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第60話 最終戦・初戦

 二十八階層、夜、監視塔――

 拠点に聳える一本の塔がある。こちらは二年の三人が生活するために赤迫が建てたものだ。空中回廊で一年の拠点とは繋がっているので、完全に部屋の趣味である。

 しかし本来一年に聞かれたくない話をするならば、うってつけの空間ではあった。三人はアツアツのココアの入ったマグカップを手に、卵型の椅子に座って雑談していた。そんな中、ふと藤磨がとある疑問を漏らす。


「どう思う? 未来の自分が女性化してるって話」

「どうもこうも性転換薬が原因だろ。これが起点になって女になる未来が生まれたってことだろォ?」

「それがちょっと引っ掛かってるんだよね」

「あ、ぼくも思ったよ。そもそもの話、目的は女になる未来を確定させることなんじゃないかなって」

「本人が言っていたことじゃねえか」

「だから、そもそもこの合同訓練に参加した意味ってことさ」


 チッチッチッと藤磨が指を振る。赤迫はふんと鼻息荒く腕を組んだ。よくわかっていないのだろう。


「女になる未来を確定させるには、このタイミングで参加する以外になかったってことじゃないかってボクは思うんだ」

「そうそう、これが一番不自然じゃない方法なんじゃないかなって思う。未来の時任氏は性転換薬を一定期間服用してメイサ氏になったってことでしょ? で、そもそも性転換薬ってうちの部長が手に入れてくるもの以外に入手経路はないから、あとはうちの『しゅき兄』に所属する方法くらいしかないじゃんて」

「あとはときどき性転換薬を飲んで『しゅき兄』の姫をやってる名無くんと仲良くなるか、だね」

「ごほっ! な、なんふぇ知ってんのさ!」


 噎せ返り、噛み噛みになりながら名無が焦った様子を見せる。女になってちやほやされるのが癖になっているのだろう。


「まぁ、受動的な方法で性転換薬を手に入れる方法は皆無だわな。オレだってそんな薬があるなんて知らなかったしよォ」

「で、まあここまでは良いとして、わざわざ女になってどうするのかってすごい気にならない?」

「確かに。ぼくだってさすがに女になるまで服用はしないよ」

「趣味が変わるからな。オレだってこんなもの、男のままだったら読めなかったぜ」


 そういってローテーブルの上に乱雑に置いてあった薄い本を手に取る。メガネ男子の背後から日焼けスポーツ系男子が腕を回すといった何とも言えない表情の表紙であった。中身はお察しである。ちなみにここにいる全員、すでに拝読済みだった。


「アイツ、時任ってよォ、男だとなんか距離あったし、距離感がそもそもわからないタイプなんだとは思うけどよォ、女になってまで解決したい問題かっていうとなァ?」

「こうして楽しむ分にはボクも賛成だけどね。性別を気軽な気持ちで変えるのは良くないとは思うよ。迷宮にいる間の変化は現実で反映されないからこその楽しみ方だと思うし」

「結局一年の子のパーティに入るためなんかね?」


 名無の言葉に、赤迫は「それはちげえだろ」と返す。


「男のままでも問題ないだろ、それは」

「男のままだと仲間との距離感掴めないからじゃない? 意識しちゃって。いまのぼくらだって薄着でノーブラの胸ぽっちしてる緒流流氏とか見ても全然興奮しないでしょ。むしろそのキャミ可愛いとか見るところがもう違うでしょ」

「確かになあ。男のオレならギンギンマックスだったのによォ。この前厨房にいる夜蘭を見かけたんだけどよォ、正面から見たら裸エプロンかよって恰好で絶対にアウトだろ。ギャルの生足とか露出率舐めてたわ。男だったら危うく雄のホワイトソースを小さいケツにぶっかけてるところだぜ」

「赤迫くん、事件だからやめようねー。ともあれそういう異性の目を自分からなくすための方法だってことかあ。ちなみにボクはサラシで巨乳を隠していて、エッチなことには初心な反応をするギャップの塊みたいな鶲輝ちゃんを推すね」


