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21 強襲

誤字脱字等修正。

――ユーリ視点――

「行ってきます」


 展開についてこれないアイリスさんたちを置いて村を飛びだした。

 もちろん、「飛びだす」というのは比喩で、実際には地面の上を走っている。



 説得は早々に諦めた。


 説得するためには説得力というものが必要で、それは得るには俺の能力を明らかにしなければならなくなる。

 場合によってはやむを得ないけれど、何があるのか分からない――今はまだ何がどう動くかは分からないので、手の内はできるだけ隠しておきたい。


 特に、アイリスさんはともかく、騎士さんたちの立場が今後どう変わるかは分からない。

 キースさんなどはかなり思想があれな感じだし、決別することもあると考えると、手の内胸の裡は隠している方がお互いのためだろう。

 信頼関係の構築という面ではよくないけれど、今必要なのは、もっと分かりやすい利害関係である。



 もちろん、俺の目的を達成するためには信頼関係も必要になってくると思うけれど、それは一足飛びに手に入るものではない。

 実績を積み上げれば信頼にも繋がるはずで、焦りは逆効果だ――と、そんな感じのことをクリスさんに教えてもらった。

 目先の利益に囚われて、本来の目的を見失ってはいけないのだ。



 とにかく、俺の手札は少ない上に使いどころも限られているのだから、高く売れるときに売っておくのは当然のこと。


 何の説明もしなかったことについては、砦の破壊をもってそれに代えさせていただこう。

 最低限の報連相はしたつもりだし、「事後報告」って素敵な言葉だと思う。


◇◇◇


 既に日は沈んで、空には若い月が昇っていて、薄く森を照らしている。

 暗すぎず、明るすぎずで、闇討ちするには良い夜だ。


 しばらく走っていると森が途切れて、緑と茶色が疎らな荒れ地に出る。

 ところどころにクレーターがあることから推測するに、戦場跡だろうか。

 まあ、今の俺には特に関係無いので、何でもいいのだけれど。


 とにかく、森の中ほどの隠密性はなくなったけれど、それは俺以外にも同じこと。

 先に見つけて隠れれば済むだけのことで、俺の視力なら充分なアドバンテージがある。




 周辺に人の気配が無いことを確認してから、高く跳んで砦のある方角と周辺の地形を確認する。



 森から離れるほどに荒れ地の割合が増えているものの、全体的には単調な光景。

 大体荒れ地、所により緑。


 なお、砦には篝火が焚いてあったので、すぐに見つけることができた。


 え、砦?


 あれを砦というのか?

 どちらかというと、要塞ではないだろうか?


 大きい。

 とにかく大きい。

 ビッグりだ。なんちゃって。


 冗談はさておき、まず砦自体が大きい。

 もう小さな町といってもいいかもしれない。

 少なくとも、さきの亜人さんの村よりは遥かに大きい。



 砦は、高く厚い城壁に囲まれていて、その上部には思いのほか現代的な砲塔やらミサイルの発射台のような物が設置されている。

 そして、城壁の外側一キロメートルほどは整地されていて見通しが良く、城壁直近には深い(ほり)が周囲に幾重にも張り巡らされていて、そこを渡るための跳ね橋は全て上がっている。


 なるほど、のこのこ近づいたりすると良い的にされそうだ。

 もっと小規模なものを想像していたのだけれど、魔物との戦いの最前線だと考えればこんなものかもしれない。


 当初の予定では、適当に暴れればいいだけだと思っていたけれど、さすがにこれを適当では集中砲火を浴びかねない。

 拳銃で撃たれたり、車に轢かれる程度なら平気なのだけれど、さすがに砲撃を受けた経験は無いので、どれだけダメージを受けるのか分からない。

 どれくらいやり合えるか試してみたい気もするけれど、捕まっているであろう亜人さんたちの保護も結果のひとつとするつもりなので、そういったお楽しみはまたの機会にしよう。



 そうすると、どう攻めようか。

 亜人さんの回収は可能な限り行うとして、発見されるのを前提に一気に距離を詰めるか、可能な限り隠密行動をするべきか。

 前提条件からすると後者の方が良さそうだけれど、時間稼ぎという意味では、ある程度は砦も壊しておくべきか。

 ひとまず、回収した亜人さんを朔の中に呑み込んでしまえばいいのか――いや、それならいっそ、全てそうするか。

 誰も見ていないしね。



「朔、力を貸してほしい」

『おっけー』


 気の抜ける返事と共に、俺の身体を地面から這い上がった影が覆う。

 前回ほど苦労はせずに、スムーズに同化はできたものの、割れるように痛む頭と、表現しようのない不快感は相変わらずだ。


 それでも、事前に覚悟をしていたからか、前回のようにのたうち回るほどではない。

 人間とはすぐに慣れる生き物であるとは誰の言葉だったか。



 何にしても、その分の余裕ができたからか、以前は気づかなかった変化に気がついた。


 髪が黒くなっている――というか、自分の容姿を外から認識する感覚は斬新だ。


 すごい。

 普段見えないところまでよく見える。

 あ、体内に魔石がある! マジか。


 胸の内側に結構立派なものが――もしかすると、これで自給自足できそう?


