第9階層 離れる者、残る者
早朝、通学時間。
今日この日、一年にとっては分水嶺とも呼べる時間帯であった。
苦痛と死を味わい、尊厳と生命を一度剥奪されたものたちは、挫折から膝を屈したまま動けないでいる。その中には、死んだことをバネに奮起し次のトライに活かそうとする前向きなもの、死の恐怖を魂に刻みつけられて二度と立ち上がれないもの、まるでゲームのように現実感を失ったまま日常に戻るもの――様々である。
一年のこの日が、もっとも冒険者科から普通科へ、あるいは転校する生徒が多い日だ。
――一方、二、三年下駄箱前。
電子掲示板に、一年生の迷宮攻略成績が早くもアップされ、登校する上学年の足を止めた。
パーティ単位で上からずらりと横字で並び、右記に攻略最深階数と攻略時間が列記される。
攻略失敗にはパーティ名が赤字になり、×印が被さる仕組みだ。
赤字はすなわち全滅を意味し、死亡しているということだ。
普通に考えれば人の死に顔を顰めるもの。しかしそこは上級生。自分たちだってもう何度も死に戻りを経験しているのだ。暢気にどこのパーティが優秀そうか会話に花を咲かせている。
「お、早速新人の通過儀礼やってるね。どこのパーーティが攻略できた?」
「今回はひとつかな。〈白猫〉だってさ」
「誰がいんの? 竜人のとこ? エルフのとこ?」
「どっちも赤字になってるぜ。たしか竜人♂が〈ドラグニール〉で、古代エルフ♂と竜人♀のとこが〈カトプラ〉だろ? どっちも死んでんじゃん」
「去年の俺らの代は三組が初回攻略したのにな」
「おまえ、自分が攻略できたわけでもないのに威張るなよ」
「いばってねーし。朝からトライしてないパーティがあと二十組くらいあるから、残りは放課後じゃね?」
そもそも迷宮攻略に参加していないパーティは一覧の下の方に固まってパーティ名が暗く表示されていた。
今朝方挑んで敗れた一年生は、すでに迷宮入り口の横に併設された治療室で横になっているだろう。途中で引き返してきた生徒たちは、治療室の二階に用意されたシャワー室で垢と汚れを落としているはずだ。迷宮内で汚れた衣類も洗濯できる洗濯機付きである。
「
「そうなると勧誘は難しそうだな。猫人系は大抵クラン〈
「情報ねー」
「早い奴はもう動き出してるだろ? オレらの弱小クランも後輩にかかってんだよ」
「要チェックやでー」
冒険者学科には部活の他に、迷宮攻略の互助会の設立も積極的に推奨されている。――クランと呼ばれ、上級冒険者は上級クランに所属するのが一般的だ。
ソロ攻略では限界のある迷宮で、先達の指導を受けるもよし、装備品の譲渡もよし。年に数回行われるクラン対抗戦では、上位クランに学校側から貴重なアイテムの贈呈がある。そのひとつが、『スキル枠拡張』である。限られたスキル枠でやりくりしなければならない冒険者にとって、ひとつ増えるだけで戦略が十も二十も増える価値のあるものだ。
結果、有望な新一年生を早くからクランに引き込もうとする上級生が現れるのも自然な流れであった。
一年生がクランに加入できる第一条件が、十階層突破である。
そして朝、その資格を得たパーティはひとつしかない。
一年生の教室は二割ほどの空席が目立った。
かくいう僕の隣の席の大柄な霧裂さんも姿が見えない。
担任の八ツ俣初巳先生の二つの目と頭に生えたいくつもの蛇がクラスを藪睨みするが、これはとりわけ目つきが悪いだけで普段から温厚な先生である。
「松形さん杉友さん霧裂さん、笠懸くん戸松くん虹村くん、東美くん柚下さん与野さんの九人が保健室だそうです。先生さっき保健室覗いてきましたが、何人かは転科をしたいと相談を受けています。心折れたんでしょうね、ぽっきりと」
不穏当な内容に教室はざわつく。
「この時期はどうしても精神的に負担がかかるので、迷宮に挑んだ場合に限り遅刻も許します。でもそれはあくまで心を落ち着ける必要があった場合にのみ適用されます。サボりの理由で使う悪い子には、先生容赦しません」
