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04 問題

誤字脱字修正。

 火を熾すのは一旦保留することにした。


 落ち込んでなどいない。

 心の炎はガンガンに燃えているので大丈夫だ。


「フンフンフーン」

『………』


 気分が沈まないように無理矢理な鼻歌を歌いながら、解体に取りかかる。

 音楽には――音楽にも詳しくないので、何の歌かは分からないけれど、父さんが好きでよく聴いていたクラシックや、妹たちが見ていたアニメの主題歌が耳に残っているので、そのどちらかだろう。



 もちろん、分からないのは音楽だけではなく、怪物の解体方法なんてものも含まれる。


 とはいえ、後者は普通に生活していれば知っているはずがない知識だ。


 それでも手を動かしていないと、自分がトカゲやイヌ以下の存在なのだと突きつけられているような気がして気が滅入ってくる。


 自棄を起こしても何も解決しない。

 困難から逃げても、新たな困難に突き当たった上に、逃げたはずの問題にも追いつかれるだけなので、結局のところひとつひとつ解決していくしかないのだ。



 そして、またもや問題が発生する。

 問題発生のペースが早すぎる。


 イヌの解体に、河原にあった、比較的鋭く尖った石をナイフの代わりに使ってみたのだけれど、切っ先がイヌに沈み込んだ瞬間に、手の中の石が形を失って粉々になって崩れ落ちた。


 確かに、石くらいなら壊そうと思えば簡単に壊せる。

 しかし、欠けたとか割れたのであればまだ分かるのだけれど、粉々になるほど力は入れていない――いなかったはずだ。

 念のため、何度か違う種の石でも試してみたものの、全て同じ結果に終わった。


 ものは試しと、今度は適当な石を投擲してみると、木にしっかりと刺さった。


 解せぬ。


 そして、その石を回収しようと力をかけると、今度はそれだけで崩れ落ちた。


 これは何かの嫌がらせか、若しくは俺に問題があるのだろうか?


 そう考えて、手近な石を叩いてみたのだけれど、割れはしたものの粉々に砕けるようなことはなかった。

 やはり力加減を間違えているわけではなさそうだし、割れ方もこれが普通だ。



 何だか分からないけれど、こんなことでいつまでも躓いているわけにもいかない。

 気は進まないけれど、手刀で切ることにする。

 万一にも感触があると嫌なので、いつもより多めに気合を入れて、胸の辺りに切り込みを入れる。


 どこの名刀かと思うほどスパッと切れた。

 もちろん、名刀なんて持ったことはない。

 ただの勝手なイメージだ。


 とにかく、肉の抵抗を感じないほど滑らかに切れるのは非常に助かる。

 しかし、血抜きが足りなかったのか、手が血でべっとり汚れた。

 それに、さすがに切り分けた肉を掴むと、ネチャネチャとした肉特有の感覚だけはしっかり伝わってくる。


 というか、俺の手はスベスベなので、水くらいなら超が付くほど弾くのだけれど、血とはいえこうもこびりつくとか、このイヌはちょっと不健康なのではないだろうか。


 もう食欲なんて――最初から食欲なんてなかったけれど、今更止めるわけにはいかない。

 ただ、これ以上視覚的にも触覚的にもグロいのは御免なので、今回口にする分だけ切り出して、それ以上の解体は諦めた。


◇◇◇


 肉汁――いや、血液が滴る新鮮なお肉。


 高級なお店で出された物なら喜びそうなものだけれど、原材料がすぐそこにあって、捌いた時の光景や感触が残っているので、手の中にあるコレはブロック肉というよりブロックしたいグロテスクな物体だ。


