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00 モノローグ

誤字脱字等修正。

 何がどうしてこうなったのだろう?


 世の中には、自分の思いどおりにいかないことがあることは充分に理解している。

 世界が俺を中心に回っていないのだから――いや、たとえ俺を中心に回っていたとしても、手が届かないこともあると思うくらいには謙虚に生きていたつもりだ。


 それでも、想定の遥か斜め上に進行する事態に頭が追いつかない。

 見渡す限りの木々と大地、そして僅かに見える空。

 俺はついさっきまで、地方都市とはいえ町中にいたはずだ。

 それが今は、なぜか深い森の中にいる。



 いろいろと分からないことだらけだけれど、焦りは視野を狭くするだけなので、とりあえず落ち着かなければならない。

 落ち着くために深呼吸するのは素人のやること。

 文明人たる俺は、疑う余地の無い物を信用する。


 携帯は――ある。

 ただし、圏外だった。

 ヤバい、いきなり信用できる物がなくなった。


 誰でもいいので連絡を取れればと思ったのだけれど、辺りに見えるのは木と地面と草と苔くらいで、人の姿など全く見当たらない。

 圏外表示も故障などではないらしく、やはり電話も繋がらない。

 なお、ネットの使い方とかはいまいち分からないのと、詐欺とかも多いらしいので信用しない。

 何度瞬きしてみても状況は変わらない。


 夢であれば笑い話で済むのだけれど、これが夢ならどこからがそうなのか――というか、俺の精神状態はどうなっているのか。

 どのみち、たとえ夢の中だとしても、俺が俺であるうちは俺らしく、俺のできることをするしかない。

 とにかく、頭を冷やすため、そして何か手掛かりがあるかもしれないので、記憶を辿ってみることにする。


◇◇◇


 俺の名前は【猫羽(ねこは)ユーリ】。24歳の男性で独身だ。

 しつこいようだけれど男性だ。大事なことなので2回言った。

 現在、中小企業――いや、零細企業の社長をしている。

 座右の銘は「人並み」。

 何事も中庸が一番だ。


 珍しい苗字はさておき、キラキラした名前だと思われがちだけれど、名前の方は、俺がハーフ、若しくはダブルとかいう人種なので、そこに問題は無い。

 むしろ、俺の容姿が銀髪紅眼と、純日本人の母からは遺伝的にはあり得ない容姿なので、「猫羽」という姓の方が似合わない。


 ちなみに、名字の由来は猫の額のような土地とかそういう意味があるらしい――諸説あると思うのだけれど、羽がどこから来たのかは分からない。ご先祖様は空を自由に飛びたかったのだろうか?

 まあ、俺も自由落下と滑空くらいはできるけれど、飛行に浪漫があるのは分かる。



 さておき、家族構成は、年の離れた妹がふたりいる。

 それ以外の身内はいない。


 両親は俺が15歳の時に出張先で失踪した。それ以降、何の音沙汰もない。


 両親の失踪以降、状況が状況だけに進学はせずに、両親の遺した健康飲料製造販売会社「ネコハコーポレーション」で働こうとしたのだけれど、なぜか社員一同の猛烈な反対に遭って、最低限高校だけは出なければいけないことになった。


 引換えに――というと少し語弊があるけれど、社員の皆さんがその間会社を守ってくれて、俺たち兄妹の支援もしてくれる約束になっていたので、その条件を呑まざるを得なかった。


 そして、高校卒業と同時に就職して、なぜか満場一致で同社の社長の座に据えられて、入社直後からお飾りの社長をやることになった。

 社員さんたちは、みんなうちの両親から返しきれないほどの恩を受けていたらしいのだけれど、それにしてもこれはやりすぎだろうと思ったものだ。



 とはいえ、特に勉強ができるわけでもなく、実務はもちろんアルバイトの経験すらもない俺の仕事は、言われるままに判を押すことと、毎朝商品の原液槽に向かって「美味しくな〜れ」と念を送ること。

 しかし、後者は幼少期から休日ごとにやっていたことが日課になっただけともいう。


 こんなことでいいのだろうかと悩むこともあったものの、元々社員が十分に生活できる程度には商品の評判と売上げも良かったことと、俺が社長になってからの業績が謎の右肩上がりをし始めたことで、そんな疑問は頭から消え失せた。


