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第45階層 しゅき兄

闇音が思ったよりヘイト集めすぎな件

「うざカワ」が「うざッ」になっちまってるよ闇音…


 僕は二年生の『しゅき兄』に呼び出された場所に行くと、そこには面接官のように机に座る三人と椅子だけ用意されていた。

 変哲のない空き教室に入ったはずなのに、足下にほのかな光源があるだけで、天井も見えないほどに暗くなっている。そして裁判官に見下ろされるように、高いところから三人の先輩方に見下ろされている。


「まぁ気楽に。座ってください」

「はぁ……」


 正面に座る丸眼鏡をかけた痩せぎすな先輩は、肘をついて指を組むポーズでじっと見つめてきている。冗談の通じなさそうなどこかの司令の雰囲気で、中央にぽつんとある、天井からスポットライトが当たる椅子に座るように指示してくる。土気色で死体みたいだが、半死半生のリビングデッド族だというのは後で知った。はっきり言って帰りたい。逃げちゃダメだ逃げちゃダメだと心の中の中学生が呟いている。雰囲気から入るのなんなのだろう。左右にネギ頭の先輩と、ボンレスハムのようなハーフエルフ先輩が並んで座り、何の変哲もない空き教室だったはずなのに重苦しい空気を生み出している。


「まずはね、志望動機、いってみようか」


 正面の丸眼鏡が反射で白く光る。組んだ指に口元を隠して、ゼー〇ごっこはさぞかし楽しかろう。


「これって面接かなにかなんですか?」

「そういう質問は受け付けていないのだよ。キミはいわばふるいにかけられた砂金の粒。我々の手元に残るかはキミ次第なのだ。発言には細心の注意を払いたまえ」


 右のボンレスハムがつばを飛ばしながら、居丈高に見下ろしてくる。


「じゃあ帰ります」

「まあ待ちたまえ。とっさの機転といい、状況に呑まれない胆力、すばらしい。どうやらキミは大粒の金玉だったようだ」

「言い方!」


 左のネギ頭は全部知っててふざけているのだろう。これでまともに話し合いできなかったら河童先輩を恨む。絶対恨む。


「そんな金玉くんは悩み相談があるそうじゃないか。どしたん? 話聞くよ?」

「股間の肥大化で悩んでるとかじゃね?」

「盛大に脱線してるのそっちだから!」


 右、正面と今度は下ネタだ。普段からこんなノリなのか、会話に淀みがない。

 しゃっと音がしたと思ったら、先輩方の後ろから光が差し込んだ。見下ろされていた暗闇の空間が消えていき、なんてことのない空き教室に机三つ並べて椅子と向かい合う面接様式になっていた。そもそもが光を透過するカーテンでは、部屋を暗くすることなど不可能なのだ。おそらく、この三人の先輩のうちのひとりが認識を歪ませるスキルを持っているに違いなかった。


「冗談はさておき、こっちも頼みたい案件があるからちょうどいい取引だったよ。ウチらのパーティの田児氏が《荷役(キャリアー)》なんだけど、二年にはほとんど《荷役》がいないから」

「それは正確ではないのだよ、寿々木部長。正しくは、声をかけて話を聞いてもらえる《荷役》がまったくいないということだね」

「言い直さなくてもこの一年は察しが良いから気づいてるよ、筱原書記」

「早河会計が一年にモノもぉぉす!」


 ようやっと戻りそうだった話が、樽体型ハーフエルフに待ったをかけられる。いつまでこの茶番に付き合わないといけないのだろうか。


「早河、もういいよ。なんだか帰りそうだよ」

「まあ待て。相手を信じられるかは問題を出してみればわかるのだよ、ちみぃ」

「何でも良いですけど……」


 顔の真ん中にパーツをぐっとつめたようなハーフエルフのぽっちゃり先輩が、顎肉をブルブル揺らしてはぁやれやれと言わんばかりに首を振る。なぜ質問に答えなければならないのかも不明だが、納得しなきゃ協力しないと言われてしまえばそこまでである。


「第一問! とあるアイテムが売店に売っていた。定価だとそこそこの価値だ。闇市だと半額で手に入るが、相応のリスクがある。安定をとって売店で買うか、安さをとって闇市で買うか、ユーならどっちを選ぶ?」

