幕間層 心機一転
春、僕らは二年生に進級した。
同級生は全員進級を果たし、クラス替えもつつがなく終えた。残念だったのが、姫叉羅と龍村は別のクラスになったことだ。入学から一年経ち、転科、退学により一割ほどの同級生が消え、二年になると再編されて八クラスになっていた。ほかに見知ったクラスメイトは緒流流と夜蘭の軽音部のふたりだろう。闇音とはなんだかセットとして教師陣に見られているのか、ハンバーガーとポテトのセットを思われているのかもしれない。そして去年の暮れから急激に接近するようになった金髪ヤンキー天使の鶲輝も、コーラとして三人ワンセットでまとめられている気がする。いや、背丈は三人とも小さい部類だけど。
春休みまで僕の部屋で過ごしていた闇音だが、進級とともに女子寮に戻っていった。相部屋はヤンキー天使とらしい。だというのに始業式明けからなぜか僕の部屋に逃げ込んでくる闇音である。
「ストレスで禿げる……」
「まぁ気持ちはわからなくもないけど、それと男子寮に忍び込んでいい理由にはならないと思うんだ、僕は」
「ああ、リーダーの匂い。懐かしい」
「昨日まで寝ていたベッドでしょうが」
枕に顔をうずめてくんかくんかしているが、基本的に枕は闇音が奪って使っていたから、匂いは闇音のものだと思う。
「そういえばさ、最近食べても気持ち悪くなる」
「食欲ないなんて珍しいじゃん。風邪でも引いた?」
「お腹はあんまり空かないんだけど、お腹は出てきたんだよ」
ベッドの上で仰向けになった闇音がシャツをめくり、少しだけぽっこりしたお腹を見せてくる。
「食べてないのにちょっとお腹が出てきちゃった。なんか匂いを嗅ぐだけで気分悪くなるのに」
「風邪かな。ちょっと微熱っぽい? 吐き気はする?」
「ずっと気分が悪い感じ~」
闇音がお腹を撫でながらぐったりした顔でこちらを見る。
《調教師》の効果と《吸血鬼》のランクが上がったことで覚えた〈昼光耐性〉が、闇音のこれまでの無気力を払拭してくれた。おかげで迷宮探索も以前よりスムーズになって、姫叉羅や龍村をイライラさせなくなったのだ。そんな中でのだるだる闇音が戻ってきてしまったようだ。
「お腹冷えちゃうからしまっておきなさい」
「はーい」
闇音がいつものように携帯ゲームを始めた。それだけならばいつものことだが、目を引いてしまったのはその体勢だった。お尻を天井に突き上げたポーズで、腕を伸ばしてポチポチと無心になっている。問題はパンツしか履いていないことだった。お決まりの黒マントが背中で捲れて、尻を隠せていない。裸の足指をワキワキと動かしながらも、ときどきゲーム音に合わせて尻を振る。その姿勢で辛くないのだろうか。始業式後の制服姿から、いつスカートを脱いだのだろうか。聞きたいことは山ほどあるが、汚女と書いておんなと読ます闇音の尻を数秒食い入るように見てしまった。
パンツの縁から締め付けられた尻肉がはみ出るところから、大事な部分を隠しているラインの浮き上がる肌感まで、闇音だぞ?闇音なんだぞ?と問うてくる理性の己が葛藤し、いや女だし、ちっぱいだけど女の身体だしと開き直る悪魔のような己が囁いてくる。
気づけばベッドに近づき、闇音の背中を跨いでいた。闇音もいつものことなので反応しない。
「……まさか」
そこまできて僕は固まってしまった。闇音の症状と体型の変化の理由に気づいてしまった。
いや、間違いであってくれと思いながら、そっとベッドを降りる。
「ちょっと出てくる」
「うん、行ってら~」
闇音はいつもどおり気の抜けた炭酸のようにやる気がない。
僕は心臓がバクバクしながら部屋を飛び出し、闇市でとあるものを購入してきた。なぜ売っているのかを考えてはいけない。そして購入して顔を覚えられてしまう危険性も諦めなければならないが、いまは急ぐときであった。
「え? これにおしっこかけるの?」
「検査だから」
「えー、まあトイレ行きたかったからいいけど。ちょっと待っててー」
僕は勉強机に寄りかかり、祈るように闇音が戻ってくるのを待った。
しばらくして闇音が戻ってきて、白いキットを差し出してきた。ちょっと雫が残っていたので、ウェットティッシュで拭き取る。