 自分が男ならという前提で話をする一年女子の興奮ポイント。元男の三人が、下品な話に盛り上がる。男だったときには「臀部のラインが~」とか「腰の括れに~」とかもっと表現に迂遠な羞恥心があったが、女の身になって割と直接的である。そしてここが肝であるが、三人とも一年少女たちに興奮しているわけではない。むしろローテーブルの上の♂×♂の化学反応にこそ『じゅん……』としてしまうのである。現在、この三人は田吾作先生をホ〇界のレジェンド、ホ〇神と崇めていた。

 ちなみに黛闇音は彼らの話題には上りにくい。なぜなら元クラスメイトとしてほとんど喋らないまま留年してしまったから。そしていつも黒ローブを着て芋っぽい恰好に加え、自分磨きに興味がないというところに彼ら性転換男子の食指に掛からないのである。読モになれそうな緒流流や夜蘭といったギャル系か、素材が天使すぎて尊いまである鶲輝がウケるのは仕方のないことである。


「ハーレムの一員になるってことかぁ」

「あはは、それはそれで距離感バグりそうだけどね」


 今回不参加の鬼人の霧裂姫叉羅と九頭龍村のふたりもいることだし。美人率が高いのが、傍から見たら嫉妬の対象にもなるだろう。内情はどうあれ。


「まあ羨ましくはないけどさ。ぼくには義姉がいるし」

「あー、水冠姫(ネレイド)の嵯峨崎先輩なー。金髪ハーフエルフのなー」

「運命の悪戯ってやつだよね」


 「そこまで言うことないじゃん。確かにそうだけど」と名無が落ち込むそぶりを見せる。戦乙女隊の冠姫という選ばれし六名に選ばれている時点で、三年の中でも指折りの実力者なのだ。そして本人は実直剛健、風紀部の部長も務める清廉な人物である。ただのオタクの名無が知り合えたのは、両親の再婚というイベントゆえである。


「もう付き合ってんのかよォ?」

「まだそこまでじゃないかなー。いい雰囲気だとは思うんだけどなー。なんせ男女の距離感に厳しい人だし」

「キモイ動きしてんじゃねえよ。藤磨のほうはどうなんだよォ。モテんだろ」

「モテることと好きな人に振り向いてもらうことは違うからね」

「チョコを紙袋三つもらう野郎は言うことがちげえなァ」

「そんなこといって赤迫氏、バレンタインデーにウェディングケーキも真っ青の高層チョコケーキを作ってくれて、みんなで食べたじゃん」

「オレにチョコを寄越すならオレよりうまいチョコじゃなきゃ許さねえ」

「なんで赤迫が張り合って、しかも許可がいるのか意味不明」


 赤迫は別に料理が好きというわけではないが、負けず嫌いで凝り症なところがあるので、チョコもらうならうまい方がいいという話の流れから、「じゃあオレが最高のチョコを作ってやるよォ」ということになったのだ。名無と藤磨はそれをわかった上で煽ったところはある。


「しっかしあの陰キャ一年がハーレムとか、全然理解できねぇ」

「そう? ボクは彼、欲しいと思ったけどな。芯がブレてないから安心するんだよね」

「『しゅき兄』のみんなは彼が入ってくれないかってさんざん勧誘してるけど難しいねえ。生活水準が原始的に落ちちゃう迷宮でほとんど落とさない生活を数か月送れることがもうおかしいから」

「それには同意」

「それはオレもわかる。キャンプがもともと好きだから、満ち足りすぎてて逆に不便を楽しめないけどよォ」


 赤迫が席を立つ。「もう寝る?」と聞く名無に、「喉渇いたから飲み物取りに行く」と言う赤迫につられて、ふたりとも椅子から立ち上がる。ちょっと摘まめるものが欲しくなって、三人でぞろぞろ厨房と倉庫に向かった。

 厨房に着くと、ちょうど女貫太郎が飲み物を飲んでいるところだった。恰好はTシャツに横ボーダーのズボンといった寝間着姿だったが、胸元が下着を付けていないためとある部分が二点、存在を強調していた。女貫太郎に気づき、藤磨が手を上げた。女貫太郎はいつものように無視するかと思われたが、「なんだ?」と返事をした。特に悩まずに言葉に出したのか、女貫太郎は自分自身に驚いている様子だ。