「……うん。それなら信頼するブローカーを挟んで闇市で買いますね。いくらかブローカーに手数料を払っておけば、安心が買えるので」

「なるほど。第二問! どうしても手に入れたいアイテムがあったが、それを持っているのは格上パーティだった。キミならどうやって手に入れる? 交渉の余地はないものとする」

「その欲しいものが禁制の品だった場合は、風紀部を使うのがひとつの方法としてあると思います。あとはさらに格上のパーティに協力してもらって、放出するように圧をかけてもらうとかですかね」

「ほうほう、自分の手は汚したくないわけか」

「自分ひとりの方法で手に入る手立てがないだけです」


 ネギ頭の寿々木先輩、やつれ顔の筱原先輩が「へぇ……」と感心した様子で頷いている。盗む、という安直な答えを期待したなら甘いな。人様のものを盗むなんて怖くてできないっつの。


「よろしい。では最後の質問だ。好きな子に振り向いてもらうにはどうすれば良いと思う? 相手には認知されているが、その程度の関係だ。ちゃんと具体的な実効性のあるコメントじゃないと失格な」

「最後だけなんか切実な感じがするんですが」

「早く答えて。時間はないよ? 人生は短いんだぜ。悩んでる暇なんてないさ。ほら言っちゃいな?」

「うーん……まず自分のことをたくさん考えてもらわないとダメじゃないですか。そのためにはまず、一対一でたくさん喋って、お互いのことを知る必要があると思いますけど」

「それができれば苦労はないんだよ! まずどうやってサシで話す場を作るかだろーが」

「なんか実感こもってません?」

「ただの質問ですー。邪推しないでくださいー」


 ちょっとばかり真剣に考えてみる。適当に答えて濁すよりも、この先輩はぶっ飛んだ内容の方が喜びそうだ。


「……サシで五時間話さないと出られない部屋を作る?」

「おいおい、ふざけたこと抜かすなよ? ……それ採用」

「採用するんかい」


 ネギ頭の寿々木先輩が呆れていた。しかしおデブハーフエルフの早河先輩は天啓を授かったように目をキラキラさせていた。


「今日からキミは仲間だ。ようこそ『兄しゅき』へ」

「入んないんですけど」


 そんなバカな! という顔のぽっちゃりを放っておいて、ひょろガリの筱原先輩がメガネをくいっとあげる。


「で、なんの情報が欲しいの?」

「PKする連中の正体に心当たりないですか?」


 盛大な回り道の後のようやく本筋である。


「キミ、それ本気で言ってる?」

「どういう意味ですか?」


 メガネをくいっと上げながら、筱原先輩は至極真面目な顔で見つめてくる。


「まあ一年だからわからないことかもしれないけど、なんでPKするやつらが顔やら個人情報を徹底して隠すか、想像すればわかりそうなもんだよね」

「……誰でもなれる、からですか?」

「そうだよ。もちろん嵌まり具合は人によって違う。そこの寿々木だって興味本位で参加したことあるけど、彼は殺すよりも快楽責めしたり、リョナ責めしたい派だから、ただ殺すのって全然楽しく思わないとかですぐにやめたのだよ」

「おい……言うなよ。恥ずかしいだろ。そう、獲物はじっくりいたぶる派だから、オレ」

「なんか頭がバグってきました……」


 PKを当たり前のものとして受け容れているのは、一年以上迷宮学校に染まるうちに当然のことになるのだろうか。しかも筱原先輩と寿々木先輩が話しているいたぶる相手って、人間のことだよね……?


「そういう変態がその場限りで集まって、獲物を狩るだけのハンティングゲームなんだよ。もちろん強奪から殺人まで、楽しみ方はそれぞれだけど。共通するのは、表で所属してるクランとはまったく違う自分……裏アカみたいなもんかな、そういうつもりで参加するってこと」


 寿々木先輩が経験者というだけで、ちょっとどういう感情で接していいのかわからないところがある。だが、それはそれとして、自分たちを襲った相手をまず敵として対処することが大事だと思い直す。