「リーダーが言った通り、線がふたつ入ってるよ」
「一本であってほしかった……」
膝から崩れ落ちる感覚というのはこういうことを言うのだろう。
闇音は興味がなさそうに携帯ゲームに戻っていた。
「うちが寝そべってるときにリーダーが上に乗っかったから、赤ちゃん孕んだ?」
「あああ……」
「リーダーお尻好きだもんね。あれが子作りだったのかー。不思議ー」
「ぐおぉぉぉ……」
「そっかー、うちママになるのかー」
「まさかそんな……」
「鬼っ子と竜の人に悪いなあ、リーダーのいちばんの番にウチがなっちゃうなんて」
逃れられない現実が目の前のすべてを押し潰そうとしていた。
パーティ仲は確実に悪化する。最終目標の翼蛇コアトル討伐が遠ざかっていく……。それもこれも、すべてが自分の蒔いた種……。いや、うまいことを言うつもりはない。
「あはは……」
「子どもかー。うれしいねー」
笑うしかなかった。思考停止した僕の脳内など露知らず、闇音が目の前でニコニコと笑っている。これから養っていく女性と新たな命。学生だということの逃げ道のない袋小路。親にだって話さなければならないだろう。闇音の両親に土下座をする自分の姿を想像して、胃がきゅっと軋んだ気がした。
「どんな子が生まれるかなー。犬耳生えてるかなー」
「……大半は母親の形質が遺伝するから。とりあえず元気に育てば、ほかになにも言うことはないです……」
「男の子かなー、女の子かなー。どっちだと思う? どっちがいー?」
お腹を幸せそうに撫でる闇音を見て、姫叉羅と龍村になんと言われるかと呆然となっていた。
「この後集まるんだよね。早くいこ。みんなに話さないとー」
「ぐぅぅ、うぉぉ……」
頭を抱えていると、闇音が手を伸ばしてくる。その小さな手を、ごく自然に握ることができた。僕にとってはもう隣にいて当たり前の存在になっていたのだ。小さなぬくもり。そして新しく増える家族。ここは覚悟を決めて、僕が守らなければならないものとして受け入れるしかなかった。
ー闇音孕ませエンドー
ぱんちらそふと
孕カノ4
-キャスト-
狭間真名 ????
黛闇音 水ノ七海
霧裂姫叉羅 かわいいしまりの
九頭龍村 三崎里奈
天道鶲輝 杏子見津
岩成緒流流 奏田まひる
古森夜蘭 まきまきいづみ
狭間叶愛 雅谷はるか
時任貫太郎 ぽうでん亭センマイ
エルメス・アールヴ 真仮千平
藤木藤吉 山ロ勝平
虎牟田五十六 虎太明
-スタッフ-
原画・キャラクターデザイン
伊東の意地
デフォルメイラスト
発砲美神
企画・シナリオ
田虫口ミオ
「――――――はっ!!!!」
暗い部屋で目を覚ます。懐かしさのある自分の部屋だが、どこか違和感のある感じ。自分の現在地が思い出せなくて混乱する。なにもわからなない状態というのはどうしてこうも恐ろしいものなのだろう。
夢、夢、いまのは夢……。
「夢、か……」
バクバクする心臓を押さえながら周囲を確認する。僕がいる場所は、実家の自分の部屋だ。
学校が冬季休暇に突入したことで帰省したのだ。迷宮学校のある横濱からはそう離れていないので別に学生寮に残ってもよかったのだが、姫叉羅や龍村は実家に帰省することを決めていたし、残って飛車角落ちのまま迷宮に潜るより、実家の方面の野良迷宮でも攻略していくかと方針を決めたのだった。
落ち着いてくると今日までの時間が思い返される。荷物をまとめて実家に帰り、妹と両親の住むこの家に戻ってきた。
大丈夫……過ちを犯したことは一回もない。そう、一回もないのだ。闇音のまっちろいプリケツに少し心が揺れた日もあったが、僕には鉄の覚悟がある。たまにパンツを穿かないでぷりぷりしていることもあって、何気ない風を装って足下側に移動して覗き込むことがあったが大抵尻尾に隠されていたので直接見たことはない。ないのである。ともあれ脳の血管が破裂しそうになるが、ムラッとすることはあっても、脱線はないのであった。
「嫌な夢見た……心臓に悪いよホント」
諦めて闇音の実家に挨拶に行く覚悟ができていた。夢の中の自分は結局のところ、リアルの自分の延長線でしかない。夢の中の判断はそう現実と外れるものでもないから、本当に人生詰んで受け入れようと思っていたのだ。というかなんだあのエンディングは。ギャルゲーのエンドロールだったよ。脳内でエンディングソングとイベント絵の再生が余裕でした。
