03 温泉回
誤字脱字等修正。
アルスの町の中は、想像以上に整然としていた。
魔法はともかく、剣や槍のような前時代的な武器で戦う世界の人たちが造ったとはとても思えない、清潔感に溢れた所だった。
石畳の道路。
石や煉瓦で造られた建物。
暗くなり始めた町を照らす街灯。
この世界での主な燃料は魔石なので、架線のための電柱や電線のような無粋な物も見当たらない。
テレビで見るヨーロッパの観光地か、テーマパークのようなイメージが近いかもしれない。
しかし、チラホラと日本家屋のようなものも見える辺り、ここでも和洋折衷は盛んなようだ。
クリスさんから聞いた話によると、この世界の町――特に規模の大きい町の多くには、地上にも地下にも余計な物がない。
驚くことに、上下水道すら無い所が多いらしい。
正確には、農業などで大量の水が必要なものについては、井戸や河川から水を引いてくることもあるけれど、大がかりな地下の整備や浄水設備などを建設するより、魔石と魔法道具などを組み合わせて、必要に応じて個別に対応したほうが安上がりな上、多様なニーズに応えることもできるのだとか。
例えば、水を出す魔法と熱量を制御する魔法を組み合わせて温水器に。
《浄化》の魔法によって汚水などを綺麗にして、再利用や草木に撒く水に。
残飯や汚物は消臭と発酵を促進する魔法で堆肥にしたりと、ある意味では日本よりエコな世界らしい。
まあ、軍事関連と生活とが密接しているところで魔法が発展するのも自然なことなのだろう。
俺としては、衛生的で、変な虫が出ない所は大歓迎だ。
とはいえ、行政の目や手が届かない辺境だとか、貧民街区などはその限りではないらしいけれど、この世界は慢性的な人材不足で、よほど特殊な事情でもない限りは、自助努力で抜け出せる可能性は残されている。
なので、行政が介入するのは孤児院の運営程度だ――と、クリスさんたちは、訊いてもいないし、興味も無かったことをいろいろと教えてくれた。
あれこれと仕組みや理屈を説明したがるのは、研究者の性なのかもしれない。
これが教え魔というものだろうか?
まあ、クリスさんには大きな恩があるし、それで彼の気が晴れるなら、毎日1、2時間の苦行など安いものだけれど。
などと、いつまでも観光気分で呆けていても仕方がないので、今日から使う宿に向かうことにする。
事前にアイリスさんが予約を入れておくとのことだったので、宿を取り損ねる心配は無いのだけれど、最後の最後で変に疲れたので、早く休みたい。
◇◇◇
宿の名前は【カサス】とかいったか――と考えるまでもなく、大通りに面したところに、日本語で“カサス”と書かれた大きな看板が目に入った。
素人目にも立派な造りの日本家屋風の宿で、“原潜かけ流し”の
なお、宿泊料は一泊二食付きで、おひとり様銀貨百枚――日本円に換算すると約十万円と、結構なお値段である。
物価とか知らないけれど。
「ユーリ様ご一行ですね? お代は奥様より10日分いただいております」
16歳でポンと300万も払えるとは――それよりも、さらっと奥様を名乗っているとは。
隠す気とかあるのかな?
「奥様ではないです」
などと弁明するも、女将はウフフと微笑むだけで取り合ってくれなかった。
それでも、都合がいいように考えると、高級旅館であるがゆえに利用客が少なく、教会かアイリスさんの息がかかっているのであれば、多少は融通が利くのかもしれない。
しかし、どちらにしても、ヒモ状態はよろしくない。
早急にお金を稼ぐ手段を確立しなければならない。
案内された部屋は、和風のスイートルームだ。
結構な料金を取るだけあってか設備も充実していて、クリスさん宅以上のベッドのフカフカさに、リリーが目を丸くしていた。
可愛いなあ。
とにかく、3人で泊まるのには少々広いけれど、狭苦しいよりはマシだろう。
俺とミーティアはともかく、リリーが結構汗をかいていたので、食事の前にお風呂に入ることにする。
もちろん、せっかくの温泉宿なのだから、内風呂で済ませるのではなく大浴場――いや、露天風呂もあるなら、それを利用しなければもったいないというものだ。
手早く用意を済ませて、案内看板に従って大浴場に向かい、男湯の
露天風呂は混浴らしいけれど、脱衣場は当然別々だ。
なのに、なぜかリリーとミーティアも、当然のような顔でついてくる。
クリスさんのところで一般常識は教えたはずなのだけれど、ふたりとも俺の目などお構いなしに脱ぎ始めている。
もしや、俺は男だと思われていないのだろうか?
