11 鬼の目にも涙
朔との探査で判明している事実として、この迷宮には、重要人物が少なくとももうひとりいる。
その人――人か? とにかく、その存在は、私と魔王の戦いをモニターしながら、必死に拡張した迷宮に仕掛けを施している。
自慢できることではないけれど、覗き見できるのが自分だけだと思わないでほしい。
恐らく、魔王の目的は単なる時間稼ぎだ。
魔王ともうひとりとの関係までは分からないけれど、その存在が侵入者と会いたくないことだけは分かる。
そして、私の目的は魔王をどうこうするのではなく、その存在との接触である。
なので、ここで魔王を殺してしまうと、それがさらに頑なになる可能性もある。
彼か彼女かは分からないけれど、それにとって魔王が必要な存在であることを願って、魔王を人質にして乗り込もうと思う。
何にしても、まずは魔王を無力化しなければ始まらない。
いまだに反抗的な目を向ける魔王に、領域を巻きつけるように展開すると、それと入れ替える形で鎖を顕現させて拘束する。
「な、何!?」
「捕まえた」
見れば分かることを口にしてしまった。
とにかく、大雑把に鎖を巻かれて、手足を自由に動かせなくなった魔王を床に転がす。
『素直に答える気になった?』
「何を寝惚けたことを! この程度のことで妾が――き、切れないっ!? えっ、何で!?」
魔王が鎖を引き千切ろうと力を込めたようだけれど、力んだせいか、少々顔が赤くなっただけだった。
魔王の莫迦力でも切れない鎖は、劣化というか、「鎖」という性質に影響されてはいるけれど、一応は私の領域である。
腕力で壊れるようなものではない。
それでも、本当の領域と比べると玩具みたいなものだけれど、その分、いい具合に加減が効いているのだろう。侵食具合がとても弱くて、普段使いにはいい感じ。
大鎌は使いづらいけれど、鎖の方はそれなりに便利な代物かもしれない。
それに、活性化させれば侵食することもできるだろう。
ただ、活性化させると、私としての性質が強くなって各種感覚が伝わってくるだろうし、感覚が無くても私の一部であることは間違いないので、虫やグロなどには使えなくなってしまう。
というか、対峙する時点で無理なので、それは今更か。
「くっ――まだ! ――《時よ》《止まれ》! 《時間停止》! え、エラー!?」
魔王が無駄な抵抗を試みる。
何とも不思議な感じのするこの魔法は、アルが使っていたものと同じものだろう。
というか、詠唱――短縮はしているのかもしれないけれど、この魔法に関しては完全に《無詠唱》で使えるらしいアル以下か。
とりあえず、おいたした魔王の前腕部を、血が出ないように細心の注意をもって握り潰す。
「――――ああぁっ!?」
『時間を止められるなんて本気で思ってるの? 君程度の魔力で?』
「――ぐっ、この程度で勝ったと思うな――妾は不死! この程度の傷など――ぎゃああぁっ!」
魔王の言うとおり――まだ言っていないけれど、潰した腕が見る見るうちに再生していくので、再び潰してみた。
『不死っていっても痛みはあるみたいだね』
「ぐぅ――痛みでは死なぬ! ――貴様が疲れて何もできなくなった時こそ妾の勝利ぎゃあああ!」
『じゃ、時間ももったいないし、どんどんいくね』
「喋りたくなったら右手を上げてくださーい」
「ぎゃああーーーー!」
◇◇◇
――第三者視点――
「何これ酷い」
目の前で突然始まった公開拷問に、アルフォンスがぼそりと漏らす。
彼の関係者たちも、声に出さないが気持ちは同じだった。
ただし、アイリスとミーティアは「始まったか」と魔王を憐み、リリーはユノの雄姿に目を輝かせている。
もっとも、そんなことができるなら最初からやれば良かったのではとか、先ほどまでの戦いには何か意味があったのかという点においては、全員の感想が一致していた。
「右手上げろって、鎖で巻かれてるのにどうやって? 上げさせるつもりないよね? 鉄板ネタかもしれないけど、その前に鉄板越しに殴ってたよね?」
アルフォンスは言葉を失ってしまった仲間たちを和ませようと、とりあえずツッコんでみた。
「あの魔王、《時間停止》を使おうとしてたよな?」
しかし、返ってきたのは真面目な疑問だった。
「ああ、ユノには《時間停止》は効かない。俺の時も効かなかった。変なエラーが出て管理者に報告しろって言われたわ」
「「「管理者って誰!?」」」
アルフォンスの、本気とも冗談とも取れない言葉に、さすがに仲間たちもツッコミを入れざるを得なかった。
《時間停止》魔法は、その名のとおり、時間を止める効果を持つ禁呪のひとつである。