「PKクランがあるわけじゃないんですね?」

「そんな非効率なことやっても強くなれないしね。どうしても狩るなら下の学年か浅いところで燻ってるパーティになるから、実入りはそんなにない。たまに思わぬ強敵に当たって自分らが全滅するときもある。笑い話をすると、教員パーティを知らずに襲ってそれはそれは楽しい末路を辿ったそうだよ。だったら真面目にクランに所属して階層を更新してった方が利口だ」

「つまるところ特定は難しいってことですか?」

「そんなこともないんだなあ。参加するのに素性を隠すけど、そんなの公然の秘密みたいなところがあるからね。わかる人にはわかっちゃうものさ。というか私『解析(アナライズ)』クランに兼部してるし」


 眼鏡をすちゃっと上げて自慢げに語る顔色の悪いゾンビ――リビングデッドの筱原先輩。


「え? クランの掛け持ちもできるんですか?」

「ああ、『解析』は非公式なクランだからね。あのクランって情報に強くていろいろ便利だから、クランを発足するなら誰かひとり所属しておくことをオススメするよ」


 入部にそれなりの審査があるけどね、と付け足すが、知識欲に取り憑かれた連中と思えば同じ穴の狢かどうかを判断するのは当然だろう。それなら確実に僕が加入する。どうやら『解析』クランは実体のない有志団体のようだから、自分でクランを立ち上げた後に情報収集の場が得られるのはメリットしかない。


「今回は協力してもらえるってことでいいんですか?」

「そういう約束だからね。筱原がPKパーティの受付をすればいいだけで、オレらが尾行する分には制約の範囲外だって思ってる」

「そんな手があったんですね」


 寿々木先輩がぐっとサムズアップで応じる。こっちの用件はすでに納得済みでこの場を用意したのだろう。後輩をからかいたいがための舞台だと思いたくはないが。


「この間ローパーのレア種手に入れて、人間に使ってみたいと思ってたところだったんだ」


 この痩せたネギの植物人である二年の先輩は、おもちゃを手に入れた子どものように嬉しそうに笑った。ローパーで生き地獄を見ることになる人間には本当にご愁傷様だったが、PK集団にはある意味トラウマ級の罰になって一石二鳥かもしれない。


 あなたは——犯罪やめますか? 人間やめますか?




〇〇〇〇〇〇



【悲報】失ったものは返らない【PK氏ね】



699 :名無しさん@天狗になるなよ中堅:

ところでPK被害の会会長だが


700 :名無しさん@天狗になるなよ中堅:

だがじゃないのよ


701 :名無しさん@天狗になるなよ中堅:

だからなんなのよ


702 :名無しさん@天狗になるなよ中堅:

会長はナニ様だって?

オレが奪われた聖剣を補填してくれるンか?ああん?


703 :名無しさん@天狗になるなよ中堅:

何が聖剣だよ草

てめえの粗末な聖剣はその辺に落ちてるひのきのぼうだろ


704 :名無しさん@天狗になるなよ中堅:

アンタの聖剣ならアタイの横で寝てるわよ


705 :名無しさん@天狗になるなよ中堅:

擬人化してるよ聖剣、誰だよ聖剣


706 :名無しさん@天狗になるなよ中堅:

もう性剣になっちゃってるよ


707 :名無しさん@天狗になるなよ中堅:

PKの話しようぜ

犯人誰か知ってたら教えてくれ


708 :名無しさん@天狗になるなよ中堅:

この脳筋が。バカめ


709 :名無しさん@天狗になるなよ中堅:

知ってたらすでにヤッてる。奪われた物がマジでバカにならない

あいつら痺れ薬で麻痺させて取るものとって殺るから始末に負えない


710 :名無しさん@天狗になるなよ中堅:

同じ学生かよ

クラスメイトだったらもう疑心暗鬼だわ

奪われた者にしかわからない理不尽な現実な


711 :名無しさん@天狗になるなよ中堅:

え? おまえら狩られてんの? 返り討ちでしょ?


712 :名無しさん@天狗になるなよ中堅:

うぜえ


713 :名無しさん@天狗になるなよ中堅:

うぜえ


714 :名無しさん@天狗になるなよ中堅:

え? 〇ね


715 :名無しさん@天狗になるなよ中堅:

こういうイキリメイトが湧くのは仕方ない


716 :名無しさん@天狗になるなよ中堅:

おまいらPKパーティ入ったおいらになにか言いたいことある?


