第8階層 鬼娘の受難
幕間的な話です。
短め。
霧裂姫叉羅は学年女子身長部門第一位である。
本人には不名誉極まりないが、鬼人族が同学年にいないのだからしょうがない。鬼人族の男子の平均身長は二メートル越え。女子でも一八〇が平均である。学校に通える種族ではもっとも大柄な種族だ。
大らかで不遜、そんな性格なら悩むことはなかったのだろうが、彼女の心根はごくごく普通に乙女だった。
他人から見た姫叉羅は、ガサツで口が悪く、男勝りで肩で風を切って歩いている女番長――そんなイメージで固まっている。本人もその自覚はあった。しかし隣の席の男子と話せば意識はするし、スカートの中を不可抗力とはいえ見られてしまえば一日中悶々とする。そんな女の子としての内面も持っている。
ぬいぐるみに囲まれたり私服はふりふりのロリータファッションだったりはしないが、ごく普通に恋愛に興味を持ち、クラスのかっこいい男子に憧れるどこにでもいる女の子だ。己の身長では男が寄ってこないことに気づかされたのは、小学校時代に鼻垂れ男子から言われた『巨人に踏み潰されるから逃げろ』の一言。それ以来身長をコンプレックスに感じている。女子の中で恋愛話になっても、自分に釣り合う男がいないことを冗談として嘯いては誤魔化し笑いを浮かべていた。
――こんな自分にも守ってくれる男ができるだろうか。もしかして、と想像せずにはいられない。
そうなると、この盾浜迷宮高校は姫叉羅にうってつけとも言える状況を演出してくれる……はずだった。パーティを組んだ男子に身を挺して守ってもらう自分を想像し悶えたりもした。
蓋を開けてみれば、姫叉羅はガールズパーティのタンク兼アタッカーとして仲間内から信頼を得て、姫叉羅がいれば男なんていらないねーあははーという空気になっていた。
女三人。男がいないことで普段の教室ではあり得ないくらい身なりを気にしなくなっている。一年の進級ラインである迷宮十階層、その終盤にもなると、どう見られるかに気を配る余裕もなかった。
六階層まではなんとか力押しでやっていけた。難しいことを考えずとも、道なりに進み、敵と遭遇したら一丸で叩く、ということを繰り返して、気づけば八階層である。十階層まであと一歩というところまでやってきた。三人での連携も上達してきて、姫叉羅が正面で複数を足止めしている間に、取りこぼした魔物を弓矢で遠距離から仕留め、スピードタイプのもうひとりが背後を取って平らげる、という必勝戦略もできた。
「このままあたしたち最速で課題クリアできるんじゃね?」
そう思うのも無理はない快進撃だったのだ。
だが根本的なことを三人は忘れていた。
「食料が尽きた……」
「水ももうない……」
最初は十階層まで行くつもりはなかった。途中で引き返せばいいじゃんと軽く考えていた。最初から三日分の食料しかなかったし、八階層まで三日かけてきて、また三日かけて一階層に降りるなんて考えられない。要するに、三人が三人とも楽観的に考えすぎて、ペース配分が出来ていなかったのだ。後戻りはできない。後はもう、奇跡を天に祈って十階層攻略を目指して進むしかない。
だがそれも九階層でつまづいてしまう。
焦って移動スピードを上げていたのだが、ここまでひとつもなかった罠にかかり、ひとりが落とし穴に落ちた。穴の下は剣山になっており、一目で即死だと気付いた。呆然と死体の前で項垂れていると、しばらくして魔物を屠ったときのように彼女は光になって消えてしまう。スピードタイプのアタッカーで、《軽業師》と《剣士》のジョブを持ったパーティのリーダーだった子だ。
仲間を失い、決定力に欠けたふたりだけのパーティ。もはや会話はなかった。魔物と遭遇するたびに戦闘時間は延び、焦りから単調な動きばかりになったことで怪我が増えていった。残った少女は治癒ができる《治癒師》と《弓士》のジョブだったが、魔力切れで回復ができなくなった。
そしてついに、姫叉羅の後ろを歩いていた後衛の少女が倒れた。右足が抉られて、止血したものの包帯は真っ赤に滲んでいる。その怪我の悪化でついに動けなくなったのだ。姫叉羅が駆け寄るが、彼女の足ではもう立てないことを悟った。
「痛い、痛いよ」
