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21 英雄

誤字脱字等修正。

 その日は朝から宿の様子がおかしかった。


 予約もなく新しいお客さんが来たらしく、仲居さんや女将さんが慌ただしく走り回っていて、宿中が上を下への大騒ぎになっていた。



 それもそのはずで、そのお客さんというのが、十年ほど前に起きた、ロメリア王国の西に国境を接する【ブルム王国】を軸とする西方諸国連合との戦争を、圧倒的な数的不利をものともせず、短期間で勝利に導いた救国の英雄様だったのだから。


 その名を【アルフォンス・B・グレイ】という。


 さきの戦争で戦死した父と兄の跡を継いで、若くして当主となった彼は、その人間離れした戦闘能力と、未来を見通しているかのような慧眼で、領地の発展に大いに貢献している。


 そもそもの戦争の理由のひとつが、彼の領地の非常識なまでの発展にあったのだけれど、戦争に勝利して名誉も手に入れ、更に領地や勢力を伸ばした彼に、正面から歯向かえる人はもういない。


 さらに、彼の名は外国にも轟いているばかりか、抑止力として機能しているらしい。

 当然、彼が所属する王国でも、彼の言動を軽視することはできない。



 まあ、状況を把握したのが、彼が宿に到着してからだったので、逃げることも準備することもできなかったのだけれど。


 なるほど。

 自信に満ち溢れた立ち居振舞いは、彼が噂だけの人物ではないことを証明するに充分な気がする。


 いや、適当に言った。


 私にはそんなことは分からない。


 ただ、道行く人とか、仲居さんたちが熱い視線を送っているので、彼がそうであることは間違いないのだろう。


 貴族の当主で、英雄で、イケメンとくれば、女性たちからキャーキャー言われないわけがないのは分かる。

 ちょっとうざいくらい。


 しかも何だ?

 お嫁さんなのか愛人さんなのかは知らないけれど、綺麗な女性を3人も連れていやがる。

 バナナの皮でも踏めばいいのに。


 その彼の目が、私たちの方を捉える――何だか目の色が違う気がする。

 まさか、私たちまで狙う気か!



「《鑑定》されとるぞ」


 耳元でミーティアが小声で囁く。

 やはり、システムに繋がっていない私には、《鑑定》を察知する能力は無いらしい。


 どこまで見られただろうか?

 見られるだけならともかく、現段階で《鑑定》までされてはスルーするわけにもいかないので、少し釘を刺しておく必要がある。


 ということで、浴衣の胸元を押さえて少し怯える振りをしたら、辺境伯が隣の女性に目潰しされて悶絶していた。


 え、大丈夫……?

 あ、回復魔法掛けたっぽい。


 しかし、彼はそのまま奥さんに耳を引っ張られて、どこかへ連れ去られていった。


 アイリスには大人しくしていろと言われていたけれど、まあ、これくらいは大丈夫だろう。



 いつかは私を調査するために来るとは聞いていたけれど、まさかの正面突破。

 しかも、女連れ――最初のうちは、バレないようにこっそりとされるものだと思っていたので、虚を突かれてしまった。


 これも作戦のうちなら見事というしかない。

 英雄の名は伊達ではないということか。



 とにかく、彼には私が危険な存在ではないと理解してもらわなければならないのだけれど、彼がクリスさんやミーティア以上の《鑑定》スキルを所持していて、私の50%が何かを知られてしまった場合を考えると、今はまだ《鑑定》は受けたくない。

 できれば、先に私の為人(ひととなり)見てからにしてほしい。

 きっと印象が変わるから!


