15 月ひとつない良い天気ですね
誤字脱字等修正。
まずは気絶しているふたりを起こそうかと、腰を上げたところでクリスさんが意識を取り戻した。
クリスさんはフラつきながらも立ち上がると、状況を確認するためか辺りを見回して、大きな溜息を吐いた。
「状態異常対策は万全のつもりだったのだが、さすがは邪神というべきかもしれないね」
さすがに怒られても仕方がない場面だと思うのだけれど、強者(自称)ゆえのプライドか、飽くまで自身の対策不足を反省する方向でいくらしい。
「すみません、迷惑を掛けてしまって」
「ごめ、ん、なさい」
しかし、相手がどうあれ、迷惑を掛けた時はとにかく謝罪する。
それか、速やかに逃げるに限る。
相手の「怒っていない」を鵜呑みにして怒られたことは数知れず。
少なくとも、謝罪している振りはだけはしておかなければいけないのだ。
二度と会うことがない相手なら逃げ切ってしまえばいいのだけれど、クリスさんを相手にそれは悪手だ。
もちろん、こちらが下手に出るとつけあがる相手もいるけれど、その時はその時のこと。
二度と舐めたことを言えなくなるように誠心誠意脅――謝ればいいだけだ。
そもそも、恐らくクリスさんはそういうタイプではないと思う。
とにかく、逃げることはいつでもできるので、まずは謝罪から入るのが正解だと思う。
さておき、今回の件については、「俺が悪いのか?」という点で疑問は残るけれど、保護者である考えれば妥当な判断だろう。
それに、影の彼――いや、彼女はまだ生身の身体に慣れていないのか、とても喋りづらそうにしているので、それを悠長に待っているわけにもいかない。
「いや――まあ、先にセイラを起こそうか」
クリスさんの言うとおり、まずはセイラさんを起こしてからにした方がいいだろう。
満足に動けない彼女を置いて、クリスさんの後に続いてセイラさんを介抱しに向かう。
しかし、セイラさんには意識どころか脈も呼吸もなかった。
迷惑とかいうレベルではなかった。
心肺蘇生しなければと、遥か昔に受けた講習を――あまり覚えていなかった。
覚えていないものは仕方がないので、とりあえず心臓マッサージをしようとしたところ、セイラさんの身体が薄い光に包まれたかと思うと、自力で息を吹き返した。
何らかの魔法の効果が発動したらしい。
クリスさんが全く慌てていなかったのは、こういう絡繰りがあったからか。
しかし、下手に俺が手を出していたら無効化した可能性もあったのか!?
危ないところだった。
「あーあ、死魔法使いが即死するなんて、恥ずかしいところを見せたわー」
息を吹き返して、状況を確認したセイラさんは、照れ隠しをするように頭を掻く。
「お互いまだまだだな」
クリスさんもセイラさんと同じように、本気で対策の至らなかった自分を恥じているようで、今後の対策を話し合っている。
やはり俺たちを責めないのは、実力者としての矜持の問題なのかもしれない。
そんなに軽く流していい問題なのかと思わなくもないけれど、責任を取れと言われても困るので黙っておく。
もちろん、彼女の気配があれで全開ではないことも黙っておいた。
ちなみに、セイラさんは、《擬死再生》という死魔法の中でも上位に属する魔法を使っていたため事なきを得たそうだ。
その魔法は、使用者が瀕死の状況に陥ったときに、一時的に擬死状態になって、その間に死亡する状況を回避して、本当に死亡するのを免れるものである。
しかし、復活時に身体が損壊していた場合は、それまでに生存可能な状態に回復していないとそのまま死ぬし、復活のタイミングが任意ではないため、身体が無事でも状況的にアウトになっていることも多々あるという。
死魔法の定義のひとつ、「死を操る」という側面から一応研究改良は重ねられているものの、使い道がない割には多量の魔力を要するので、死魔法の中でも屈指の死に魔法と言われているらしい。
セイラさんは、そんな死に魔法が役に立ったと笑っていたけれど、自称「死の森の大魔法使い」が即死する彼女の気配のヤバさは笑えない。
――あれ? ここ魔の森じゃなかった?
この世界の適当さは、本当に度し難い。
「しかし、これが邪神? 見た目は小さいユーリ君――いや、ユーリちゃんか。どちらかというと小悪魔の方がしっくりくるのだよ」
「そうね。――でも、さっきの気配はあまり人前で出さないほうがいいわね。私たちの状態異常無効を貫通するバステ攻撃はさすがにまずいわ」
バス停? 何を言っているのだろう?
やはり脳に障害が?