八ツ俣先生の頭の蛇がしゃーと唸った。「悪い子は食べちゃいます」と冗談ともつかない一言を残して、出席確認の応答を始めた。
「さっき廊下で太刀丸のこと聞かれたぜ。〈白猫〉のパーティメンバー探してるらしいわ。パイセンたちにもうオレっちの強さを知られちまったみたいだぜ」
「丸もトイレに行くとき勧誘されたです。でも興味ないです。十階層超えたら〈
「もうクラン入りかよ。気がはえぇこって。オレっちどこのクランに入ろうかなぁ。パイセンたちのパーティメンバーに入れてもらって本格的に《斥候》でやっていこうかねぇ?」
「パーティメンバー藤吉のことだけじゃないです」
「いや、知ってるよ? けどねえ?」
藤吉の視線を感じる。僕は申し訳なさに、顔を上げられない。
「最初っから無理があったんだよなあ。オレっち前衛に向いてねえし。いつまでもチート君の肉壁なんてごめんだしよ」
「そんな言い方ひどいです」
「これが言わずにいられるかよ。こっちは常に全力なのによぉ、片や
「藤吉、もっと働くべきです。ちょうどいいです」
「かーっ、おまえまで味方してくれねえのかよ」
藤吉にはひどく恨まれてしまったようだ。僕が実力を隠し、パーティに寄生していたと思われている。
それはあながち間違いではない。召喚獣〈コアトル〉は現状チート兵器のようなものだ。それをわかっているから最後まで使いたくなかったというのもあるが、いまの僕では〈コアトル〉を一回召喚すると、僕の魔力はほとんど底を尽くし、戻してしまえばその後の攻略は何もできないお荷物にしかならない。
それに、〈コアトル〉の呪いかどうかはわからないが、僕には現状攻撃する手段がない。〈命中率0〉というマイナス要素を抱えているからか、攻撃判定がかかる武器、素手、投擲などといったもののことごとくが当たらないのだ。トドメを差すときだけ、なんとか判定を逃れる感じだ。
だから、《斥候》か《荷役》しかできることがない。寄生と言われても実際反論できないのだ。
「あーあ、早く次のパーティ組んで迷宮攻略しねえとなー。イチからとか大変だわー。パイセンのクランにお邪魔しようかなー」
「声が大きいです。先生に目を付けられても知らないです」
「そんなこと言われてもよー、なんかヤル気でねーっていうかー」
「そこ、無駄話しないでくださいね」
シャーっと蛇が牙を向き、ピカッと目を光らせると、頭の後ろで手を組んだ格好で椅子にもたれかかっていた藤吉がピシリと硬直してしまった。
隣の太刀丸は、案外気にした素振りもなく後ろ足で耳の後ろを掻きつつ、くわっと欠伸を漏らしたのだった。
図書室に来ていた。
ここには迷宮に関する書物がわりと豊富で、卒業生たちが残した攻略記録も貸出不可ながら目を通すことができる。
僕は割と文化系の人間なので、図書室には頻繁に足を運んでいた。なにをしているのかと言えば、迷宮攻略に必要な情報を集めているのだ。
新しく購入したゲームは説明書に一度目を通してからプレイするタイプで、前情報を多めに持っておかないと安心できないところがある。今も十階層から二十階層までの魔物とその対策、迷宮内のランダムなフィールドや環境効果をあらっているところだ。
だいたい二十階層までは草原や森林が多い傾向にあるようで、足場は問題なさそうだ。迷宮内に草原がある時点で、常識人なら突っ込まずにはいられないが、迷宮とはそういうものだ。トロピカルな南国があったり、極寒の北国があったりと、その表情が階層ごとに変貌するから迷宮は面白い。
草原地帯を攻略するにあたって視界の広さは大切だろう。逆に不利な点は、一見優位に思える見通しの良い状況は、戦闘が長引けばその音で周囲の魔物を呼び寄せ連戦になる恐れがあることを物語っている。逃げるにも苦労しそう……。
比較的四足歩行の獣系の魔物が多いので、もたもたしているとあっという間に囲まれてしまうのだろう。
