第二十九話 〈黒き炎刃〉
後日……俺はギルドの受付でマルチダに呼び止められた。
「エルマさんですね。ヒルデさんから例の五千万ゴルドのお支払いがありましたのでご報告いたします。必要なときにいつでも仰っていただければ」
「本当にあいつ用意できたのか……」
まだあれから二日も経っていない。
最悪ずるずると引っ張られてなかったことにされるのではなかろうかと危惧していたのだが。
「冒険者同士の揉め事の対処はギルドが慣れていますからね。ギルドはその気になれば、冒険者が〈
「……まあ、そうだな」
一般的には、冒険者ギルドに登録している冒険者でなければ、〈
そういう面では、冒険者は活動基盤と生命線を、常に貴族に握られ続けている形である。
「もっとも、領主様と冒険者は持ちつ持たれつの関係……権利を盾に出し惜しみして横暴に振る舞っていれば、魔物災害が起きた際に対応できずに領地が滅ぶことになるかもしれません。……ただ、ギルド側の切り札として、規律を乱す冒険者の方にちらつかせることもあります」
「そりゃ効果も覿面なわけだ」
ヒルデには〈
「しかし、ヒルデはよく五千万ゴルドなんてぽんと用意できたもんだな。あの口振りからして、すぐに作れるのは三千万ゴルドが限度な様子だったが……」
「冒険者の方は、金銭とは別の形で資産を持っていますからね。本人が好む好まないは別として、お金を作ること自体は不可能ではない方が多いはずですよ」
「それはどういう……」
「あっ! エ、エルマさん、あれ……」
ルーチェが声量を落としながら、くいくいと控えめに俺の袖を引く。
「む?」
ルーチェが示す先を見ると、ギルドを歩くヒルデの姿があった。
手には〈黒鋼の鎌〉と〈ベアシールド〉を装備している。
そのアンバランスな武器に、一瞬で事情を察した。
いっそ典型的過ぎるくらいの、破産者の間に合わせ装備であった。
〈マジックワールド〉でもたまにああした装備のプレイヤーは存在した。
金欠に陥ってメイン装備を失うことになり、辛うじて手持ちの片隅にあった武器をああして装備しているのだ。
専用装備ではないが攻撃力はまあまあある〈黒鋼の鎌〉。
そして性能はそこそこだが、リーズナブルな〈ベアシールド〉。
盾の中央には、コミカルなクマの顔が大きく描かれている。
この世界であんな恥ずかしい装備をできる冒険者がいるのだろうかと俺は疑問だったが、まさかヒルデがそうなるとは思っていなかった。
恥ずかしさから顔を赤くし、殺気立ったように周囲を睨んでいる。
「ああ、なるほど……武器を売ったのか」
マルチダの言っていた意味がようやくわかった。
冒険者の資産とはずばり武器のことだったらしい。
「あー! いた! キサマら!」
ヒルデを声を荒げ、俺の方を指差した。
「ルーチェ、逃げるぞ」
「逃がすと思っているのか!」
ヒルデが俺達の歩いていた先へと素早く回り込む。
「……何の用だ、ヒルデ。そっちからしてみれば、俺達になんて二度と会いたくないものだろうと思っていたが」
「盾と目線を合わせながら話すな。そんなにオレ様の盾が珍しいか?」
俺はさっとヒルデへと目線を上げた。
「前回と言い、散々このオレ様を馬鹿にし腐ってくれたな。だが、オレ様から奪い取った五千万ゴルドは返してもらうぜ」
五千万ゴルドは諦めがつかなかったらしい。
ただ、決闘の対価として、正式に受け取ったものだ。
ギルド職員に間に入ってもらおうとマルチダの方を振り返ろうとしたとき……前方から、強烈な圧迫感を感じた。
「ヒルデ、それが例の重騎士か」
「ああ、ああ! こいつらだ師匠! こいつらがオレの五千万ゴルドを、卑劣な手段で奪い取りやがったんだ!」
長身の銀髪の男だった。
長い髪を後ろに括っている。
美形で、表情が薄い。
だが、その双眸からは強い意志を感じた。
佇まいというか、気迫でわかった。
こいつは強い。
人間相手に、ここまでプレッシャーを覚えたのは初めてのことだった。
聞かなくてもわかった。
この人物が恐らく、本物の〈黒き炎刃〉だ。
「クラス魔剣士……A級冒険者のカロスだ。ヒルデから君達の話を聞いて、ぜひ会いたいと思ってね」
場に冷たい空気が走る。
相対しているだけで、格が違うと思い知らされているような気分だった。
このレベルの相手と、今の力量で敵対するのはまず不可能だ。
「失礼だが、まず最初に確認しておかなければならないことがある。ヒルデから五千万ゴルドを騙し取ったというのは本当か?」
「……〈ミスリルの剣〉を寄越せと脅しを掛けられて、成り行きで決闘で決着をつけることになった。その結果だ」
〈黒き炎刀〉は本物の実力者だ。
冒険者の都とて、そう何人といないA級冒険者。
基本的にギルドの方が立場は上だといえど、替えの利かない重要戦力であるA級冒険者となれば話は別だろう。
果たしてギルドを盾にしてもどれだけの効果があるものか……。
「そうか、やはりか」
カロスは静かに頷くと、握り拳を作り、ヒルデの頭へと一直線に落とした。
ゴンッと鈍い音が響く。
「つ、つう……! し、師匠、急に何をするんだ! こんな奴の言い分を信じないでくれ!」
「最初からどうせそんなところだと思っていた」
「なっ……! オ、オレの言ったことを信じてくれるって、言ってたじゃねぇか!」
「会ってみたいから連れて行けと、そう口にしただけだ」
カロスがうんざりしたように息を吐く。
「そもそも師匠師匠というが、私は別に君の師になったつもりは……」
「え……あ……し、師匠……?」
ヒルデが泣きそうな顔をする。
カロスは頭を押さえ、溜め息を吐いた。
「……今それを言えば、責任逃れのような形になってしまうか。私の不行届で随分と迷惑を掛けてしまっていたようだ」
カロスが苦々しげな表情で、俺へと頭を下げた。
「い、いや、別に俺は……。決闘自体、挑発に乗って受けただけで、断ろうと思えば断れたことだ」
こんなことで頭を下げられては、むしろ俺の方が寝覚めが悪い。
「君はいい奴だな、エルマ」
「……小遣いを作れれば得だくらいに思っていたし、そこでそう評価されても」
なぜ弟子がこうなったのかわからないくらいの善人だった。
善人過ぎて居心地が悪くなってきた。
「私は新人時代、あまり仲間に恵まれなくてね。ただその苦労あって、人を見る目には自信があるんだ」
「は、はぁ……」
本当にやめてほしい。
窮屈になってきた。
今お金を返してあげてほしいと頭を下げられたら、そのまま受け入れてしまいそうな空気だった。
「それから例のお金なんだが……」
狙ったかのようなタイミングで話題が出てきた。
俺は咄嗟に身構える。
「この子は、身に痛くないと覚えないタイプでな。本人のためにも絶対に返さないでやってくれ」
「あ……はい」
俺は小さく頷いた。