 女貫太郎の反応に気を良くして、「こっちこっち」と名無が手招く。


「いや、ボクは別に」

「まあまあ、毎日訓練で疲れてるでしょ。ちょっとは気分転換しないと」

「こいよ。まあ話そうぜェ」


 全員女の姿だからか、和気藹々とした雰囲気が包んでいた。貫太郎も女の姿になったことで、少しだけ心が自由になっている様子である。そのまま女貫太郎を塔まで引っ張ってきて、ローテーブルの上の薄い本を布教する。


「貫太郎くんも興味あるんじゃない?」

「いや、別に」

「いいから読んでみろよォ。女の体になっているからか、割と嫌悪感なく読めんだぜェ」


 不良代表のような赤迫が押しつけてきたのは、筋肉質の男と線の細い少年が裸で抱き合う表紙だ。


「我らが田子作先生の最新作だよ」

「よりにもよってBLに目覚めるとかどうかしてるんじゃないか? 君たちはそのケはあるのか?」

「だから女の体になってるから読めるんだよ。ボクは男の体でも読んだことはあるけど、興奮はまったくしなかったね」

「ぼくは女の子っぽいいわゆる男の娘ならヌケるなぁ。女として見られるかが境界線だと思う」

「田吾作先生の作品はなあ、線がとにかくうめーんだよ」

「たぶん人を観察するときに意識してるのは、芸術的に美しいかどうかなんだよ。曲線美とか黄金比とか、そういう美学が好きなんだと思う」


 女貫太郎は恐る恐るページをめくる。そこにはモザイクで隠さなければならないものがデカデカと、ありありと、怒張と誇張を持って描かれている。というか少年のほうの比率がおかしいのだが、創作という言葉がその違和感を打ち消してしまう。「こんな棍棒がついてたら日常生活送れないだろ」と漏らす女貫太郎ははっと顔を上げる。三人はにこやかにその様子を見ていた。ページをめくる手にいままで集中していたことを三人はとうに気づいていた。


「ようこそ、めくるめく耽美の世界へ」


 女貫太郎が女であることの魅力を意識した瞬間は、おそらくこのときだろう。同人誌に恐る恐るといった様子でのめり込む女貫太郎に、先達の三人はにこやかに何冊か持たせて部屋へと帰すのだった。

 貫太郎が女になることを選んだのは、もしかしたらこれが原因だったのかもしれない。しかしそれは誰にもわからないことだ。未来の出来事なのだから――。





〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇





 二十九階層、拠点、リビング――

 性転換野郎どもが後ろ手に組み、肩幅に足を広げて、横一列に立っている。彼らの前には、円卓に各々座って静聴する一年たちだ。


「総仕上げだオラ。気合い入れろよオメェら!」

「今日までボクらが教えたすべてを発揮して、この難局を乗り切ろう。君たちだけで」

「僕らは本丸で観戦しているけど、ここまで魔物に侵入されたら負けだから。負け確の証として、拠点は赤迫が作った自爆スイッチで跡形もなく消します」

「さながら汚い花火が打ち上がります。今日まで苦楽をともにした先輩たちを見殺しにしないよう、みなさん頑張ってください」

「「「お願いしまーす」」」


 二年の先輩たちが合わせて頭を下げる。


「一緒に沈むのかよ……命を大切にしやがれ、先輩方」

「鶲輝さんからそんな言葉が出るとは。いやねー、最近涙腺緩くなっちゃって」

「ほら、涙を拭いて、藤磨さん。ヒナはいずれ巣立っていくものなんだから」


 顔を伏せる藤磨先輩に名無先輩がピンクのハンカチを差し出し、背中をさすっていた。僕らはいったい何を見せられているのか。かと思ったらパッと顔を上げて、真顔で続きを話し始める。


「ともあれ迷宮で死ぬことなんてバンジージャンプと同じだから気にしないでくれ。一回飛べるようになると、最初の怖さが嘘みたいになくなるのは君たちにも経験があるだろうと思う」

「言ってることはわかるけど~、言うのとやるのは大違い~」

「啖呵切った以上、緒流流はやると思うね☆ 死ぬこともエンターテイメントとしか思ってないよ、あの人たち☆ バカだから☆ アハハ☆」


 容赦ない緒流流の言葉に震える先輩方である。三か月の間にそれだけ仲良くなった証明でもあるが。

 二十九階層、このエリアには特殊効果がある。それはここまでの総討伐数を三千体超えること。実数は数えていないから、たぶんその倍は蹴散らしているだろう。

 魔物の怨念渦巻く二十九階層。オークの怨恨が形を為したかわからないが、それは形を伴って現れた。

 単眼の巨人。土気色の肌に筋骨隆々なその魔物は、地面を埋め尽くすほどの単眼オークの親玉だろう。数百から千に届く一つ目オークの大軍団もさることながら、巨人が巨大な一歩を踏みしめる度に、何体かの魔物が潰されているように見えるが、まあ気にするだけ損だろう。


