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05 ボーイミーツ

誤字脱字等修正。

「気持ち悪っ!」

 思わず素直な感想を口走ってしまった。

 基本的に俺は余計なトラブルを起こさないように、無闇に敵を作らないようにと、可能な限り丁寧な言葉遣いや姿勢、態度を取るように心がけていたのに。


 もちろん、俺の頭のレベルでは、言葉遣いを始めとして間違いは多々あるだろう。

 うっかりからの失言も多い。


 それでも、妹たちが大きくなって余裕ができてからは、少しずつではあるけれど勉強をしているし、少なくとも汚い言葉は使わないように意識をしている。



 そんな俺の方針に従うと、「気持ち悪い」などというセリフは、初対面の相手に向けて言うものではない。

 それでも、俺の影が俺の動きとは無関係に――軟体動物のように動いているのだから、そう思っても仕方がないだろう。

 ウネウネニョロニョロしているものは苦手なのだ。


 それに、この声の持ち主は、気配はかなりマイルドになってはいるものの、闇の中で遭遇したナニかだと直感が告げている。

 それが俺の暴言に気分を害したような感じがないのは助かったのだけれど、こんなところで何をやっているのか――というか、話せたのか?

 無駄にフレンドリーな口調もあいまって、どう対応すればいいのか分からない。


『さっきは怖がらせてゴメンね。ずっとユーリに興味があったんだけど、いざ会ってみたら意思疎通の手段が無くて困っちゃって』


 警戒している俺を尻目に、俺の影はなおも続ける。

 迂闊な言動は避けたほうがよさそうだけれど、最初に遭遇した時ほど妙な圧力は感じない。

 これまでの理不尽で多少なりとも耐性ができているのだろうか。


 さておき、久々の会話ができそうな相手でもある。

 意思の疎通ができるなら今までの理不尽よりマシな気がするので、会話に乗ってみることにしよう。

 自分の影と対話をするとか、俺もかなり追い詰められているけれど、このわけの分からない状況に差し込んだ一筋の光明に思えたのだ。



『どうしたの? そんなに警戒しなくても大丈夫だよ? あ、ユーリで合ってるよね?』

 おっと、黙っていると気を悪くしそう――若しくは延々と喋り続けそうだ。


「はい、ユーリで合っています。貴方は?」

 見えない相手なので、全てが手探り状態だ。

 顔色を窺うことすらできない相手だけれど、そんなことは俺には関係無い。

 自慢げに言うことではないけれど、顔色が見えていても交渉は苦手だからだ。


 何にせよ、聞きたいことはいろいろある。

 慎重かつ大胆に、ひとつずついくしかない。


『初めまして、でいいかな、ユーリ。あ、ボクに名前はないから適当に呼んで』

 話している相手が自分の影であることを除けば、常識的な会話の範疇な気がする。


 また、影からは悪意や敵意は感じない――というか、殺気とかそういうのって分かるようになるものなのだろうか?

 間合い操作には自信のある俺でも、そっち方面は全然分からない。

 あからさまに態度に出ていれば分かるかもしれないけれど、詐欺師はそれを隠せるからこそ詐欺師なのだと思う。

 殺意を隠せない暗殺者とか、ただの危ない人だろうし。


 さておき、気配とは、ベテランのとか天才的な勘――経験から導き出される結論と同じようなものだろうか?

