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第42階層 先達たちの洗礼

 二十二階層はわずかな草地と灌木、そして砂地の広がるエリアだった。

 ゴロゴロと転がる岩の間から蛇の魔物が隙を窺っているし、頭上には屍肉を狙う鳥の魔物が旋回していた。灌木に見えて植物の魔物だったり、岩だと思っていたら噛みついてくる亀だったり、油断ならない状況が続く。もっとも隙だらけの闇音がよく襲われるので、囮のように魔物をおびき出して姫叉羅や龍村が冷静に仕留めるというサイクルができている。効率を考えるとよくはないが、致命的なほど悪手というわけでもないので、鍛えると思って生温かい目で不用意に魔物に噛みつかれそうになる闇音を見ていた。


「だから周りにも目を向けろって! なんでアタシにタックルしてくるんだよ!」

「私が攻撃を受け止める前に攻撃しては、あなたが狙われるだけだ。目に入ったら攻撃するのではなく、呼吸を合わせてほしい」

「あぁぁぁぁぁっ! むぅぅりぃぃぃぃっ!」


 学校の実技でも一度は通った道なのに、連携を覚える気がないのか果たしてそこまで頭が回らないのか。早々に音を上げる闇音であった。万年ソロ留年者の肩書きは伊達ではない。


「うち、大人数でやるゲームよりひとりでひたすらハクスラするやつが好きなんだわ」

「マリパができないボッチじゃん」

「コンピュータゲームはやったことがないからよくわからない。剣道ならどうだろうか? 自分を見つめるいい機会だと思うのだが」

「努力型も闇音には合わなそうだよね」


 現状、闇音のスキル構成をステータスアップに全振りしているので、近接戦闘縛りで後衛アタッカーだった闇音には未知のことばかりだと思う。《獣戦士》と《吸血鬼》を両立させるために遠近両方の戦い方を叩き込んでいる段階だ。ともあれもっとも根本的な問題は、戦闘を頭で組み立てられないところだった。目の前の敵、叩く。攻撃、殲滅。それしか選択肢がない。ただのバーサーカーである。近接戦闘自体はたまに一撃で仕留められるようになったりと成長を見せているが、パーティ内の連携だけは壊滅的である。


「本格的に指示を与えて動かす方法を考えないとダメだな」

「これじゃあただの駄犬だろう」

「ワゥン!」


 姫叉羅と龍村が揃って首を振る。闇音は諦観されていることに気づいてほしい。「まだ始まったばかりだからさ」と僕がお願いし、疲れた顔のふたりがなんとか了承する、という恰好である。一日かけて砂地のエリアを探索し終える間にも、訓練は続いた。マップを全部埋めてエリアモンスターの全種と戦闘を行い、戦闘経験値をかなり積んでから二十三階層へと続く階段を降りた。

 二十三階層は、緑がまばらな荒野といった様子で、吹く風にときどき砂粒が混じっている。


「頭ゴワゴワになる」

「水辺が少ないから風呂は無理かな。一応節約しておこう」

「お風呂入らなくても一週間は生きられる」

「臭くてこっちが死ぬわ」


 姫叉羅が無理矢理洗わないと、闇音は平気で何日も洗わず着替えずで過ごす。どちらが冒険者にふさわしいかというと言葉に詰まるが、人ととして大事なものを失くすのは本当に切羽詰まったときだけ、というのが姫叉羅の主張である。普段から臭い頭と一緒に生活したくないので姫叉羅に軍配が上がるが、より緊張感を強いられる場面が増えていけば、不衛生な状況にも慣れる必要はあった。ただ、何日も汚れを落としていない香ばしい体臭をむしろ好ましくなってしまったら、たぶんひととして終わるだろう。姫叉羅や龍村といった見目の美しい少女が、脇汗や頭皮の臭いを漂わせているという姿に、もしかしたら興奮してしまう罪深い男子もいるかもしれない。僕はどうかわからないけども。

 とはいえ体の汚れがストレスに繋がるのは間違いないから、適度にリフレッシュする必要はあった。


 二十四階層、草原エリア。

 階下への階段は、大岩を刳り抜いたほこらのような場所にあり、そこを降りれば大岩から草原へと出られた。振り返れば出てきたばかりの大岩は地面に根を生やして鎮座している。どう見ても縦長ではない。上からきたのに大岩の上には天井もなく、空には太陽がのぼり始めている。次元を歪めて繋いでいるとしか思えない、迷宮の不思議であった。