「んんん……」
寝返りを打つと、そこに黒いまんじゅうがあった。温もりがあって、もぞもぞ動いている。
「いやもう、自分の部屋で寝ろよ。そうことするから初夢で変な夢見るんだよ……」
「むふー……ふが」
鼾っぽい返事を返されて肩の力が抜けた。うつ伏せで寝ており、妹のパジャマを着た闇音のもこもこの尻を引っぱたきたくなった。犬耳を生やしたハーフ狼のくせに、猫のように自由奔放なのが腹立つ。
闇音は実家に帰るつもりがなく、寮で年越しするつもりだった。そのまま僕の部屋に残すのが嫌で、姫叉羅や龍村に一緒に連れて行ってもらうようにお願いしたが、すげなく断られてしまった。「祖父のところで心身を鍛え直そうと思っている。リーダーの力になれないのはすまないが」とは龍村の談。「休みのときまで面倒見切れないし、赤ちゃん生まれた兄貴のところに遊びに行くからあんなのは連れていけない」と姫叉羅にも断られた。というか闇音をあんなの呼ばわりする姫叉羅が、赤ちゃんと絶対に引き合わせたくない感が強くて苦笑いだ。渋々僕の実家に一緒に行くかと闇音に話すと、「行く~」とふたつ返事で頷かれた。脳天気なものだった。
僕も正直、ひとりで実家に戻ることに前向きだったわけではなかったから、気が紛れるという意味では助かった面もあった。冬期休暇中、やることといっても、迷宮について調べたり、野良迷宮を探して攻略するくらいしかないし。年始に親戚の挨拶回りや墓参りは、毎年の恒例行事なので諦めている。
それに、僕自身ジョブを増やしすぎて経験値が分散されるという現象が起こってレベルが上がりにくい状態なので――そもそも戦闘職でもないので――経験値の入りも悪いこともあって、これ以上ジョブ枠数を増やすのはいいかなという気分だった。ガチャのような新スキルに興味もないし、スキル枠は欲しいかな、程度だった。
自分のカスタムもあらかたできているので、次は誰かのジョブのカスタムをしたいと思っていたところだ。幸い闇音なら一度ふたりきりで潜っているので、野良迷宮に対する抵抗もないし、闇音のスキルやレベルを伸ばす絶好の機会である。
「トイレ行こ……」
部屋から出て、暗い廊下の先にあるトイレへ歩いて行く。その途中にある妹の部屋。名前のアルファベットを並べて飾った扉をちらりと見る。
僕はこの世界の僕ではない。それがまざまざと思い知らされる理由がある。実家には、両親と『妹』がいた。元の世界では、僕は一人っ子だった。この世界にやってきたとき、僕は迷宮になぜか迷い込んで、冒険者に救助されていた。そのとき意識が混濁して、いくつかの記憶に喪失があると診断された。妹の存在を知らなかった僕は、家族と対面したときに本気で狼狽えたと思う。
僕の発する「知らない」という言葉が、この世界の「妹」をどのように傷つけていたのか、もっと余裕と人生経験があればフォローできたかもしれない。しかしそうはならなかった。病院に会いに来た友人だという同級生のほとんどは種族が違ったし、知らない人もいた。比較的仲の良かった友人がいなくなっていたのも気落ちした理由のひとつだ。
「まったく、布団に潜り込んでくるとか油断も隙もないよね。もしアレしているときだったら気まずすぎるよ」
僕もまた思春期の男の子であった。隣にぷりっとした尻が常にあったら、いつか夢のように間違いを起こしかねない。鉄の意志を持っている僕だが、自分の自制心とやらを完全には信用していなかった。それに、最近は毎日家のお風呂に入っているので不潔感もなく、母が洗濯物を一手に行うので不衛生さも消えている。ときどき闇音の頭からシャンプーのいい匂いがするんだよなー。
ムラムラというか、ムクムクというか、生理現象はどうにもしようがない。
年が明けて、今日もどうせ親戚の挨拶回りだ。そうだ、これが初夢になるのかとちょっとした絶望を覚える。
ともあれ、恒例行事が片付いたら、また闇音を連れて野良迷宮へ行こうと思う。僕は冷静さを取り戻すために、音が出ないようにトイレの扉を用心深く閉めるのだった。