先輩冒険者たちの直面した数々の冒険は、それだけでも物語のように面白い。連戦が続いてパーティが瓦解したり、撤退しようとして狼系の魔物に回り込まれていたり、危機的状況の大半は乗り越えられずに全滅しているところとか。
特に、エリアボスと呼ばれるフィールド上に稀に出現するレベルの高い魔物が厄介だ。二十階層までの攻略平均レベルが三〇くらいだとして、出現するエリアボスの攻略レベルはその倍以上が通例だった。ドロップアイテムが高価なため、目の色を変えて戦いを挑むものの、到底歯が立たないと見るや撤退し、追撃を受けてパーティ全滅、死に戻りするところは冒険心をくすぐった。自分なら、と考えてしまうのだ。
藤吉の態度が悪いのは、切り札を使うと決めたときから覚悟していたが、実際に冷たくされると思いのほか精神的なダメージが大きかった。
高校入学後の半年間で悪友と呼べるほどに仲良くなったのだ。藤吉に誘われて女子寮の裏庭に侵入し、干してある下着を眺めてふたりではしゃいだことが昨日のことのように思われる。
「元気出すです。気にしたら負けです」
いつの間に図書室にやってきたのか、学ランを羽織った白猫の太刀丸がぴょんと机の上に飛び乗るった。ちょこんと行儀よく座り、うるっとした目で見上げてくる姿に思わず撫でてしまう。
「そんなこと言ってもね……丸は平気なの?」
「切り札は隠すものです。ここぞというときに使うです。あれはいいタイミングだったと思うです」
「そうじゃなくて、隠し事していたこととか……ほら、ジョブのこともあるじゃん」
「確かにすごいです。普通のひとと違います。でもだからと言って、それが人間的に異常だとか、丸はそうは思わないです。ささみくれます」
太刀丸はくわっとあくびをすると、机の上でペロペロと毛づくろいを始めた。
まるっきり猫の見た目でも、太刀丸は友だち思いのいいやつだった。白い毛並みの友人の親切心がとても温かい。でも最後のは完全に餌付けである。
「……なにはともあれ、そう言ってくれて嬉しいよ」
「でも丸、もうパーティ組めないです。十階層攻略したらクランに入る約束あるです。申し訳ないです」
「元々その予定だったんだから気にしないで。まさかこんなに早く一年のノルマを達成できるとは思ってなかったけどさ」
本格的にパーティメンバーを探さないとまずいな。藤吉はもうパーティを組んでくれないだろうし、噂が広まれば珍しさから人が寄ってくるだろうが、中身を知れば離れていくに違いない。
俺の切り札は諸刃の剣で、戦力としてカウントしてはいけない。あまりに強すぎる召喚獣の所為でチートだと思われるだろうが、マイナス要素がバカにできないのだ。
僕が迷宮に挑むために必要な人材は、アタッカーとタンク、ヒーラーだろう。僕はそのどれでもないから。
「仲間、探すです?」
「うん。あぶれてるひとを勧誘するしかないかな」
季節は九月。まだまだ夏の熱気を残しているが、随分と過ごしやすくなった。台風が多いので曇りの日が多いが、今日は晴れていてここは日当りのいい席なので、太刀丸はそのうち丸くなって目を細めた。猫は一日の大半を寝て過ごすが、それは太刀丸も例外ではない。迷宮攻略は白猫の彼のペースで言えば、急ぎ過ぎた。だからかなり負担をかけたはずだ。
「そういえば、クラスにいるです。ソロプレイヤーです」
「あぁ……ダブりのふたり……」
僕はちょっと遠い目をした。誘うならパーティのいない留年ふたり組を考えるのは間違いではない。しかしこの半年、同じ教室で過ごしてみてわかったことは、男子の方は厨二病の進行が深すぎて二度と戻ってこられないレベル。もうひとりの女子はやる気がないんだか目つきは悪いし構うなオーラを常に放出している。
「難易度が高いね」
「でも可能性あるです」
「そだね」
真剣に考えてみるとしよう。あの一件から嫌わずにいてくれる太刀丸の助言を無駄にはできないと思った。もうひとりの友人はというと、ちょうど入り口いて僕と目が合い、睨むように目を細めると、図書室には入らず踝を返したところだ。恨みは重い。
次回から人物紹介編復活です。