「ほう、これが、人がゴミのようだ、というやつかァ」

「知ってる? 都会のビルから見下ろすと、雑踏を歩く人たちがアリの群れに見えるらしいよ」

「そういう豆柴いまいらんのよ。ほら、ぼくらは一年を応援してあげなきゃ」


 赤迫先輩が腕を傾け、にやりと笑う。相変わらずの前衛的立ち姿である。それに釣られて残りのふたりもそれっぽいポーズを見せる。女性化していてスタイルも良く、服装が前衛的の編み編みだったり、カラフルで無駄な装飾に溢れているが、なぜかスタイリッシュに見えるのだ。


「まずはあの大軍をどれだけ遠距離戦で削れるかだァ。土魔術師の本領を見せてみろやァ」


 初戦は女貫太郎と緒流流の防衛要塞が大軍を受け止められるかにかかっていた。三か月の薫陶を受け、拠点はとても住み心地が良くなっている。緒流流はドールハウスのような欧米風をイメージしているのか内装に凝っていた。女貫太郎は和風の城をモチーフにしているようで、石垣や堀、郭や天守閣などのディテールにこだわっていた。城の見た目に反して中身が洋風なのは頭がバグりそうだが、それはまあ趣味なのでいいだろう。

 大軍対策で三重の防衛ラインが高低差のある小山の裾野に構えてられており、まるで数千規模の戦争を想定しての防衛線だった。しかしこちらは九名、うち三名の二年生はあくまで観戦者であった。

 六人で大軍を相手にするにはいろいろと無茶があるのだが、泣き言を漏らすこともない。


「大丈夫だよ☆ 第一防衛線に大砲は四門設置してるし、対軍魔導砲仕様だからこれで結構削れるはずだよ☆」


 城壁の上にすでに設置してある大砲を、緒流流は小さな胸を張って笑顔で語る。

 砲身は一五〇〇ミリを超えて、鉄製の見た目だ。地面から斜めに上向いていて、倒れないようにカンバスのような支脚が付いている。砲身と支脚には台座が付いていて、鉄発条二本で繋がっていた。


「協力してくれたのはなんと闇音ちゃんです☆」

「いやあ、へへへ」


 闇音は恥ずかしそうにしながらも、名前を呼ばれて嬉しいのか、にちゃっと笑う。


「一四〇ミリ砲弾には、闇音ちゃんの〈享楽地獄(ラストインフェルノ)〉を込めさせていただきました☆ テヘッ☆ 広範囲無差別攻撃なので、どんどん打ち込んじゃいましょう☆」


 見た目はソフトボールを少し大きくした花火玉のようなものであるが、それは布でくるんであるからだろう。緒流流は自慢げに持ち上げながら、迫撃砲の説明をしてくれる。

 四門ある砲台自体は女貫太郎と緒流流の力作だが、砲弾は事前に赤迫先輩に頼まれて、僕が先んじて四百発ほどの通常弾、百発の魔導弾を購入し保管していた。大砲は正真正銘女貫太郎と緒流流がイチから設計、組み立てを行っている。砲内部の精密な溝彫りなどを確認するために二百発くらい試し打ちしていて、四門は少ないと感じるが、実用に耐えられるものだと赤迫先輩のお墨付きを得ているだけで十分すぎる。発射と同時に三割の確率で爆発する大砲なんて誰も使いたくないのだ。砲弾の方も、この三か月の間に闇音がちまちまとスイカ大の砲弾に闇魔術を込めて作っていたのだった。どうせ魔力を使わない戦い方なのだから、闇魔術の熟練度を上げる一石二鳥の方法だった。


 砲手は緒流流と女貫太郎、鶲輝と闇音。僕と夜蘭はサポートにまわり、砲弾の追加や観測手である。というわけで全員が第一防衛線の城壁の上に立ち、ゆっくりと地平の向こうから押し寄せてくる大軍団に砲口を向ける。