 おっと、こんなことをしている場合ではない。


 理由はよく分からないけれど、黒くなったのが毛だけなら気にしなくてもいいだろう。


 なお、毛が黒くなっただけで、相変わらず大人になれば生えてくるらしいところには生えていなかった。

 まあ、若返っているのだから当然か。



 領域を薄く広げて、砦全体を包み込む。

 虫がいっぱいいて気持ち悪い。

 でも、負けない――いや、負けそう……。


 とりあえず、いろいろと我慢して、領域を内側にと展開していく。


 今のところは誰にも気づかれた様子はない。

 中央の立派な建物には結界が張られていたけれど、こんな些細なものに気づくことができた俺を褒めてあげたい。


 ひとまず、それを壊すことがないように、細心の注意を払って内部の様子を探る。

 俺はやればできる子なのだ。


 しかし、正直なところ、細かい作業というか微妙な力加減は精神的にきつい。

 いっそのこと、派手に壊してしまった方が楽なのでは?

 何度も何度も虫を見つけるのもきついし。


『多少なりとも情報を持って帰った方が信憑性があると思うよ』

 なるほど。

 やはり、頑張るしかないのか。



 とりあえず、敷地の片隅に二百を超える数の亜人さんたちが囚われているのを発見した。

 ある程度は想定はしていたものの、実際に目にすると想定外のものがどれだけあったかに気づかされる。

 彼らの入れられている檻に、反乱防止用の処分機構があるとか想像もしていなかった。

 うっかり攻め込まなくてよかった。



 囚われている亜人さんの種類は2種類で、兎のような大きな耳を持つ亜人さんと、今度こそ犬のような亜人さん。

 亜人さんたちは、数十人単位で狭い檻に詰め込まれている。


 そして、檻の隅には【スライム】とかいう不定形生物の入った箱がある。


 セイラさん主催の冒険者学で、大昔には、何でも消化吸収するスライムをトイレの代わりに使っていたと聞いた。

 恐らくそれではないかと思われるけれど、間仕切りは無いし、防音設備も無いし、スライムの吸収能力の問題か悪臭もきつくて、尊厳崩壊待ったなしである。


 俺は消化吸収能力が優れているのか極度の便秘なのか、これまでの人生で排泄の経験が無かったので実感が無かったのだけれど、こういうのを見ると、トイレの重要性というものを思い知らされる。


 とにかく、これは何というか、昔テレビで見た、ペットの多頭飼育崩壊の現場とでもいうような、不衛生な環境である。


 そして、彼らの身に纏っている物は、ボロボロの服――というより布きれでしかなく、辛うじて裸ではないというだけのもの。虫は嫌いだけれど、蓑虫の方がまだマシかもしれない。


 また、食事の質は仕方ないにしても、量も充分に与えられていないのか、衰弱している人も多い。


 さらに、檻から出されている亜人さんの中には、現在進行形で暴行を受けている人までいる。


 というか、暴行目的で檻から出しているのだろうか?

 そんなことをするために捕まえたのか? それが娯楽になっているとか?

 何とも度し難い。


 とにかく、凌辱的なことは好きではないので、そろそろ行動に移ろうと思う。




 まずは実験――というか、状況が一刻を争う感じの兎の女性と、ついでに反抗や逃走はしなさそうで、なおかつ会話ができそうな状態の亜人さんを選んで、朔の助けを借りて取り込む。

 そして、すぐに俺の前に取り出す。


 なお、暴行を受けていた少女が全裸だったことを考慮して、一緒に回収したのは女性ばかりで、合計5人である。

 他意はない。

 マジで。


 なお、取り出す前に、朔の中で呪いの首輪とやらを外しておいたけれど、誰も死んだりしていない。

 結果は上々だ。



「落ち着いて聞いてほしい」


 そして、一番の難関――説明と説得。

 先ほどとは違って、彼女たちには俺が砦を攻略したことを証言してもらわなければならないので、これは省略できない。


 ついでに、余計なことまで話さないように釘を刺しておく必要もある。


 面倒臭いけれど、頑張るしかない。

 とはいえ、長々と説明しても時間の無駄なので、できるだけ分かりやすく、シンプルに。


「これから君たちの仲間も助ける――」


 話し始めてから、彼女たちの反応が薄いことに気づいた。

 というか、この感じ、どこかで体験したことがある気がする。


 ――そうだ! 言葉が通じていない。


 よくよく考えてみれば、同化しているせいで翻訳の指輪の効力をレジストしているのだろう。


 いや、それより先に彼女たちの身体や心のケアをするべきなのか?

