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41話:勇者、旅路を振り返る

回想及びライム回+閑話であります。



「気持ち良い……贅沢ー」


 青い空、擬似じゃない本物の太陽の光。

 体を地面に縫いとめている重力さえ、どこか優しい気がしてくるから不思議なもの。


 地球に居た頃にはごく当たり前にあったものが、今ではとても新鮮だ。


 頭の上に広がる青い空には2つの月と複数の軌道リングが浮んでいて、地球とは限りなく違う場所だと教えてくれる。



 フィールヘイト宗教国、中央惑星系、首都星「セントラル・カテドラル」。

 首都星の大聖堂にほど近い商業区画、その裏通りにある多国籍民間軍事企業『魔王軍』フィールヘイト支部―――という名のオンボロマンションの一室。



 私はマンションのベランダにシートを敷いて空を見上げていた。

 幸いな事に太陽を遮る無粋な高層建築の類は無く、暖かな日差しが満ちている。


 久しぶりの地上。

 宇宙船の船内やステーションの住人にとって、ただ惑星上というだけで贅沢だというし―――

 何より空を見上げて、益体もない詩のような事を思い浮かべてしまう位に暇だった。



 忙しい時には暇という境遇は黄金の価値を感じるけど、暇が続けば続く程に価値の暴落は避けられない。

 1日目はぐっすり昼寝して、2日目はごろごろ転がって幸せだったけど、3日目からはやる事がない事に不満を感じてる。



 フィールヘイト宗教国はその名の通り、国の成り立ちや運営に宗教が根強く影響している。

 国家の代表及び最高権力者は国教でもある「フィールヘイト聖教」のトップ、教皇が兼任する独裁構造であるし、国の運営は教会が行っている。

 ここだけ聞くと、独裁者と教会が幅を利かせてる堅苦しく住み辛い所を想像するし、私もそう思っていたのだけど。


 実際に訪れてみると平和な所だった。

 教皇を大統領に、司祭を議員に、教会を政府機関に置き換えてみれば、地球で民主主義を掲げてる国とそこまで大きな違いはないの。


 支部のご近所さん、支部が入ってるマンションの一階で伝統工芸の金属細工職人をしてるおじさんに、宗教主体の独裁国家なのに随分暮しやすいのは何で?と聞いてみたら、笑って答えてくれた。

 ジャンプゲートは軍や企業だけじゃなく民間にも解放しているし、バスやトラック感覚の宇宙船とかもあるから、住み辛い国にしていたら住民達があっというまに移住していってしまうと言われた。


