定はそれくらい。
後は王国か迷宮の方での研究結果待ちだ。
他人任せというのは面白くないけれど、研究関連で私のできることは何もない。
望む望まないは別として、のんびり過ごすしかない私とは違って、アルはこれから大忙しだ。
領地の運営は当然として、迷宮探索の報告、神前試合の進行や調整、研究員たちの町造り、そしてなぜか私の家まで造っているらしい。
もう寝る暇もないくらいのスケジュールらしく、気付け薬代わりにお酒を要求されたので、仕方なく《鬼殺し》を渡しておいた。
いつか人族用のものも創ろう。
まあ、ある意味仕事の鬼といえなくもないし、元日本人なのだから容量、用法くらいは守るだろう。
◇◇◇
話が一段落したところで、ソフィアにお願いされて、この十年間のレティシアの話をさせられた。
また、それに乗っかってきたアイリスたちにせがまれて、昔の私のことも話すはめになった。
みんなに携帯の写真を見せながら、あれこれと話をしていく。
基本的に、写っているのは私と妹たち、時折三上さんをはじめとした社員の人や、亜門社長が写るくらいで、同年代の友達など全く写っていない。
能力がバレたり、金回りが良いことがバレると面倒なので、適切に距離を置いていたので当然だ。
なお、この世界に勇者が召喚される時に、一緒に所持品――携帯電話などが持ち込まれることも多いそうだ。
そして、それを活用するために、魔石を用いたワイヤレス充電器のような道具も開発されている。
もちろん、電波は届いていないので通話はできないはずなのだけれど、携帯を通じてシステムにアクセスして、様々な能力を使う勇者も存在したようだ。
そんなわけで、私の携帯も電池切れの心配がない。
そんな理由もあって、惜しげもなく昔の話をさせられるのだけれど、自分の過去の話はどうにも恥ずかしい。
なので、妹たちの話に持っていくのだけれど、そうすると今度は話が止まらなくなって、生暖かい目で見られるはめになる。
そんなループを繰り返して、リリーが眠そうな気配を見せたところでお開きになった。
◇◇◇
翌日のうちに、アルは王都へ出向いて国王陛下への報告を済ませて、神前試合の経過を持ち帰ってきた。
お酒のせいか、顔が赤く、テンションが高い。
本人は《毒耐性》があるから酔わない――少なくとも泥酔することはないと言い張っていたけれど、どう見ても、誰が見ても酔っている。
「報告を受けた陛下は頭を抱えてたけどな、神前試合の方はもっと大変なことになってたぞ」
陛下が頭を抱えるのは分かる。
というか、魔王とか邪神の話をされれば、誰でもそうなるような気もする。
そして、私も頭を抱えたい気分だ。
神前試合の参加者が、千人を超えそうになっているらしいのだ。
過去の例では多くても百人ほどだと聞いていたのだけれど、今回は初動から名のある戦士や傭兵などが大挙して押し寄せたため、それが様々な憶測を呼んだらしい。
そして、なぜか勝者には地位と名誉と大金と美女が手に入るという噂になっていて、更にそれが爆発的に世間に広まって、収拾がつかなくなってしまっているのだ。
多少なりとも腕に覚えがある人、組み合わせの妙でワンチャン狙いの人、お祭り気分で参加を決めたお調子者など、様々な人が今も続々と集まってきているのだとか。
あまりの参加者の多さに、既に予選を始めているらしく、その様子を一般公開して大盛況になって、更に人を集めている。
もちろん、私が戦う場は一般には非公開になる予定なのだけれど、参加費まで払った出場者がそれで納得するのかという問題も浮上してきた。
かといって他国の間諜もチェックできないような状況では公開するわけにもいかないし、公衆の面前でバケツを被るわけにもいかない。
まあ、頑張ってもらうしかない。
何にせよあと数日。
私は、私の義務を全力で果たすだけだ。