717 :名無しさん@天狗になるなよ中堅:

市ね


718 :名無しさん@天狗になるなよ中堅:

四ね


719 :名無しさん@天狗になるなよ中堅:

地獄へ落ちろ


720 :名無しさん@天狗になるなよ中堅:

社会の敵め


721 :名無しさん@天狗になるなよ中堅:

ゴミクズめ


722 :名無しさん@天狗になるなよ中堅:

突然の殺意大会で草


723 :名無しさん@天狗になるなよ中堅:

PK連中が九割のまともな生徒にとって嫌われ者なのは間違いない


724 :名無しさん@天狗になるなよ中堅:

PK被害の会会長だが一言いいだろうか


725 :名無しさん@天狗になるなよ中堅:

厳かww


726 :名無しさん@天狗になるなよ中堅:

いいよ言ってやれよ会長


727 :名無しさん@天狗になるなよ中堅:

ゴミクズを制裁してくれよ会長


728 :名無しさん@天狗になるなよ中堅:

PK被害の会会長から言わせてもらう

精霊樹の杖を奪われたのだが、誰か知っていたら返してもらえないだろうか?

手付金の準備もあるのでどうか!


729 :名無しさん@天狗になるなよ中堅:

ただの被害者ww


730 :名無しさん@天狗になるなよ中堅:

社会的弱者www


731 :名無しさん@天狗になるなよ中堅:

会長SRの武器取られて涙目ww


732 :名無しさん@天狗になるなよ中堅:

相手が付け上がるだけ。失ったものは闇市に流れてくるのを待つか、諦めるのが吉


733 :名無しさん@天狗になるなよ中堅:

名前書いてないんだろ? じゃあもうおまえのものじゃねえよ


734 :名無しさん@天狗になるなよ中堅:

>733 こいつ絶対PK常連


735 :名無しさん@天狗になるなよ中堅:

嫌な世の中になったものだぜ




〇〇〇〇〇〇




 『しゅき兄』の先輩方との邂逅から一週間後、本日の迷宮探索はPKパーティに逆突撃するということで、通常の探索はお休みになった。

 闇音は一も二もなく喜んで教室で惰眠を貪り、姫叉羅はなんだか元気がなさそうでちょっと考えることがあるからと部活に行ってしまった。龍村に声をかけたところ、「護衛の出番だな」と張り切って、探索に乗り出した。残りのメンツは『兄しゅき』からネギ頭の寿々木先輩と、ぽっちゃりハーフエルフの早河先輩。それとリビングデッド族の筱原先輩が参加することになった。

 ダンジョンエントランスでの顔合わせの際、龍村はいつも通りの態度でキリッとした表情だが、明らかに女子耐性のない先輩方が浮き足立っていて反応に困った。寿々木先輩は畏まりまくっており、早河先輩はなぜか自らパシられる気満々で、筱原先輩は聞いてもいない蘊蓄を垂れ流している。めっちゃ目立っているからやめてほしい。


「こ、このたびはお日柄も良く、体調はいかがでしょうか……」

「あ、じゅ、ジュース飲む? 我輩買ってくるよ? アンパンでもいいよ?」

「どうして緊張するか知っているだろうか。緊張のメカニズムというやつはうんぬんかんぬん……」

「あの、私はリーダーの護衛で参加しているだけなので、お気遣いなく」

「もう勘弁してください……」


 すでに筱原先輩が『解析』としてPKパーティの襲撃計画を請け負っており、襲撃相手を逆算して同エリアへ侵入する手前で待っているところだ。もうここで正体曝いちゃえばいいんじゃない? と思うが、筱原先輩は誓約で縛られているのでPKパーティを示すことができない。近づくことも誓約で禁止されている。だが迷宮内ではその誓約が効果を失うため、その後を追って何食わぬ顔で襲撃中のPKパーティを叩く。いくつかある迷宮への入り口へ何番目に入るかで同エリアへ飛ばされる確率が確定するので、バス停でバスを待つような気持ちになる。

 同エリアに飛ばされたところで、その広さは最大で山の手線円内レベルのオープンエリアもあれば、縦横数キロレベルの迷路エリアもある。それと知らなければバッティングするのは奇跡の確率だが。