 中でも、暴行を受けていた人は結構な重傷だ。


 これくらいの怪我をすると普通は痛いらしいし、痛みで話に集中できないようでは意味が無いし。


 俺は大きな怪我をしたことがないので、目の前の女性の痛みがどれほどのものなのかは分からないけれど、今まで俺が壊してきた反社会的勢力の人たちは、少し壊しただけで大騒ぎしていたので、結構ヤバいのかもしれない。


 とはいえ、男性より女性の方が痛みに強いとも聞いたことがあるので、一概に比較できないかもしれない。

 いや、でも、拷問されていた彼女の怪我は、きっと男女関係無く救急車とか呼んだ方がいいレベルだと思う。

 骨とか折れているみたいだし。


 もちろん、この世界では救急車など呼んでも来なさそうなので、手持ちの道具と工夫でどうにかするしかない。

 ということで、とりあえず食料と水、毛布と回復薬を取り出して、彼女たちの前に置いた。


 可能ならもう少しケアをした方がいいのかもしれないけれど、よくよく考えると、この小瓶に入った薬が飲む物なのか塗る物なのかも分からない。

 普通に考えれば飲み薬に見えるけれど、外傷を治すのに内服薬はどうなのだろうという疑問が湧いてくる。

 しかし、塗るなら軟膏みたいな粘度のある物の方がいいような気がする。


 おのれ、ファンタジー世界め。

 俺の知識がまるで通用しないとは。


 クリスさんからは、「怪我をしたときはこれ」としか聞いていないのだ。

 というか、亜人に人間と同じ薬を使っても大丈夫なのだろうか?

 いつだったか、ペットに人間と同じ食事を与えてはいけないと聞いた記憶がある。

 なので、使うのは自己責任ということにしてもらいたい。


 とにかく、同化を解くにも少し早いので、「それはあげる。見ていて」と、うろ覚えの異世界語で話しかけた後、砦に向き直る。



 呑み込む対象は、捕まっている亜人さん、帝国兵さん、砦に備蓄されている物資や家畜等、そして砦そのもの。


 なお、「全て」と指定しないのは、蛾とか蠅とかGとかを取り込まないためだ。


 感知してしまうのは、ある程度は仕方がない。

 しかし、取り込むのは――朔の中にとはいえ、何か嫌なのだ。


 指定すれば後は実行するだけなのだけれど、そのままだと彼女たちには何が何だか分からないと思われるので、俺がやりましたとアピールするために、両手を砦に向けて突き出す。

 それで通じるかは疑問なのだけれど、とにかく、次の瞬間、砦が消失した。


◇◇◇


――第三者視点――

 兎人族の少女、【シャロン】の暮らしていた村が、ある日突然ゴクドー帝国の襲撃を受けた。


 このような帝国の暴挙は、帝国周辺ではよくあることだ。

 もっとも、全体から見れば襲撃を受ける確率はさほどではないのだが、やはり全く無いことではない。


 帝国周辺ではどこでもそういった噂を聞くこともあったが、帝国本土から遠く離れたその村では対岸の火事のようなもの。


 むしろ、その村では「子供だけで森に入ると、帝国兵に攫われて売られてしまう」と言って、幼い子供たちだけで森に入ることを禁じたり、「悪い子は森に捨てて帝国兵に持って帰ってもらおう」などと、躾のための常套句として語られるものであった。



 ただ、彼らが平和ボケしている間にも帝国の勢力圏は拡大していて、その村も射程圏に入ったというだけのこと。


 そして、帝国にとって、彼らに従わないものは全てが敵であり、侵略の対象であった。



 そんな帝国に対抗する手段は大まかに4つ。


 ひとつは、ロメリア王国やキュラス神聖国のように、対抗できるだけの力を持つこと。

 当然、辺境に住む亜人に可能なことではない。


 ひとつは、帝国の魔の手が及ばないところまで逃げること。

 これも、個人や少数のグループでなら可能かもしれないが、村全体でとなると難しい。


 ひとつは、帝国に隷属してしまうこと。

 ただし、非常に重い税や兵役が課されるため、場合によっては、殺された方がマシな状況にもなり得てしまう。


 最後に、帝国とは敵対せず、逃げもせず、隷属もしない道。

 要するに、帝国の牙が届くところにありながら、何事もないことを神に祈るというもの。


 シャロンの村はこのパターンだった。



 そうしてシャロンたちが砦に連れてこられたのが、およそ一か月前のこと。


 連れてこられた時には百人ほどいた村の仲間も、この一か月の間に五十人ほどにまで数を減らしていた。



 本来、帝国も奴隷とするために攫ってきているのだが、砦に備蓄されている食料などの物資は有限なので、弱った奴隷などを無理に生かそうとはしない。


 また、辺境には大した娯楽もないこともあって、兵士のストレス発散のために奴隷が消費されることも黙認されているし、そもそも監査などは滅多に来ないので、数字など弄り放題だった。