《時間停止》を発動すると、術者は止まった時間の中で、僅かな時間ではあるが行動が可能になる。そして、同種の能力か耐性を持っていなければ防ぐことなどできない。
《時間停止》の範囲や時間は――時間の停止した世界にそれらの概念があるのは矛盾しているが、
当該魔法においては術者の能力によってそれらが決定し、その範囲内において、当該魔法に適性や耐性が無い者は一切の抵抗ができない。
そして、《時間停止》が終了すると、その結果だけを受けることになる。
《時間停止》の使い手であるアルフォンスがその発動を察知できるのは当然のことだが、その危険性を知るアルフォンスは、仲間たちにも可能な限り、《時間停止》に対する耐性を獲得させていた。
とはいえ、その獲得は容易ではなく、そして、耐性だけでは術者ほど時間の停止した世界で十全に動けるわけではない。
それでも、無抵抗でやられるわけではないというだけでも価値がある。
「ユノには魔法――というか、常識が通用せんからのう」
ミーティアも、古竜という存在の特性上、《時間停止》は使えなくても、時間の停止した世界での活動が可能である。
しかし、彼女は時間が停止するという現象には懐疑的であり、ユノが《時間停止》を破ったことがその証明ではないかと考えた――が、そのことは今考えるべきことではないと頭から追い出した。
「あれがユノちゃんの本気?」
「まだです」
「あれでまだ本気じゃないの!? もう既に虫を甚振る子供を見ているような感じなんだけど……?」
翅をもがれた羽虫のように床に転がされた魔王に、表情ひとつ変えず、執拗に手足のみを破壊し続けるユノの姿は、テッドの言うように、命の意味を知らない子供が、昆虫を相手に残酷な遊びをしているようでもあった。
室内には、魔王の肉が潰れて骨が砕ける音と、魔王の悲鳴だけが響き渡る。
「ユノが怖い……。何であそこまで無表情に拷問できるの……」
「魔王を哀れに思う日が来るとは思わなかったわ……」
「彼女が本気を出したら一体どうなってしまうのだ……」
「死より恐ろしいこと……」
「神前試合、ちょっとまずくないか……?」
「ねえ、アル」
「ふぁいっ!?」
アルフォンスたちがユノの所業に恐怖を覚えていた正にその時、ユノからアルフォンスに声がかけられ、アルフォンスの心臓がトゥクンと大きな音を立てた。
魔王の悲鳴の中であっても存在感を失わない、透き通った美しい、何の感情も籠っていない声。
吊り橋などという生易しいものではない効果に、アルフォンスの正気が大きく揺さぶられる。
「先に帰っていて」
続けてユノの口から出た言葉は、アルフォンスには彼を拒絶するようなものに聞こえた。
何か怒らせるようなことをしただろうかと、アルフォンスの心臓が早鐘を打ち、口の中がカラカラに乾く。
「ユノは本気を出すつもりなんですよ」
「こんなに近くじゃ巻き込まれちゃいます」
「腐っても魔王、単純な苦痛では屈せぬ、ということじゃな。哀れじゃのう」
アイリスたちの言葉も上滑りし、しばらく内容を理解できなかったアルフォンスだが、彼を拒絶しているわけではないと理解できた瞬間に、61階のポータルへの《転移》を発動した。
アルフォンスの精神状態で、扱いの難しい《転移》が成功したのは、彼のレベルや適性を考慮しても幸運だったといえるだろう。
「うおっ、びっくりした」
「《転移》するならあらかじめ言ってほしかったわー」
「まあ、気持ちは理解できるが……」
「助かった」
緊張から解放されたアルフォンス組の面々が、崩れ落ちるように腰を下ろし、一斉に喋り始めた。
アルフォンスも緊張が解けると、今更ながらに、ひとこと言ってから帰るべきだったのではないかとか、ユノがどうするのか確認した方が良かったのではと、軽い後悔に襲われる。
しかし、それらも束の間のこと。
すさまじく悍ましい気配が下層から漂ってきて、彼らは再び緊張に包まれた。
こうなることを予測していたアイリスたちとは違い、気が抜けていたアルフォンスたちは、足元にあるはずの床が消失して、上下も前後も分からなくなったような極めて不快で不安な感覚に陥って、全身から嫌な汗が一気に噴き出した。
「これがユノの本気です」
「よ、よく平気な顔でいられますね?」
「平気、ではありませんが――以前一度経験していますので、心構えをしっかりしておけば何とか」
アイリスとリリーが経験したのは、いうまでもなくユノ――当時はユーリとミーティアが戦っていた時のことだ。
