12 迷宮誕生秘話
「変なとこ触るなあ〜、うぅ〜〜〜」
「触っていない」
世界に倦んでしまったかのように、全てを放棄してしまった魔王を小脇に抱えて最深部を目指す。
鎖に巻いて引き摺っていこうかとも考えたけれど、また気絶されても面倒だし、目が覚めたときにパニックになる可能性も高い。
そういった配慮の末に、こういった形になっただけだ。
移動を始めてからすぐに魔王は目覚めたけれど、特に暴れることもなく、されるがままになっていることを思えば、その配慮は間違っていないということ。
「ん〜〜? でも何かちょっと気持ち良くなってきたかも〜」
もちろん、変な所は意図して触っていない。
魔王が言っているのは、私に接触しているので、魔力が急速回復していることだろう。
そのはずだ。
アドンとサムソンがしっかりと仕事をしてくれたおかげか、最深部までは何の苦労もなく到達できた。
後で何かご褒美をあげようと思うのだけれど、何がいいのだろうか?
お線香とか?
お供えのご飯ならいつでも出せる。
後で訊いてみよう。
最深部にある扉を何度かノックはしてみたものの、返事がなかった。
領域で確認しているので、中に目的の存在がいることは間違いは無い。
「失礼」
仕方なく、鍵と結界を破壊して侵入する。
部屋の内部は、何かの操作室とか管制室かといった感じだろうか。
コンソールがずらりと並んでいて、クリスさんのところの高度鑑定室と似たような雰囲気がある。
また、研究室でもあるのか、様々な資料や器具なども所狭しと散乱していた。
というか、この部屋だけで、生活から仕事までの全てを完結させようという意思が感じられる。
かなり汚い。
綺麗好きの私としては、掃除をしたいという欲求に駆られるけれど、他人の部屋を勝手に掃除すると怒られることが多い。
特に、妹たちの部屋には入っただけで怒られた。
さておき、少人数で仕事をするならこういうのもありなのか、ただそこまで手が回らないのか。
部屋の最奥には、全身を包む黒いローブに、フードを目深に被った人物が執務机を挟んで、何も無い虚空を見上げていた。
フードの奥から覗く風貌や、露出している手足は、アドンやサムソンのような白骨なのだけれど、サイズはアドンやサムソンほど大きくはない。
平均的な成人男性程度だろうか、ピクリとも動かないので、変死体と見分けがつかない。
これほど見事な死にまねは他には類を見ない。
ただ、事前に動いていたところを領域で確認しているし、私には魂や精神も見える。
かなり怯えている。
弱ってもいる。
そして、その人物を守るような位置に、私の腰ほどの大きさの小人――子供ではなく小人が、どちらにしても可愛いのが4人いる。
それが、包丁やら箒やらで武装して、立ったまま気絶している。
朔の気配にやられたか。
ごめんね。
『ボクは朔。こっちはボクの主人で、ユノ。話を聞かせてもらえるなら手荒なことはしないと約束する』
朔が空気を読まずに切り出したのに合わせて、緊張に息を呑んでいる魔王を解放する。
死んだ振りをしているもうひとりを気にかけていることは明白だけれど、場所が悪いせいか、抵抗しようという素振りはない。
まあ、抵抗すれば即座に拘束するつもりなのだけれど。
『ボクたちは勇者召喚に巻き込まれてこの世界に来た。それで、元の世界に帰るための手掛かりを探している。ここにその手掛かりがあるかと思って訪ねてきたんだけど……。そういうことだから、そろそろ死んだ振りは止めてくれないかな?』
「……………」
『返事が無い。ただの屍のようだ。それじゃ、仕方ないね。こっちの自称魔王に訊いてみようか』
朔がそう言った瞬間、魔王の足元に鎖を出現させる。
「いやあぁ!?」
鎖がトラウマになっているのか、不意にキュウリを見た猫のように飛びあがる魔王。
「わかった、話す! 話すからその子に危害を加えないでくれ!」
一拍遅れて動き出す白骨。
魔王が使い捨ての駒ではなかったようでよかった。
苦労してここまで連れてきた価値があったというもの――価値がなければこの場で殺していたかもしれない。
本気で私以外を害しようとは思っていなかったようだし、別段嫌いだとか悪感情を持っているわけではないけれど、問題になりそうな芽は摘んでおきたい。
あれだけやって恨まれないわけがない。
私に復讐するだけなら見逃すつもりだけれど、アイリスやリリーに手を出そうとする可能性もあるし。
今回は情報と引き換えに見逃す。
次は無い。
でも、状況次第では今回も無い。
だから、妙な気は起こさないでほしい。
「お爺ちゃん、ごめんなさい……。私、勝てなかったよぉ……」
「私が不甲斐ないばかりに、つらい役目を押しつけて悪かった……」
突然始まる骨と魔王の心温まるヒューマンドラマ。
悪役、私。
なぜだ?