 しかし、普通に考えれば、私の調査に来た彼が、私の都合に合わせてくれることはないだろう。


 恐らくは、私たちのことを近場から観察しつつ、そして隙を見てまた《鑑定》してくるだろう。

 私にそれを拒否することはできないので、どうにか方針を転換させたい。



『鑑定には「見る」という行為が必須。だったら――』


 普段着の露出度を上げてみた。


 というか、朔に強制されたともいえる。

 お腹とか脇とか丸見えだよ。


 しかし、効果は抜群だった。

 何しろ、奥さんたちが勝手にガードしてくれるのだ。


 私から彼を見ることはないので、私に苦情がくることはない。

 そして、自分の旦那さんが他の女性を鼻の下を伸ばして見ていて、いい気のする女性は稀だろう。


◇◇◇


 そうして、2日ほど無意味なやり取りが続いた。

 彼らは私が男であることは知っていると思うのだけれど、それでも奥さんのガードは完璧だ。


 《鑑定》を封じるという意味では狙いどおり。

 しかし、挨拶すらできないほど警戒されるのも困りものである。


 今では、多少隙を見せていても、彼は私に近づくことすらできず、彼の代わりに接触してくるような伏兵もいない。


 また、彼からすると、勇者一行が同じ宿にいるのもイレギュラーなのだろう。

 それぞれの機密を漏らさないように立ち回ろうとすると、どうしても慎重にならざるを得ないといったところか。


 とまあ、あちらの事情は理解できるけれど、アイリスの予定的にも時間を浪費するのは好ましくない。


◇◇◇


――第三者視点――

 アルフォンス・B・グレイは困っていた。


「竜を単独で撃破した男の、為人を見極めて来てほしい。これはお前にしか頼めないことだ」


 ロメリア王に直接そう頼まれてしまっては、彼には断ることなどできなかった。


 彼と王とは個人的に親しくしていたし、形式上はお願いであったが、王も彼にどうでもいいことをお願いしたりはしない。

 これは事実上の命令だった。


 それに、王の話を聞く限りでは、適任が彼しかいないことも理解できた。



 アイリスを救うために竜に立ち向かい、これを単独で撃破した者がいる。

 王の出した公約通り、アイリスは還俗し、その男に嫁ぐ。

 この話の真偽と、その男の為人を調査する。


 下位や中位の竜であれば、アルフォンスでも単独で斃せる。

 彼の【竜殺し】の称号が示すように、実際に斃した実績もある。

 自慢のレベル120は伊達ではない。


 しかし、上位の竜となると、善戦はできるだろうし、切り札もあるにはあるが、できれば戦いたくないと思っている。


 そして、王がアイリスとの結婚を許可する条件に出したのは、魔の森に棲むという銀竜だったはずである。


 古竜が相手では、彼でも何分もつかというレベルの戦い――にすらならないだろう。

 それを単独撃破など、笑えない冗談でしかない。


 きっと何らかの絡繰りがある。


 アイリス――あの頭のきれる少女が絡んでいるなら、充分に考えられる。

 そんな相手が準備万端で待ち受けているのだから、アルフォンス以上の適任はいなかった。


 むしろ、アルフォンスですら油断できる相手ではない。


◇◇◇


 アルフォンスはそう考え、奇襲をかけることに決めた。

 チャンスは待つものではない、作り出すものなのだと。



 アルフォンスは手の空いていた妻たちを引き連れ、その男が宿泊しているという旅館に向かった。


 彼の7人の妻たちは、それぞれがタイプの違う美女である。


 特に正妻の【アンジェリカ】は――彼自身は愛に順位を付けるのはナンセンスだと思っていたが、貴族社会ではそれは許されない。

 それゆえ、不承不承従っているのだが、とにかく、アンジェリカは客観的に見ても絶世の美女である。

 子を産んだ後も、その美しさに(かげ)りは見えない。


 そのアンジェリカや、他の妻たちを囮に使うのは気が引けたが、対象が男である以上、彼女たちを見れば隙のひとつやふたつは生まれるはずだ。


 そして、彼女たちもまたアルフォンスの役に立ちたいと常々考えていて、役割はともかく、これはそのいい機会でもあった。


◇◇◇


 彼らが旅館について最初に目にした客は、褐色の肌に銀髪が映える巨乳美女であった。


 彼女が身に纏っている浴衣から零れそうになっている双丘は、男であれば否が応でも目を奪われるもので、アルフォンスもその例に漏れず、着いて早々に妻たちの不興を買っていた。