夜の闇よりも暗い花が咲いたと同時に、世界に溢れた悍ましい気配に、世界が悲鳴を上げているような錯覚すら覚えた。
なお、これはユーリが朔の気配の中和を怠ったことで起きた不幸な事故であり、彼の意図したものではない。
しかし、そんなことは彼ら以外には関係無い。
アイリスたちは、それを向けられているのがミーティアだと理解していてなお、恐怖を覚えずにはいられなかった。
それに耐えられたのは、ユーリに対する好意と信頼であり、それが無かった騎士や村人たちは、魂と精神がその事実を記憶することを拒否したくらいである。
それで、彼らは揃って「気がついた時には竜が倒れていた」と証言していたのだ。
冗談でも配慮でも何でもなく、本当に記憶に無いのだ。
「儂は殺されかけたからのう。いや、死ねれば幸せな方じゃったのじゃろうか。じゃが、まあ、今ではあれと対峙して生き残っておるのが自信になっておるがの」
ミーティアも顔色は悪かったが、それでも堂々と胸を張っていた。
アイリスとリリーも同様で、これが私たちのユノなんですと誇っているようでもあった。
「――あっ」
彼女たちの様子に若干の安堵と違和感を覚えたアルフォンスが、ひとつの事実に気がついた。
ユノの種族名。
莫迦げたステータス。
そして、装備品の名称など。
単にエラーのせいだと――エラーが起きること自体がおかしいのだが、そういうことだと思っていた。
しかし、もしも目にしたものが単なるエラーでなかったとすれば、いろいろなことに納得がいく。
「ユノはじゃ――人間じゃない?」
アルフォンスはうっかり邪神――と言いかけたが、寸前で言葉を濁すことに成功する。
アイリスたちはともかく、彼の妻たちや親友を不安にさせたくなかったのだ。
「そうかもしれませんね」
まともな答えが返ってくるとは思っていなかったアルフォンスだが、アイリスはその事実をあっさりと認めた。
正確には、アイリスたちは、それにユノ自身ですら、ユノが何なのかを知らない。
この世界――システムからは邪神と判定されているが、それが彼女たちのイメージにある邪神と同一の存在であるとは限らない。
それでも人間ではないことは確実である。
それも日本にいた時から。
そして、何よりも問題なのは、それを本人が自覚していないことである。
「神前試合、どうしよう……? ああ、でも神様に捧げるって意味では……生贄……! 笑えない!」
実は、アルフォンスは「神」――実際には、「神」と同質、若しくは同格の存在ではあったが、そういった存在と遭遇したことがある。
ただ、その時も敵としてではなかったものの、その存在感に圧倒された。
しかし、ユノの気配から受ける恐怖はその時の比ではない。
必ずしも気配イコール強さということではないが、それでもひとつの目安となるものである。
ユノの気配――実際には朔の気配は、魔王の《威圧》のような、他者を威嚇や拒絶する程度のものではない。
煮えたぎる混沌の中とでもいうような、ちっぽけな人間など一瞬で霧散してしまうであろうところで、生物としての、個としての本質を問われているかのような、全くスケールが違うものである。
その余波だけで、人間としては百戦錬磨のアルフォンスたちの
それを直接向けられている魔王の心中はいかなるものか。
神前試合では、普通の人間がこれを相手にすることになるのか。
公爵やその手下がどうなろうと構わなかったが、とばっちりで国が滅ぶようなことは勘弁してほしい。
もういっそ、滅んでしまってもいいのかもしれない。
正気度が危険域に達したアルフォンスの思考は、危険な方向へ向かっていた。
「アル!? どうしたんだ?」
「「「アル!?」」」
アルフォンスの不穏な笑みを見て、彼の親友や妻たちが心配になってその名を呼ぶ。
「ははは、何でもないよ」
「「「アル!?」」」
「アルが壊れた!」
妻たちや家臣が心配する中、アルフォンスは迂闊には洩らせない秘密に苦悩する日々を送ることになる。
◇◇◇
――ユノ視点――
「気絶した……」
痛みでは魔王を屈服させることはできないと判断して、魔王に効くのかどうかは分からないけれど、軽く脅してやるだけのつもりだった。
もちろん、朔の気配は有害なので、アイリスやアルたちに退避してもらうことも忘れない。
というか、既にドン引きしている雰囲気はしっかり伝わっていたので、これ以上を見られたくなかった。
ここからは多分18禁だと思うし。
そんな私の心情を察してか、アルは素早く《転移》でみんなを退避させてくれた。
女誑しなところは玉に瑕だけれど――いや、みんな本気ならむしろ賞賛すべきか?