 言われれば納得だ。

 中世ベースのファンタジーと違って交通機関が発達していて、反動が怖くて民衆への抑圧ができない程度に情報化された世界なのだから。

 武力や権威で強引に国民を従わせるよりも、暮しやすい国を作って自発的に住んで貰った方が経済活動の活発化など、国としても得るものが多い。


 町並みはアドラム帝国の惑星とかステーションに比べれば異国情緒があるけど、逆に言えばその位しか差異が無い。

 街行く人は急いでいたり笑っていたり、仕事中なのか携帯端末を通話モードにして携帯電話みたいに話していたり。


 ”勇者教”の総本山に裏工作に行くなんて目的の為に来ている私達だけど、ミーゼが毎日あちこちの教会行って挨拶したり賄賂を渡したり忙しそうにしている程度。

 アルテはミーゼの護衛をしているけど、首都星だけあって治安が良いから顔には出てないもののどこか暇そうだ。


 私といえば支社にあった、さして多くもない決済書類や経理関係の書類はあっという間に片付いてしまい、すぐに仕事やることがなくなってしまった。

 だから良い天気なのをいい事に、朝からマンションのベランダにシートを引いて寝転がっている。



 教会の暗部による魔の手とか、権力者達の横暴とか色々な冒険を想像していただけあって肩透かし感は大きいけど、これで不満を覚えるというのも贅沢なんだろうね。



 表通りの家具屋で売っていたフィールヘイト南西部辺境の特産品らしい、有機素材の低反発クッションに頭を乗せて、太陽の光を浴びて目を瞑る。



 目を瞑れば頭に浮んでくるのはイグサの事ばかり。

 たまにリゼルも出てくるけど、出番はそう多くない。



 最近不思議に思う事が多い。

 いつから私はこんなにも孤独に弱くなったんだろう。

 ううん、孤独じゃないよね。

 どうせここには私しかいないし、私の頭の中で呟いている言葉なんだから正直に行こう。

 イグサと離れて行動する事を怖がるようになったのはいつからだろう。


 始めは寂しいだけかと思ってた。

 召喚されて勇者になってなってからもう1年以上。

 汚染惑星でイグサとリゼルに出会って、ずっと賑やかな生活をしてきたからかな?と思っていたけど少し違う。


 こっちにはミーゼやアルテもいるし、そこそこ仲の良い「魔王軍」従業員も結構来ている。

 お茶菓子とお茶を用意して、かしましく会話するなんていつでも出来る。

 実際にお茶会をやってみたけど、喪失感みたいなものは小さくならなかった。

 いるはずのないイグサを探している自分に気が付く事だって少なくない。



 でも―――と思う。

 今でこそ恋心をはっきりと自覚しているけど、いつから私はイグサの事をここまで好きになっていたんだろう?



