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18 強行軍

誤字脱字等修正。

 出発の前夜、クリスさんから大量の食糧や薬品類に雑貨などと、【通信珠】なる通信用の黒い宝珠を頂いた。


 いつだったか、外部で活動していたホムンクルスとの連絡に使っていた物と同種の物だろう。


 これを持っていれば、ロメリア王国全域くらいの範囲内であれば、クリスさんと連絡が取れるらしい。

 まだこの世界に慣れていない俺にとっては、とても有り難い道具である。



 ただ、恩を受けてばかりで何も返せていないのは少し居心地が悪い。


 しかし、彼らが言うには、過去に勇者に受けた恩を、同じ日本人である俺に返しているだけだそうだ。

 俺にはその辺りの事情は分からないので答えようがない。


 とはいえ、俺のつまらない感情で遠慮をして目的から遠ざかるのは愚の骨頂だし、必要以上に恩を感じる必要も無い。

 今は「余裕と機会があったら恩返ししよう」程度の気持ちでいいことにしておこう。


「使い方は分かるね? 何かあれば遠慮無く連絡してほしい。私のほうでも何か情報が入れば連絡しよう」

 そんな俺に、クリスさんは引き続きバックアップを約束してくれる。

 もう足を向けて寝られないな。



 そして、クリスさんは真剣な顔つきで続ける。


「ユーリ君、いつか訪れるそのときに、命を奪うことを躊躇わないでほしい。何かを守ろうとするのならなおさら」


 クリスさんは、日本人の大半が殺人を忌避するのを知っていて、俺の精神面の心配してくれているのだろう。


 確かに俺も人間を殺したことはないけれど、それ以外の命は結構奪ってきた。

 その中で、人間の命だけが重要という理屈は理解し難い。


 それに、殺しはしていないだけで、半殺しとか死んだ方がマシな状態とか、既にいろいろとやっている身である。

 死ななければ何をやってもいいということでもないと思うし、今更人間を攻撃することに忌避感は覚えないのだけれど。


 俺が今まで人間を殺さなかったのは、社会生活を送るにおいて、その方が都合が良かったというか、問題が少ないからというだけである。

 日本の警察は優秀らしいので、事故で処理されているうちはともかく、殺人を視野に入れられたり不審死が相次ぐなどして目をつけられれば、思わぬところから綻びが出る可能性もあるのだ。


 裏を返せば、警察が無能なら大量殺人犯になっていたと思う。


 俺は聖人ではないので、殺してやろうかと思った人はたくさんいるし、その中の何割かは死ぬより酷い目に遭わせた実績もある。


 とにかく、人間の命だけが尊いものでもないわけだし、上手く言葉にはできないけれど、殺すにせよ殺されるにせよ、精一杯生きた末に迎える結末は幸せなことのように思う。


 というか、死ってそんなに悪い――不幸なことか?

 生きていればいつかは死ぬものだし、死にゆく当人からしてみれば、俺に殺されるのも、俺以外に殺されるのも、事故で死ぬのも大して変わりはないはずだ。

 それより、その当人がそこに至るまでどう生きたかの方が重要で、その死によって少しでも世界が変われば最高ではないだろうか。


「家に帰らないといけませんから」

 まあ、何をどう取り繕おうとも、これが全てだ。

 よく知らない他人が生きようが死のうが特に興味は無い。


 戦場のような非日常の場では特に。

 戦士が戦場で戦死するのを、敵の責任にするのはいかがなものか。


 いや、敵だから殺していいと正当化するのもどうかと思うけれど、殺すと決めてそこにいるのなら、罪やら罰やらとは切り離して考えるべきではないだろうか。


 というか、結局は生き残って何を得たか、殺して何を得たか、死んで何を与えたかが重要なのでは?