まあ、俺も日本にいた時には、確かにバス停を武器にしたこともあった――正確にはバス停の標識? とにかく、強度的に微妙だったけれど、信号機や街路樹と同じく、どこでも手に入る手軽で良い武器だった。
だとしても、今の話とは関係無いはずだ。
「敵だけに効くのならいいが、味方ごとだとユーリ君も味方から狙われる事態になってしまうのだよ」
仰るとおりだと思います。
無能な味方が一番厄介らしいし。
「できるだけ抑えるようにします……」
とはいえ、本当に人が死ぬほどのものとは思っていなかった。
もっとも、上手く使えば完全犯罪も夢ではないかもしれないので、必要なときまで隠しておいた方がいいだろう。
「ボクも頑張るよ」
「バレて困るのはそれだけじゃないのも問題よね」
「そうだな――巫女殿が到着するまでに、ユーリ君のステータス偽装と隠匿用のアイテムを用意しておくよ。それよりも今は――」
全員の目が影の人――いや影の幼女に向く。
昔の俺とそっくりな幼女は、身体の感覚を確かめるように歩き回ったり、目についた端からいろいろな物に触れて回っている。
好奇心旺盛な性格らしい。
しかし、裸である。
居たたまれないので上着を脱いで掛けてあげた。元は彼女の影だけれどね。
「なぜ女の子なの?」
「世間一般的にはユーリが男の子だっていう方がおかしいんだよ?」
くっ、言い返せない自分が悲しい――というか、俺を奪ったなら男じゃないのか?
「可愛いは正義なのだよ」
「そうね」
「後で着せ替え用の服を作らないとな」
「私も協力するわ」
よく分からない価値観であっさり受け容れた!?
それよりも、俺の姿で照れないでほしい。
こっちまで恥ずかしくなる。
「それよりも、名前を付けてあげないとね」
セイラさんが俺を見る。
クリスさんも頷きつつ俺を見る。
幼女も期待を込めた目で俺を見る。
「俺が?」
三人揃って頷いた。
俺にそんなセンスがあるとでも?
とはいえ、状況的に俺が付けるのが普通なのか?
散々先延ばしにしていたのは事実だし、良い機会かもしれない。せっかくなのでしっかり考えよう。
邪神、邪神…邪…ジャ……パン、この方向性は駄目な気がする。
影、カゲ…………トカ……いや、だからそういう単純なのは白い目で見らるのがオチだ。
ヒントを求めて外を見る。
こんな時に限って月すら見えない。
そうか、今日は新月――ピンときた!
「――【朔】、でどうかな?」
熟考しようと思っていたのに、つい思いつきで口にしてしまった名前だけれど、特に反対されることなく決まった。
正直ホッとした。
むしろ、幼女は朔という名前がよほど気に入ったのか、とても上機嫌に見える。
自分と同じ顔でとても恐縮なのだけれど、とても可愛い。
「小さい頃のユーリ君もこんな感じだったのかしら? よく無事に成長できたわね……」
ただ、他人にそれを指摘されると、幼い頃に撮った写真や動画を見られている感覚に近くて少々恥ずかしい。
クリスさんは、一頻り朔を愛でた後、フリーズしてしまったホムンクルスや、またもや壊れてしまった結界の修復に行ってしまった。
一時間ほどで帰ってきたものの、こんなに簡単に壊れる結界は駄目だと思う。
セイラさんは朔を膝に抱いて、ずっと猫可愛がりしている。
仮にも殺された相手にすることではないと思うものの、二百年近く生きていれば、突然死くらいよくあることだと言っていた。
この世界は本当に度し難い。
「それで、なぜいきなり出てきたの?」
「分かっていて名前を付けたんじゃなかったの?」
朔に尋ねたつもりだったのだけれど、なぜかセイラさんが答えた。
セイラさんには理由が分かっているのだろうか?
「新月では魔法の効果――システムの力も低下するのだよ」
そんな、「常識だろ?」みたいな顔をされても、この世界の常識なんて知っているはずがない。何なら、元の世界の常識だって危ういのに。
そういえば、満月の夜といえば狼男、新月の夜なら闇討ちに気をつけろと聞いたことがある。
満月や新月には俺の知らない何かがあるのかもしれない。
「ま、まあ、ピッタリな名前で良かったじゃないか!」
この話題は止めておこう。
本人が喜んでいるなら些細なことだ。
結局のところ、今夜の騒動は、システムの弱体化に乗じて朔が実体化しただけ。
朔が俺から離れられる距離だとか、能力的なことにはほとんど変化がなかった。
それでも、本人的には「実体で経験したことで情報の精度が上がった」そうなので、悪いことばかりではなかったのかもしれない。
収支が合っているかは別にして。
その後、実体化から四時間ほどすると元の影に戻って、再び実体化できなくなった。
システムの状態が通常に戻ったのだろう。
何だかよく分からないけれど、随分と人騒がせな夜になってしまった。
というか、俺的には大事件だったような気がするのだけれど、この世界の人にとってはそうでもないとか、改めて意識や価値観のずれを感じた。
朔は実体化した感覚が楽しかったらしく、また次の新月に出てくるつもりらしい。
出てくること自体は構わないのだけれど、気配をまき散らさないようにだけ言っておいた。