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第7階層 精霊術師のエルフ

「いま言いました。なんとですか」


 エルメスの間違った日本語が僕たちに飛んでくる。それは怒気を孕んでおり、僕たちの足を止めさせた。彼は外国からの留学生であり、日本語は喋ることができない。翻訳魔術に頼っている所為か、ちょっとズレた言葉が飛んでくるのだ。


「何でもないです。こいつ、ちょっと調子に乗るところがあって、気分を害したのなら謝ります」

「そうそう、オレっちちょっと口が滑るところがあるんすよ。そりゃ誰だって指咥えて丸くなって寝てる姿を見りゃ赤ちゃんプレイだって思いますって」

「バカ、藤吉!」

「侮辱あります。赤ん坊の謗りが言いました。屈辱、エルフの矜持あります。生きて帰りません。愚図は死ぬが賢明です」


 藤吉はわざとやっているのだろうか。もう一度小突いたが、「オレっちなんか悪かったか?」という顔を向けてきたので、これは純粋なおバカさんの方だと呆れ果てた。

 メラメラと怒気に満ちたエルメスは立ち上がるなり、パッパッとローブを払った。彼は魔術師らしい格好をしている。武器は持っていないからもっぱら後衛職だろう。


「……なんか(やっこ)さんやばくね?」

「その引き金を引いたのは間違いなく藤吉だから」

「だって赤ちゃんプレイしてんだもんよぉ!」

「赤ちゃんありません。大樹に生まれるエルフの、最大にして休憩なります」


 体を丸めるポーズは母親の子宮にいた頃の名残で安心するのは知っていたが、いまそれを口にしたところで焼け石に水だ、怒りは収まらない。

 いつの間にかエルメスは詠唱を始めていた。彼の周囲が闇色に歪んでいくようだ。古代語なのか、知らない詠唱を口から漏らし、文字が光を発して彼の周囲に浮かび上がっている。背筋に走ったのは悪寒だった。火球が飛んでくるだけの生易しい魔術ではないのだと肌で感じた。魔術に関しては専門家ではないし、藤吉や太刀丸もそちら方面は疎い。だが三人が三人とも、「これはやばい」と直感した。

 誰からだろう。ボス部屋に向かって走り出した。先頭を藤吉が走っているから、たぶん最初に逃げたのは藤吉だ。その足元を俊敏な太刀丸が白い弾丸となってブッちぎった。わずかに遅れた僕だったけど、斥候の敏捷性が戦士職に劣ることはないため、すぐに藤吉を抜き去った。

 ボス部屋の真ん中くらいを通り過ぎた頃に、エルメスの古代魔術は完成した。熱気のように後ろから襲い来る魔力の奔流に、本能的な恐怖が優って振り返ることすらできない。直後、耳鳴りのような、空気を引き裂くような通常ではありえない耳障りな音を聞いた。


「ぎゃ、ぎゃああああ!」


 藤吉の悲鳴が上がり、僕はついに振り返った。ちょうど藤吉が頭から突っ込んでくるところで、僕は受け止めきれずに転がった。そのとき確かに見た。円形の黒いドームがいくつもボス部屋に現れ、収縮していった。ドームが消えた跡には、床がすり鉢状に抉られた跡だけが残っていた。あれはなんだろう。古代魔術の中でも上級呪文〈消滅魔術〉か? 図書館で読んだ魔術大全の禁呪一覧に名前が載っていたはずだ。こんな初期レベルから習得しているなんてエルフ半端ない。いや、もしくは他の迷宮でレベルを上げた可能性もある。それか消滅魔術とは違う何かの魔術か。


「オレっちの尻が! 持ってかれた! 誰か見てくれよぉ、こええよぉ……」

「その前に僕の上からどいてよぉ。すんごい重いから!」


 僕の上で震える藤吉を押しのけると、彼はお尻を突き出した格好で頭を守っていた。

 ちょうど服の部分だけ消滅し、真っ赤な尻が丸見えだった。これが女子相手のスライムの消化粘液攻撃による服だけ溶けるご都合主義攻撃ならどれほどよかっただろうか。


「おいおい、オレっちの桃のようなプリ尻が半分なくなってるとかないよなぁ?」

「……大丈夫、縦にふたつに割れてるくらいだよ」

「お尻の穴まで丸見えです」

「見なくていいよ、丸、気分が悪くなる……おぇ」

「マジマジと見るなよ。照れんだろ」

「だったら早く汚いものしまってよ。藤吉って自分のこと好きすぎでしょ」


 頬を染める藤吉の尻をうんざりした顔で蹴飛ばすと、「あぅぅん!」と変な声を出したのでちょっと引いた。男のMっ気とか誰得だろう?