「前から思ってたけど不思議。ねえねえ、階段降りてきたのに岩の上になにもないんだけど。これどうなってるん?」

「迷宮の階層は地続きじゃないからね。階層と階層を不思議パワーでつなげた不思議空間なんだよ」

「いわゆるSF(すごく不思議)というやつだろうか。私には考えるだけ無駄のような気もするが」

「間違っちゃいないけど合ってもいないような? アタシだって説明されたところでわからねえし」

「僕からしたら角や耳の生えた人間がそもそもファンタジーだけど」


 槍やメイスを担いだ背の高いふたりの女子を見てぽつりとこぼす。こんな女子高生は僕の知っている元の世界にはいないのだ。


「なんだ? リーダーはアタシらがいないほうがいいって? 悲しいこと言うじゃないか」

「違うって」


 耳ざとく聞きつけた姫叉羅がなれなれしく肩を組んできて、ぐりぐりと角を眉間に押しつけてくる。地味に痛い。そして傍からは、小柄な男子が大柄ギャル女子にカツアゲされている姿に見えるに違いない。今日一日動き回っていたが、姫叉羅の甘い体臭と柔軟剤の良い匂いが漂ってくる。


「ところでリーダー、今回は三十階層突破を目標に進むということでいいんだな」

「できるに越したことはないけど、第一目標は経験値を積むことかな。三十階層って言ったら二年生の進級ノルマだし」

「それを一年のうちに突破するとか、痛快だな!」


 体育会系の姫叉羅は燃えているようだ。すでにエルメスのパーティは三十階層を突破しており、エルフを中心に構成された『聖樹の杖』というクラン――所属倶楽部のようなもの――で、パーティリーダーをやっている。『聖樹の杖』はエルフ血統主義なため、真祖とも呼ぶべき古代エルフのエルメスが若干一年にしてクラン内の強い支持でもってクランリーダーに収まった。あの藤吉もエルメスの尻馬に乗っかって何気に一年最高到達階層を更新しているが、戦闘要員というよりエルメスの従者ポジションに収まっているのがよいしょマンの彼らしい。実力がないわけでもないし、それで納得して喜んで金魚の糞となっているのだから、何も言うことはないが。


「僕らは僕らのペースでゆっくり進んでいこう。一日か二日かけて階層を踏破して、ついでに階層内のモンスターを全部討伐するつもりでいるくらいがちょうどいいよ」

「物資が潤沢だとマジでゆっくりできるもんな」

「足りないとすれば、拠点に防衛能力がないことかな。陣地を作れる魔術師系が僕らのパーティにはいないからね」

「拠点を死守するよりも、手に負えなくなったらリーダーだけでも逃げることをすすめる」


 草原のど真ん中にして大岩の側に拠点を構える……といっても、ガードレールのような鉄柵を張り巡らせるくらいだ。規格の大きい物をアイテムボックスから出すとき、あえてお腹のあたりから取り出すのだが、にゅるっと出てくる際のサイズ無視感が某青い未来ロボットを思い起こさせる。ファンタジー世界には、未来道具に比肩するものがいくらでもある。

 拠点は毎回、鉄柵の内側にテントや簡易便所などを設置していき、最後に洗濯物を干す。旅行用洗濯バッグなるアイテムの中に水と洗剤と洗い物を入れて撹拌。水で濯いで絞って脱水した後、物干しロープを二本張ったところに干していく。龍村と闇音は早々に下着まで洗濯物をこっちに投げてきたが、姫叉羅だけは下着に限っては自分で洗って自分で干している。女子力の差である。