 今回は同エリアに三組のパーティが入ることになっており、その順番待ちをしている最中の、パーティ内で初対面の気まずい時間でもある。女っ気がないのは知っていたが、ここまで陰キャ童貞ムーブを先輩方に見せられると恥ずかしくなってくる。自分も童貞だが、ビジネス的な女子との対話くらいできるので、いっそう思ってしまうのかもしれない。


「よし、順番が来た。行こうか、破滅への扉を開けるときだ」

「フッ、無知なる罪人どもに我輩の魔道の真髄をとくと知らしめてやろう」

「スチャ……私たちに吹く風はいつだって追い風なのだよ、ククッ」


 キリッと目つきと雰囲気を鋭くして、ネギ頭とデブハーフエルフとリビングデッドが歩き出す。歩き方すら勇ましく見えるが、これが厨二病というヤツである。その後を僕らはついていく。僕は周りからの視線に耐えられず、顔を覆って最後尾を龍村と歩いた。

 龍村はよくわかっておらず、とりあえず護衛という役目を凛とした顔でまっとうしていた。







 二十一階層、氷山地帯――


 扉を抜けると、そこは一面の銀世界だった。青空には雲ひとつない。ここが迷宮だと一瞬忘れる瞬間だ。四方を見回すと霊峰に囲まれている。どこまでも開けた世界ゆえに、魔物たちが視界の端に入ってくるんだよなあ。他のパーティの姿は視認できない。すでにこっちをロックオンして近づいてくる魔物もいるようだ。あれだけ勇ましく踏み出した先頭の三人は軽装ゆえに、我が身を抱いてガクガクと震えていた。

 僕は〈アイテムボックス〉から防寒具を人数分出して、しばし無言で着込んだ。全員が頭までモコモコのウィンドブレーカーで覆って、どこぞのアイスクライマーさんのようになっている。特にデブハーフエルフ先輩のシルエットはイエティである。

 竜人族の龍村は寒冷地に弱いので少し心配だ。懐炉のような適温を発する熱石というやつを手渡しておいたが、すでに顔色が少し悪い。なんというか、ぼうっとしている。体温が下がると冬眠してしまうのだろうか。


「簡単に現状を説明すると、このエリアには自分ら含めて三組のパーティが入ってる。一組は何も知らないウブなネンネだからこっちはスルー推奨。もう一組が目当てのパーティだけど、たぶん獣人系がいるだろうから風下にいたら見つかって逃げられるかも」


 寿々木先輩は『しゅき兄』のリーダーなので、ごく自然に説明役を買ってくれる。


「あるいはこっちを標的にしてくる可能性大だろ。視認できないように幻術は我輩かけられるからそこはグッジョブ我」

「見つからないように追跡しなきゃいけないのがきっついけど、そこは四次元ポケットの名をほしいままにする一年期待の星がすべて準備してくれている」


 筱原先輩に話を振られ、僕は一応準備してきたものを取り出す。


「ただの臭い消しですよ。自分で作ったものだから効果は丸一日ほどで切れます。でも体臭とかもうまく分解してくれるので汚れもあんまり出ないです」

「それ、普段から使えないのだろうか?」


 龍村が眠そうな目を擦りながら聞いてくる。確かに女子にとっては夢のようなアイテムに違いない。脇汗や足の臭いといった汗臭さが一時的に無効化される代物だ。


「作るのにコストがかかりすぎてね。今回分一気に使うので在庫がなくなっちゃうんだ。ごめんね」


 ちなみに一回一人分で大体数万円くらいのコストである。これを聞いた三人はしばらく無言になった。お互いに顔を見合わせている。


「使わずに売るとか絶対にやめてくださいよ。絶対に失敗できないんですから。あ、俺たち臭くてもよくね? いつも通りじゃね? とか思ってるのもわかってますからね」

「スチャ……もちろんだとも。なあ兄弟? 今度一緒にご飯でも行こうじゃないか。《解析者》に入りたいんだろう?」

「そうだぞよ、息子よ。この学園に入ってから金銭感覚バグってきてるが、不義理はしない我輩。とりあえずお試しでウチのクラン入ってみん?」

「とりあえず作り方のヒントだけでも! 上級クランに絶対売れる! アホほど売れる!」

「社外秘なんでごめんなさい」


 筱原先輩は余裕のある先輩みたいにごはんに誘ってくるが、ここは迷宮。早河先輩の勧誘も魂胆が透けて見える。寿々木先輩はいっそ清々しいが、ゆくゆくは自分が儲けるための商材なのだ。ダメに決まってる。