「とりあえずはあの見境ない殺人エルフから逃げ切るか、戦うかだけど」

「近づくのは難しくねえか? 前衛に竜人族がいるぞ」

治癒術師(ヒーラー)もいるです。一撃必殺で倒さないと回復されるです」

「一撃必殺なら太刀丸しかいないけど」

「〈分身の術〉くらいしか使えるスキル持ってないです。首にぶすりと小太刀刺すしか倒す方法ないです。でも丸、ヒト殺しはしない忍者です」

「そうなってくるとメイン盾であるところの藤吉が〈刺突〉で倒すしかないんだけど……」

「オレっちが颯爽と消滅する姿を見たいんなら任せろ!」

「ですよねー……」


 僕ももちろん戦闘には不向きだ。《斥候》と《薬術師》のジョブには戦闘スキルが備わっていない。まあ奥の手はあるんだけど、切り札をこんな駆け出しのときに使っていいのかは判断に迷う。今後の冒険者生活を考えると、切らない方がいい部類の手札である。


「少し離れよう。調合の時間を少しほしい」

「なんか手はあるのか?」

「あるというか、逃げるにしても、虚を突いてからのほうが逃げやすいと思うし」

「驚かせるです? 丸はさぷらいず好きです」


 命懸けだけどね、と心の中で嘆く。全部藤吉が悪い。

 僕らはまずボス部屋から通路へと逃げた。ホブゴブリンの石像を身代わりにできないかな? 動かないから無理か。

 藤吉がボス部屋の様子を見守る。エルフのあの魔術の射程範囲はおそらくボス部屋の端から端までもない。だから、ボス部屋までやってくれば九階層へ逃げるだけだ。しばらく待っても現れないので、僕はその間に階段下で道具を並べて、この状況を打破するための道具を作り出す。


「マッドラットの体毛とマンイーターバットの羽を〈調合〉して『催涙粉』の完成。これを小瓶に詰めれば、『催涙瓶』の完成だ」

「それ、どうなるです?」


 僕の護衛をしつつ、休憩で丸くなっている太刀丸が耳の後ろを後ろ脚で掻きながら聞いてきた。というか緊張感ないな。


「この粉を吸い込むなり目に入るなりすると、すごく痒くなる。いくら掻いても痒みは収まらないし、そのうち空気が触れているだけでもムズムズが止まらなくなる。そんな一品さ」

「地味です。でもされるとやー、です。聞いてるだけで鼻がむず痒くなるです」


 前足で鼻を擦っている白猫を横目に、これを二本、三本と作っていく。慎重に扱わないと、自分が吸い込んで大変な目に遭ってしまう。


「すごく陰湿です」

「でしょ。僕もそう思う」


 調合のレシピで覚えていたものがこれだった。もっとエグい調合薬はいくつも存在する。肌にかかっただけで黄色い膿が噴き出すような、魔女の薬を思わせるぞっとする調合の組み合わせが数限りなくあるのだ。それこそ《薬術師》の面白いところだと思うが、傍から見るとマッドサイエンティストでしかないんだそうな。正論だな。

 でも向こうは殺す気で上級魔術をぶっ放してきているのだ。少しくらい目が痒くなっても、喉や口の中が痒くて仕方なくなってもしょうがないじゃない? 図書館で借りた調合レシピでは、この催涙粉は効果が長続きしないものの、途轍もなく不快指数が高いものだ。魔物相手にダメージが与えられない上に、接近戦をする味方にも影響がでかねないので人気のないレシピである。しかし対人戦、あるいは悪戯にはもってこいであった。動画共有サービス『"I"tube』でも色々な用途で使われている。有名なのは海外の投稿動画で、黒板消しにまぶして教室に入ってきた太った教員の頭に落とし、転げ回る様を見て爆笑する映像だろうか。致死性はないが、効果を考えるとやはりえげつない。


 正直、いくら殺されそうになってもこちらから殺し合いに乗ってやるつもりはない。そこは僕らの間で共通している。太刀丸は忍者なので殺生しないしね。

 藤吉の自業自得部分が大多数を占めるから、それでケツ丸出しになろうが藤吉の責任である。問題は茶化されたくらいで本気になるエルフの気の短さだ。こういうときは藤吉を丸裸にしてつるし上げ、石をぶつけるなどして気を晴らせばいいのだ。