 本音を言うと、こんな食事はしたくない。

 それでも、こんなわけの分からないところに救助が来ると思うほどお気楽ではない。

 というか、俺が一時間以上も走って抜けられない森が日本にあるはずがない――と思う。


 余力のあるうちに、いろいろと試しておくべきだと思った。

 お腹を壊したこともないので分からないけれど、壊したら壊したで初めての排泄を経験するチャンスと割り切るのもいい。

 どのみち、気合があれば大抵のことは大丈夫。


 目的をはっきりと意識しよう。

 できるだけ早く家に帰って、妹たちを一刻も早く安心させる。

 両親に続いて、俺まで失踪するわけにはいかない。


 そう思えばどんなことでも乗り越えられる――と覚悟を決めて、モザイクが必要な塊に齧りつく。


「つらい……」

 誰にも感想は求められていないけれど、あまりのつらさについ愚痴が漏れてしまう。


 当然というか、調味料無しの生肉は、筋張っていて血生臭くて、とにかくとてもつらかった。

 美味い不味いを論じるレベルではなく、つらいのだ。

 それを気合で無理矢理胃の中に押し込みながら、妹の作ってくれた美味しい料理を思い出す。


 こんなことなら、俺も料理も覚えておけばよかった――といっても、俺が料理をしようとすると、「男子厨房に入らず」と言われて追い出されるのだけれど。

 それでも、今の時代は料理のできる男は珍しくもないし、次にこんな状況になったときに困らないように覚えておくべきだと思った。


 それ以前に、こんな状況にならないようにするべきだけれど。



 しかし、問題はこれだけでは済まなかった。


 美味しくない苦行をどうにか済ませた頃には、かなり日も傾いていた。


 本格的に暗くなる前に、水浴びでもしようと思ったのが新たな問題の始まりだった。


◇◇◇


 ジャケットを脱いで、ネクタイを外す。

 その辺りの木をハンガー代わりにしようかとも思ったけれど、手頃な木が近くになかったので、綺麗に畳んで綺麗な石の上に置く。


 ここまではよかった。


 シャツを脱ごうとボタンを上から外して、いざ脱ごうとする――のだけれど、なぜか脱ぐことができない。

 肌蹴たり、捲ったりはできるものの、脱ごうとすると最後の最後で引っ掛かって、まるで自分の身体を引っ張っているような抵抗を受ける。

 イラッときたので、シャツを引き千切ろうとしてみても駄目だった。


 本気で気合を入れても駄目だった。


 いつもなら分厚い鉄板でも引き千切れるのに、今日に限って薄いシャツが引き千切れない。

 こんなに強度のあるシャツは初めてだ。

 ならばズボンだと脱ぎ始めたものの、これまた片方の足首までしか脱げず、どうしても身体から離すことができなかった。


 理解不能だ。


 その時、シャツやジャケットが、返り血どころか全く汚れていないことに気がついた。


 俺の肌ならスベスベなので、水や返り血を弾くのも分かるのだけれど、それと同レベルのシャツというのは考えにくい。

 こんなことがあり得るのか――と疑っても事実は変わらない。


 試しに袖口を川の水に浸してみたところ、シャツが濡れることがなかった。

 ただし、俺の肌のように防水とか撥水しているということではなく、水がシャツを透過しているような感じだ。


 やはり理解不能。



 その後、いろいろと試してみた。


 結果、シャツは水だけでなく木や石などの固体も透過して、シャツだけでなくジャケットや靴までもが同じ素材でできていることが分かった。



 今のところ、俺の服は、俺にしか触れることができないらしい。

 やったね、真のオーダーメイドだよ! とはならないよなあ……。


 結局、服の総重量の半分くらいまでは脱ぐことはできるものの、それ以上はどう頑張っても脱げないし、

一定以上離れることができない――脱いだ服が俺を追跡してくることは分かった。

 ちょっとしたホラーだった。


 なのに、脱いだ衣服が地面を透過してしまうようなことはなく、地面に落ちた影のような感じで地表に引っ掛かって止まっている。


 何が何だか分からない。


 しかし、これは身体を洗うのに服を脱ぐ必要が無いとか、靴を履いたまま走っても損耗することがないということだろうか?


 分からないことは後回し――にしてばかりで山積みになっているけれど、考えても分からないものは分からないのだから仕方がない。


◇◇◇


『………』

 入水自殺にも見えそうな行水を終えた頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。

 肉体的な疲れは全く無いけれど、今日は精神的な消耗が酷いような気がする――気がするだけだけれど。

 俺はこの程度で折れたりはしない。


 今日一日、次から次へと脈絡もないトラブルに見舞われて、まるで悪い夢でも見ているようだった。

 こんな性質の悪い夢はさっさと覚めて欲しいものだけれど、これが夢でないことは、俺が夢を見たことがないことからも明らかだ。


 というか、これが夢だとしたら、俺は相当病んでいることになるのではないだろうか。



 さすがにもう考えるのも億劫になっていた。

 疲れは無くても、面倒になることはある。


『………』

 ひとまず何も考えずに、気分を一度リセットしたい。

 そのまま空を見上げると、青みがかった――見事に青い月が昇っていた。

 月ってあんな色だったか?


『………!』

 そういえば、ここに来る前に闇の中で遭遇したあれは何だったのだろう?

 あれこそ夢だったのだろうか?

 初夢だ! やったね! ――とはならないなあ。


『……リ!』

 死を意識したのは初めての経験だった。

 俺の力を見せた人には、よく化け物扱いされたものだけれど、実際、軍隊でも相手にしない限りは殺されることなんてないと思っていた。

 しかし、あれには物理的な力なんて無意味――あれこそ本当の化け物なのだと直感で理解した。


『……リ!』

「うるさいな!?」

 どこからともなく聞こえる声に思考を中断させられて、思わず大きな声を出してしまった。


 え、あれ? 人? などと意識した途端にその声はクリアなものになって、けたたましく捲し立て始めた。

『ユーリ! よかった、やっと通じた! ずっと話がしたかったんだ! 嬉しいなあ! でも、少し前からずっと呼びかけてたんだよ? 気づくの遅いよ?』


 少し前から監視されていた!? ――全く気がつかなかった。

 しかし、気づいた今でも、幼い感じの高い声は聞こえるものの、その声の主がどこにいるのかが分からない。

 普通以上に夜目も効く俺なら、いくら街灯も無い闇の中であっても、声の届く距離で見落とすことなどあり得ないのに。


『後ろだよ。ここだよー』

 後ろだ――なんて漫画のようなことをやられたのは初めてだったので、警戒して飛び退るように振り返ったけれど、そこには誰もいない。

 こんなに手玉に取られたのは初めて――いや、戦闘以外では結構あった気がする。


『下。足元』

 声に従って目線を下げていくと、何も見つけられないまま地面まで辿り着いた。


 ただ、そこでは月明かりでできた俺の影が、ウネウネと蠢いていた。

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