第62話 最終戦・第二防衛
食事を終えて、作業中の緒流流を除く一年の面々は第二防衛線に移動した。遠距離アタッカーは女貫太郎しかおらず、ひとりで数千に届きそうな軍団を相手にするには焼け石に水であった。それに、三体の巨人は崖を崩して均しながら進んでおり、掘削工事に雑魚が巻き込まれているようだが、全体的に減っている気配はない。
うじゃうじゃとあめ玉にたかるアリを思わせる光景に、鶲輝がぽつりと漏らす。
「集まってるところに溶岩を流したら最高なのになー」
「その溶岩はどこから持ってくるの~?」
「バケツに入れて持ち運べたりしねえかな」
「ゲーム脳乙~」
夜蘭が割と辛辣に切って捨てつつ、荷物が入ったリュックサックを下ろした。鶲輝は頭を掻いて、荒涼とした大地を望む。
「雑魚をいくら潰したところで勝てはしない。だが無視もできない。巨人のほうは確実に減らさなければ、進軍を許してしまうし、防衛線を確実に突破してくる」
「じゃあ巨人を倒せばいい?」
「ボクの手持ちの魔術では必殺にはならない。ならばどうするか?」
女貫太郎は眼鏡の奥でにやりと笑った。そして作戦を口にする。
「正直陰キャ眼鏡苦手って思ってたけどよぉ、思い切りの良さは気に入ったぜ!」
「なんでうちまで出向かなきゃいけないのぉ」
「泣き言言うな闇音! ここで暴れて鬱憤を晴らすんだよ。なんのために血反吐吐いて何ヶ月も特訓してきたんだ。今日このときのためだろうがよ」
「絶対死ぬぅぅ、帰るぅぅ」
女貫太郎が提案した作戦、それは作戦とも呼べないような大博打であった。すなわち、全戦力投下である。付与術師の夜蘭を駆り出し、バフのかかった鶲輝と闇音が巨人の足を狙う。女貫太郎も土魔術を駆使して地形を変えて、敵軍の進行を少しでも遅くするようにサポートする。巨人に踏まれたら一発アウトの中、鶲輝は燃えていた。ようやっと自身の出番が回ってきたと。よもや陥落直前でしか正面切って戦えないと思っていただけに、混沌としてきた展開にヤル気十分だった。反対に闇音の方は、行かなくてもいい死地に投げ込まれることに愚痴りっぱなしだ。作戦が決まって夜蘭が鶲輝と闇音の体に付与魔術を掛けて回った。服から靴に至るまで、ほのかな光とともに夜蘭のバフが掛かっていく。
「シャキッとしろや。おまえ、オレに勝ったんだからな。この戦いが終わったらもっかい勝負すんぞ」
「姉御の勝ちでいいよぉ。なにが悲しくて、しなくてもいい喧嘩しなきゃいけないのぉ」
「カァァ、おまえそれでも迷宮高校の生徒かよ。切った張ったは江戸の華じゃん。強さを示してこその場所じゃん」
「それ~正しいことわざ~?」
「縁側でひなたぼっこする人生でありたい」
「若いウチから老け込んでんじゃねえよ。ほら、いくぞ」
「やぁぁだぁぁぁぁぁあ」
鶲輝は闇音の首根っこを掴み、ずるずると引きずった。ちょっと前まで同じ体格差で非力な部類だった鶲輝も、合宿中の度重なるレベルアップで主に近接系のステータスが軒並み上がっている。防衛線の壁際に進むと、闇音の襟首をつかんだまま飛び降りた。「いんぎゃああぁぁぁぁ」と闇音の断末魔が尾を引いていた。
そこは地面を円筒形に刳り抜いたような意図的に作られた地形だった。上から幅ぴったりの大岩を落とされたら潰れてしまいそうな空間だ。大軍の方からは崖を迂回するようなルートはなく、穴に降りて、登らねばならない。その高さは十メートル近くあり、普通なら飛び降りれば即死レベルの高低差だったが、鶲輝は飛べないもののわずかに浮力を生むことのできる翼を羽ばたかせ、ゆっくりと地面に降り立った。帰りは女貫太郎がロープを下ろしてくれる手筈になっているので、先に女貫太郎がやられたらロッククライミングで登らねばならないが、鶲輝はそんな先のことはいちいち考えない。
「よっしゃ。生きてるヤツはかかってこいや!」
豪語する鶲輝の横で、闇音はヤル気がなさそうに足を広げて座り込んでいた。