 こんなバカな話を繰り広げながらも、寿々木先輩は何やらカードから魔物を顕現させて斥候に出していたし、筱原先輩は土魔術でとりあえずの塹壕を用意している。早河先輩は周囲に何やら靄のカーテンのようなものを設置して、遠方からこちらを一方的に捕捉されないように対策していた。

 さすがにイロモノと言われながらも実力者として界隈では有名な先輩たちだった。ふざけるのと真面目なのがごちゃまぜになっていてツッコミが追いつかない。


 ――くちゅん!


 振り返ると龍村が鼻を押さえていた。可愛いくしゃみに僕も先輩方も、異世界お〇さんのような顔でほっこり和んだ。


 





 斥候が戻ってきて周囲五百メートルに人の気配なしとわかってから、これからの進行を話し合った。

 なにはともあれ向こうより先にこちらが見つけねば意味がない。しかしひとフロアだけでも広大なエリアが広がっており、それがボス部屋を除いて九階層もある。


「基本的には、階段をいち早く見つけて見張る、だろう。すでに移動した後だったら、骨折り損だが」

「確かめるすべがないわな。待ち伏せをするならそれしかないとも言える。いちフロアに階段はひとつだけってのがお決まりではあるから」

「私の情報だと、0.3%の確率で例外的に二、三ある場合もある」

「そんなこと言ってたら切りがないわな。エリアを隈無く調査する時間もないわけだし」


 筱原先輩と寿々木先輩が交互に語ってくれる。


「そもそもの話、狙ってるパーティが何を目的としているか調査しておくのは襲う側としては大事なわけで。ただの階層更新だったとしたら、次フロアに続く道を見つければ迷わず行くだろうし、これを狙うのは骨だが」

「止まらない急行電車に飛び乗るようなものだ。普通はそんなパーティは狙わないわな。最悪捕捉できないまま終わるまである」

「じゃあどういったパーティが狙い目か?」


 ふたりの教師が龍村と僕を見る。目が合った龍村がおずおずと口火を切った。


「レベル上げ、じゃないだろうか?」

「レアモンスターのドロップを狙っているとか、エリア限定の収集アイテムが目的の場合もありますよね。よさげなポイントを拠点にして何週間か籠もるなんてのはざらにあります」

「私たちは平均でも二、三か月は迷宮暮らしだものな」

「だって時間が経たないんだから、すぐ出ちゃうなんてもったいないじゃない?」


 龍村は苦笑程度で済んでいるが、肌に合わない人間からしたら発狂して逃げ出すくらいの期間を平気で迷宮内で過ごす。そりゃ男女差関係なくなるというものだ。


「オレらもだいたい同じかな。普通は用が済んだら迷宮からすぐ出られるように、ボス部屋に近いフロアを拠点にする」

「階層途中にどうしてもマラソンするような狙い目がなかったらそうするだろう。うちの部長がローパーを手に入れるために気の遠くなる回数マラソンしたのはいい思い出……いや、もうやりたくない。思い出したくない」


 筱原先輩が眼鏡の奥で遠い目をしていた。寿々木先輩は「必要な犠牲だったのだ」と達観しているし。


「じゃあ発見するまでは階段を見張りつつ、ボス部屋手前を目指すということになりますかね?」


 先輩方が頷くので、とりあえずの方針は固まった。階段を見つけたら、一端その周辺を調査して、通った痕跡がないかを確認することになった。何かしらの形跡が見つかれば、次の階層に進んだと思ってとりあえず問題ないからだ。


「見つけてからの作戦は変わらないね」

「目標AがカモBに接触した瞬間に漁夫の利を得るが吉」

「得ちゃダメじゃないですか。パーティをふたつも襲う必要はないんですから」

「ウチのローパーが巻き込まなければそうしよう」

「しっかり責任持ってくださいよ……」


 正念場がやってきたら、一筋縄ではいかない先輩たちの手綱をどう握るかが問題であった。その場のノリと勢いでかなり適当に生きているので、いま約束したところであんまり拘束力はない。