 しかし、事前情報では、対象とその仲間以外の宿泊客はいないはずで、この美女も彼の仲間である可能性が高い。

 アルフォンスも、いい女連れやがって――と、嫉妬に似た感情も湧きあがったが、妻たちの手前それを呑み込む。


 アルフォンスは気を取り直して、その女性に《鑑定》を仕掛けてみた。


「―――!?」


 辛うじて声や表情に出すことは踏み止まったが、大当たり――そして、大ピンチだった。


 古竜が人に化けていた。


 様々な事態を想定していたアルフォンスにも、これは想定外であった。

 古竜が人に化けるなどという話は聞いたことがない。


 能力的に考えれば不可能ではないだろうが、プライドの高い竜が、人に化けて紛れるという状況が理解し難い。

 しかし、現実として、古竜が眼前にいるのだ。


 HPが軽く50万超え、パラメータも軒並み4桁。

 当然、魔法やスキルもヤバそうなものが目白押しである。



 レベルこそアルフォンスの方が高かったが、現時点でパラメーターは比較するのも烏滸(おこ)がましいくらいの差がある。

 いくら強化魔法を重ね掛けしたところで、規格外すぎるHPを削りきれる気がしない。


 アルフォンスは心の中で「竜を倒したっていうか、竜そのものを連れてるじゃないですか!?」と悪態を吐く。


 王は、大事なことを伝え忘れていた。

 しかし、王も、愛娘を奪われたことが、それほどまでにショックだったのだ。



 彼は《思考加速》スキルを使い、この場をどう切り抜けるかを必死で探る。

 もっとも、考えるまでもなく「速やかな謝罪」が最善である。


 しかし、銀竜は《鑑定》を受けていることに気づいているはずだが、気分を害した様子がない。


 彼が以前斃した竜は、《鑑定》を受けた時に猛烈に怒っていた――もっとも、その竜は下位の竜であり、古竜のような人間的思考ができないため、《鑑定》と他の魔法攻撃の差が分からなかっただけなのだが。


 そして、竜にも個体差があるとはいえ、ミーティアの場合は一般的な竜のそれであり、能力は隠すものではなく誇るもの――ステータスは積極的に見せていくスタイルである。


 これをどう判断するべきか――その一瞬の逡巡(しゅんじゅん)が、事態を打開する。

 打開してはいけない方へ。



 人の形をした古竜の背後から、亜人の子供を連れた、黒髪の美少女が姿を現した。


 それは美少女などという生易しいものではなかった。


 吸い込まれるような黒い髪に、白磁ですら色褪せて見えるほどの白い肌。深紅の瞳に見つめられれば、満月を見た狼男のように心が高揚する。

 絶世の美女――というよりは、絵画の中から飛び出してきたといっても信じてしまいそうな、完成された美術品のような美しさ。

 神の悪戯――いや、神でさえも(かしず)いてしまうのではないかと思えるほどの美貌に、アルフォンスは恐怖すら覚えた。


 この世の全ての美を集めてもそれには敵わない。

 この世に存在するはずのない美しさは、彼の価値観を根底から破壊し、不安にさせる。


 アルフォンスの人生でも、最大の衝撃だった。


 そのあまりの衝撃に《思考加速》はファンブルし、少女が胸元を隠した瞬間、妻に目潰しをされた。


 愛する夫に目潰しなどという暴挙に出たあたり、妻も相当に錯乱していたのだろう。



 しかし、そのおかげでアルフォンスは助かった。

 そのままであれば、アルフォンス自身がどんな暴挙に出ていたのか分からなかったのだ。


 紛れもないファインプレーだった。

 夫婦愛の勝利といってもいい。



 アルフォンスは、少しばかり冷静になってから思い返してみると、その少女は容姿だけでなく、ステータスも異常だったように思えた。


 その少女のステータスが表示されたのは一瞬のこと。


 もっとも、種族名やパラメータの表示がバグっていたし、スキルだか魔法の欄には「暗黒竜殺ご飯」のような、ヤバみが溢れた表示があった気がした。

 当然、どういうことかと更に詳細な《鑑定》を仕掛けようとしたところ、魔力が枯渇する寸前まで奪われて、一瞬ではあるが心神喪失状態に陥ってしまった。


 それが、彼女からの攻撃や《反撃》などのカウンタースキルを受けたわけではないのはログを見れば分かることだが、アルフォンスが使用したスキルは《鑑定》の強化と《思考加速》だけである。