 お金を稼ぐこと自体は悪いことではない。

 今のご時勢、いつどこに落とし穴があるのか分からないのだから。

 まさか、お呪いが効いているなんてことはないだろうし、理由が分からないのであればなおさらである。


 何にせよ、妙な効能を謳っているわけでも、詐欺を働いているわけでもないので、当時は深く考えずに稼げるうちに稼いでおこうと思っていた。


 両親がいない以上、俺が年の離れたふたりの妹を守らなければいけないのだから当然だろう。

 少なくとも、彼女たちが自立するまでは。



 その想いから更なる利益を求めて、恥ずかしさを堪えて「美味しくな〜れ」と念を送り続け、業績を伸ばし続けた。



 理由は分からないけれど、会社の規模に見合わない、結構な額の売上げがあったのは客観的事実である。


 そうすると、寄ってくるのは素性の良くない連中である。

 うちに確たる後ろ盾がなかったこともあるのだと思うけれど、少々目立ちすぎたらしい。


 それでも、要求が金銭だけで片が付くならそれでもよかった。

 もちろん、それにも限度はあるけれど、それで平穏な暮らしが買えるのであれば安いものだ。


 しかし、俺が交渉下手だったこともあってか、大抵は要求がエスカレートしていく。

 彼らはその要求を通すために、俺の周りの人――妹たちにまで手を出そうとした。


 いくら俺が温厚で事なかれ主義だとはいっても、それだけは許容できない。

 妹たちは――妹たちだけが俺と世界との接点なのだ。


 両親がいないのはもうどうにもならないけれど、俺にはいろいろと事情があって、恋人はおろか親しい友人もいない。

 それでも、妹たちが側にいてくれたのでボッチにはなっていない。


 会社の社員さんたちや他のお世話になっている人たちには感謝しこそすれ、その範囲の恩返しか損得以外で動くつもりはない。


 当然、巻き込むつもりもないので、俺にできることといえば単独での実力行使のみだった。



 何だかんだと因縁をつけてくる反社会的勢力の方々を、国家権力を上手く利用したり、時には闇討ち(もちろん殺しはしていない)したりして、排除していく日々が続いた。


 さすがに全てが完全犯罪とはいかず、いろいろな人に怪しまれることもあったものの、基本的に立証不可能な方法で行っていたため、表向きは謎の事故が多発する呪われた場所がいくつか誕生しただけだ。