―――



 イグサに初めて会った時の第一印象は普通からやや悪い位だった。


 見た目や服装こそ、普通の日本人の大学生位の男の人とテンプレートで語れそうなのに。

 まず雰囲気が違った。

 私は特殊な場所で育ったから色々な人を見る機会はあったけど、その私ですら今まで感じた事の無い雰囲気。


 イグサは現実感が薄い浮世離れした雰囲気を振りまいていた。

 どこかの御曹司とか王子様が庶民の服を着て一般人になりすましているような、その人が本来いる場所からかけ離れた服装に態度をしているような雰囲気。

 あの空気を出しているイグサだったら、それこそ量販店の安い服を着せても、高級ブランドのスーツを着せても、見た人は同じ印象を抱くんじゃないかな。


 普通の人ならその雰囲気を「どこか優しい」とか「面白い人」とか勘違いしそうな違和感。

 実際私も初対面の時は浮世離れした空気から魔法使いとか賢者と勘違いした位だけど、後から考えてみれば分かる。

 あの違和感の元は「嫌な雰囲気」酷く濃密な悪意とか邪気とかそういうものを薄く、どこまでも薄く希釈きしゃくしたものだ。

 生まれ育った環境のせいで人の悪意とかに敏感な私じゃなかったら、最後まで気がつかなかったんじゃないかな。

 ……まぁ、あの時の私は嫌な雰囲気を感じつつも、イグサの話し方や態度から「善良な変人」と勘違いしていたけど。


 召喚された直後に呼吸困難に陥っていたのを助けて貰ったものの。

 どこか嫌な感じのせいであんまり良くなかった印象は、イグサの魔王カミングアウトと、その直後の隷属化で大暴落したっけ…。


 その後暴落した評価は概ね順調に上がって行った。

 勿論、時には賛成できない行動だってあった。

 例えばリゼルを騙すみたいに使い魔にした事は酷いよね。


 けど隷属させたり使い魔にしたからって非道をするどころか、リゼルや私への扱いは主人と奴隷のようなものではなく、同じ人間として対等に扱ってくれた。

 そんな気遣いをごく自然にやるから、憎みきれなくてイグサはずるいと思う。


 少なくとも勇者として召喚される前、地球にいた頃の家族と呼べる関係じゃなかった、書類上親子になっていたあの人達に比べてずっとまとも。

 人間が人間に対してやっていた扱いより、魔王が勇者に対してする扱いの方が良いっていうのも皮肉すぎる話だよね。



 イグサと親密になった切欠は、残念ながら甘酸っぱいイベントで淡い恋が芽吹いたとかの乙女チックなものじゃなかった。

 うん、あれはただの嫉妬と独占欲だ。


 最初に目撃したのはワイバーンの修理中。

 イグサが食料合成機を使ってプリンを作ってくれた日だって詳しく覚えてる。


「多めに作っておいた。保存庫に入れておくから早めに食べてくれ。

 この惑星の環境で長持ちするとは思えないしな」

 あれは悪魔の囁きだった。

 いつでも食べて大丈夫な、いや食べるのを推奨されてる甘味があったら、その誘惑に抗える女の子は少数派だと思う。


 その日の夜、つい我慢が出来なくなってプリンを貰いに行った時にリゼルがイグサに、べったりと甘えているのを見てしまった。

 リゼルの甘え方は頭を擦りつけたり頬擦りしたりあちこち匂いを嗅いだりと微妙に動物ぽかったけど、昼間とは全然違う快楽に酔いしれるような艶のあるリゼルの黒い瞳は今でも忘れられない。


 そのリゼルの行動を当然のように受け入れ、時にはあちこち撫でたり甘やかしていたイグサを見て、胸に軋むような痛みを感じた。

 初めての事に驚いてドアの影でしゃがみ込んで深呼吸していたら、今度は罪悪感に似た後悔がやってきた。


 何でこういう事になる前に私は何もしなかったんだろう、って。


 イグサと出会ってたいして時間が経っていなかったのに、どうしてそう思ったのかは分からない。

 けど、気が付いたら熱い涙が頬を伝っていた。



 次の日、昨日の事がまるで嘘のように普通にしているイグサとリゼルを見て、胸の奥にある何かを押し潰しそうな後悔はゆっくりと、暗い熱を持つ焦燥感じみた何かに変わって行った。


 ―――リゼルはずるい、私のものをとった。

 ―――今ならまだ間に合う。

 ―――あの場所は私が居るはずの所。


 自分の事ながら身勝手すぎる、酷い嫉妬と独占欲。

 結局、イグサに私の「ちょっとした秘密」を見透かされた日に我慢できずに押し倒して無理矢理迫る事になった。


 あれが私の初恋だったというなら、その点だけは魔王を心の底から恨みたい。

 白馬の王子様を夢見るような幻想を持ってはいなかったけど、嫉妬と体の関係から始まる初恋なんてあんまりだ。

 次の日にはリゼルもイグサを押し倒していたのも含めて、色々と酷すぎる。


 恋に淡い憧れを抱いていた私の心を返して欲しい。

 こんな不純で昼ドラみたいな事になったのに、嫉妬と独占欲と性欲まみれの歪な恋心の蕾が芽吹いている事が嬉しくてたまらない。

 私の心をこんな歪にした責任をとって。


 リゼルとの女子会という名の話し合いを何度も繰り返して、お互いにイグサを独占しない条約を締結して独占欲が抑えられるまでの、お互いにイグサにやらかした色々な事は黒歴史すぎる。


 でも、あの頃はこの恋心は私にとっての致命傷だとは気が付いていなかった。

 初恋も夜のあれこれも誰でも一度はかかる麻疹はしかみたいなもの、時間が経てば重要度はどんどん軽くなって行って、いつかは懐かしい思い出になるようなものなんて、大人ぶっていたのだけど―――



 結局、この恋心は私の心へ深く鋭く突き刺さる最悪の凶刃だった。

 その自覚が出たのはやっぱり太陽熱エネルギープラントの一件からじゃないかな。


 自分の事ながら恋と恋の結果にある行動の順序が逆じゃないかと呆れそうになるけど、相手が魔王という徹底的な規格外なんだから、普通なんて望めないのは仕方ない。

 仕方ないよね?