 しかし、それらはこれほどまでに魔力を消費するようなものではない。


 それでも、《鑑定》の失敗や妨害はままあるとしても、禁呪を連発したかのようなレベルの魔力を実際に消費していて、《思考加速》のファンブルという前代未聞の異常事態があった。


 そして、更に彼を困惑させているのが、

<例外エラー666:上位管理者に連絡してください>

 というシステムメッセージである。


 慎重な性格の彼にとってそれは、偶然で済ませるのは恐ろしすぎるものだ。



「管理者って誰だよ……」


 ロメリア王国の英雄は、早々にこれが自身の手に負える案件ではないと悟って苦悩していた。


◇◇◇


「さて、あなた。どういうことなのか説明していただけますでしょうか?」


 その晩、苦悩の果てに悟りに至ったアルフォンスは、彼の妻たちから詰め寄られていた。


 それもそのはずで、彼が彼女たちに伝えていたのは「アイリスの夫となる予定の男」の調査である。

 そして、ここまでどこにもそれらしき「男」は出てきていない。

 少なくとも、彼女たちの主観では。


 もっとも、アルフォンスも、この時まであの少女が少女ではないことなど忘れていたのだ。

 彼女たちの抱えていた不満に気づくはずもない。


「ねえ、アル。新しい嫁がほしいなら、こんな回りくどいことをしないで素直にそう言って?」


「いや、ちょっと待って。そんなつもりは全くない! これ以上嫁を増やす気はないって言ってるだろ?」


「だが、貴方はそう言いながら3人も嫁を増やしたではないか。あのどちらか――もしや、両方か? あれだけの美しさだ。貴方が惹かれるのも分かる」


 彼の妻たちは理解がありすぎた。


「いやいや、変な理解示さないで!?」


「ですが、あの幼子だけは止めてくださいね? さすがにまだ若すぎます。もう何年か――いえ、若い方が良くなったのかしら……?」


「ちーがーうーー!」


 アルフォンスが、彼女たちの誤解を解いたのは、明け方近くになってからだった。


◇◇◇


 翌日、アルフォンスたちは、強化魔法でMNDと状態異常耐性――特に魅了耐性を限界まで上げて、更に深呼吸を繰り返して、心の準備をしてから調査に向かった。


 女装をした少年の露出が増えていた。


 スキルによらない魅了は耐性などまるで役に立たず、MND上昇の効果など、露出の増加の前には微々たるものだった。

 心の準備など、対象が男性であるという事実を再び忘れさせるネタ振りでしかない。

 そして、彼女がふとした弾みに女神のような仕草を見せると、そのたびにアルフォンスの両目は潰された。


◇◇◇


――ユノ視点――

 奥さんガードがここまで堅いとは予想外だった。

 というか、挨拶すらままならないのは、さすがに挽回のしようがない。


 しかし、このまま待っていても(らち)が明かない。

 となれば、私から行くしかない。


 問題はタイミング。


 勇者一行が不在で、奥さんたちが少し離れているくらいのタイミングが望ましい。

 いや、「将を射んとする者はまず馬を射よ」とかいう故事もあるし、まずは奥さんの方から攻めるべきか。


 しかし、私の身に置き換えて想像すると、ミーティアはともかく、リリーに手を出したら殺す。

 やはり、辺境伯本人にアプローチするべきだろう。


 問題はその方法だけれど、最善はやはり正攻法になるのだろうか。

 ただ、真正面から行っても旦那さんを攻撃されるだけ――というか、何この状況? 

 なぜ私が辺境伯の心配をしないといけないの?