 何だかよく分からなくなってきたけれど、そういうのはいずれ因果として巡ってくるだけだろうし。


 それはそれ、これはこれ。

 良い言葉だと思う。


 なお、今なら現代日本でも、俺の33%については罪に問えない可能性が高い。

 アルコールや薬物が少し混じっていただけでも心神耗弱とかいって無罪になることもある世界で、33%は圧倒的だといえる。

 とはいえ、その場合は殺処分とかになるのだろう。


 もちろん、無駄に殺したいとは思わないし、今更当時殺したかった誰かの代替にしようとも思わない。

 過ぎてしまったことはどうしようもないのだから、未来を少しでも良いものにするために行動するしかないのだ。



 結局、クリスさんに何と返すべきかまとまらなかったので、とりあえずにっこり笑ってサムズアップしておいた。


 クリスさんは苦笑いしていた。


◇◇◇


 日の出とともにクリスさんの屋敷を出発した。


 館から帝国領までは一千キロメートル以上もあるので、のんびり歩いて行くわけにもいかない。

 なので、ポータルを使わせてもらって、帝国領に近い場所まで移動する。


 料金はアイリスさん持ちらしい。

 やはり宗教は儲かるのだろうか。



 最寄りのポータルは、地下通路を使って一時間ほどの距離にある。


 俺以外の全員が馬に跨っていて、同様に馬に跨ったホムンクルスに先導されてポータルへ向かう。


 俺は徒歩だけれど、体力的には問題は無いし、走っても馬よりは速い。何なら馬を担いで走った方が速いので、ここでは貴重な馬を浪費する理由が無い。


 ただ、馬に乗るという行為自体には憧れがある。

 円らな瞳がとってもキュートだし、見ているだけでも何かが癒される。

 いつか余裕ができれば乗ってみたいと思う。



 地下通路はとても複雑な構造になっていた。


 というのも、万一敵にポータルを利用されたときのための備えだそうで、随所に様々な罠が巡らされていて、順路と仕掛けを知っているホムンクルスの先導がなければ、どこにも辿り着けないそうだ。


 なお、馬車でも通れるだけの広さがある通路なのだけれど、今回の転移先からは馬車が使えないため、持っていける荷物は手持ちと《固有空間》に収まる分だけとなる。


 当然、それでは大した量の荷物は持っていけないのだけれど、食料や設営資材などの必需品は朔の中に入れてあるので、彼らが持っていくのは彼らの装備や私物だけでいいことになっている。



 普通の人の《固有空間》とは、俺の想像以上に容量が小さいらしい。

 彼らの中で最も容量が大きい騎士さんで、三辺合計で三メートル程度なのだとか。

 宅配か何かかな?


 なので、俺――正確には朔が、彼らの持ちきれない荷物を全て収納しただけで驚かれた。

 賞賛されるハードルが低すぎて、実は莫迦にされているのかと不安になる。



 さておき、しばらく進んだ先の行き止まりで、ホムンクルスが壁に向かって何かをすると、突如床の上に魔法陣が浮かび上がった。

 ファンタジーなのかSFなのか微妙なところだ。


「ご武運を」

 全員を魔法陣の上に集めて、ホムンクルスがそう告げた次の瞬間、何かに押し流されるような感覚と同時に視界が歪んだ。


 何ともいえない不快感――大荒れの海の中に放り込まれたような感覚とでもいえばいいのだろうか。目まぐるしく景色が流れ、縦横無尽に回転し、衝突する。


 幸いなことにそれほど長い時間のことではなく、解放された時には森の真っ只中にいた。

 こんなことが前にもあったなあ……。


◇◇◇


 《転移》は無事に完了した。


 欠けている人はもちろん、何かと合体している人もいない――いや、俺と朔が合体しているのだけれど、これはそういうことなのだろうか?


 それはともかく、近くには先ほどまでとは違うホムンクルスが待機していて、《転移》してきた俺たちの状態を確認している。


 確かに、一千キロメートルもの距離を短時間で移動したのだから、あの不快感がその反動としてあることや、転移後の健康状態チェックが必要なことにも納得がいく。

 しかし、俺の耐久力や回復力ならともかく、騎士さんたちだけでなくミントさんまで平然としているのはどういうことか?

 慣れるものなのか?


 異世界人、侮れない。

 というか、すごいのかすごくないのかはっきりさせてほしい。



 そんなことを考えていると、通信珠から早速クリスさんの声が届く。


<無事に《転移》できたようだね>

「えっ」


 やはり無事ではないことが――何かと合体したりするのだろうか?

 《転移》ってそんなリスクのあるものだったのか?

 そんなことは聞いていなかったよ?