「闇音は?」

「テントの中でぐったりしてる……いや、スマホでゲームしてるぞこいつ」

「いつもどおりだね。龍村は?」

「その辺哨戒しつつ、魔物を狩ってるんじゃないか? 身体を動かしてないと死んじゃう星の住人だから」


 そういう姫叉羅は火を熾して鍋に水を張り、同時進行で食材を水洗いしていた。姫叉羅は家庭料理ができるのである。龍村にも手伝ってもらったことがあったが、タマネギの皮を剥かずにカレーを作ろうとしたことがあったので、それ以来料理はご遠慮願った。代わりに警備担当を一任することとなり、夜中の見張り時間も多めに割り振った。竜人族は睡眠時間が三時間くらいでも平常運転らしい。戦闘の要だから頼もしい限りだが、こういうところで種族的なギャップを感じる。


 夜行性の闇音を活かすためだけに昼夜逆転を選んでいる。なので、これから眠りにつくが空は朝日が昇っている。昼に寝て夜に動くため、数日は身体を慣らす必要があった。夕方から深夜、休憩を挟んで明け方に探索。昼時は基本就寝時間に充てているが、睡眠をあまり必要としない龍村や、寝ることに飽きた姫叉羅は拠点の周りを散策して近づく魔物を狩ることが多かった。最近の懐中電灯は優秀なので、暗さをあまり感じずに戦闘ができる。僕は素材を採取したり、調合したり、記録を取ったり、そんな生活が迷宮内では日常と化していた。

 闇音はといえば、ぐうたらで休憩中は寝転がって携帯ゲームをやっていることが多い。そんな闇音に姫叉羅が話しかけていた。


「そういえばパイセンよぉ、いまどこに住んでんの? 寮長のところじゃないんだろ」

「え? リーダーの部屋」

「は? 男子寮にいんの? 無理だろ」

「それができるんだなあ。うちの〈擬態〉のスキルが火を噴くぜえ」

「いや、ばれたらやばいだろ。というかなんでよりにもよってリーダーの部屋なんだよ。まさか一緒のベッドで寝てんの?」

「ん-、まだかなあ。朝に忍び込んでベッドに潜っただけだからなー」

「なんで破廉恥なことができる? 自覚ないの? ありえない」


 内容はあんまり聞こえないが、姫叉羅と闇音が会話に花を咲かせている。姫叉羅は割と聞き上手だから、闇音といくらか長く話すことができるのだ。火にかけた鍋をかき混ぜ煮込みの具合を確かめながら、今日も穏やかに過ぎそうだと思った。

 龍村が休憩に入った昼頃、運悪くサイのような鎧をまとった魔物が数十頭の群れとなって土煙を上げて拠点へと襲いかかってきた。


「あに? あにあに?」


 寝ぼけ眼の闇音が飛び起きるくらいだから、その地響きたるや眠っていられないほどであった。姫叉羅が撲殺武器を手に立つが、その姿は黒のタンクトップにピンクの短パンというラフなもの。ここは自室じゃないというのに、褐色肌が目にまぶしい。

 

「たっつーは?」

「さっき休んだばかりだからどうだろう」

「ハッ、いやでも目が覚めるだろうさ」


 厳しい目をした姫叉羅が土煙を睨んでいる。もはや着替えの猶予もないことを悟って、愛用の武器だけを手にしていた。

 僕は戦闘要員ではないが、やることはいくらでもあった。拠点防衛の柵を正面に増やしたり、戦闘の邪魔になりそうな洗濯物、キャンプ道具を収納していったり、とにかくここが戦場になることは避けられないので、少しでも道具を壊される前に片付けねばならなかった。

 龍村がのっそりと一人用テントから顔を出すが、寝入った直後に起こされた所為か、さすがの三時間睡眠でもへっちゃらの彼女もまぶたが重そうだ。白いTシャツにスポーティな下着姿はちょっと待てと言いたい。ズボンを穿く時間はあるだろうに。いや、上は上で肌色が透けており、シャツの盛り上がりから微妙なぽっちが……。通常時の胸部装甲を取り外していることがわかってしまい、「ぶふっ!」と熱い何かが噴き出しそうな鼻を思わず押さえた。