「どうやって撃つの、これ」

「とりあえず射程一〇〇〇メートルで曲射弾道だよ☆」

「……どういうこと?」

「直線じゃなくて、上向きに撃って、敵の頭に落とすイメージ☆」


 首を傾げる闇音にも緒流流は言葉を噛み砕いて説明している。

 

「簡単に言えば威力はそこそこで、仕組みも難しくない迫撃砲というヤツだ。撃てばどこかに当たるこの状況で、現代の精密兵器を用意する必要はない。撃ち方も簡単にしてある」


 女貫太郎は地味なプリントTシャツにチェックのワイシャツを引っ掛けている。ズボンインしないのはそれはダサいと藤磨先輩が止めていたからで、「ダサかったのか……」と朝から衝撃を受けていた。ともあれ自分の得意分野を説明する女貫太郎は生き生きしていた。


「まず魔導玉を砲弾の弾体に嵌めます☆ 魔導弾じゃなければ炸薬を詰め込んでおくかな☆」

「ペットボトルロケットみたい」

「そうだね☆ 砲弾を砲身の筒の先端から入れると、砲身の底にある撃針が砲弾の推進炸薬に着火して飛んでいきます☆」


 緒流流は人差し指に指で作った筒を刺し、筒が飛んでいく様を見せる。


「カンチョーして飛んでいく姉御みたいw」

「うるせえ黙れポンコツ」


 闇音の頭を鶲輝が引っ叩く。


「砲身に砲弾を入れたら、筒の入り口から離れろ。数秒置いて発射されるから、絶対に覗き込むな。頭が吹っ飛ぶぞ」

「うえ~、グロ~」


 女貫太郎の話を夜蘭が想像してしまったのか、嫌そうに顔を歪める。


「まず一発目の着弾を見て、着弾地点の微調整を行う。支脚に付いた仰角ハンドルで距離を調整。方向に関しては支脚を持ち上げて動かすしかない。まあ、一〇〇キロまではいかないからひとりでも動かせるだろう」


 そこらへんは原始的だが、すべてを機能的にするには時間が足りなかったのだろう。


「さあ、今日のお客さんが所狭しとやってきているぞ。歓迎してやろうじゃないか。ところでなにをお見舞いしてやったらいい?」

「花火を打ち上げたらいいと思う~。喜んでイイ声で鳴いてくれるよ~」

「ちゃんと一列に並べない子は、お仕置きだね☆」

「チッ、直接歓迎してやるっつうのに」

「きっと出番あるって、姉御」


 藤磨先輩と死に物狂いで戦闘に明け暮れ、鍛えに鍛えた鶲輝は実戦に出たくてうずうずしているのだ。うちのパーティは近接アタッカーに偏っていて、理性より本能型が多いのは否めない。緒流流もでっかいハンマーを振り回し近接系なところがあるが、今回は土魔術全振りで頑張ってもらった。夜蘭も魔力コストを抑える付与魔術や、スタミナの消費を抑える魔術で全員をアシストしている。こういう長期戦になりそうな戦闘では、じわじわとその価値の高さを実感するだろう。


「っせーの! 発射ァァァッッッ!!!!!」


 四門の爆音が腹の底に響く。景気よく青空へ飛んでいった砲弾が、魔物で埋め尽くされた地面に着弾するや、数十メートル規模の闇のドームが膨らんだ。魔物の阿鼻叫喚がここまで聞こえてくるようだ。


「あれってどんな効果があるの?」

「おう闇音、言ったれや」

「えー、精神崩壊的な?」

「どういうこと~?」

「僕から言えることは、えぐいとだけ」


 一応観測手なので双眼鏡で覗き込んでいた僕は、そっと夜蘭に手渡した。覗き込んだ夜蘭は、「ぐろい~」とすぐに顔を離してしまった。そりゃそうだろう。〈快楽地獄(ラストインフェルノ)〉は触れた部分を溶かしながら、精神錯乱を起こして周囲のものを襲うようになる。効果が切れるまで死ねないという特徴があり、襲われた魔物は同様に精神錯乱を起こしていく。いわば大群にもっとも効果のある精神肉体崩壊伝播系スキルであった。もちろん味方だろうが無差別である。