 だとすれば、俺の勘ほど当てにならないものはない。


「初めまして。それで、そんなところで何をやっているの?」

 名前が無いと呼ぶのに不便だけれど、下手な名前を付けたりして不興を買うのは危険だ。

 ネーミングセンスに自信があるわけでもないし、何より自分の影に名前をつけるとか、俺の頭が危険だと思われる――というか、それは影と会話している時点でアウトかもしれない。

 とにかく、今すぐ必要なこと以外は全てスルーだ。


『ここにいる理由はよく分からない。推測ならできるけど、証明できないから意味が無いかな』

 おお、子供っぽい声の割には頭が良さそうだ。少し驚いてしまった。


 もちろん、彼――声からすると彼女だろうか、変声前の男の子という線も? まあ、どちらでもいいのだけれど、はぐらかしている可能性もある。

 どのみち、俺にそれを見破る手段はないけれどね。


『何をやっているか……。ユーリと話してる――少し前までは、話したかった? その後のことまでは考えてなかったかな』

 思いのほか察しが良くて助かるけれど、これも本当のこととは限らない。


 しかし、俺と話したかったということは、以前から俺のことを知っていたのか? どこで、どうやって?


『最初に会った時はどうしようもなくて――他に方法が思いつかなかったから、少しユーリを分けてもらって、今はようやく馴染んできたところなんだけど』


 俺と話してどうするのかとか、最終的な目的は何なのかも気になるけれど、それ以上に流してはいけない言葉が混じっていた気がする。


『こうしてユーリの影として活動できるようになって、それからずっと呼びかけてたの』

「ちょっと待って。『俺を分けてもらった』ってどういう意味?」

 俺を分けた? そんな日本語は存在しないと思う。

 普通に考えて、「俺が何かを分けた」なのか? そんな許可は出していない――出したつもりはないので、それは奪ったというのではないだろうか?

 それも意味が分からないけれど。


『言葉どおりの意味だよ。ユーリの存在を少し貰ったの。知識とか記憶とか他にもいろいろ』

 まさかの合わせ技!?


 常識的に考えれば、そんなことができるはずがない。

 しかし、今の状況が常識とはかけ離れている――常識がどこにも見当たらないため、簡単に嘘だと切り捨てることもできない。


『貰いっ放しだと、ユーリがユーリでなくなっちゃいそうだったから、貰った分の代わりにボクをユーリに混ぜて崩壊を防いだから大丈夫だよ』

 俺が俺でなくなる?

 俺の代わり?

 崩壊!?


 更に理解できない。


 とにかく、とても大変なことを聞かされている気がする。

 なのに、声色にまるで悪気とか邪気を感じない。


「あー…、分けた俺って返してもらえるのかな?」


 あまりに荒唐無稽な話に、既に脳は思考を拒否し始めている。

 今までいろいろなトラブルに遭遇してきたけれど、これは俺が処理できるレベルを遥かに超えている。


『複雑に混じっちゃったから無理。でも、ユーリの本質は何も変わっていないはずだよ? ――もしかして駄目だった? せっかくこうして話ができてるのに……』


 あれ? 何か落ち込んでいる?

 俺が悪いの?


「まあ、済んでしまったことは仕方がないけれど、いくつか訊きたいことがあるんだ」

 仕方ないと言っていいのか、そもそも何をどうすればいいのか全く分からないけれど、影の人が言うとおり、俺の本質――俺が俺であることは変わっていないように思う。

 そう思うように変えられている可能性もあるけれど、なぜか俺は俺のままだという自信がある。

 だからきっと大丈夫。


 とはいえ、全てを仕方ないで済ませたくはないので、せめて訊けることは訊いておこうと思う。


◇◇◇


 その後、しばらく影の中の人と会話をした。

 彼は俺の質問に対して、彼の分かる範囲で真摯に答えてくれたように思う。

 どこまで信用していいのかは分からないけれど、分からないことは分からない、推測は推測として、不都合なことでもありのままに語ってくれたので、嘘を言っているようには感じなかった。