 まあ、愚痴を言っても仕方がない。

 とりあえず、逃げ場のないところに追い込んで、挨拶から始めよう。


 どのみち、辺境伯も最初から素性を隠しているわけではないので、任務だとバレて困るようなこともないのだろう。

 奥さんたちが任務の内容をどこまで知っているのかは分からないので、後は流れを読むしかない。


◇◇◇


 勇者一行が訓練に出かけている日中、ミーティアにリリーの勉強を見てもらっている間に、彼の宿泊している部屋を訪れた。


 中から変な声――有体にいうと、嬌声(きょうせい)が聞こえてくる。


 事前に朔に確認してもらった時には、のんびりお茶を飲んでいたはずなのだけれど、彼らは真っ昼間から何をしているのか。

 いや、恐らく《防音》の魔法とかも掛けているのだろうし、私の耳が良すぎるだけなのかもしれないけれど、それにしたって昼間はお仕事しようよ。


『実況する?』


「しなくていい」


『三対一か――数的不利をものともしない。さすが英雄といったところかな。あっ、挟まれた』


「しなくていいから」


 何が挟まれたのかは分からないけれど、残念ながら出直すしかないらしい。




 その日の夕方、お風呂に向かっていた私たちと、戦いを終えてお風呂に入りに来た彼らが鉢合わせた。

 こんな時間までやっていたのだろうか。


 というか、そういうのは内風呂で落としてほしい。



 何ともいえない気まずい空気に包まれる。

 まあ、痴態の跡があちこちに残っているのだから無理もない。


 というか、これを私が王国に密告したら彼はどうなるのだろう。


 どうにもならないか。

 逆に貴族の義務だとか言われそう。



 それより、無言で流れる時間がつらい。

 とりあえず挨拶でもするか?

 しかし、「こんな時間までお疲れ様です」とでも言えばいいのだろうか?



「ユノさん、何か変な臭いがします」


 そんな空気と臭いに耐えかねたリリーのひと言で、彼らは何とも言えない微妙な笑顔を浮かべて風呂場へ駆け込んでいった。


「何の臭いだったのかな?」


「知らない」


 好奇心旺盛なのはいいことだけれど、それはまだ知らなくていいことである。


 しかし、リリーの年齢的に、そろそろ性教育もしておかなければならないのだろうか?

 世のお父さんお母さんは、何をどう教えているのだろう? 学校任せ?


 アイリスに相談するのもセクハラっぽいし、私にも相談相手が欲しいところだ。




 その日の夜、再び辺境伯の部屋を訪れる。


 部屋にいるのは辺境伯ひとりだけで、少なくとも朔の探知範囲内には伏兵はいない。

 奥さんたちもどこかに退避しているようだけれど、浮気だとか妙な嫌疑がかけられなければどうでもいい。


 この状況を作ったのは、とても単純なこと。

 彼らが入浴している間に、朔を経由して、彼の着替えの中にメモを放り込んでおいただけなのだ。


 本当に、最初からこうすればよかった。



 とにかく、これで準備は調った。

 後は調査をいかに無難に切り抜けるかだけれど、奥さんたちを退避させていることから、多少荒っぽいこともあるかもしれない。


 というか、私を力尽くで支配しようとしている可能性もある。

 権力者とは得てしてそういうもの? そうだとしても殺すわけには――下手に傷付けることもできないのが面倒だね。



「こんばんは、閣下」


 敬称はこれで合っているのだろうか?

 それに、礼儀は?

 一応、跪礼(きれい)は執っているものの、当然ながら、私の人生では王侯貴族と付き合うことなど想定していなかったので、そういった知識はほぼゼロだ。

 それに礼を欠くのは論外として、舐められるのもいけないとか、アイリスも無茶を言う。

 一応、彼の視線は太ももに固定されているので、細かな追及は受けないと思うけれど。


 自慢ではないけれど、私には学がない。

 それに、失言も多いらしいし、誤解もされやすい方だと思う。

 なので、こういう場であまり喋りたくない。


『私のことはいろいろ聞いていると思いますので、表面的な自己紹介は省かせてもらいます』


 ということで、後は朔に任せて口パクで済ませる。

 きっとアイリスもそのつもりだったのだろう。



「私はアルフォンス・B・グレイ辺境伯――いや、まあ、堅苦しいのは抜きにしよう」


 身分の低い私が名乗らないことでキレられるかと思ったけれど、この辺境伯はそういうことには拘らない性格らしい。


 評価を少しだけ上方修正しよう。


 しかし、よくよく考えてみれば、そんなことでキレるような人物が調査官に選ばれるはずがないのではないか?