 そのため、奴隷を含めた資源採取のノルマなどあってないようなもの。

 あったとしても、現在の政治腐敗が蔓延している帝国では賄賂でどうにでもなることも多いため、その地の責任者次第では、採取された資源の扱いが雑なことも珍しくない。



 この砦では、不衛生な環境に最低限以下の食事で、病気を患い、又は衰弱して命を落とす者も確かにいたが、それ以上に、一部の帝国兵の暴行の末に命を落とす者が多かった。


 中でも、この砦の太守――帝国の中堅貴族の行いは酷いものだった。


 この太守は、捕まえている亜人を度々連れ出しては、彼がこんな辺境に飛ばされたことに対する不満の憂さ晴らしに使っていた。



 この男の歪み方は尋常ではなかった。


 生物的な能力では自身より上位の存在を、太守という立場を利用して、一方的で執拗な暴力によって甚振(いたぶ)り、相手が泣き叫び、許しを請う様を見て優越感に浸るプレイが好みだった。


 さらに、そうして抵抗できなくなった被害者を犯して、昂った欲望を発散させる。


 それを何度も何度も繰り返して、徹底的に奴隷たちの身体と尊厳を破壊する。


 時には、一切の抵抗を諦めた被害者から更なる反応を引き出すために、被害者と縁のある者を連れてきて、その目の前で嬲ったりすることもあった。


 彼は、その歪んだ欲望を満たすため、見た目にも分かりやすい屈強な男性を選ぶことが多かったのだが、この日、不幸にも選ばれたのはシャロンだった。


 彼は、容姿が美しい者が苦痛に歪む姿も大好きだったのだ。


 シャロンは――彼女以外の者も、村が襲われてから――襲われる前からずっと神に救いを求めて祈っていたが、神がそれに応えることはなかった。

 それがこの世界での日常だった。




 シャロンが太守の許に連行されてから一時間。


 彼女が着ていた服――体を覆っていた布は既に剥ぎ取られていたが、羞恥など感じている余裕はもう無い。


 もう止めて。

 助けて。

 許して。

 ごめんなさい。


 この僅かな時間に、何度口にしたか分からない。


 手応えを確かめるように丁寧に、そして執拗に、シャロンは何度も何度も繰り返し殴られ、蹴られた。


 その結果、彼女の歯の大半は折れていて、瞼は塞がり――顔は元の形が分からないほどに腫れて、既に確かな言葉を紡ぐことさえもできなくなっていた。


 当然、被害は顔面だけでなく、指や肋骨も折られていて、呼吸すらもままならない。


 どうにか生きているのは、太守が愉しみを長引かせるために、拙い回復魔法を使っていたからである。



 シャロンの反応が鈍くなったことに不満を覚えた太守が、今日はここまでかと、諦め混じりに彼女をベッドの上に乱雑に放り投げると、のそのそと自身もそこに上る。


 そのまま、彼女の足を掴んで大きく広げさせる。

 シャロンには、純潔を守るだけの体力はもう残されていない。


 彼女にできることは、これ以上太守を喜ばせないように、反応を見せないように我慢して、ただただ理不尽な世界を、そして彼女たちを見捨てた神を呪うことだけ。


 せめて、自身の命と引き換えにしてでも、足の間に割り込んでくる悪魔に、帝国に、世界に呪いを――。


 そう強く願った瞬間、彼女の身体が闇に包まれた。




 次に気がつくと、シャロンの狭くなった視界の大半を占めていた、醜い太守の姿が消えていた。

 代わりに映るのは、夜の闇と、そこに浮かぶ月と星。


 自分は死んだのか――などと考えたシャロンだが、自身の血の匂いに混じって、懐かしい土と草の匂いを感じた。


「――――――――」


 そこに、ふと聞こえてきた、透きとおるような声。


 痛みを押し殺して声の聞こえた方に顔を向けると、数時間前まで一緒の牢にいた同胞の姿――と、闇を纏った美しすぎる少女の姿があった。


「――――――――――――」


 その少女は、シャロンには理解できない言語で何かを話していたが、しばらく沈黙したかと思うと、おもむろに彼女たちに毛布や食料、そして薬を出して見せた。

 状況の理解できないシャロンたちは、それらの前でただ茫然とするしかない。



「――見よ」


 そして、少女がそう言って、砦に向けて手を翳す。


 呆けていたためか、その直前に言っていた言葉は聞き取れなかったが、その言葉だけははっきりと聞こえた。


 シャロンたちは、少女の確信に満ちた響きに、これからその少女が何かを成すのだと悟る。


 しかし、ここから砦までは優に一キロメートル以上ある。

 近くで見ると巨大な砦も、それだけ離れていると手の平に乗せられる玩具程度の物に見えてしまう。