 そういう溜飲の下げ方をエルフに教えてやろうと思った。あの怒り方では友だちもいなさそうだしな。

 向こうは自力で十階層を突破した連中だ。こっちはそのおこぼれに預かってここまでやってきた。故にレベルと実力の差は大きいだろうが、考えないようにしよう。

 こっちは本気で戦わないのに向こうがムキになっているだけ、ということを態度で示し、自分の大人げなさを自覚してもらえればそれでいい。クラス委員長と竜人の女子は特にエルフに加担しているわけではなさそうだから、日本語がぎこちない彼に若者らしい流儀を知ってもらって異文化交流だ。しっぺ返しで全滅しなきゃいいけど……。


「あいつら動かないみたいだ。ボス部屋に出てくる気配はないな」

「向こうに察知系のスキルがあるとそれだけで近づけないからね。とにかく様子を見よう」

「オレっちがケツでもふりふりして挑発してこようか? ……と思ったけど、寸前で思いとどまっとくぜ」

「そこまでやっちゃうと救いようがなかったかな。僕と太刀丸も喜んで向こうに加勢したかもしれないし」

「加減、あるです」

「好奇心に引きずられなくてよかったぜ……」

「でもまあ、向こうから近づいてこないのはありがたいかな」


 小部屋からボス部屋の様子はわからないだろう。それでもエルフは小部屋から動かずに正確に魔術で攻撃してきた。今回は射程範囲外に出たので回避できたが、やはりなにがしかの〈察知〉系スキルがあると見ていい。魔術師職なら〈魔術感知〉が有力か。スキルをアテにしてエルフがボス部屋まで出てこないのがわかった以上、同じ〈斥候〉のジョブを持つ僕が近づくのは容易だった。あとは〈忍者〉のジョブを持つ太刀丸も忍べば近づくことができるのではないか。このパーティ、実は隠密行動向きだったことに今更気づく。


「そうだ、みんなこれ付けて」

「おいおい、ガスマスクが出てくるとは思わなかったぞ」

「丸のもあるです」


 自分の攻撃方法に粉末瓶があることを考えていたから、念のために用意していたのだ。猫用のガスマスクとか普通は売ってないよね。それが売っているのが他種族の共生するこの世界である。


 準備を終え、僕は《斥候》として〈忍足〉を駆使してボス部屋を横切り、小部屋に近づいた。気持ちはSW〇T部隊である。先行して様子を探りつつ壁に身を預け、手で合図をして仲間を呼び寄せる。〈魔力察知〉は常に発動できる類のスキルではない。アクティブスキルである以上、隙は必ずある。

 そうして小部屋の手前までやってきた僕らは、合図に合わせて空瓶を投げ込んだ。ズゥゥゥンという耳障りな音ともに何かが歪む音を聞いた。まんまと誘導に引っかかったらしい。僕らは本命の催涙粉の瓶を蓋を開けた状態で投げ込んだ。

 瓶は防がれることなく地面に当たって砕けた音が響き、中の粉を周囲にまき散らしたようだ。


「なに? ごほっ、目が、かゆ……あぅ……」


 クラス委員長の声だ。ほんのり申し訳なさが涌いてきた。悲しいけどこれ戦いなのよね。いつまでも殴られっぱなしは癪なんだよ。なので犬に噛まれたと思って観念してね。

 心の中で非礼を詫びつつ、三人はあらかじめ決めたタイミングで小部屋に飛び込む。


「トカゲ女、倒す所望します。足元に引きずることです」

「了解」


 エルフはというと、目元を押さえて周りが見えていない。その横で、こちらもクラス委員長が蹲って顔を押さえている。肝心の竜人少女はというと、壁から背を放し、こちらに向けて突進してきた。目から涙を流しながらも、カッと見開いている。怖い。顔怖い。