「準備ができた砲からどんどん撃ってくよ!☆」

「今日で決着ついちゃうかも~」


 そんな楽観的な余裕すらあった。一発撃ち込めば、その周辺へ数百という数の被害を拡大していく。それでも近づく魔物がちらほらと現れ、城壁まで到達して足掻く数を増やしていった。


「でもまあ、これを落とすだけで解決だ」


 クククと笑いながら、闇音が自分の闇砲弾を城壁の下へポイする。破裂して暗黒ドームを生み出し、尾を引くような悲鳴の後、ゾンビ映画のような悲惨な光景に変わっていた。

 最初の段階ではかなり優勢なのではないだろうか。ところが巨人が急に駆けだし始めた。大きな的なのだが、目測を誤って砲撃の命中は半分ほど。闇のドームに蝕まれながら、勢いは止まらない。


「撃てー! ここで止めろー! この三か月が水の泡だぞー!」


 闇音のむちゃくちゃに撃った大砲の弾が、巨人の揺れる頭にピンポイントで直撃した。勢いが止まり、その場に膝をついた。それだけで足下の兵隊がいくらか犠牲になっている。


「良くやった! 闇音二等兵! 便所にこびりついた汚物だがたまには人様の役に立つんだな! 二階級特進だ!」

「それ殉職してるよ☆」


 巨人の様子が少しおかしい。ガクガクと震えだし、なにやら体の関節が妙な方向へ動いている。突如として立ち上がり、腰をくねらせながら真っ直ぐに城壁に向かってきた。先ほどよりも速く、照準を合わせる暇もなかった。そしてそのまま城壁に頭から突っ込んだ。

 立っていられないほどにグラグラと揺れる。緒流流や闇音など、衝撃で少し浮き上がっていた。仲間たちに直接の被害はなかったが、城壁に亀裂が走り、巨人の体がこちら側に突き抜けてしまった。しかも衝突された城壁は、運悪く装填用の闇砲弾がまとめられていたところだった。闇砲弾が転がり落ち、無駄弾となって落ちていく。巨人の方は状態異常のフルコンボで痙攣をしていたが、やがて動かなくなった。しかし巨人が開けた亀裂から、いまにも魔物たちが侵入しようと登ってきている。


「撤退! 第一の関門は突破された! 第二の関門で迎え撃つ! 各自速やかに撤退!」


 みんな急いで逃げ出しているが、僕は残弾の回収や、砲門をアイテムボックスにしまい込んでいた。これがあるのとないのではこれからの籠城戦で天地の差である。


「リーダーも早く逃げるよ!☆」

「大砲なんてまた作ればいいよ~」

「あとちょっとで全部回収できるから」


 僕は最後の大砲をしまい込んだところだった。口から泡を吹き、指から血を流しながら城壁を登ってきた一つ目オークの存在に、残念ながら気づいていなかった。そいつは腹に粗末な槍が刺さっていた。仲間内で傷つけあった結果なのだろう。骨が見えるまで指を酷使して壁を登ってくるのは、一つ目オークの目に正気がなくなっていた所為だ。そいつは自分のビール腹に刺さった槍を抜き、出血があるのも関わらず槍を振り上げた。


 そして――


 ――背中から貫かれる。

 お腹の中を掻き回して、突然腹から突き出てきた真っ赤な穂先が、信じられないもののように僕の目に映った。


「リィィダァァァ!」


 闇音が駆け寄ってこようとするが、鶲輝によって止められる。そう、それが正解だ。僕の背後には、すでに何十体ものオークが登ってきていたから。ずるりと引き抜かれた槍に、命まで持って行かれたように力が抜ける。足がもつれ、仰向けにぐらりと体が傾ぐ。

 制止を振り切った闇音が城壁の縁から身を乗り出し、手を伸ばしてくる。だが、その手は届くことなく、不安げな闇音の目と視線が重なった。


「リーダー! うちのごはんは誰が用意するの!」

「言うに事欠いてそれかよー……」


 そして僕は、単眼オークたちがひしめく魔物の中へ、仰向けに落ちていった。

 空が白い――ただそれだけが僕の目に見えた。

ボーっとする闇音

挿絵(By みてみん)


(今日のごはんなんだろ。ハンバーグの匂いがするかも)

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