「何をしとる? お主もさっさと脱がんか」
むしろ、急かされる始末である。
釈然とはしないけれど、ふたりともすっかり脱いでしまっているし、他にお客さんもいないので、今更追い出すのも面倒だ。
というより、焦れたミーティアが髪も上げずに浴場へ向かおうとしている。
最悪、身体も洗わずに湯船に浸かるという暴挙に出るかもしれない。
慌てて服を脱いで追いかけようとしたものの、リリーが俺の股間を凝視して「お父さんのと違う……」とショックを受けていた。
何がどう違うというのか。
俺も他人のものと比べる機会などなかったので、そんなことを言われてもどう対応すればいいのか、対応していいのかどうかも分からない。
「リリー、女の子がそんなところをマジマジと見ては駄目です。それと、ミーティアは恥じらいを覚えた方がいいと思います」
「お父さん、モフモフ――モサモサでした」
「一体何に恥じろと言うのじゃ? おかしな奴じゃのう。しかしお主、見事にツルツルじゃのう。実に美味そうじゃ……」
なるほど。モサモサか。
どうにも、俺は無駄毛が生えない体質らしくて――というか、産毛すら生えていないのだ。
胸毛とか生えれば男っぽくなるかと、育毛剤を塗ってみたこともあったけれど、毛穴も存在しない俺のスベスベのお肌では、いくら塗っても流れ落ちてしまっただけだった。
そして、ミーティアは舌舐めずりしながら獲物を見る目で俺を見ている。
「世の中にはそういう人もいるんだよ。ほら、ミーティアだってツルツルだし」
「お父さんは、獅子の
「儂、竜じゃし。哺乳類と一緒にされても困るのう」
親父さん、でたらめ教えすぎだろう。
リリーの素直さが裏目に出ているよ。
それと、竜というのがどんな生物なのかはよく分からないけれど、お臍がないので人間とは違うことは分かる。
「それはもういいから、身体を洗っちゃおう」
いつまでも脱衣場で股間を見つめられていても仕方がないので、強引に浴場へ押し込んで、リリーとミーティアの背中を手早く丁寧に流していく。
ちなみに、温泉で髪を洗うと、泉質によっては髪が痛むらしい。
もっとも、俺は髪もスベスベサラサラなので、たとえ硫酸であっても弾くだろう。
そもそも、弾く弾かない以前に、酸ごときに負けるほど軟弱な髪ではない。
髪を切る時も、鋏が壊れたりして苦労するのだ。
俺のことはさておき、ここに向かう途中に居合わせた仲居さんから、この旅館では美容魔法なるものを使ったエステのようなサービスが存在すると聞いた。
つまり、髪や肌が荒れる心配は無用ということらしい。
ただし、残念ながら毛が生える魔法は無いらしく、この世界でも薄毛や無毛に悩む人には救いはない。
尻尾を洗っているとリリーが変な声を出したり、儂のも洗えとミーティアが尻尾や翼を出したり、あまつさえ前も洗えとか竜型も洗えと詰め寄られたりもしたけれど、何とか
ひと息つくと、改めて男湯に女性を連れ込んでいるような、異様な状況を思い出してしまう。
実際には俺が連れ込んだわけではないのだけれど、この状況ではそう思われてしまっても仕方がない。
むしろ、下手な言い訳などしようものなら、見苦しいと思われて傷口を広げることになるだろう。
とはいえ、俺以外の世の男性がどう感じるのかは分からないけれど、こんな状況にもかかわらず、色気のようなものは感じないし、欲情もしない。浴場なのに。
もっとも、リリーがいくら可愛くても、子供に欲情するような輩は抹殺するべきだと思うし、ミーティアも身体は大人だけれど中身は子供――というか、リリーより手が掛かるとは思わなかった。
洗えと言っておいてじっとしていられないとか、髪も上げずに湯船に入ろうとするとか、温泉で泳ごうとするとか……。
妹たちの小さかった頃を思い出して懐かしくなった。