ときを置かずして、正面の崖に尖兵の姿が見えた。見えたと思ったら押し出されるようにポロポロと地面に向かって落ちていく。まるで氾濫する川の濁流を見ているかのようだ。急に捻った蛇口の水が勢いよく流れるみたいに地面へと落ちていく。そして地面の方は目を背けたくなる光景になっていた。
「あのひとつひとつが生きてるとか考えたくねえな」
「見ろ、敵がゴミのようだ。ふはは」
闇音の言うとおり、まさに命の粒がゴミのように捨てられていき、地面に激突して散っていく。それはいくら積み重なろうと続いていき、やがて数メートルの山を築く頃になって、起き上がるものが現れ始めた。しかし次々に降ってくる仲間に押し潰された。やがてその中からも肉の山を転げ落ちて生還した敵兵が、恐怖心も知らずに立ち上がり、こちらに向かってくる。しかしどこかしらを痛めているようで、足を引きずっていたり、手がぶらんと下がっていたり、まともに戦える状態ではない。
「おい闇音、リーダーがいなくても戦えるところを見せろよ。つか、そもそもなんでアイツの言いなりになってんの?」
「言いなり? リーダーのこと? そりゃだって、お世話してくれるもん」
「かー、自分のことは自分で出来るようになれよ」
「鬼の人にも言われた。竜の人とかはうちといっしょでできないから言ってこないけど」
「《調教師》だの《指揮官》だので命令されて喜ぶ人形になるなよ、闇音」
「えー、だって楽だもん」
「おまえの事情は聞いてるけど、〈昼行耐性〉取って楽になったんだろ? 自立できるじゃねえか」
「自立する必要性を感じない」
「五十代こどおばみたいなこと言ってんな。いつまでもおんぶ抱っこができると思うなよ。一生涯面倒なんて見てくれる保証はねえんだぞ?」
「うそだ、リーダーは一生面倒見てくれるんだ。結婚して養ってくれる」
「けっこ……って、おまえどこまで夢見てんの? 寄生虫になるつもりかよ」
寝転ぶ闇音をげしっと蹴飛ばした。「いたっ」と呻くが起き上がらない。
「知ってんだぞ。あのデカいのふたりもリーダーのこと狙ってんだろ。闇音、おまえ勝ち目ねーじゃん」
「多重婚しよう。うち、三番目でもいい」
「……はぁ、おまえの野心のなさにはほとほと呆れるな。条件次第でオレが一番になれるように手伝ってもいいんだぜ?」
「一番じゃなくてもいい」
「そもそも選ばれねえ可能性の方が高ぇっつってんの。オレに従うんなら、リーダーに捨てられないように手伝ってやる」
「捨てられないって」
「その自信はどっから来るんだよ? もしもおまえよりレアな特質持った奴が現れりゃポイだろ」
「えー、それって狼のセンパイとか?」
「そうなんじゃねえの? ほら、よく言うじゃん、幻獣種とかユニークジョブ持ってたり。あれだろ、名無先輩って幻獣種の一角獣だって聞いたぞ。だから処女厨なのかは知らんけど」
鶲輝はあまり関係を知らないが、能力で言えば三年の大上真梨乃は、闇音の上位互換だった。闇音はちょっと冷や汗を掻いているようで、わずかばかりの焦りを感じたようだ。
「わかったら言うこと聞け。まずは、適当に蹴散らしてこい」
「えー、いきなり命令?」
「あんな雑魚を相手にしてもつまらねえって? じゃあ巨人を相手にしたいか?」
「全力でやらせていただきますぅ!」
ちょうど崖の向こうにぎょろりと見えた一つ目の巨人。それを倒すより雑魚を相手取った方が幾分か楽だと思ったのだろう、闇音は弾かれたように敵兵に向かっていった。そして訓練の成果を示すように、容赦なく一撃で仕留めていく。魔石を取り出そうとしていたので、「魔石は放置しろー」と声を掛けておく。でないと一体一体処理しそうだった。
鶲輝は楽にレベルアップする方法は嫌いだ。しかし正々堂々を掲げて後衛の仲間たちまで全滅していては意味がない。千の兵を正面からひとりで受け止める力はまだないので、地形をいじって数をある程度絞ることも詮無いことだと開き直った。だからその分、穴を跨げずに落ちてくる巨人を相手に、本気で挑むつもりだ。