「…………あともうちょっとの我慢だから」
「この足、本当に治るの?」
「…………迷宮から出られれば」
「どうしてこんなことになったの?」
「…………それは」
「治らなかったら誰の所為になるの?」
「…………」
「ねえ? 答えて……答えてよ!」
「……………………ごめん」
だんだんとおかしくなった友人。自分は悪くないとつぶやき続けたかと思えば、動けない自分の体に慄いて、これはすべて罠にかかって消滅した友人の所為だと口汚く罵った。聞くに堪えなくなった姫叉羅が諫めようとすると、癇癪玉を破裂させたように対象を姫叉羅に向け罵倒し始めた。ジタバタと暴れ、手に負えない。悪い子じゃないのに切羽詰まった状況が彼女をおかしくしているみたいだった。それでも前に進まねばならない。姫叉羅は彼女を背負い、先に進んだ。
「なんでこんな苦しいことしなきゃいけないの?」
力なく背中で呟かれた友人の弱音が、姫叉羅の心に棘のように刺さった。
迷宮に意味を見出せなくなったら終わりだ。学生としてやっていけなくなる。二年になるまでに退学者か転科希望のものが少なからず出るが、きっと弱い自分を倒すことができなくて、迷宮から去っていったのだろう。別に迷宮専攻が学生の全てではない。普通科に転科することもできる。だが姫叉羅は、それが自分に負けることだと確信があった。
自分の求めるものはすぐには手に入らないが、この迷宮の先に必ず存在していると肌で感じている。だから弱音は吐かなかった。負けたくない。何より自分に。
しばらく黙々と歩き続けた。友人の身体が小刻みに震え始めた。泣いているのだと思った。もう、泣きごとすら聞こえない。
魔物に遭遇するたびに彼女を下ろし、やけくそになって突っ込んで行った。姫叉羅のメイスは凶悪な威力でもって魔物をぐちゃぐちゃに吹き飛ばす。魔石や素材を剥ぎ取る余裕などあるわけがなかった。
――そして、どれほど歩いただろう。
不意に背中が軽くなった。後ろを見ても、友人がいなくなっている。一瞬陥る、夢の中にいるような錯覚。
しかし、友人が力尽きて消滅したということに思い至る。
「あはは……あは……」
笑えてきた。何がおかしいのかわからないが、無性に笑いたくなった。
姫叉羅は笑いながら先に進んだ。食料も尽き、水も半日以上飲んでいない。喉は乾いたようにざらざらし、頭痛までしてきた。それでも声を上げて笑った。きっとアタシは狂ってしまった。腕は重いのに、武器を振り回す手は止まることがない。ドロップアイテムなども拾わず、ただ闇雲に前進した。
そして十階層に上り詰める。
「あとちょっとだ。あとちょっと……!」
不意に足がもつれて倒れこんだ。くそうと呟きながら起き上がろうとするも、腕に力が入らない。限界が訪れていたのだろう。
通路の向こうから両手に鎌がついた虫の魔物がキチキチと忍び寄ってくる。
カマキリに似た魔物はこちらを警戒するように迂回しながら、それでもジリジリと距離を詰めてくる。完全に捕捉され、獲物として狙われているのがわかった。
メイスを持ち上げる力も出なかった。限界をとうに超えていたのだ。
恐怖が腹の底に忍び寄る。アタシ、食われるのか。カマキリの食事は上下左右のスコップみたいな口腔で獲物の肉を引き裂き、むしゃむしゃと喰らうのだ。見る限り魔物の口は姫叉羅の頭を齧るのに丁度良い大きさだ。
――喰われたくない!!
死にたくない、より、その思いが勝った。生きたまま虫の餌になるなどトラウマでしかない。最後の力を振り絞り、短刀を腰から引き抜き、自らの首に当てて横に引いた。躊躇はなかった。
カマキリが飛び掛ってくる姿を目にしたからだ。鎌は姫叉羅の腕を呆気なく切り飛ばした。しかし痛みはもう薄れている。
首が熱を持ったように熱かった。傷口から流れ出ていくのは、きっと血だけでなく、魂だ。魂が屈した。自らの不明によってパーティはあっという間に瓦解したのだ。
次は勝つことができるだろうか。
姫叉羅の心はまだ折れていなかった。ただひとつだけ見落としがあるとすれば、パーティの仲間が同じように屈しないだけの心の強さを持っていなかったという事実である。姫叉羅は現実に打ちのめされることになる。