 それでも、その実際の大きさは、彼女たちの絶望と共に刻み込まれているため、勘違いするようなことはない。


 彼女たちがいつの間に、どうやってこんなところに連れてこられたのかは理解できなかったが、魔法を撃つにしても、それ以外の何かをするにしても、遠すぎる距離である。


 そのはずだったのに、夜より暗い闇が砦を呑み込みんだかと思うと、次の瞬間、巨大な砦が夜に溶けたかのように、跡形もなく消え失せた。



 それからすぐに、彼女たちの優れた聴覚には、砦のあった場所で大騒ぎになっている様子が聞こえてきた。

 夢でも見ているような気分だったが、身体を蝕む痛みが、若しくは飢えが、これが現実であると告げている。


 しばらくすると、彼女たちは少しばかり思考力が戻ってきたのか、砦に残されていた同胞たちの安否に思い至る。


 すると、そんな彼女たちの様子を察したか、少し雰囲気の変わった闇の少女が、シャロンたちに理解できる言葉で話しかけた。


「仲間は無事」


 偶然か、はたまた心を読まれたか、少女は彼女たちの心配を無用なものだと告げると、「後始末」とだけ告げて、砦に向かって歩き出した。


 何の根拠もない少女の言葉だが、シャロンはそれに何の疑いも持たなかった。


 こんなことができる人間が存在するはずがない。

 神が、今ごろになって救いの手を差し伸べたのか――などとは思わない。


 神がそのような慈悲深い存在ではないことは、充分に理解している。


 ならば、あの少女は何だ――いや、シャロンたちにとっては、彼女たちの祈りが届いたのであれば何者でもよかった。

 たとえ、その代償として命を差し出すことになっても。


 そう思ってしまえば、闇を纏って歩く少女の姿は、闇夜に浮かぶ見えざる新月のように神秘的で、神々しいものに思えた。


◇◇◇


――ユーリ視点――

 巨大な砦だったけれど、特に問題無く取り込めた。


 しかし、なぜか帝国兵さんの大半は取り込むことができなかった。

 それどころか、捕まっていた亜人さんたちの何人かも失敗した。


 朔が言うには、『抵抗されたみたい』とのこと。

 生意気な。



 さておき、砦は無事に消えたので、高所にいた帝国兵さんたちは、当然のように落下した。

 ただし、レベル補正とやらのせいか、よほど高所から落ちたのでなければ、ダメージを受ける人はいなかったようだ。


 幸いなことに、取り込めなかった亜人さんたちも、被害を受けるような場所にいなかったので全員無事だ。

 とはいえ、武装した帝国兵さんたちが彼らに迫っているので、この先も無事である保証はない。


 何せ、大半の亜人さんが檻ごと消えたのだから、残った亜人さんが疑われるのも仕方がない。

 今思うと、罠だけ外して、檻は残しておいた方がよかったかもしれない。


 などとのんびり考えている場合でもないので、もう一度亜人さんと帝国兵さんの取り込みを試みた。


 結果、恐怖に竦む亜人さんは回収できたものの、帝国兵さんの方は僅か数人しか取り込めず、またもや失敗に終わる。



『やっぱりレジストされたっぽい? 強い意志を持つ人は無理なのか、それとも距離が関係しているのかな? 若しくは両方?』


 理由は分からないけれど、何もかも諦めていたような亜人さんや、恐怖などで正常な状態ではなかった亜人さんは成功したことにヒントがある気がする。


 どちらにしても、亜人さんは全員救出できたし、同化を解除――と、回収した彼女たちにも報告しておくべきだろう。



「仲間は無事」

 安心していい、とまでは言わない。

 この後のことまでは責任を持てないから。

 俺は俺の面倒を見るだけで精一杯なのだ。


 とにかく、これで目的達成としてもよかったのだけれど、せっかくなので情報も欲しい。


「後始末」

 そう短く告げて、砦に向かって歩きだす。

 では残務処理と行こうか。 


◇◇◇


 砦跡地では、砦の消失は予期せぬ事態だったと思うのだけれど、それにもかかわらず、状況の確認や、装備の整っている人は警戒や防衛を――と、残された将兵さんたちは、思いのほか秩序ある行動を取っていた。


 そういった秩序や規律、できれば良識も、平時から発揮してくれていれば、俺も嫌な気分にならなくて済んだのだけれど。


 まあ、宮仕えとはいえ、人攫いなんかに加担してしている時点で無理な話かもしれない。



 さておき、物資は残さず奪ったので、装備の無い状態の人が多いけれど、既に装備していた人からは奪えないケースも多々あったようで、まだそれなりの数の兵士さんが武装して身構えている。


 これも理由は分からないけれど、思わぬ欠点――というか、弱点が露呈した形になった。

 これは訓練次第でどうにかなるのだろうか?