姿勢を崩して倒れ込んでくる巨人の顔あたりに距離を詰め、思いっきり跳躍すると、頭上を丸っと覆ってしまう巨人の顔面へ「おいっしょぉ!」のかけ声とともに鉄バットを振り抜いた。一つ目巨人の頬骨を捉えた鉄バットは、当たった瞬間ずしんと手に重みが伝わるが、押し負けることはなかった。首が変な方向へ曲がったまま倒れ込み、大ダメージを負ったのか、地面に手をつき体を起こそうとする巨人の動きは緩慢だった。
「ちっ、一撃じゃ仕留められねえか」
後続はいまも落ちてきている。せめて二体目の巨人が降りてくる前に一体目を始末する必要があった。起き上がろうとして手をつく巨人の手首を狙って攻撃し、返す刀で首筋に一撃を叩き込む。すべて避けられることもなくクリティカルヒットになっている。鬱陶しかったのか小バエを払おうとする一つ目巨人の指を狙って殴りつけると、四本指の二本ほど反対に折れ曲がった。一つ目巨人の顔が歪み、耳障りな悲鳴を上げる。
「おーおー、でけー声だけはいっちょ前じゃねえの、デカブツ」
目の前にある顔面。その弱点を晒した一つ目。眼球は腕を広げたほどもある大きさで、狙いを外す方が難しい。振りかぶり、そして全力で振り抜いた。薄い膜に包まれた弱点にクリティカルをぶち込む。一つ目巨人はひっくり返り、そして動かなくなった。
巨人を一体倒したが、これは前哨戦でしかない。現に崖の向こうに、二体の巨人が見えていた。そして雪崩れ落ちてくる雑魚の数も増えて、徐々にだが闇音だけでは手が回らなくなっている。
「頭のおかしいパイセンに教わった永久機関の恐ろしさ、見せてやンよ。覚悟しろ、ブタども」
迫り来る一つ目オークたちに向かって、鶲輝はギラリと鈍く光るバットを狙い定めた。
その瞬間、半歩ほど横を肉塊が弾丸のように通り抜けていった。鶲輝の金色の髪がパッと突風に煽られる。逆立つ鳥肌は、いまの一瞬で死んでいた可能性を示唆している。なにが恐ろしいかといえば、一つ目巨人二体は穴に降りてこず、手近な雑魚を捕まえてカタパルトのように砲撃してきたからだ。雑魚は文字通り肉弾となって弾け飛んだ。命を命と思っていない手段だが、敵軍の足下にはそれこそ弾が無限に湧いているのだ。相変わらず波のように押し寄せてくる中に、一撃喰らえば即死の遠距離攻撃である。
「闇音! 肉砲弾に気をつけろ! 絶対に当たるんじゃねえぞ!」
「当たる方が難しい」
闇音はときに影に潜り、影から攻撃して縦横無尽だが、その影も日が高くなるにつれて移動できる範囲が狭まりつつある。ただし砲撃に関しては咄嗟に逃げ込めるエスケープゾーンがあるので、鶲輝よりは安全かもしれない。また一体飛んできたが、少し離れたところに着弾した。狙いはそれほどよくはないが、それは安心できる材料にはならなかった。逆にどこに飛んでくるかわからず狙って避けることが難しい。それならばと鶲輝は雑魚軍団の中に身を投じるが、巨人はいまさら味方を攻撃することに何の躊躇いもない。むしろ肉砲弾は割とオーク陣営を吹き飛ばしていた。
雑魚にしろバットを的確に当てて一撃で昏倒させなければ、身動きが取れなくなって雑魚オークごと巻き込まれる危険があった。というかいま二歩横を大砲で吹き飛ばされ、突風が顔に当たった。咄嗟に肉壁に隠れて爆風をやり過ごしたが、直撃してしまえば雑魚オークなど緩衝材にもなりはしなかった。初戦でこちらが大砲で吹き飛ばした意趣返しのようで腹が立つ。
鶲輝は動き回ることを第一に考え、雑魚オークを潰して回った。奴らは鶲輝や闇音が視界に入らないかぎり、壁を目指して突き進んでいる。じわじわと数に押されて登られるだろうが、突破されないための時間稼ぎがどれくらいできるかは鶲輝と闇音にかかっていた。
「〈闘気〉と〈内丹〉、〈治癒〉のレベルを一段階上げるぜ」
全身に癒やしの効果を発生させながら、体の限界まで動かして暴れ回る。疲労を取り除き、呼吸すらも安定させる。鶲輝は治癒を永続的にかけ続けることの異常さを身をもって知った。闘気と内丹で限界を超えた筋肉が千切れても、それをすぐさま修復するのだ。鉄バットに闘気を纏う訓練もした。だから殴りつけるだけで爆発的な威力を生み出す。