 ともあれやることは変わらない。彼ら先輩が普段から狩り場にしている三十階層以降に比べれば、欠伸しながら進めるくらい実力差があるので、ともかく音を立てず、目立たないような戦闘を心がけたいところだ。しかしデブハーフエルフの早河先輩は「フッ、それは残像だぁぁ!」とでかい声で叫ぶし、筱原先輩は「ゴゴゴ……」と地響きを立てながら土魔術を使うし、寿々木先輩はあえて急所を外して痛めつけながら魔物の断末魔を聞くのがお気に入りのようだしで、こいつら隠密作戦に全然向かねえ……と開始一時間で思い知らされることになった。

 龍村はうとうとしてしまうのか、自分を奮い立たせるために自らの太ももに槍を刺して頭を冴えさせようとする無茶ぶりだった。


「己が情けない……。せめて護衛任務はしっかりと果たそうと決めたのに」

「だからって自分の足に槍を刺さないでよ。歩けなくなって余計にお荷物になっちゃうよ」

「ああ……私は荷物だ。邪魔ならそこらに捨ててくれればいい。魔物に食い殺されて死に戻りしたほうがリーダーのためになるのなら」

「ほら、熱石でなんとかすれば動けるから」

「……うぅ、すまない。……あったかぃ」


 熱石をたくさん包んだタオルを首に巻き、腰に巻き、余りはポケットに詰め込み、笑っていいのかよくわからないシルエットになってしまったが、眠くなることはなくなったようだ。


「動きは悪そうだけど、背に腹は代えられないから」

「槍は全身のバネで振るから、かなり制限がかかるな」

「このエリアは龍村には鬼門だったね。戦闘メインじゃないから周囲への警戒だけお願いね」

「絶対に役に立つ、絶対に役に立つんだ……」


 今回の作戦において、龍村の存在はそれほど重要度が高いわけではなかった。身に危険が迫ったときの防波堤という意味でいてもらっているわけで、PKパーティを捕獲するのは先輩三名の仕事だった。お互いの利益が合致したので臨時パーティを組むことに相成ったわけだが、そこでの龍村の役割は、あくまで僕の護衛なのだった。


「はぁあ、初めて女子とキャンプできると思ったら、いちゃコラ見せられるだけの人生かぁ。男始末したら我輩にもワンちゃんある?」

「オレも思うんだ。迷宮では何が起こるかわからないからね。事故がつきものだから……」

「ワンチャンとかないですから。僕らはあくまでおまけだと思って、先輩たちのペースで探索してください」


 早河先輩は冗談にしろ、寿々木先輩はその貧相なネギの姿に似合わず割と本気で実現するサイコパス味があるから注意が必要だ。マジで。


「せめてラッキースケベが見たかったわー。顔だけしか露出してない力士みたいなシルエットの何が楽しいんだか……」

「自分の姿を鏡で見てから言ってくださいよ……」


 まるまるコロコロのシルエットが何かを言ってらっしゃる。いや、逆にフードを被って顔の縁取りを隠している所為で、顔の中心だけを見ればキリッとした眉といい、ハーフエルフの美形ではあるのだ。

 僕のもっぱらの役目は、先輩方の不満のガス抜きをしつつ、馬の目の前にニンジンぶら下げて先に進ませる乗り手であった。


「さむさむ。体冷え切ってち〇こも縮み上がっちゃってるよ」

「早河のち〇こなんて肉に埋もれてほとんど見えないだろ」

「見たことあんのかよ。そういう部長はネギみたいに緑色なんじゃないのぉ? はい論破」

「私のち〇こはみんな知ってると思うけどおじいちゃんみたいにしなしなだからね。でも勃つ若さはあるの」


 ゲラゲラとシモの話に盛り上がる先輩方を遠目に、筱原先輩の土魔術で作り出した拠点で龍村と体を休めていた。なんとか頑張って保温していた龍村だが、もはや半分眠ったようなとろんとした顔が固定されてしまった。雪中行軍中もふらふらであった。