私は魔王に襲われた被害者ではないのか?
過剰防衛かもしれないけれど。
「私は今はこんな姿に成り果てているが、元王国立魔術研究院の研究者で、【グレゴリー】という」
「うぅ〜〜、吸血鬼の、一応真祖で、魔王の、【ソフィア】よ〜」
「こんにちは。ユノです。最近、望んでもいないのにこっちに召喚された哀れな被害者です。将来の夢は、家に帰ることです。よろしくお願いします」
改めて自己紹介から始める。
口調に当初の面影もない魔王はともかく、グレゴリーと名乗った骨の所属には期待が持てそうだ。
というか、骨の表情は読めないけれど、私の自己紹介を受けてのソフィアと名乗った魔王の表情は、敵対的ではないけれど胡散臭そうなものだった。
なぜだ。
クリスさんに教えてもらった「この世界での正しいお願いの仕方」をしたというのに。
「結論から言うと、君たちの欲している技術は、現在ここには存在しない」
いきなり残念な報告だった。
ただし、現在という部分に含みを感じる。過去か未来にはあるのだろうか?
始末するのはもう少し待とう。
「無論、それだけでは納得できないだろう。ゆえに順を追って話そう。――少し長くなるが、いいかね?」
もちろん、と一も二もなく返答する。
そのために来たのだ。
できればアイリスたちにも同席してほしかったけれど、次の機会があるとは限らないし、朔を信頼して話を進めてもらう。
◇◇◇
――グレゴリー独白――
今から約二千年前。
人類に対して、突如大規模な侵攻をかけてきた魔王とその軍勢の脅威に対抗する手段として、最初の勇者が召喚された。
勇者は劣勢にあった人類の力を束ねて魔王に抵抗し、長い戦いの末に魔王と相打ちとなって、両者共にこの世界から消えた。
そうしてその有用性を認められた勇者は、その後も何度も召喚されて、強大な魔物に対する人類の救済手段となっていった。
だが、以前に比べて格段に人類の版図が広がり、情勢が安定し始めると、次第に勇者の力は軍事力として期待されるようになり、各国がこぞって勇者召喚に熱を上げるようになった。
その頃に研究された召喚術に関する様々な技術が、現代の召喚術の基礎となっている。
だが、競う相手が他国の勇者である以上、より強い勇者を召喚しなければと、術理を無視した無謀な実験を繰り返していたため、当初は失敗も多かった。
勇者を無理に制御しようとした結果、精神が壊れて暴走や反乱を起こされたり、召喚術そのものの暴走による空間の消滅など、様々な事故や災厄も各地で立て続けに起きていた。
ここもそういった研究を行っていた場所のひとつで、最強の勇者を召喚するための忌むべき研究の末、最悪の事故を発生させた場所でもある。
召喚されたのは、勇者ではなく、正体不明としか表現できない存在。
成人男性の頭ほどの大きさの黒っぽい塊だったが、周囲のあらゆる物質を呑み込む危険な物だった。
呑み込むといっても、ある程度の質量を持った物にしか反応せず、空気などは対象外。
似たような現象を起こす《固有空間》との違いは、生物でも呑み込むこと。
そんな情報以上に重要なことは、それが膨大な魔力――恐らく魔素を有していたため、新たなエネルギー源としての可能性も秘めていたことだ。
研究者たちと、これを知った王国の上層部も色めき立った。