倒れた雑魚オークに足を取られて動けない。頭を叩き潰して逃げるか、いやそんな余裕はない――わずかな逡巡を経て鶲輝は腹を括る。肉砲弾が飛んでくるのだ――打ち返してやる。真っ直ぐ飛んでくるオーク爆弾を前に、鶲輝はバットを緩く握り、そしてふっと息を吸った。そしてジャストタイミングで振り抜く。奇跡的とも呼べるタイミングで、芯を捉えた。しかし全身の筋肉をズタボロにするような破壊力が手から全身に周り、ブチブチと裂ける音が鶲輝の耳に届いた。それでも力を抜かない。腕の心配などしている余裕などない。
「ガアアア!」
打ち返した。剛速球ライナーとなった雑魚オークは、巨人オークの頭部を吹き飛ばした。ぐらりと揺れ、そして向こう側へ倒れていく。
「へへ、やってやったぜ」
だらりと鼻血が垂れる。腕が痺れて上がらない。しかしなおも敵の波は休むことを許してくれない。限界を超えろと言われているようだ。何度だって超えて、何度だって強くなってやる。鶲輝は自分の口が不敵に笑っていることに気づいていなかった。
〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇
緒流流は焦りで手元が狂いそうになるのを、なんとか押さえ込んでいた。日が昇り、すでに朝である。徹夜で大砲を製造していたが、いまだに完成していない。設計図はあったし、全体像の構築はいくつも作っていたので難しくなかった。しかし砲の内部には砲弾を発射するときに回転を加えるための溝が掘ってあった。こればかりは土魔術で簡単に作れるものではなく、神経を研ぎ澄ませながら細部の調整を行っていた。じりじりとしか進まない進捗に反して、時間は駆け足で過ぎていく。緒流流は泣きそうになりながら、いや、何度も目元を拭い、流れる汗を振り払って、食事も水分補給も、まばたきすら惜しんで完成を急いでいた。
「間に合わせるんだ、間に合わせなきゃ……」
自分のミスですべてが台無しになることが怖かった。全滅という文字が脳裏をよぎる度に指先が震えた。迷宮で死ぬことなどいまさら怖くはない。死ぬこと以上に怖いことが緒流流の背後からひたひたと迫っている。それはリタイアしたリーダーの死に顔であり、夜蘭や闇音、この三ヶ月間で仲良くなった面々の青白い顔だった。それらが緒流流の背中を恨むように見つめている気がしていた。
学校生活はもっと気楽なものだと思っていた。しかし部活動に打ち込めば、一勝でも多くつかみ取るために必死になるし、少しでも上達するように練習に打ち込むものだ。緒流流はそういう勝負事が苦手で、これまで避けてきた。夜蘭や藤乃と一緒にいれば、気ままに学生生活を送ることができた。
では、なぜ自分はここにいるのだろう。責任から逃げてきたはずなのに、責任重大な状況に追い込まれていた。先ほどから指の震えが止まらず、作業がままならないのに、投げ出すこともできずに泣きべそを掻いて作業を続けているのはなぜだろう。
決まっている。必要とされることが嬉しかったのだ。それぞれに役割を与えられ、スキルアップしていく。先輩たちの技術を盗むのは楽しかったし、新しい理論で展開していく魔術の奥深さにも興味を抱いた。緒流流はドワーフ族の血筋だからか、根っからの探求者であった。他人と比較するのが苦手なだけで、ひとりで時間を忘れて打ち込むことはこれまでも当たり前にあった。
「あとちょっと、あとちょっとだから、集中、集中して」
夜蘭は、迷宮をあまり良く思っていないし、血なまぐさいことが嫌いだ。しかし夜蘭と言葉を多く交わさずとも、ここなら自分たちの新しい居場所になるかもと思った。そもそもリーダーの目的がどこか他の人とはずれているからか、無理をしてまで進もうとしないところが良かった。他のパーティなら迷宮探索=デスマーチになりそうなところを快適に過ごせている。