お風呂上りには、定番の冷たいコーヒー牛乳を一気に飲み干して、みんなでヘアケアとスキンケア的な魔法のサービスを頼んだ。
俺は肌も髪もスベスベなので、濡れてもすぐに乾くので必要無いのだけれど、一緒に受けないとリリーが怖がるかもしれないという配慮である。
とはいえ、頼んでもいないマッサージまで過剰なレベルでしてくれたのだけれど、それは少し気持ち良かった。
さすがプロである。
ただ、施術の最中、お姉さんの目がやたらと血走っていて怖かった。
それも、プロ意識の表れだったのかもしれない。
さておき、明日からはリリーもひとりで受けられるだろうし、俺が受けることはもうないだろう。
食事は温泉宿らしく和食だった。
もちろん、4人分頼んで、朔も一緒に食べている。
残念ながら、お米はクリスさんのところで食べた物よりも、更に不味かった。
もっとも、提供側もそれは理解しているようで、食べるものではなく雰囲気を作るための飾りとして出しているようだ。
俺には魔法のご飯があるので問題無いけれど、ここでも丼物などは望めないかもしれない。
しかし、素材は不明だったけれど、お刺身や天ぷらなどは絶品といえるものだった。
勇者ケイジ様監修と銘打っているだけはある。
勇者の仕事が何なのかとか、ケイジさんとやらが料理の何を知っているのかという疑問は残るものの、美味い物に罪はない。
とにかく、日本人の食に対する飽くなき探求心には、ただただ頭が下がる思いである。
俺にとっては見慣れた料理の数々でも、それを初めて見るリリーには、多くの物が初めて目にする未知数の物だ。
それでも、食べず嫌いなどせず、おっかなびっくりといった感じで口に運んでは、表情を綻ばせる。
可愛いなあ。
そして、
予想していなかったわけではないけれど、リリーにはまだ山葵の良さは分からないらしい。
騙された、といわんばかりの顔で抗議の視線を向けられたけれど、口直しに注文したイチゴミルクは気に入ったようで、嬉しそうにちびちびと舐めるように飲んでいた。
やはり、子供らしく甘い物が好みらしい。
可愛いなあ!
ミーティアはお酒――特に俺の《竜殺し》があれば、それだけで上機嫌である。
それはいいのだけれど、料理の食べ方やお酒の飲み方がいちいちおっさん臭い。
湯上りなので、備付けの浴衣を着ていたのだけれど、食事――というか、お酒が進むにつれて盛大にはだけて、今では全裸と変わらない。
むしろ、全裸より酷い。
もう少し綺麗に飲み食いしてほしいところだけれど、リリーに悪い影響が出なければ目を瞑ろう。
というか、ミーティアを反面教師にして、俺がまともな作法を教えてあげればいいだけだ。
もっとも、マナーマナーと煩くして、お料理が不味くなっては本末転倒なので、そういう場でなければ、楽しくやれればそれが一番だと思うけれど。
食後はコミュニケーションの一環として、リリーの髪と尻尾をブラッシングしてあげた。
お風呂上りのサービスを受けているので、本当は必要無いのだけれど、試しにやってみたところ、とても気持ち良さそうにしていたので、男手を嫌がる年頃になるまでは日課にしてもいいかもしれない。
明日は早くから冒険者組合に出向く予定なので、夜遊びをすることもなく布団に入る。
しばらくすると、リリーが枕を持って俺の所へやってきたので、何も言わずに布団に入れてあげた。
クリスさんの館では別々の部屋だったので、察してあげることはできなかったけれど、やはり寂しいのだろう。
リリーが眠りについた頃に、ミーティアまで布団に潜り込んできた。
何のつもりか分からないけれど、追い出そうとしてリリーを起こすわけにはいかない。
ミーティアも、人の温もりが欲しいだけかもしれないし。
変温動物的な意味で。
何にしても、変なことをしようとする気配もないし、しようとしても朔が見張ってくれているので安心だ。
ということで、明日から頑張るためにも寝てしまおう。