 というか、大人しく取り込まれたほうが彼らにとっても幸せなはずなのだけれど、何も知らない彼らにそんなことが分かるはずもないか。

 まあ、運が悪かったのだろう。


 そんなことを考えながら、この混乱の中でも侵入者の迎撃に出てくる兵士さんを見て溜息を吐く。



 武器を手に突っ込んでくる人は楽でいい。

 身体能力や技術的に、彼らの間合いは存在しないので、適切に回避なり防御なりして朔へ収納。


 確かに、レジストというか、微かな引っ掛かりを覚えるけれど、それでも、直接触れてしまえばどうにか朔に放り込むことができる。


 そして、収納してしまえば、中で武装解除をさせることもできるらしい。

 朔からは、当然のように殺害とか解体もできると言われたけれど、意義を感じないので却下した。



 しかし、遠距離からの射撃や魔法を放ってくる人が鬱陶しい。

 矢や弾丸は、射出されたも物がのが朔の領域内に入った瞬間に取り込めるし、大半の魔法も同様にレジストできる。

 稀に朔の領域を多少なりとも貫通してくる魔法もあるのだけれど、さすがに俺にまで届くものはないし、あのくらいなら届いたとしても、いつでもどんな状態でも余裕で避けられる。


 間合い的には、近接武器を振り回している人と変わらない。

 ただ俺に当てればいいという条件ならやり方次第だと思うけれど、射程の利だけで有利だと思っている時点で期待できない。


 それに、矢や魔法を撃つ時に足を止めているとか、物理的に動いてはいても意識が居着いているようでは、石でも投げれば斃せてしまうだろう。


 俺が得物を持っていないとか、魔法を使っていないからと油断するのは良くない。


 他に手段が無いだけかもしれないけれど、それはそれで兵士なんて辞めた方がいいのではないだろうか。



 とにかく、ただ斃すだけならどうにでもなるのだけれど、彼らを離れた状態のまま取り込もうとしても、なぜか上手くいかない。


 せっかくの機会なので、いろいろと能力の実験をしたかったのだけれど、結果が芳しくない。


 正確に表現するなら、彼らを彼らのまま取り込むことができない。


 朔と同化して展開している領域を、少し濃く――強化すれば強引に取り込めるのだけれど、時折、対象の身体――というか存在が、侵食に耐えられずに崩壊してしまうのだ。


 全身の皮膚や骨が変形したり、何だか分からないものに変質したり、裏返ったり、体表や体内に別の生物? よく分からない気持ち悪い何かが発生したり――気持ちが悪いので取り込まずに放置しているせいで、とても口に出せないような光景が広がっている。



 そのうち、それを見た帝国兵さんのひとりが、「悪魔だ! 悪魔が出た!」などと叫んだせいで、それがあっという間に伝播して大騒ぎになった。


 客観的に見れば、太刀打ちできていないのは仕方がないにしても、存在そのものが消されるか変質させられるかしているのだ。

 ちょっと「仕方がない」では済まない感じだ。


 彼らの感覚では、戦っても死ぬ。逃げてもきっと敵前逃亡で処刑されるという感じだろうか。

 とはいえ、逃げようにも、俺が馬や馬車も奪っているので走って逃げるしかないのだけれど、それを知らずに必死に馬を探している人たちには涙を禁じ得ない。



 そんな混乱の中、恐怖に囚われていたり、パニックに陥っている人は、離れていても取り込めるようになっていたのを発見できたのは大きい。


 しかし、それで調子よく回収していたところに、またもやひとりの兵士さんが、「恐怖に屈すると消失するぞ!」などと言い出したため、更に混乱が加速、拡大した。


 そのうち、ひとりの兵士さんが勇気を振り絞ろうとしたのか、大きな声で軍歌っぽい歌を歌い出した。

 それに周りの人も同調して、いつしか大合唱が始まった。


 みんな悲壮な顔で、涙やら鼻水やら諸々を垂れ流しながら、それでも大きな声で、命懸けで。

 汚いけれど、命の輝きを見たような気がした。


 まるで、映画に出てくる怪獣にでもなった気分だった。


 ただ、映画のように都合の良い展開にはならないと思うけれど。



「下がれ! 俺が時間を稼ぐ――お前たちは逃げろ!」

 何だかんだで半数くらいを片付けたところで、奥の方から大きな声が響いた。


 そして、最早攻撃は諦めて、肩を組んで歌っていた兵士さんたちを掻き分けるようにして、ひとりの大柄な兵士さんが俺の前に進み出た。

 彼の手には巨大な大剣のみで、鎧は身に着けていない――まさか、今まで必死に装備を探していたのだろうか。


「隊長!? それでは――隊長には生まれたばかりの――」

「行け。お前たちは生きろ!」

「――いえ、お供します!」

「莫迦者! お前たちでは足手まといにしかならん! ――生きて、本国にこのことを報せるのだ!」


 なぜか寸劇が始まっていた。

 待っていてあげる俺って律義だよね。


 とにかく、逃げてくれるなら楽――いや、顔を見られているから、皆殺しにしないといけないのか?

 とはいえ、月明りだけなのでそんなに明るくもないし、一応、髪の色が変わっているので変装といえなくもない?



「その姿、その力――貴様、何者だ! 何が目的なのだ!?」


 逃げろ、お供しますの争いは、お供します側の勝利で終わったらしい。「ふっ、莫迦な奴らめ」とか言っていたけれど、貴方も同類だから。


 そもそも、俺が何者かを訊いてどうしたいのか――悪魔は真名を知られるのを嫌うとセイラさんから聞いたのだけれど、本当に俺を悪魔だと思っているのだろうか?