 評価を元に戻そう。


 アイリスの話では結構強い――王国で7本の指に入る実力――7本ってまた中途半端な、と思わなくはないけれど、実力のおかげで精神的にも余裕があるのか? 


 ああでも、実力と人格って比例しないのは明らかだ。

 ミーティアはプライドが高すぎて人当たりが悪いし、何とかいう公爵はイカれているし。



「ところで君、変装してるらしいね? まずは変装を解いてもらえないかな?」


 辺境伯に言われるまま、変装用のチョーカーを外すと、髪の色が銀色に戻る。

 胸や股間の幻術も解けているはずだけれど、そこまで見せる必要はないだろう。


 服がそのままなのは、私にはどうすることもできない。

 朔にはできれば空気を読んでほしかった。


 そして、しばし無言の時が流れる。



「え? それだけ?」


『そうです』


「変わってねえ! 顔とか全然変わってないよね!? それ変装っていうの!? 何でそれで堂々としてられるの!?」


 なぜか取り乱す辺境伯。


 言わんとしていることは分からなくもないけれど、これでも結構誤魔化せるものなのだ。

 彼に効き目が薄いのは、やはり相当の実力者だからなのだろうか。



「はあはあ……、すまない。思わず取り乱してしまった……。ところで、竜を倒したとは聞いてたけど、竜を連れてるとは聞いてなかったんだけど。君があれを倒したんだよね?」


『そうです』


「どうやって――って、訊いてもいいかな?」


『餌付けです』


「え――何だって? 餌付けって聞こえたんだけど」


『そう。餌付けです』


「それでついてきた、と。お伽噺じゃないんだから……。何退治に行くつもりなの? っていうかさ、あれが暴れたとき制御できるの?」


『彼女とは行動を共にしてますけど、友達であって下僕じゃないので、命令はできないです。でも、決定的に対立したら、その時は多分殺します』


 うん、まあ、ミーティアが自らの意志を貫くというなら、本気で受け止めてあげようとは思っているけれど。

 というか、既にお酒で殺されているような気もする。



「できるの? え、友達を?」


「友達だからこそです」


「……なるほど。君が普通じゃないのは理解した。――だけど、この内容では判断も報告もできないな。どうしたものかな……」


 理解したのか。

 さすがにエリート貴族様はひと味違う。

 とはいえ、やはりそれで終わりとはいかないようだ。



「君に竜を倒した、そして竜を制御――というか、制圧できるだけの力があることを証明してもらいたい」


 辺境伯の雰囲気が変わったような気がする。


 そして、次の瞬間、辺境伯がパチンと指を鳴らして《無詠唱》で魔法を発動させる――させたのだと思う。

 多分。



 実際には何も起こらなかった。


 いや、辺境伯が消えていた。

 これは《転移》魔法か――あ、戻ってきた。


「レジストするってどういうことだ!? てか、《瞬間移動》ってレジストできるもんなのか!? そもそも、レジストする流れじゃなかっただろ!? だから管理者って誰だよ!?」


 突然喚き始める辺境伯。

 思いのほか愉快な人だ。


『《瞬間移動》って何? 《転移》的な何か? というか、変なところに連れ込まれるのは少し困ります』


「困るで済むのか。――いやいや、そんなところじゃないし、そもそもそんなつもりじゃないから!」


 そうなのか――と、信じるほど単純ではないけれど、合わせないと話が進まないらしい。


「今度はレジストするんじゃないぞ?」


 辺境伯がそう言って《転移》した先は、見渡す限りの砂漠だった。


 私は空とか地面を見れば大体の方角は分かるし、充分に走って帰れる距離だと思うけれど、これだけで方向音痴の人は詰むのではないだろうか?

 害は無いと信じさせたいなら、そういう人たちにも配慮して、先に充分な説明をするべきではないだろうか?



「さあ、君の力を見せてもらおう。ただし、俺が怪我するような反撃は無しの方向で頼む!」


 なかなか愉快なことを言う人だけれど、それは約束できない。


「行くぞ!」


 どうしたものか――と考えているうちに、英雄が襲いかかってきた。


 怪我をしたくないのなら、他の選択肢はなかったのだろうか。

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