 『ヴァルナ』ステーションを含む『船の墓場星系』のステーションやプラントを襲っていた海賊の本拠地になっていた太陽熱エネルギープラント。

 ワイバーンがステーションの外周を守るシールドを突破して、太陽熱エネルギープラントに打ち込んだ突入ポッドで、多くのファントムアーマーとリビングアーマー達と一緒に乗り込んだ私は酷い光景を見る事になった。


 清掃も整備も行き届いていない巨大なスラムじみたものになっていた太陽熱エネルギープラントの内部。

 街頭に無気力に座り込む薄汚れた扇情的な服を着た少女達、お楽しみの最中だったのか肌着のまま逃げ遅れた海賊に、文字通り肉の盾にされた、全裸のミーゼよりももっとずっと幼い子供。


 このSF世界じゃ当たり前に横行している不道徳なのかもしれないけど、怯えや恐怖に染まりながらも媚びた笑みを浮かべる子供達に、かつての理不尽に反抗しなかったifもしもの自分の姿を見て、この世界の人々と隔絶した暴力を内包している勇者かいぶつを自制している鎖が砕ける音を聞いた。

 銃撃戦の嵐に突っ込みバリケードごと後ろにいた生物なまものを切り裂いて、 背中を見せて逃げるものを輪切りにして、銃を捨てて命乞いするものの首をまとめて切り落として。