 ただ残念なことに、暴力で片がつくのはその場限りのことでしかない。

 その時々において、上手く反社会的勢力の組織を潰せたとしても、しばらくすると代わりとなる存在が現れるだけで、平穏な日々は長く続かない。


 また、彼らは縄張りというものに非常に敏感で、隙を見せたりすればすぐに侵入してくる。

 そして似たような流れを一からやり直す羽目になる。


 いくら俺が我慢強いといっても限度がある。


 結局、妹たちにまで手を出す余裕がない程度に彼らの力を殺いで、差し迫った危険があれば取り除く、対処療法程度のことしかできなかった。


 とにかく、俺は単純な暴力は人一倍得意なのだけれど、交渉や罠を仕掛けるといった頭脳戦や盤外戦は人一倍苦手らしい。


 トータルでプラスマイナスゼロ――となればいいのだけれど、客観的に見れば微妙なところ。

 容姿を含めるなら圧倒的にプラスだけれど、法治国家における暴力の有用性を考えると、やはりマイナスかもしれない。



 とはいえ、現状に甘んじて、苦手な物事を克服する努力を諦めるつもりはなかった。

 得意分野ほどではなくとも、いつかは人並みにできるように頑張ろう――というのが座右の銘の本である。

 やりすぎないようにという意味も含んでいるけれど。


◇◇◇


 その日は――恐らく昨日のことだと思うのだけれど、取引先の社長である【亜門(あもん)】さんに誘われて飲みに出ていた。


 戦士にも休息の時が必要なのだ。


 この亜門社長は、昔から俺たちと家族同然の付き合いをしていて、俺が成人してからも何かとよくしてくれる気の良い人だった。

 当然、商売に関しては別なのだけれど。


 お酒は良い。

 すぐに酔いが回って気持ちよくなるけれど、体質のせいかそれ以上に酔うことはないし、翌日に残ることもない。

 何となくふわーっとした感じで、その時だけは面倒なこととかどうでもよくなるのだ。


 妹たちからは、「お兄ちゃん、素面でも酔っ払ってるみたいなもんじゃん」などと酷いことを言われるけれど、お酒に俺を取られたように感じて拗ねているだけなのだろう。

 そうであってほしい。

 ふたりもお酒を飲むようになれば分かるようになるはずだ。



 さておき、その日は一時間ほど飲んだ後、きっちり出来上がった亜門社長から夜の運動をするお店に誘われたけれど、さすがに時間も遅かったので辞退して家路についた。


 恋人がいるわけでもないし、興味がないわけではないのだけれど、そういった遊びをしようとすると、妹たちにとても怒られるのだ。


 不思議なことに、どれだけ隠蔽しようとしても絶対にバレる。


 というか、「何事も経験だ」と意を決して突撃しようとすると、ほぼ確実に電話がかかってくる。

 妹はエスパーなのかもしれない。


 それどころか、お酒の匂いをさせて帰宅するだけでも不機嫌になったりする。

 これも仕事のうちなのに。


 恐らく、俺がそういった遊びができるようになるのは、彼女たちが自立した後になるのだろう。



 そろそろ日付も変わろうかという時間、家路へ続く河川敷を酔い覚ましに歩いていた。

 走って帰ればすぐの距離だけれど、人目のあるところで車より速く走って目立ちたくはない。

 何より、飲んだ直後に運転したり、泳いだり、走るのも事故の元なので止めておくべきだ。


 せっかくなので、ご機嫌伺いのお土産でも買って帰ろうかなどと考えながら橋を渡っていると、正面に様子のおかしい男の人が立っていた。


 まだまだ残暑も厳しい時期だというのに、その人は季節はずれのコートを着込んでいて、体はユラユラと前後左右に揺れている。ついでに、微妙に目の焦点があっていないような気がする。


 どこかで見たことがあるような――酔いのせいで上手く頭が回らないけれど、それでも不測の事態に備えて警戒だけはしておく。

 自慢ではないけれど、俺はいろいろな理由で絡まれることが多いのだ。


 男の人との距離が十メートルくらいまで縮まったところで、彼がコートのポケットから手を出してこちらに向けた。


 驚くことに――というほどではないけれど、その手には拳銃が握られていた。

 どちらかというと、拳銃自体より、そんな物を人目につく場所で出したことの方が驚きだ。


(本物?)

 と考えるよりも早く射線から身を躱す。


 彼が発砲して、弾丸が俺の脇腹に当たる。

 あれ?

 確かに射線は外したはずなのだけれど――彼の震える手が、偶然にも偏差射撃となったのだろうか?


(これだからジャンキーは)