 僕の背中に潜んでいた太刀丸を肩に載せ、竜人少女へ向けて腕を伸ばす。太刀丸は僕の腕を足場に竜人少女へ躍りかかる。


 竜人少女は得物の槍を構え、宙に浮く太刀丸へ鋭く突き刺した。

 しかし太刀丸は得意の〈身代わりの術〉で回避しており、目の前から姿を消した。身代わりになって槍が突き刺したのは、ただの空き瓶である。

 粉塗れになってほとんど視界を確保できないはずなのに、すごい反応速度だ。痒みやもろもろと戦い立つ姿は、まさに戦士である。竜人ぱねぇ。

 僕は追い打ちをかけ、竜人少女へ向け小瓶を投擲する。

 竜人少女はぐるんと槍を回し、瓶を断ち切る。

 素直に感心した。しかし中に入っていたのはチリパウダー。舞い上がった粉は少女に降りかかり、目と喉を攻撃する。ゴホゴホと苦しげにむせている。僕ってこういう攻撃が得意なんだよなあ。褒められたもんじゃないけど。


 痒みを我慢できた竜人少女もさすがに刺激物は許容量を超えたか、その場に脚を止めて目と喉を押さえ、咳き込み始めた。その隙を逃す忍者ではない。白い悪魔は竜人の肩に乗り、その首元に爪を突き付ける。


「シュコーシュコー(動かないのが吉です)」

「くっ……わかった……」


 竜人少女は降参の白手を挙げ、床に転がった鋼鉄の槍が大きな音を立てた。


「トカゲ女! 戦うをしないのですか! 敗北には許さないのです!」

「勝ち目はありません。勝敗は決しています、王子」


 竜人少女は冷たい声で敗北を認めているが、エルフは目を真っ赤にしながら納得いっていない様子だ。逆に王子と聞いて嬉しそうな顔をする藤吉が、また厄介そうだ。


「王子? エルフの王子? 指を咥えた赤ちゃん王子!」

「藤吉、挑発はやめなよ」


 僕は膝を突いたクラス委員長の肩を押さえ、藤吉はエルフに長剣を向けている。クラス委員長はこちらに目を向け、涙を拭いながら訴えかけてきている。回復していいか? ということだが、ちょっと待ってもらった。エルフの動向が見えない。


「“風精霊召喚(サモン・ウィンドエレメンタル)”」


 エルフが蹲ったまま唱えた召喚呪文。それはエルフを中心に風を巻き上げ、藤吉はひっくり返って転がり、尻を突き出す格好で地面を滑った。器用だな。しかし困ったことになった。エルフの頭上に生まれた風の精霊は、ちょっと高レベル過ぎていまの自分たちでは太刀打ちが難しい。


「シュコーシュコー(あれ、やばいです?)」


 太刀丸が僕の肩に戻ってきた。竜人少女よりも危険と判断したようだ。エルフのジョブは《精霊術師》とあともうひとつ。消滅魔術を使う何か、といったところか。

 直接の攻防力は紙レベルだろうが、魔術師としてならかなり尖った構成だ。防衛に竜人少女を置くことでうまくバランスを取っているのだろう。しかもそのスキルも雑魚相手に向けるにはオーバーキル過ぎて笑えない。精霊召喚とか一年で使えるレベルではない。十階層までどうやってきたのか気になるところだが、たぶん露払いをすべて竜人少女に任せてきたのだろうなあ。


 風によって粉は吹き飛び、僕らはガスマスクを外した。


「あの風精霊、たぶんLv.30超えの召喚精霊だよ。精霊大全で見たことあるけど、Lv.40以下の召喚精霊は形を伴わない不定形なんだ。だからあれは――」

「鳥みたいな姿してます。高レベルの召喚精霊ってことです?」

「そうです」

「丸の種族レベルはまだ15です」

「勝ち目ねーですね」

「逃げるが勝ちです」


 鷹に似た風精霊が羽ばたき、突っ込んできた。クラス委員長まで巻き込むつもりか。彼女を見ると微笑んでいた。まるですべてを優しく包み込む慈母の笑みであった。十五歳とは思えない悟りようだ。


「太刀丸、〈身代わりの術〉!」

「全員分は無理です」

「じゃあ彼女と太刀丸の分だけ」

「それならできるです」


 太刀丸がクラス委員長の肩に飛び乗った。僕だけが召喚精霊の矢面に立つ。


「……大丈夫です?」


 今気づいたとばかりに太刀丸が振り返る。すでに発動準備ができたのだろう。


「大丈夫、切り札を使うから」

「切り札です?」

「《斥候》《調合師》に次いで三つめのジョブ《召喚士》があるからね」

「三つです!? 三つ、聞いたことないです!!」



「――〈翼蛇召喚(サモン・コアトル)〉」

人物紹介編はお休み。

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