これがあれば、勇者を召喚し放題――いや、勇者などに頼らなくても国を守れる。
それどころか、世界を我が物とすることもできる。
そんな野心を抱いた者も少なくはなかったが、表向きは平和利用という形で研究が進められた。
国としてはそういうこと。
だが、私たちにとっては世界の在り方を変えるだけの世紀の大発見であり、良い意味で後世に名を遺すチャンスでもあった。
だが、それは研究員のひとりが誤って呑み込まれてしまったことで、終わりを告げた。
いや、誤って――というのは違うかもしれない。
その研究員が油断をしていたのは確かだが、今まで何の動きも見せなかったそれが、突然意思を持った生物のように研究員に襲いかかったのだから。
そこからは早かった。
研究員――私を呑み込んだそれは、見る見る間に巨大化し、意思を持ったかのように動き始め、手当たり次第に全てを呑み込み始めた。
当時のこの辺りは、機密保持のために山中に作られた小さな町だったが、それでも数千人が暮らしていた。
それが全滅するのに、十分とかからなかった。
私が意識を取り戻した時には、ただひとり廃墟となった町の中にいた。
何が起こったのか全く理解できず、とにかく手掛かりを求めて、周辺を見回してみた。
見慣れた研究所や町並みは見当たらず、僅かに面影が残る所も酷く風化が進んでいて、緑が生い茂った町には自分の知る者は誰もいなかった。
それどころか、強大な魔物が我が物顔で闊歩していた。
混乱のせいか、私には自分の見ているものが理解できなかった。
何があったのか――私が必死にそれを思い出そうとした瞬間、激しい頭痛と共に、恐ろしい記憶が蘇った。
建物も、機材も、逃げ惑う同僚も、何も知らずに帰りを待っていた家族を、あれが全てを呑み込んでいく光景が。
荒唐無稽で悪趣味な夢だと思いたかったが、圧倒的な実感――今も身体に残る肉を潰す感触、咽かえるような血の匂いと鉄臭い味が、ただの夢ではないと告げていた。
我慢できずに吐いた。
その吐瀉物の中に、友人のお気に入りだった指輪を見つけて、また吐いた。
己の罪深さを神に赦しを請おうとして、更に恐ろしい光景が脳裏に蘇った。
あの時、制御不能になって、町ひとつをすっかり呑み込んだそれの前に、三対六枚の翼を持つ天使が降臨した。
しかし、天使が始めたのは救済ではなく、それに対する攻撃だった。
そそ熾烈さは人の力など――想像すら及ばぬ領域のものだったが、幸か不幸か、それで滅ぼされることはなかった。
だが、自分たちの行いがどれほど罪深いものなのかを、天使の次の行動で認識させられた。
それが天使すらも呑み込もうと触手を伸ばす中、当の天使は淡々と終焉を告げたのだ。
「当該【種子】の発芽失敗、制御も不能。されど攻撃は通じず。現状での回収は不可能と判断。――神の慈悲があらんことを」
天使がそう言い残して姿を消した直後、天から巨大な光の柱ともいえるような閃光が降り注いで、種子と呼ばれた物ごと周囲を吹き飛ばし――消滅させた。
そして記憶は今へと繋がる。
かの光に焼かれた痛みはないが、恐怖はくっきりと心に刻まれている。
あの光景も夢ではない――が、それならばなぜ自分は生き延びている?
この見覚えのある廃墟は何だ?
他のみんなはどうなった?