 周囲に降り注ぐべたりとした鉄臭い赤い雨を浴び続けながら、自然と笑いが口から漏れ出て行く。

 あの時の私は殺戮に酔いしれていた。


 建前は勇者としての義憤、本音はいつかあった理不尽への反抗、その焼き直し。

 目に入ったなまものを斬って、斬って、斬って、斬り尽して。

 獲物を屠殺する事に夢中になっていたら、この場所に来た本当の目的―――助けたいと願った人々を危険に晒してしまった。

 その時私に出来たのはイグサに助けてって泣きつく事だけ。


「―――だから、イグサ。助けてください、お願いします」

 生まれて初めての誇りも矜持も投げ捨てた、すがりつくような懇願こんがん


「お前はいつも通りの方が安心する………任せろ」

 いつも意地悪でひねくれモノの癖に、こんな時ばかり仕方ないなと優しく笑って任せろと言うのはずるい。

 その時には自分への苛立ちと罪悪感で涙がこぼれそうになっていたのに、イグサのその一言で決壊して泣き出してしまった。


 私は止まらない涙を拭いながら、ワイバーンの状況中継を聞いて、一つの覚悟を決めたのだった。



 私が救えなかった人達を連れて、ワイバーンが太陽熱プラントのドックに入ってきたのを見た時に、一瞬呼吸のしかたすら忘れたのを良く覚えている。

 純白の装甲はあちこち焼け焦げ、装甲板には沸騰した跡が残り、場所によっては溶け落ちていた。

 殺戮に酔いしれていたという、どう言い訳もできない不手際のをフォローしたせいで、どれだけの無茶をしてくれたのかすぐに判った。


「………っ」

 イグサの姿を探して走りだして、見つけた時にはどうしようもない気持ちが溢れてきて、イグサの胸へ飛び込んでしまった。

 ごめんなさい、とまず言おうと思ったのに言葉になってくれなかった。


「どうした、ライム?」

 抱きしめて優しく頭を撫でてくれる。

 嬉しい。嬉しいけど、それ以上の罪悪感も同時に湧き上がって来る。


「私が人を助けたいと我侭を言った」

 あの人達を助けたいと我侭を言ったのは私だ。

 だから、殺戮に酔って助けたい人達をないがしろにしてしまった自分が許せない。


「みんなに危険な事をして貰ったのに、私は何も出来なかった」

 助けの手を伸ばす手段すらなかった。

 助けたい人を優先しなければいけなかったのに。


「それどころか助けたい人達の命を危険に晒した」

 そう、助けたい人達の命を危険に晒した原因は、私があちこちで殺戮し続けたからだ。

 この手で敵の命を奪い続ける高揚感に身を焦がして、その先どうなるか考えもしなかった私の罪はとても重い。


「イグサ、私は私を許せない。無力さも、力に酔って目的を疎かにした心も」

 だから、最後にイグサに甘えよう。


「だから―――私に罰を下さい」

 ずっと前から感じてる、イグサが心の奥にしまっている悪意や邪気を私に向けて。


「…………」

 イグサは何も言わなかった。

 ただ私を抱きしめる力が強くなって、嫌な感じ―――私がただの人間だった頃から慣れ親しんだ悪意や邪気が濃くなって行く。

 イグサから感じる悪意や邪気は酷く濃密。

 ああ、イグサはやっぱり魔王なんだな、なんて変な納得をしていた。

 その悪意と邪気を私に向けて、とびきりの地獄ばつを私にください。



「………イグサ?」

 それでも何も言わないし動かないイグサに声をかける。

 すると、今まで漂っていた嫌な感じが希薄に、いつものイグサの雰囲気へ戻って行った。

 どうして?何で?


「罰が欲しいなら、魔王がくれてやろう。ついでに契約の代償を頂こうか」

 そう語るイグサの顔に浮ぶ笑みは、いつもの「悪に拘る魔王」の不敵な笑みになっていた。


「美しい、お前の存在全てを頂くとするか。

 その身と心が持つことごとくと、内に秘める魂すらも捧げて貰おう。

 お前の全ては俺のモノだ。体、心、魂、それに罪も誉れも何もかも」

 イグサの口から出たのは私が望んだのとは違う、酷い罰だった。

 地獄ばつはくれないけど、私がしでかしてしまった罪も後悔すら全てを魔王に奪われるという優しい罰。

 この上ない地獄ばつを欲してる罪悪感が、このまま全てをイグサにゆだねてしまいたいという甘美な誘惑に侵されていく。


「さあ、報いを受けるならこの手を取れ、これ以上無い程の罰になるだろう」

 イグサの手には複雑な立体魔法陣が浮んでいた。

 ずるい、こんな遠回りなのに意図が透けて見える優しさを弱ってる私に見せるなんて。

 手に絡めるように重ねると複雑な魔法陣が周囲に展開していく。



『契約成立しました。ランクⅩ-Ⅹ・魂と運命の契約が執行されます』

『契約者 勇者ライム』

『契約先 魔王イグサ』

『契約代償:契約者が所持していた因果律の全て』

『勇者ライムは魔王イグサの所有物として魂と運命の全てを捧げ、その存在と因果が消失する先まで、永久の忠誠を誓う事がここに誓約されました』



 使い魔の契約に似た何か。

 自分の身になって気が付いたけど、この契約内容は「お前の全部は俺のものだ」っていう熱烈な求婚に近い気がする。


「さあ、これでお前の罪も誉れも何もかもが俺のモノだ。

 故に俺の罪でライムが悲しみ嘆く事など許さない。判ったか?