 またも答える必要性を感じないけれど、情報攪乱のために適当に答えるのもありか?


『企業戦士ブラック』

 そんなことを考えていると、朔が俺の声色を真似て勝手に名乗った。


 セイラさんの漫画に変な影響を受けたのかもしれないけれど、その名前は止めてほしい。

 うちは完全週休二日制で残業は基本的に無し。

 給料や賞与も平均以上で、社会保障も完備な、健全でアットホームな会社なのだ。


「今のは無しで。通りすがりの白い社長ブラック――あ、間違えた」

 混ざった。


「おのれ、愚弄するか! ――最早問答無用! 《魔神剣》!」


 何だかグダグダになってしまったけれど、大まかな流れは変わらないので問題は無い。



 隊長さんは、大剣を不自然なくらいの大上段に構えると、僅かに溜めてから一気に振り下ろす――と、その剣先に不自然な衝撃波のようなものが出現した。

 明らかに音速は超えていないのに。

 というか、こんな三日月型の衝撃波? を見たのは初めてだ。


 ああ、そうか。なるほど、これがスキルか――などと思いながら、踏み込んで間合い――彼がそう思っているであろう距離を潰して、「ん、わーっ!?」と驚愕する隊長さんを掴んで朔に放り込む。

 俺の感覚では、実力的には他の兵士さんと大差なかったのだけれど、放り込む時の抵抗はそこそこ大きかった。


 便利な能力だけれど、全てをこれで済ませるのは、今のままでは難しいかもしれない。

 何かがほんの少し足りないだけだと思うのだけれど、その何かが分からない感じ。

 横着は駄目だということか。



 頼みの綱だった隊長さんが、なす術もなく取り込まれた――彼ら目線では消滅させられたことで、それを目の当たりにしていた兵士さんたちの心が折れたか、一気に抵抗が止んだ。


「正義は……、神は死んだ……」

「父ちゃん、母ちゃん、先立つ不孝をお許しください……」

「隊長、すんません……! 俺、最後まであんたに謝ることができなかった……。でも、あの世で会えたらちゃんと謝るから……」


 ただ、口だけは動いている人が思いのほかいて、恨み言やら絶望やらが漏れていた。



 さておき、そんな彼らにとって、消滅と変質のどちらがマシかという話になるのだけれど、どちらかというと「消えたくない、消えたくない」と祈っている人が目立つ。

 もしかすると、変質の方は言語化できないような惨状なので、分かりやすいそっちに集中しているだけかもしれないけれど。


 もちろん、どちらにしても殺してなどいない。

 変質している人も、一応は生きている。

 近いうちに死ぬと思うけれど。

 むしろ、すぐに殺してあげた方が優しい気もする。


 しかし、ろくでもない仕事をしていた彼らでも、多くの帝国一般市民を魔物から守っているという一面もあるのだ。


 彼らは、他国の人間や亜人さんをたくさん殺したり辱めたりしているのかもしれないけれど、それは俺には関係の無い話だ。


 というか、そんな動機で人を殺していると、そのうち出会う人を片っ端から殺していくことになるかもしれないので、仇討ちとか復讐がしたい人には、自分の力でやっていただきたい。



 とにかく、彼らを皆殺しにして、一般市民にまで被害が出るのは俺の望むところではない。


 顔を見られているかもしれないけれど、普通に考えれば二度と会うこともないだろうし、この夜の闇の中では顔の詳細までは分からないはず。


 それでも疑われたとしても、俺にそっくりな悪魔がいるとしらばっくれれば大丈夫だろう。

 大丈夫かな?




 心が折れた人を回収しながら、最終目的である最高責任者っぽい人の前に到着する。


 彼はレベルが低いからか、太りすぎているからかは分からないけれど、ひとりだけ高所から落ちて怪我をしていた。


 といってもただの骨折と打撲で、命に別状はない。

 まさか、受け身も取れないとは思いもしなかった。


 彼は近づいてくる俺の姿を見るや否や、折れた足を引き摺って、素っ裸なのにも構わず必死に逃げようとしていた。


 兵士さん同様――いや、兵士さん以上に、涙やら鼻水やら諸々の体液を垂れ流しながら這っている様はまるでナメクジのようで、「塩持ってこーい!」と叫びたい気分に駆られる。


 俺は虫同様、こういったヌメヌメウネウネしたものは苦手なのだ。



 とりあえず、素手で触るのは嫌なので、砦から奪った槍を取り出して、それが壊れないように慎重に引っ繰り返す。

 どのみち、この槍は廃棄だな。


「ひぎぃ!? ―――きさ、わ、わた、わた、を、だ、だ――」


 恐怖のせいか、呂律が回っていない。


 俺が彼に目をつけたのは、一番豪華な部屋にいて、俺が最初に回収した亜人さんを使って悪趣味な遊びに興じていた――身も蓋もないいい方をすると、一番偉そうだったからだ。

 亜人さんに暴行していた人は他にもいたしね。


 とにかく、彼がここの責任者なら、何かしらの情報を持っているだろうという理由だけだったりする。



 実際に彼がここの責任者かどうか確かめたかったのだけれど、この様子ではそれも無理そうだ。


 できれば、時代劇とかドラマで見たような、「殺さないで!」「貴方は、貴方にそう言った人に何をしてきたの?」というのもやってみたかったのだけれど、それは次の機会を待つしかない。