<ユーリ君ならレジストしかねないのだよ。そうなるとユーリ君だけ徒歩で移動してもらうところだったのだよ>

 そっちか。

 それはそれで問題だけれど、やはり合体事故の疑惑は消えない。


 というか、一千キロメートルくらいなら走れない距離ではないし、安全性を考えると走った方がよかったかもしれない。


<では、簡単に状況を伝えよう――>




 クリスさんによると、現在地から大雑把に、帝国領との境――森の端まで北へ三十キロメートル。

帝国軍の前線基地――砦は北北西に五十キロメートル地点にある。

 砦の方は、移送準備が今日明日にでも終わる様子で、それに合わせた交代要員が移動しているのも確認済み。


 予想より少し早いけれど、ここ異世界で、現代日本ほどの時間や予定の正確さを求めてはいけない。


 また、東へ約二十キロメートルの位置に小さな村があって、そこには百人超の亜人が生活している。


 なお、その村へ向けて帝国兵30人が侵攻中で、早ければ昼頃には到着するだろうという予測が出ている。

 数の差はあるものの、レベルや武装の差とか、非戦闘員の存在を考えると、村人に抵抗する術はないそうだ。


 他にも、北西へ十キロメートルほどの地点にも村があるけれど、こちらは既に襲撃を受けた後で、生存者は見当たらない。

 帝国軍は情報の漏洩を避けるために、襲撃した村はきっちり全滅させているのかもしれないとのことだ。


 また、竜の棲む山に向かった部隊は、時間的にはそろそろ竜の(ねぐら)と思わしき場所に侵入している頃だと推測される。

 こちらの詳細は、藪蛇になってはいけないので、あまり接近して情報収集はできないとのこと。




 決定権はアイリスさんにあるので、ひとまずアイリスさんの指示を待つ。


「――東の村へ向かいましょう。間に合わないかもしれませんし、間に合ったとしても根本的な解決にはなりませんが」

 アイリスさんは僅かな逡巡の後、方針を決定した。


 彼女が言うとおり、今回介入したとしても根本的な解決にはならないだろう。

 それでもやるというなら、できるだけ役に立って見せるだけだ。


◇◇◇


 アイリスさんの決定から、行動は早かった。


 もちろん、一般論とか一般人の感覚での話である。


 俺としては遅すぎて退屈なのだけれど、彼らの能力的にはかなり無理をしているペースで、最短距離となる山越えルートを進む。


 森林限界もない程度の、それほど高い山ではないけれど、それをいくつも超えなければならないとなると、真っ当な登山家が聞けば「山を舐めるな」と怒りそうだ。


 もっとも、彼らはこの世界の環境的なものやレベル的な要素から、現代日本人とは体力が全然違うのは間違いないようだ。


 魔物が出現する可能性を考慮して、武装したまま――実際に立ち塞がる魔物を討伐しながら山を縦走しているのだ。

 最早恥も外聞も捨てて、装備以外の荷物を全て俺に預けているとはいえ、二時間強で目的の村に到着するのだというペースは、日本人では数分も維持できないだろう。

 とはいえ、彼らにも無駄口を叩くような余裕は無いようだけれど。



 それでも、歩き始めて一時間もすると、ミントさんの体力が限界に達した。


 まあ、フルマラソンの世界記録より早いペースで山の登り下りをしていたのだから、多少体力がある程度では無理もない。


 ミントさんには置いて行ってほしいと言われたけれど、そんなわけにも行かない。


 そもそも、彼女はなぜついてきたのだろう?

 俺が知らないだけで、何か特殊能力を持っているとか?


 とにかく、間に合っても活動できるコンディションでなければ意味が無いため、魔法や回復薬などは先に備えて温存するほうが望ましい。

 つまり、ここで彼女に使うという選択肢は無いらしい。


 ということで、戦闘は騎士さんたちに任せて、俺がミントさんを背負って走る。

 助けがほしいなら手を貸すとは告げたのだけれど、それが彼らの反骨精神を煽ってしまったようで、無駄にハッスルさせてしまった。

 途中でバテなければいいのだけれど。



 それから十分もしないうちに、アイリスさんもダウンした。

 何となくまだ余裕があるようにも見えたのだけれど、どのみちダウンするのは時間の問題だったと思うことにする。

 時間のロスになるけれど、一旦休憩を取らせるほかなかった。


 さておき、どうしたものかと考える――考えるのは俺の仕事ではないはずなのだけれど、アイリスさんは期待を込めた目で俺を見ているだけだし、騎士さんたちの疲労の色も濃い。

 後先考えずに無駄にハッスルしすぎるから……。


 このペースで最後まで走り切れそうなのはカインさんくらい。

 それでも、着いたときには役立たずになっている可能性が高い。


 物資や魔法は温存となれば、選択肢は限られている。


 ペースを落とすという選択肢は、俺の活躍の場がなくなる――下手をすると俺の評価を下げることに繋がるので選べない。

 残念だけれど、彼らの地力を当てにするのは諦めよう。



 俺から目を逸らして、装備のチェックをする振りをして休息している騎士さんたちを余所に、手ごろな太さの木を手刀で一本伐り倒す。


 全員にギョッとした顔で見られたけれど、気にせずに工作を続ける。


 それを一旦朔の中に放り込んで、適度に水分を抜いてもらった後に再び取り出し、またまた手刀でL字型に削り出す。


 これで脚のない長椅子――実際の利用目的は背負子代わりの物の完成だ。


 それを俺の背中に、ロープで必要以上に括りつける。


 このロープは保険、若しくは飾りだ。

 俺に使えない道具リストの中には、ロープも入っている。


 しかし、これはクリスさんに作ってもらった特製ロープで、丈夫なだけではなく柔軟で肌触りも良い、どんなプレイにも対応しているという優れものらしい。

 それでも、使用者が俺だという一点だけで、普通のロープとの差が分からなくなる。


 というか、ロープに肌触りが求められているものなのだろうか?