 いつもの刃の切っ先のような鋭さはなく、ベロベロに酔って隙だらけ女子大生みたいになっている。放っておいたら童貞しかいない世界でも簡単に送り狼されそうな勢いだ。

 口では申し訳が立たない、役に立てないと呟いているのだが、目が閉じかけて夢と現実の区別がついているかわからない状態だった。半分くらいは夢の世界に旅立ってそうだ。戦闘に参加しない僕が横で支えながら進んでいたのだが、下心満載の先輩方が支えるの代わるぜ?とキョドキョドしながら定期的にすり寄ってきたので追い返すのも大変だった。モコモコの服の上からでも女の子を触りたいらしい。感触なんてほとんどないというのに(実体験)。

 先輩方が作った拠点は、一時しのぎなはずなのに好き勝手改造しているようであった。なぜか四人でカードゲームができる四角のテーブルを三人でわいわいしながら作り始めている。龍村はというと、日が暮れて暖を取っているときも、調理中の僕の後ろで丸まっていた。料理を作るのは僕の役割になっていた。戦闘や拠点作成をお願いしているので、それくらいはお安い御用である。

 ご飯ができたと龍村を起こすのだが、どうにも身体に力が入らないようで、支えて起こしてやる必要があった。酔った女性を介抱したがる男の心理を理解してしまう。いまはウィンドブレーカーは脱いでおり、セーターの部屋着である。支えるために体に触れるのだが、むにゅりと形を変える柔らかいものは、意識せずとも感じ取ってしまう。隙だらけで脱がされても気づかない状態とはこういうものなのだろう。

 食事もぼうっとしてままならないので、匙を口に運ぶまでやっていた。シチューのクリームが口端から垂れたのを拭いたところ、それを眺めていたハーフエルフの早河先輩は「はうっ!」と声を上げるなり股間を押さえて何処へと消えた。数分後に戻ってきたときには、とても晴れやかな一仕事終えた顔になっていた。ネギ頭の寿々木先輩が「手を洗ってこいよ!」と怒鳴っていた。

 なんというか、男だけの世界という感じだ。龍村が寝ぼけていて気づかないのが救いか。その後も煮込んだ細目のソーセージにかぶりつく龍村を見て、「あうん!」と変な声を上げ、ゾンビのような筱原先輩がビクンビクンしながら内股で部屋を出ていく。

 「あいつ自分のと重ねて思わず出ちゃったんだな」と語るのは、賢者タイムな菩薩顔の早河先輩である。「まったく馬鹿ばっかりだよ」と呆れるのは寿々木先輩だ。「こういうのは溜めに溜め込んで、食事の後にフルバーストするもんなんだよ」と力説し、食後に意気揚々と部屋を去っていった。馬鹿ばかりである。

 食後は寝かし付けるために彼女の個室へ連れていった。土を固めて盛った台にマットを敷き、毛布を被せて暖を取る。


「じゃあおやすみ」

「リーダーは私が守るんだから、側にいなきゃダメなんだぞ」


 そう言って弱々しい力で龍村に手首を掴まれる。


「守らなきゃいけないんだから、ここにいるんだ」


 ホワホワな口調で言われても威圧感はない。眠れない子どもが親を引き留めるような、駄々っ子のような愛らしさがあるばかりだ。手を離してくれそうにないので、仕方なく龍村の横に毛布を出して寝転がる。それだけで満足そうに笑い、ふにゃふにゃで眠たげな目で見つめてきた。


「私が守ってやるからな」

「ありがたく思ってるよ」

「そうだぞ、ありがたく思え。一緒にいることが大事だって、彩羽も言ってたぞ」


 むにゃむにゃと言葉にならない言葉を呟き、龍村から寝息が聞こえ始めた。

 スゲー可愛い生き物が目の前にいるんだがどうしたら良いだろうか。はだけた毛布の隙間から覗いている、横を向いて押し潰れて谷間を強調するふたつの山脈に人差し指でも突っ込んでみたらいいだろうか。そんなことできる度胸もなく、龍村が寒くないように首元まで毛布を引き上げてやる。身体を最低限しか拭いていないし、髪も二日に一度しか洗わないというのに、龍村から立ち上る女の匂いは、僕にとって好ましく香った。

 こんなところを先輩たちに見せるわけにはいかないと思っているうちに、僕も龍村の横でぐっすりと眠ってしまうのだった。

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