 心の中で悪態を吐くものの、警戒時点から気合を入れていたこともあって、拳銃程度では俺の身体には掠り傷すら付けられない。

 そもそも、こんな玩具など、俺にとっては脅威にはなり得ない。


 なお、銃器を持っている人の相手をしたことも初めてではないし、制圧するのも簡単なのだけれど、僅かとはいえ人目もある状況で悪目立ちしたくはない。

 つまり、今は逃げるのが最善なのだ。


 それに、下手に制圧して警察に引き渡したりすれば、その後に待っているのは事情聴取やら何やらという拘束タイムである。

 これ以上帰りが遅くなると妹たちの機嫌が悪くなる――というか、ここで何をしていたのかという話になって、もっと機嫌が悪くなる。

 つまり、俺は一刻も早く帰らなければならないのだ。


 もちろん、彼の顔は覚えたので、後できっちり代価は支払ってもらうつもりだけれど。



 橋で待ち伏せするという発想は悪くなかった。

 移動ルートを絞り込めるし、逃げ場も無い。

 ジャンキーのくせに小癪な。


 とはいえ、それは俺が一般人であればという話だ。


 追撃を避けるため、欄干を飛び越えて、一気に十メートルほど下の水面へ向かって身を躍らせる。


 水面といっても、水深は一メートルもないくらい。

 人によっては怪我をしたり、最悪は死ぬこともある高さだ。


 ちなみに、パラシュート無しでの自由落下で生存した人の世界記録が、高度10,160メートルだそうなので、それと比べると無いに等しい。


 そして、件の人は大怪我をしたらしいけれど、俺は身体も強いし受け身にも自信があるので、もっと高くても無傷でいけると思う。


 つまり、この程度の高さは俺には何の障害にもならないのだよ。



 自由落下を始めたばかりの俺の背中に追撃が当たった。

 ジャンキー程度に反応できるような動きではないはずで、もう射線も通っていないはずなのに、一体どんな射撃技術をしているのか。


 もっとも、この程度のことは日常茶飯事――とまではいかないけれど、間々あること。

 突然湧いてきたとしか思えないトラックに轢かれたことも一度や二度ではないのだ。


 もちろん、今もって五体満足なことを見てもらえれば分かるように、それらも俺にとって大した脅威ではない。

 受け身さえ取れれば、大抵のことは大丈夫なのだ。


 むしろ、最近では暴走トラックを撥ねたり投げ飛ばしたりできるようにまでなった。

 継続は力なりとはよくいったものだ。


 さておき、銃弾が当たったところが少しむず痒いのは構わないのだけれど、スーツに穴が開くのは勘弁してほしい。

 理由が理由なので、経費では落とせないのだ。


 それでも、橋から飛び降りてしまえば、さすがにもう当たることはないだろう。


 そうして落下していると、またもや理不尽な銃弾が俺に向かって飛んでくるのが見えたけれど、それは目撃者がいなさそうなので手で叩き落した。


 まあ、目撃者がいたとしても銃弾や俺の手の動きなんて目視できないと思うけれど。


 今度こそ、さすがにこれ以上はないだろうと考えていると、いきなり視界が暗転した。


◇◇◇


 予想していた着水の衝撃が、いつまで経っても訪れない。

 というか、いつの間にか見渡す限り――見渡しているのかどうかも分からない完全な闇の中にいて、落下の感覚どころか上下すら分からなくなっていた。


 猫より身軽な俺には初めての感覚だった。


 もしかして、死んだ? ――いや、まさか。

 俺が拳銃での攻撃や、あの程度の高さからの落下でどうにかなるはずがない。

 打ちどころが悪かったなどということも、一般人ならいざ知らず、俺に限ってはない。


 なのに息が苦しい。

 いや、息ができない?

 いやいや、呼吸を卒業した俺が息苦しいとかあり得ない。

 人間、気合があれば酸欠も克服できるのだ。


 だとすると――もしかすると、これが恐怖なのか?

 恐怖と聞いて真っ先に思い出すのは、妹たちが怒っている姿。

 いやいやいや、今はそんなことを思い出して和んでいる場合ではない。



 そんなことよりも、()()かいる。


 普通の人よりかなり夜目が効く俺でも見通せない闇の中に、確かにナニかが存在している。


 魂――存在を塗り潰されるような、恐ろしい気配を放つナニか。

 気合で気持ちを奮い立たせてなお、存在を握りつぶされるような感覚――恐怖? は消えない。


 逃げ出したいのは山々だけれど、どこに逃げればいいのか分からない。

 それ以前に、逃げられる相手だとは思えない。


 こんなにヤバい存在の恨みを買った覚えなんてないのだけれど――逃げられないならやるしかない。


 たとえ敵わなくても、せめて俺に手を出したことを後悔させてやらねばならない。

 俺以外の人に手を出そうと思わなくなるように――いや、やはり妹たちを残して逝くわけにはいかない。

 絶対に生きて帰るのだ!



 ――来る!

 見えないはずのそれが動く気配を感じた――ような気がした。

 俺には気配を読むような感覚は無いのいだ。


 とにかく、先のことは考えなくていい。

 今はこの状況に全力で抵抗しなければ詰む。


 しかし、ナニかと接触したその瞬間、今まで感じたことのない感覚や感情が綯い交ぜになったものが押し寄せてきて、自分の状態が全く判断できなくなった。

 必死で自分を保とうとするけれど、魂まで――存在そのものを喰い荒らされているような、自分が自分でなくなるような悍ましい感覚に圧し潰されそうになる。

 今までの人生が走馬灯のようにプレイバックされて、こんな状況だというのに懐かしさを感じてしまう。

 もちろん、そんな状況ではない。


 とにかく、最後の最後まで抗ってやろうと――むしろ、絶対に帰るんだと強い決意で、襲いかかってくる理不尽に必死で抗っていると、今度は目も眩むような光の中に放り出された。


 その光が収まると、今度は深い森の中にいた。


 そして現在に至る。


 うん、やっぱりわけが分からない。

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