 この世界の価値観が分からない。


 まあ、世界が変わっても、俺を縛れるものはそうそうないということだと思う。


 とにかく、この長椅子を握力だけで支えるなんて言っても信用されないかもしれないので、用意しただけだ。

 つまり、初乗りに必要な信用を担保するだけの物なので、一度乗せてしまえばお役御免の代物である。



「乗っていくかい?」

 突然木を伐り倒したかと思うと、椅子を削り出して背中に背負った俺を見て唖然としていた面々に、爽やかに声をかける。

 ウインクもした方がよかっただろうか?


「え……いや、大丈夫、なのか?」

 騎士さんたちのリーダー格ということで、貧乏(くじ)を引く宿命のカインさんが、彼らを代表して問いかけてきた。


 その微妙な口調が、体力的なことなのか、頭の病気のことを言っているのか問い質したいところではあるけれど、どちらも大丈夫だ。


 この程度の重量は全く苦にならない。

 むしろ、速く走るための錘として役に立つまである。


 それに、幅を取りすぎて狭いところが通れないことなど、対策は考えてある。

 つまり、頭の方も問題無い。


「歩きたいならそれでもいいですよ」


 俺の言葉に、疲れの色が濃い女性騎士さんふたりがカインさんを見る。

 座りたいけれど、上司を差し置いて自分たちだけ――といった葛藤でもあるのだろう。

 カインさんが折れたのはそれからすぐのことだった。


◇◇◇


 最初は渋い顔をしていた騎士さんたちも、今では椅子の上で寛いで、食事まで摂っている。

 極力揺れを感じさせないよう超高速摺り足で、邪魔な障害物は朔に取り込んで排除して、魔物や獣はその異様な光景を警戒してか姿を現さなくなった。

 まあ、現れても轢き逃げするだけなのだけれど。


 いつの間にか、騎士さんたちの仕事も、そのときに備えて体力を回復させることになっていた。

 いつもは文句ばかりのキースさんも黙って従っていた。

 よほど疲れていたのだろう。


 まあ、拒否するならひとりだけ歩かせるか、置いていくつもりだったのだけれど。


 一時的なこととはいえ、仕事仲間なのだから仲良くしておきたいのだけれど、目が合うたびに舌打ちされる彼とはウマが合いそうな気がしなかった。



「ユーリ殿はすごい体力をしているのだな。上には上がいるとは分かっていたつもりだが、これほどとは」

 【クレア】さんという、身長が二メートル近い二十代後半の女性騎士さんが声をかけてきた。

 なお、この世界でも、女性に年齢の話は厳禁らしい。


「最初に見た時は――いえ、今でも可愛い女の子みたいなのにね」

 今度は【ケイト】さんという、二十歳前後の女性が声をかけてきた。

 ふたりとも、この世界では行き遅れといわれる年齢らしいのだけれど、決して口に出してはいけない。


 まあ、親の決めた、若しくは決める結婚が嫌で騎士団に入団したものの、出会いに恵まれなくて恋愛もできないという事情らしい。

 以前、ミントさんがそんなことを言っていた。

 とにかく、俺が役に立てることは何も無い以上、触れない方が賢明である。


「私の取り柄はそれだけですから」

 彼女たちの事情はさておき、ひとまず日本人らしい返答をしておく。

 ただし、取り柄とは容姿のことではない。


「ふたりとも、ユーリさんは賢者様の紹介なのだから、普通の方であるはずがないでしょう?」

 そういうアイリスさんは、なぜか俺の腕の中にいた。

 いわゆるお姫様抱っこというやつだ。


 なぜこうなっているかというと、みんなを担いで歩き出してからしばらくすると、恥ずかしそうに小さな声で、「申し訳ありませんが、お尻が痛いのです」と言われてしまったのだ。