 存分に頼って依存して、そのうち堕落した勇者と化すがいい」

 あざ笑うような口調で言い放つイグサだけど、悲しみ嘆く私を見たくないと言う甘い囁きにしか聞こえない。


「酷く素直じゃない、犯罪者、悪者」

 思わず悪態が口から出るけど、心の底からの本音。

 これじゃ魔王じゃなくて、人を甘やかして堕落させる悪魔だ。

 なのにイグサが堕落させてくれるというなら、どこまでも甘えたくなる


 でも―――と心の中で思う。

 優しくされっぱなしというのは私の性に合わない。

 だから、この見栄っ張りで強がりで優しい魔王様の力になりたい。

 イグサがいつか疲れた時に、今度は私が優しくしてあげたい。


 大好きだよと、言葉を口にしそうになって気が付いた。

 そうか、私はイグサに恋をしているんだ。

 ずっと続いていた嫉妬と独占欲から始まった恋の芽が、いつのまにか初心な少女みたいな恋になったんだって―――



―――




「……やっぱりあの時が決定打だよね」

 首元を飾るチョーカー。

 太陽熱プラントでイグサと契約してから、お風呂の際に外せるとか随分自由度が上がったものに触れて呟く。


「イグサはやっぱり外道」

 心が弱ってる時にあんな優しくされたら耐えるのが難しい。

 それに優しくしているのが私だけなら独占できるのに。

 私以外にも優しくして、同じ様な「被害者」は何人もいる。


 ただ誰にでも優しい博愛主義者ならお礼だけを言って無視もできた。

 好きな人を一人に絞れない優柔不断なら見捨てる事だってできる。


 けど、イグサが優しくするのはごく限られた一部だけだから、嬉しいと思ってしまうのは止められないし。

 好きな人は全部自分が抱きしめておきたい欲張りだから、惚れた方としては数が増える事については諦めるしかない。



「イグサの外道、鬼畜ー」

 結局、愛しげな響きになってしまう不満を青い空に言う位しかできない。



 ああ、早く会いたいな―――



―――



「カルミラス局長、いい加減実力行使を認めてくれないかね?」


「あらあら、引退しているのですから「元」ですよ」


 『ヴァルナ』ステーション近郊にある星間航路からやや外れた宙域、アドラム帝国情報局が誇る新型情報収集型電子戦艦『グレイマウスⅢ』が停泊していた。

 戦艦の中とは思えない広さときらびやかさを持つ『グレイマウスⅢ』の貴賓室には1人の女性と、その女性と相対するように5人の軍服姿の男女が座っている。


「カルミラス元局長、実力行使を認めない理由はあるのかい?」


「そうねぇ、遺失技術ロスト・テッククラス1が複数個あるのに何もしない方が不思議だわ」


 軍服姿の男女は人種も外見年齢もまちまちだが、帝国軍第5艦隊司令、帝国軍兵器開発局副局長など、いずれも帝国軍の重鎮ばかり。

 それに対して「ちょっとそこまでお買い物に」と言わんばかりの服装で対応するのは帝国情報局元局長―――リゼル母だった。


「いい加減情報はこちらにも流れてきている」

 ぱん、と投影画像の資料を叩いて苦々しい顔で言うテラ系アドラム人の艦隊司令。


「民間軍事企業『魔王軍』が持つ独自の遺失技術。

 既に確認されただけでも二桁に及び、中には軍事戦略に大きな影響を与えるクラス1の遺失技術まで複数含まれている。

 艦隊を動かしても構わない、強制的に技術を押さえるのは当然だろう!」


「そうだね。兵器開発局うちとしても賛成かな。

 この技術を取り込めれば色々と船の性能も上げられるからね」


「資料はちゃんと読んで貰ってるかしら。

 遺失技術は確認されているだけでも二桁、ただし半数以上は超能力のような属人的なものと思われるよ。

 確かに目立つものだけど、血統遺伝しかしない、あるいは遺伝するかどうかすら怪しい個人の能力は技術でも何でもないでしょう?」


「……ぐ」

 種族の進化や突然変異で発生した固有能力を技術化する難しさを知る、兵器開発局副局長が言葉に詰まる。


「ねぇ司令。アドラム帝国うちの軍事バランスはそんなに劣勢なの?」


「劣勢である訳がない!

 狂信者共が勢い付いている南西方面こそ、多少戦線が膠着している程度だ」


「司令、『魔王軍』は多国籍企業よ。

 企業を支えている技術を奪おうとして、そっくり他の勢力へ亡命でもされたら、それこそ火の無い所から火事になりかねないと思うの。

 これが国存亡の瀬戸際ならともかく、安定しているなら波風立てる事もないわよね。

 どうかしら?」


「それは……まあ、元情報局長の言う事も分からないではない。

 だが、強硬手段以外の手を使う為の情報局であろう、何故行動を起こさないのだ?」


「強硬手段と同じよ。

 『魔王軍』は諜報機関上がりの人材も多くて露見のリスクが高いし、露見したら帝国への不信感が高くなって、結局強硬手段が失敗した時と同じ事になりかねないわ」

 まぁ、その大半は情報局うちから出した人材ばかりなんだけどね。と心中で付け加えるリゼル母。


 最初はアルテの部下だけだったが、数が増えるにつれて『魔王軍』内部の監査や治安維持などを任され始めたメイド隊などはその代表だった。

 元々情報局上がりのリゼル母と、引退したリゼル母を慕ってついてきた情報局時代の部下や、その部下達が育てた人材なので『魔王軍』の内情がリゼル母にほぼ筒抜けになる代わりに、他の勢力に対して強力な防諜能力を発揮していた。