とにかく、気配りができるとか、意思の強さや仕事が早いところはとても好ましい。
余計なことを訊いてこないところもグッドだ。
そんな感じで、恐怖に顔を引き攣らせている魔王にニッコリ微笑んでから、領域を纏って気配を解放した。
視覚的な効果も狙って、蓮の花に座する仏のような感じで、私の足元から可視化された花弁状の領域が発生して、それがゆっくりと動けない魔王に向かって這い寄る――やっぱり、動かすと怖いな。
そんな感じで気合を入れてみたものの、魔王はあっさり気絶していた。
それだけではなく、失禁までしていて。
そこまで怖かったのか。
「やりすぎちゃった。てへっ」
誰も見ていないので、可愛らしく誤魔化してみたけれど、当然どこからもフォローは入らない。
『もうひとりのところへ行くしかないね。とはいえ、これをこのままにしておくわけにもいかないかな』
「大事な人質だしね。アドン、サムソン、先行して罠と魔物の排除を」
「「御意」」
アドンとサムソンに指示を出して、半分人払い――人といっていいのかは別として、もう半分は彼らの本分である虫退治のために派遣した。
後者については特にいうことはないけれど、人払いした理由――魔王ともあろう人が、お漏らししたままというのは外聞が悪いのは考えるまでもないこと。
彼女の名誉のためにも、着替えさせるべきである。
決して疚しい気持ちはなく、もうひとりとの交渉時に、お漏らししたままの魔王を連れているのは心証が悪いと思ったからだ。
なので、男性であるっぽいアドンとサムソンには退場してもらったというわけだ。
まずは、洗濯も兼ねて、全てを水で洗い流す。
心情的にはこれでオーケーということにしておきたいのだけれど、やるなら最後まできっちりやるべきだろう。
そして、着替えさせるのと、振り回して脱水するのとどちらがまともかとなると、当然前者である。
着物の脱がせ方は分からないけれど、だからといって朔に取り込めば、この痴女装束が私が着る用に複製されるかもしれない。
魔王とペアルックは御免被るので、とりあえず鎖を解いて帯に手をかける――と、意識を取り戻した魔王と目が合った。
「きゃああーーー!?」
絹を裂くような悲鳴が魔王の口から発せられて、思わず手を放してしまう。
「あ、あ、あんた、私に一体何を――」
口調が変わっている。
というか、こっちが素か?
「落ち着け、お漏らし魔王」
後退る魔王の足を掴んで、おむつを替えるような格好で持ち上げる。何度か妹のおむつを替えたこともあったせいか、自分でも驚くほど手際が良かった。
もちろん、こんな年齢の女性のパンツを替えたことなどないけれど、やり方は変わらないだろう。
そして、どれだけ暴れようと、領域を――私自身をアンカーとして世界に固定しているので、どんな莫迦力でも振り解くことはできない。
振り解きたいなら、世界を破壊できるくらいでないとね。
「いやあーー!? 止めて! 私に乱暴する気!?」
乱暴どころか散々拷問した後なのだけれど?
いや、この場合の乱暴は性的な意味か。
そんなことするわけない。
初めてのときは、もっとムードとか大事にして、ロマンチックな感じがいい。
というか、気がついたのなら、自分で着替えさせればいいのではないだろうか。
◇◇◇
「うっうっう〜〜〜」
しばらくして、自分でパンツを履き替えた魔王が、人目も憚らず泣いていた。
履き替えた途端に、登場時と同じように黒い霧になって逃げようとしたけれど、領域で引っ掴んで抑え込むと「どこ触ってんのよ、変態!」とか「犯されるー!」などと暴言を吐かれた。
仕方がないので再び鎖で拘束しようとすると、半狂乱になって抵抗された。
トラウマになったっぽい。
その後、「もう逃げないから」と泣いて懇願するのでとりあえず開放すると、誰にかは分からないけれど「ごめんなさい、ごめんなさい」と、体育座りで泣きながら謝っていた。
『いつまでも泣いてないで、行くよ?』
「――いや」
「……」
この期に及んで抵抗するとは、根性があって大変よろしい。
ニッコリ微笑んで再び朔の気配を放つと、魔王は四つん這いのまま逃げ出そうとする――けれども、腰が抜けて上手く逃げられないようだ。
這い寄る領域、絶望する魔王。
そして、追い詰められた魔王は、再び意識を失ってしまう。
そんなに怖いか?
いや、怖いか。
そういえば私も最初は超怖かった。
それに、朔は今でも何を考えているのか分からなくて怖いときがある。
まあ、その対処にも慣れたけれど。
慣れって恐ろしいね。