魔物を避けつつ、見知ったものを探して町を巡ったが、生存者はおろか死者も見つからなかった。
風化は進んでいるが、自分たちが生活していた町であることは間違いないのに、何ひとつ痕跡を見つけられない。
一縷の望みを託して、命からがら訪れた研究所にあったのは、いまだ魔力――いや、魔素を垂れ流し続けている種子と呼ばれたものの欠片。
様々な葛藤の渦巻く中、私は意を決してそれに手を伸ばした。
随分と小さくなり、暴走も止まってはいるが、危険なものには違いない。
厳重に封印した上で、余剰魔力を消費させるために、亜空間構築技術を応用した迷宮を創造した。
自分の想像を遥かに超えた規模の迷宮が出来上がったことや、これほど簡単に種子と呼ばれる欠片の力を利用できたことに驚きを感じたのは確かだが、もしかすると、自分と同じように呑み込まれた人を取り戻すかもできるかもしれないという希望の前には些細なことだった。
その希望と、自責の念から逃れるために、種子の研究に没頭する日々が始まった。
足りない時間は、自身を不死の身体にすることと、人手は小妖精を使役することで賄った。
だが研究は早々に暗礁に乗り上げた。
種子の力が使えるといっても、それは種子からすればほんの一部でしかなく、それは相変わらず直接接触した物を呑み込んでいく危険なものだ。
肝心の種子が呑み込んだ物がどうなったかの観測は不可能であり、時折呑み込まれた物が吐き出されることはあったが、こちらから取り出す方法は分からない。
それよりも、種子は徐々に崩壊しているようで、どれだけ時間が残されているのかも分からない。
成果が出ないままに数十年が経過した頃から、迷宮内に冒険者が足を踏み入れるようになった。
彼らに研究を邪魔されるわけにはいかないが、知恵と力のある者に協力してもらいたい気持ちもあったし、異形の身となった今でも、王国の繁栄を願っているのもまた事実。
研究の傍ら、迷宮の階層を増やし、時には有望な者を手助けしたり、冒険者たちが力を養うに相応しい環境も整えた。
それは冒険者を通じて、迷宮の外のことを知ることにも繋がった。
現在の廃墟の周辺は、巨大な湖になっていた。
私の知る当時の町の周辺は、高い山々に囲まれており、他に町も村もない陸の孤島だったのにだ。
さらに、町が消失した事故――公式には召喚術の暴走による天変地異から、五百年以上の月日が経過していたことも判明した。
他にも、その時代時代での情報を得ながら――特に、ここと同様の、召喚術での事故の情報を探りながら、更に数百年が経過した。
一方で、種子の崩壊に伴って、現世に吐き出される当時の資料や遺物などによって、多少の事実が判明した。
種子の中では時間の経過がなく、呑み込んだ物はそのままの状態で保存されている可能性が高い――いや、理屈は分からないが、今までの観測結果がそうであると証明している。
そうあってほしいという願望かもしれないがね。
とにかく、町が廃墟と化し、風化が進んでいるのも、私より先に現世に復帰したからであろう。
であれば――という希望は、あっさり打ち砕かれた。
ごくまれにではあるが、種子から人間や動物が吐き出されるようになった。
ただし、全て死体として。
自分だけが生きた状態で吐き出されたことがイレギュラーなのか、それとも他に理由があるのか。
そこを調べるにも手掛かりは何もなく、それ以上に差し迫った問題も発生していた。
迷宮を訪れる冒険者の数が増えてきた。
種子の力を使えば、階層や魔物の生成や召喚などはほぼ無尽蔵に可能なのだが、自分の――グレゴリーのレベルを大きく超えるような魔物は召喚できないのだ。
その頃には、勇者が腕試しに挑戦することもあった。
このままでは、いずれ勇者などの超常の存在には突破されてしまうだろう。
叶うことならば、突破してくる者は、真に国を憂う者であってほしい。
力に溺れた勇者など論外である。
自らを魔王と名乗る少女に出会ったのはそんな時だった。