情報局うちとしては気長だけど確実な手を打ってるわ。

 他国の諜報機関からの『魔王軍』関係者のガード。

 それに『魔王軍』代表が作った子供はアドラム人女性との間の子ばかりだし、子供達はアドラム帝国臣民だから長期的に帝国へ取り込める可能性は高いわね」

 うちの娘に孫達だしね、道具にさせないわよ。と口には出さないリゼル母。


「なら計画をしっかり立てて実力行使すれば良いだろう!」


「司令、主力戦艦級を所持する海賊を撃破できて、ジャンプドライブ搭載艦を多く持っている企業に対して、確実に逃がさない強硬手段はあるの?」


「むぐ……」

 司令は苦虫を噛み潰したような渋面で押し黙った。

 司令の指揮する第5艦隊は帝国の主力艦隊の1つとはいえ、アドラム帝国軍の基本に忠実で物量での力押しを得意としている。

 逆に言えばそれ以外は不得意も良い所であり。

 大艦隊を正面から戦闘して撃破するならともかく、逃走の一手を取る複数のジャンプドライブ搭載艦をまとめて拿捕するような器用な真似事は苦手だった。


「この場にいる皆さんが納得して頂けるなら、情報局が進めてる長期計画でアドラム帝国への帰順させる手法に賛成して頂けるかしら?」


「仕方あるまい…」


「ま、しょうがないよね」


「状況が変わったらいつでも口を挟むけどね?」

 集まった軍幹部達はそれぞれ苦い顔や苦笑を浮かべつつも不承不承頷いて、退室して行った。


「まったくもう仕方のない人達ね」

 静かになった室内で、リゼル母は一つ溜息をついた。


「目の前に美味しそうなものがあったら、食べるのを我慢できないなんて、躾の悪いペットと同じじゃない。

 イグサさんは身内に対しては温厚だけど、イグサさんやその関係者に危害でも加えるなら、帝国全軍の半分位は使い潰す覚悟が必要だって、いっそ言ってやろうかしら」

 それはそれで面白そうねと、半ば本気で考えるリゼル母。


「うーん……でも。

 うちの子達の悲しそうな顔は見たくないし、抱けるのはずっと先になるって覚悟してた孫達と離れ離れになりたくないし、それに未来の義理の息子に嫌われたくないわよね」

 周囲に情報局の部下達が残っているが、リゼル母の口から出てきたのは裏表のない本音だった。

 最後の一つだけは本人に尋ねれば、否定されそうな内容ではあったが。

 

「そうなると情報局のみんなにはごめんなさいだけど、色々働いて貰わないとね。

 メイドチーフ、何か変わった事はあるかしら?」


「奥様、報告が2件ございます。

 まず、先日より実施していた『魔王軍』代表―――イグサ様への調査の件ですが、トラップ実施検査により最終的に93%の数字が出ております」


「まぁまぁ、数字が高くなるとは思っていたけど93%っていうのは、また前代未聞の数字ねぇ」


「はっ。小官の記憶の中でもハニートラップ成功率90%以上というのは聞いた事も無い数字であります」


「イグサさんどれだけ誘惑に弱いのかしら、それともわざと?