 いや、やっぱりそんな機会は要らない。


 俺のやることに、他の誰かや何かを理由にしても意味が無い。

 俺がやると決めたからやるだけだ。


 彼が直前までやっていたことを思うと生温い気もするものの、予想が外れた場合は更に時間がかかるので、さっさと終わらせようと思う。


 やるのは初めてだけれど、やり方は分かる。


 存在を奪う。


 ナメクジみたいでキモいので、本当は――本当にやりたくはないのだけれど、会話とか尋問にも別種の嫌悪感が伴うだろうし、痛し痒しといったところだろう。

 やると決めたのなら後は勢いで。


 そうして、哀れな男の人が一瞬にして世界から消失した。


◇◇◇


 彼の持っていた記憶や知識などが、出来の悪い映画のように飛び飛びで再生される。


 何だこれは――脈絡がなさすぎてわけが分からないし、人ひとり分の情報量ともなると、俺の脳の処理能力を超えているのか、頭も痛いし気分も悪い。


 というか、一番の問題は、彼の人生には全く興味が無いのに、それを嫌々見させられているというか、やる気がでないというか、頭に入ってこないというか、元々長時間話を聞くのが苦手なことだ。


『ボクがサポートしようか?』

 朔がそう言うので素直に任せてみると、情報は整理されて引き渡されるし、頭痛は治まるしと、良いこと尽くめだった。

 もしかすると、朔にお願いすれば、宝籤が当たって彼女だってできるかもしれない。


 ただ、残念なのは、日々を暗い欲望を満たすためだけに生きた人の話は、見ていて面白いものではない――というか、見たせいで損をした気分になったことだ。

 何より、重要な情報をほとんど持っていなかったし。


 金返せ。


 払っていないけれど。



 彼から得た情報をまとめると、彼はそこそこの名家に生まれたものの、才能には恵まれず、努力は何より嫌いだった。

 そんな人物である。


 彼の興味は、今をいかに愉しむかだけで、俺の欲しい帝国の悪巧みだとか内情のようなものには一切興味が無かった。

 多少なりとも役に立ちそうな情報は、帝都に送った大半の亜人さんは奴隷にされて、状態の悪い亜人さんは回収されて、何らかの儀式に使用されることくらいだろうか。



 また、彼は拷問とか回復魔法などのスキルや魔法を持っていたようだ。

 しかし、それらを奪って俺のものにすることはできなかった――いや、奪ったのは確かだし、反映できているのかもしれないけれど、そもそもシステムに繋がらないのでは効果が無いのかもしれない。


 それと、奪った知識や記憶を自分の物にできるように、肉体的というか物理的な部分に関しても反映させられる気がする。

 とはいえ、そうすることのメリットが思い浮かばないし、人間を辞める気はないので自重したけれど。



 それ以外に役に立ちそうなものは、言語に関する知識くらい。


 常識などに関しては、彼のどこまでが常識なのかという問題があるので、あまり信用できない。

 それも、本や動画を見たような感じで、身についたとはいい難いけれど、今の俺にはそれでも充分だろう。

 実践していくうちに慣れると思うし、何より、これ以上を望むのは危険な気がする。


 とにかく、不要な分は朔に任せる。

 たぁんとお食べ。


◇◇◇


 来た時よりも美しく――とはいかないまでも、現場に残された痕跡をひととおり消して、最初に解放した亜人さんたちの元に戻る。



 なぜか平伏して出迎えられた。


 何だかよく分からないので、少しばかり話を聞いてみると、彼女たちはこの世の無常に絶望していて、祈りに応えない神を呪っていたらしい。


 差し迫った危険に際して神に祈るとか、この人たちは正気なのか?



 とにかく、そんなところに都合よく俺が現れて、人の身では不可能な奇跡をなした――とか何とか。

 つまり、俺のことを神の使いか、新たな神か、そんな感じの存在に見ているらしい。

 ヤバい人たちだった。


 酷い怪我をしていた女性の傷が治っているのを、薬を飲んだのか塗ったのかと訊けるような雰囲気ではなかった。



 亜人さんたちに、邪神を崇拝してはいけないと説明しようとしたその時、通信珠からクリスさんの慌てたような声が流れた。


<ユーリ君、緊急事態だ! すぐに巫女殿のところへ戻ってくれ!>


 こっちもある意味では緊急事態なのだけれど、クリスさんの声にいつもの余裕が無い。


 彼女たちのことは後回しにするしかなさそうだ。

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