先輩たちは迷宮で長くやっていくコツを知っていて、どれだけ快適に、自分たちのやりたいように探索するかが重要なのだ。そのためのサポート要員や、スキルビルドも欠かしていなかった。土魔術師系統などその際たるものだったが、緒流流はこれまで拠点作成の重要性をわかっていなかったと思う。日本城や王宮を建築するのは趣味の域で、細部を凝らして模様を刻むのは無駄以外の何物でもない。しかしその拘りが熟練度に繋がるのだ。迷宮で時間を掛けることは悪いことではない。三か月潜ったところで実時間は一時間にも満たないのだから、迷宮内において無駄こそ極めるべきであった。
そのことに気づけたのは、リーダーのもたらす快適な生活と、先輩たちの余裕が生み出す無駄な凝り性だった。迷宮内で建築したものは一度撤退してしまえば元の更地に戻ってしまうが、身に付いた技術力や能力は下がることはない。そしてその熟練度こそ、何物にも代え難い無形の財産であった。
ゆえに、緒流流が鼻水を垂らしてまで必死になるのはすべて意味のあることで、だからこそ諦めるという選択肢は浮かばないのだった。たらりと流れる鼻血を汗と一緒に手の甲で拭い、不思議とぴたりと止まった指の震えや煩わしかった呼吸の音を意識から遠ざけて、最後の仕上げにのめり込んだ。
「で、できた……」
そしてどれほど時間が経ったのか。緒流流の前に砲弾一〇発と大砲が完成した。いま緒流流が生み出せる最高のものがようやく出来上がったが、すでに戦闘音が緒流流の工房まで聞こえていた。
「届けなきゃ」
立ち上がった拍子にくらりと視界が歪む。机に手をつこうとして体が、崩れる。地面に頭を打ったら痛いだろうなと意識の向こうで思っていたが、緒流流の体は自分のものではないように言うことを聞かない。
「上出来だぜぇ。運ぶくらいは手伝ってやるよ。師匠だかんなぁ」
「いやあ、魔力を込めすぎて随分前から底を尽いていたことにも気づかないんだから恐れ入るね」
「文字通り命を燃やして作った大作だから、お披露目しなきゃ勿体ない」
「じゃあ、途中まで僕が運びますよ」
遠くに聞いた声が、どこか緒流流をほっとさせていた。
〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇
女貫太郎はやきもきしながら崖の上から状況を静観していた。
いや、ときどき大岩を敵陣に飛ばして攻撃をしているものの、もっぱら穴の中でちまちまと戦闘を繰り広げるふたりの少女たちにもどかしさを感じていた。
「ああ、そこじゃなくて右側が圧してきてる。もう、先頭を潰せば後ろの足が止まるのに」
黒と白金の少女たちはただただバーサーカーだった。近くにいる敵を屠るだけで、攻め寄せる敵の波を効率的に足止めしているわけではない。それに一つ目巨人が投擲してくる雑魚オークによって、かなりペースを乱されている。それもそうだろう。一撃でも当たれば即死級の威力である。女貫太郎が土魔術の攻撃で撃ち落とそうと思っても、逆に砕かれる始末である。
イライラが最高潮に達した頃、見守っていたはずの二年組が現れた。
「緒流流嬢が完成させた大砲なんだ、大事に使えよぉ?」
「そんなこと言われなくてもわかってる」
赤迫の言葉にムッとしつつも、間に合ったことに安堵していた。
「砲弾はどのくらいある?」
「特製弾が一〇発だ。あとは即席で作りなァ」
「無茶を言う」
「その無茶をあのちみっこいドワーフが徹夜でやったんだァ。男を見せろや」
「いまは女だ」
「ああ言えばこう言うなぁてめェ」
「まぁまぁ、熱くならない」
「ぼくらは傍観者なんだから」
苛立った赤迫を藤磨と名無が止めに入り、三人は拠点へ戻っていった。
「大事に使わせてもらうよ」
女貫太郎はぼそりと漏らす。工作系の土魔術は苦手だった。だからこそ土魔術の作業でも、緒流流とは住み分けを行っていた。彼女には同じ系統の魔術師として、それなりの敬意を持っている。女貫太郎は、目の前にある大砲が一昼夜で用意できる代物だと思っていなかった。