 何より、彼は俺と比べてかなり論理的な思考をするようで、俺のレベルに合わせて話そうという姿勢からは、まずは俺の信頼を得ようとする意図が伝わってきた。


 というか、彼の人格は俺から奪った知識や記憶から形成されたものらしいのだけれど、同じ知識を持っていながらも、それを活用する能力は彼の方が遙かに高いようだ。

 それを彼は、「肉体に縛られてないからじゃないかな?」と考察していたけれど、俺が肉体を失ったからといって同じことができるようになるとは思えない。



 さておき、まず最初に、彼が何者なのかは、彼にも分からないらしい。

 そう言われてしまうと俺にはどうすることもできない。

 哲学的な話になっても困るし。


 彼が俺に興味を持ったのは、彼が世界に干渉するために必要な存在が俺だとか、彼自身の在るべき場所がそこなのだと思ったからだそうだ。

 なぜそう思ったかについては不明。

 ただ、直感的というか本能的にそう感じたそうだ。

 それでずっと――俺が小さい頃から観察していたら、何のはずみか分からないけれど、昨日の俺が橋から飛び降りたあのタイミングで、偶然にも接触できてしまった。


 せっかくのチャンスなので、俺と意思の疎通を試みたものの、その手段が無いのでどうにもならずに困っていたところに、外部からの干渉を察知した。

 彼は、その力には悪意めいたものを感じていて、放置すると俺を攫われてしまいそうだったので、保護しようと試みた――と同時に、ついでにほんの少しずつ俺の知識や記憶など――存在を奪った。

 そして、俺から奪った分を補填するように彼を混ぜたということらしい。


 よく分からないけれど、とりあえずはそういうものだと受け容れる。


 なお、俺の見た目が若返ってるのは、存在を貰った時にちょっとした手違いがあったのかもしれない――ということらしい。


『可愛いから大丈夫だよ!』

 彼としては慰めようと思ったのかもしれないけれど、その励ましは俺の心を抉る。



 そして、どうやっても脱げないスーツは、俺に分けた彼の余剰分で、「俺からも彼からもある程度独立した影」という表現が近いらしい。

 影か。

 なるほど、道理で濡れたり汚れたりしないわけだ。


 しかし、そうすると今の俺は素っ裸で、影で隠しているだけの状態なのだろうか?

 強い光を浴びると消えてしまうのか――と心配したものの、フラッシュを焚いても写真には普通に服も映るし、ポロリもしないそうなので、直接触られなければバレないようだ。

 また、彼の側からはある程度の制御はできそうだ――ということなので、今後に期待したい。



 肝心の「ここはどこか?」という問題は、彼にも分からないらしい。

 現状は彼がどうこうした結果ではなく、あの時に外部から受けた干渉が原因ではないかと言っていた。


 もちろん、帰る方法も分からない。


 期待外れではあるけれど、彼を責めるのは筋違いだ。


 少なくともここにある動植物が、日本に存在する物とは微妙に、若しくは大幅に違うことを断言してくれたのだ。

 元になっているのが俺の知識なので、断定するのは早計な気もするものの、ここは日本ではない――日本の常識は通用しないと思って行動するべきだということは分かった。



 最後に、これからのことについて訊いてみた。


『うーん……。とりあえずは、ユーリと一緒にいろいろと見て回りたいかな』


 あんなに恐ろしかったモノの口から出るとは思えない、無欲な希望だった。

 脳は活動を完全に拒否しているので、嘘か本当かを確かめることはできない。

 もちろん、活動していれば見抜けるかは別の話だ。


 ただ、あからさまに害のある要求でなければ拒否はしないつもりだったし、彼が本気で俺をどうこうしようと思えば抵抗しても無駄だったように思う。


 離れられないのであれば、仲良く――とはいかないまでも、共存を目指した方がいい。


「俺は家に帰りたいのだけれど」

 それでも、俺は俺の目的を曲げるつもりはない。


『そのついででいいよ』

 物分かりが良くて大変結構だ。


「そっか。じゃあ、帰るのに協力してくれるかな?」

 と言ったものの、あまり期待はしていない。

 少なくとも、邪魔をされなければ充分だ。


『うん!』

 元気のいい返事に、満面の笑みが見えたような気がした。

 俺はこう見えても子供好きなので、子供のように邪気がないのはやりづらい。

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