 判断に悩む所ねぇ……露見率はどの位になってるの?」

 ハニートラップの類は先に仕込んでおいて、徐々に情報を取り出したり後で脅したりするのに使うので、最初からトラップだと露見してしまうのは美味しくない。


「露見率も95%以上、ほぼ全員が「奥様によろしく」とのメッセージを受け取っています」


「焼いても煮ても食えない人ねぇ……で、調査員の離職率はどの位?」

 古来から使われ今もなお有効なハニートラップだが、情にほだされての二重スパイ化や元の組織を裏切る危険は常について回る。


「調査員はかなり厳選したのですが、おおよそ40%であります。

 辞職したものは調査の限り、ほぼ全員が『魔王軍』へ再就職をしているようです」


「局員教導課には臨時予算を組んであげないといけないわね。

 でも検査で分かってよかったわ。

 他国や他勢力からのハニートラップを防ぐ体制作りを優先しないといけないわね」


「小官も同意見であります」


「もう一つの報告は何かしら?」


「民間軍事企業『魔王軍』代表及び副代表について、人物照会をかけた組織が一件」


「あら、どこかしら―――心当たりが多すぎるっていうのも困りものよねぇ」


「帝国儀典局であります」

 儀典局は半ば形骸化している帝国皇室に関する公務一般を取り仕切る、表に出てくる事が少ない組織だけに、リゼル母も意外そうな表情を浮かべた。


「あら、また不思議な所から来るわね。人物照会だけ?」


「その通りであります。

 代表、副代表ともにピュア・テラン(純地球人)なのが影響している模様です」


「―――ああ、なるほどね。先代の時に混血入れるかどうか大議論になったけど、まだ純血派の勢力が根強いのね」

 アドラム帝国の皇室は純地球人の血統で継承していくのが伝統になっている。

 地球を含む太陽系が鎖国し、外宇宙で生活する元地球人も混血化が進み、純粋な地球人の稀少化が進んだせいで、書類上ロストコロニー出身の純地球人という事になっているイグサとライムに白羽の矢が立ったのだった。

 遺伝子調整技術の発達により兄妹や親子間での結婚や出産について問題はないものの、皇室の人間もそうそう身内ばかりとの婚姻を望む者ばかりではない

 隣のけもみみは青く見えるもの、実際アドラム帝国の皇室関係者の間では身内ばかりのテラ(地球人)系アドラム人よりも、獣系アドラム人という風潮が少なからずあり。

 皇室関係者が獣系アドラム人に一目惚れなり大恋愛をして、歌劇の題材を提供するスキャンダルには事欠かない。

 それらは儀典局にとっては頭の痛い問題の為、純地球人がいたら取り込みたいのだろうというのは容易に想像がついたのだった。


「うーん、そうね。情報操作しておきましょうか。

 イグサさんとライムさんは遺伝子調査の結果、純地球人と言っても差し支えないが、血統内の十数%に未知の生物遺伝子あり、現地生物との混血の可能性または遺伝子変調ウィルスによる変化と思われる……という事にしておきましょう。

 この位の割合にしておけば、純血派の人達なら嫌がってくれるでしょう。

 処置お願いね?」

 帝国皇室が形骸化しているものの、儀典局の権威は帝国内でも未だ大きい。

 情報局の元局長と言っても、儀典局相手にあっさりと情報操作する指示を出せるというのも特異な事だった。


「アイマム、手配致します」

 事情を知るものが聴けば卒倒しそうな内容の命令を、隻眼のメイドチーフは敬礼一つで受け入れる。


「さぁ、次が本題。またイグサさんを家に呼ぶ作戦を立てるわよ。

 軍部の人達と話して時間を無駄にしたわ。

 あの人(リゼル父)位とは言わないけど、子供離れしにくい程度の親馬鹿になって貰うまで気は抜けないものね」


「「「イエス、マム」」」

 その場に居たリゼル母の部下達は一斉に敬礼をして、次の作戦へ向けて陰謀を始めるのだった。



魔王軍の自由は魔王様の努力の他に、周囲の人々によって支えられている模様であります。


日常回はこれで一度区切り、次話から新章突入予定であります。

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