元々誰かに気を遣うのが嫌いでいままでソロを貫いていたが、自分ひとりでは限界がある。そして誰かと協力して勝ちを取りに行くことが、強さに繋がる。女貫太郎はいままでその事実に目を瞑ってやってきた。だが、もうこれ以上目を背けてはいられそうにない。協力で得られる力が、自分だけでは生み出せないものをいくつも築き上げるとまざまざと感じたからだ。感謝の言葉など、気恥ずかしくて絶対に本人には言えないが、緒流流の成した奇跡を、女貫太郎は誰よりも理解していると思った。
一つ目巨人が三体に増えて、いまや鶲輝と闇音は一瞬でも気を抜けばやられかねない状況だ。囲まれて身動きが取れなくなっている。戦闘中に鶲輝が一体倒し、肉砲弾を打ち返して二体目も倒した。残るは一体。そして現状を突破するためにこの大砲はある。
「初弾、発射!」
空気を震わす轟音とともに、弓なりに砲弾は飛んでいく。距離と高さを調整するための一発目だったが、ゆっくり落下して、崖に当たって炸裂した。爆撃で雑魚オークをかなり巻き込んだが、それがこの大砲の真価ではない。
「角度良し、風向良し、照準良し。二弾目、喰らえ!」
轟音とともに弾頭が飛んでいく。緩い弧を描いて、遠目に見えていた雑魚オークを投げつけようとしていた巨人の上半身を吹き飛ばした。周辺にも炸裂弾が降り注ぎ、暴れ回る鶲輝や闇音の比にならないくらいの戦果を叩き出したはずだ。
続けて第三弾を、間髪入れずに巨人に叩き込む。上半身が吹き飛び、穴の底へと巨人は落ちていった。
「ふたりとも、撤退するぞ!」
ロッドで鉄製の砲身を叩いて音を出し、ふたりに呼びかける。いまにも雑魚の波に呑まれそうになっていたが、そこから闇音を引っ張って鶲輝は抜け出すと、翼をはためかせて飛び上がった。微妙な飛行だったが雑魚オークの頭を踏み台にこちらへ向かってきていた。垂らしたロープを掴んだことを確認し、土魔術で作った回転縄巻き上げ装置のハンドルを回し、ふたりを救い出す。
ふたりが這い上がってきたことを確認すると、地の底に油の入った壺を蹴落とす。そして松明に火を灯して、それを眼下に放り投げる。
燃え上がる炎の絨毯は、雑魚オークを飲み込んであっという間に広がっていった。まさに地獄のるつぼと化している。
「これ、ウチら戦う必要あったん?」
地面に大の字にへたっている闇音が、肩で息をしながら聞いてくる。
「大事な囮じゃないか。君たちが時間稼ぎをしてくれたから緒流流嬢の大砲が間に合ったんだろう?」
「言い方に気をつけろ、クソメガネ野郎」
「フッ、いまは女だ」
「うっせ、オレは二体巨人を倒してんだ。時間稼ぎになんかしなくてもこの戦果なんだよボケ」
「そうそう。うちらすっごくがんばったかんね」
「そうだな、よくやった。正直巨人を討てるほどの実力があるとは思わなかった」
「褒めてんのか貶してんのか、スカした目しやがってうっぜー」
鶲輝は顔にかかった返り血を拭いながら、地面につばを吐く。血の混じったそれは、確かに彼女らの活躍した結果だ。しかし眼下を見れば、地獄の釜に燃やされる灼熱地獄が広がっていた。やがて隅々まで燃え広がって、落ちてきた魔物軍団に逃げる道はなくなっている。おそらくこちらの火攻めのほうがより多くの犠牲を向こうに強いているだろう。
「ここは一度下がって様子を見よう。しばらくは突破されないだろうから」
これでしばらく猶予ができたと思ったのも束の間、夜蘭が慌てて走ってくる。
「別方向からすごい数の魔物が押し寄せてる~! 防衛戦を超えられてて~、いますぐ戻ってぇ~!」
荒い息を吐きながら、いつものふわふわしたようなしゃべり方を忘れたように早口で捲し立てる。
「なんでそんなことになってる。ここと同じように地形をイジって簡単に攻められないようにしていたのに」
「巨人が五体もいるんだよ~」
「マジかよ……巨人は無尽蔵かよ」
呆然とする鶲輝の言葉が皆の心をすべて物語っていた。
残るは最終防衛ライン――すなわち、拠点を囲む防壁しか残っていないということである。