 極力揺らさないように気をつけていたはずなのだけれど、乙女の柔肌には木の硬さが駄目だったのかもしれない。

 こんなことなら、座布団を用意しておけばよかった。


 そして、またしてもすったもんだの議論が発生して、その末にこういう形になった。


 騎士さんたちも立場上まずいことだとは分かっていても、椅子から降りて俺の代わりにアイリスさんを背負って歩くという選択はできなかったのだろう。



 さておき、腕の中で楽しそうにしているアイリスさんを見ると、こんな状況でなければと思ってしまうのも致し方のないことだろう。

 恋愛感情のよく分からない俺にとって、こういった状況はある意味チャンスなのだ。


 まあ、今は恋に落ちるよりも、椅子を落とさないように意識する方が重要なのだけれど。


 アイリスさんを抱えていることで、両手を離さざるを得なくなった長椅子をどうやって持ち上げているかというと、後頭部と背中で挟み込んで保持しているだけなのだ。

 不自然な体勢で、足場もバランスも悪いけれど、俺の能力はそれを上回っているので対応できているというわけだ。


 最悪、アイリスさんを落とさなければそれでいい。


 背後の人たちの優先度は低いので、万一落下しても死なない限りはセーフなのだ。


◇◇◇


――第三者視点――

 ユーリたちが出発した後、クリスとセイラは、久々のふたりだけの時間に寂しさのようなものを感じていた。


「行ってしまったね」


「ええ、ユーリ君と朔ちゃん、大丈夫かしら」


 当然、そんなふたりの話題といえば、ここ最近の娯楽の対象だったユーリたちのことだ。


「彼らなら、帝国軍や魔物の数十相手に後れを取ることはないだろう」


「いえ、戦闘面の心配はしていないのだけれど、あの子たち、常識の無いところがあるから、何かやらかさないかが心配で……」


 ユーリの戦闘能力はふたりにも測れないもので、帝国兵や魔物がいくら束になったところで問題無いことは分かっていたが、それ以外の一般常識などがかなり欠けていることが大きな不安要素だった。


 特に、貴族との接し方や距離の置き方など、もう少し教えておけばよかったという想いが強い。

 しかし、ユーリがそれを覚えて実践できたかというと、そもそもの常識の無さが足を引っ張って難しいといわざるを得ない。


「それは……そうだな。日本人勇者というのは規格外の存在が多いが、彼はひと際規格外だったからな」


「日本人――というか、人間なのかも怪しいのだけれど? 呼吸も心拍動もしていないし、排泄もしない――それに、お肌がスベスベなの! 皺どころか、角質すら無いの!」


「セイラは知らないかもしれないが、ユーリ君にはムダ毛の一本どころか産毛――毛穴すら無いのだよ」


「……なぜ貴方がそんなことを知っているのかしら?」


「何度か一緒に風呂に入る機会があってね――おっと、セイラ、痛いのだよ」


 今になるまで知らなかった事実に、セイラの不満が暴力という形でクリスにぶつけられる。


「クリスだけズルいわ! ――そうだ、ユーリ君をモデルにホムンクルスを作って。それで手を打つわ」


「無論、そのつもりではいるが――私にあれを再現できるだろうか……?」


「弱気なんて貴方らしくないわね。『私に造れないものはないのだよ』って豪語してたじゃない」


「うむ――いや、実は、身体測定の結果を基に、造ろうとは考えていたのだが……。彼の体形――筋肉の付き方では、どう計算しても立つことすら不可能なのだよ。圧倒的に筋力が足りない――いや、無いのだよ」


 異世界にはプライバシーなど無かった。

 しかし、それを抜きにしても、真理を追い求めるクリスにとって、ユーリという真理は無視できるものではなかった。


 ゆえに、自らの手で彼を再現しようと様々な調査や計算を行っていたのだが、あの絶妙で繊細なバランスで成り立っている造形は簡単に再現できるものではなく、どうにか造れたとしても、計算上では絶対に動かないものだった。


 クリスは、改めて日本人の底知れなさと、彼らの勇者様の言葉が、彼らの理解の遥かに上にあったことに畏敬の念を深めていた。


「それで、諦めるというの?」


「まさか。今の私では不可能だが、いつかは必ず! ――だが、私だけでは難しい。手伝ってくれるかい?」


「もちろん、私も協力するわ! ふふ、勇者様の許へ行くのはまだまだ先になりそうね」


 人の寿命を大きく超えた長い時間の中で、停滞し始めていたふたりの人生が、再び動き始めていた。

 ふたりは早速、ユーリの情報を集めるために、彼に貸していた部屋を漁って残留物を探すが、新陳代謝も卒業しているらしい彼の残滓を発見することはできなかった。

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