「それでやるつもりかよ。痴女だな」

「そちらこそ、自室と間違えているんじゃないか?」


 両者並び立つ姿は頼もしいが、龍村のぷりっとして引き締まったお尻や、無知っとして健康的な褐色な足は目に毒だ。


「もうなんだよぉ、うるさいなぁ。寝かせてよ、もう~」


 ぐったりとスライムのように地面にとろけている闇音は、黒ローブですっぽりと覆われてもはや戦闘の役に立ちそうもない。


「数が多いからとりあえず正面突撃の勢いを殺すことを考えて行動して。足さえ止めれば、僕でもすぐにやられることはないから」

「了解、リーダー。邪魔者やっつけてティータイムにスコーン食べるからな」

「私は羊羹がいい。和菓子の方が好きだ」


 姫叉羅はトゲ付きメイスを地面に食い込ませると、近場にあった岩に両腕を回した。ぐっと腕の筋肉が膨張し、大岩を怪力で無理矢理引き抜くと、突進してくる鎧獣の正面に放り投げた。地面に激突して粉塵を巻き上げた直後、先頭を突き進む鎧獣が方向転換もできずに大岩にぶち当たり、後続の三頭ほどを巻き込んで交通事故を起こした。姫叉羅はぐっとガッツポーズを見せた。

 残りの鎧獣は大岩を左右に迂回して拠点の要の柵へと突っ込んでくる。ガードレールほどの強度だというのに、トラックが何台もぶつかったような音を響かせて、あっという間にひしゃげてしまう。そのあまりのうるささは、作業の手を止めて耳を塞いでしまったほどだ。だが目論見通り突破を許さず、先頭の勢いを殺すことができた。ただし慢心はしない。詰まった先頭を踏みつけて後続が次々に乗り越えてくるからだ。鎧獣が荒野地帯でもっとも恐れられるのは、拠点をあっという間に踏み潰して地均ししてしまうからだ。群れで活動する鎧獣は、困ったことに建物を見ると潰したがる習性がある。だから鎧獣の生息するエリアは木々が一本も生えていない。

 そんなことは百も承知でこのエリアを探索しているわけで、鎧獣の対処法もふたりにはちゃんと伝えてある。


「動かないデカブツなんざ、おいしい経験値にしか見えないな!」

「防衛拠点があればこそだ、霧裂」

「そんなのわかってるよ」


 姫叉羅が笑ってメイスを振り下ろし、柵向こうの鎧獣を潰して回る。龍村は乗り越えようとする鎧獣の頭を槍で突き落とし、牽制している。


「なんか変だな」


 その違和感の正体がうまく形にならない。鎧獣が拠点を襲ってくるのはいい。何が変といえば、ほぼ一列縦隊だったことか。従来の鎧獣ならば丸のような形で広範囲に襲ってくるので、防衛の手が回らないということが一番恐れていたことだったのだが、範囲が広がることなく姫叉羅たちは余裕を持って倒せていた。

 虫の知らせというやつか、鎧獣を撲殺している正面より、背後の岩山が気になった。そして胸がざわざわするこんなときは、後手後手に回っていることを痛感するのだ。


「後ろから襲撃だ!!!」

「ヒャッハー!」


 岩山の上から覆面の男たちが一斉に攻め降りてきた。もちろん迷宮高校の在校生だ。二十階層を縄張りにしているところを見るに、おそらく二年生。一見して正体がばれないように、全員特徴のない装備で統一しているのも手慣れた感を漂わせている。

 この状況にも反応できないでいた闇音の背中に、気づけば矢が刺さっていた。即死だったのだろう。ぐったりうつ伏せになったまま、二度と起き上がらない。


「ああ、パイセン! 嘘だろ!」

「各自、自分の身を守って! 生存を第一に!」


 しかし龍村は鎧獣を放って、恐ろしいほどの反応速度で僕を守るために壁となった。矢の狙撃から守ってくれる。《軽戦士》と思われる覆面の短剣を捌き、肩に深めの傷を与えていた。

 しかしそのために、完全に鎧獣を始末していなかった姫叉羅の負担が増えてしまう。乗り越えようとしていた鎧獣を横殴りに倒したところ、姫叉羅の背後ががら空きになって、ふたりの襲撃者から長剣で貫かれる。


「こん、な! 油断、くそ! リー、だー……逃げろ!」


 血を絞り出すような声と共に崩れ落ち、姫叉羅が斃れた。最後に死力を尽くしてメイスを振り下ろし、覆面のひとりを撲殺している。

 咄嗟の判断で自分より仲間の生存を優先する姫叉羅には脱帽だ。性格が良すぎる。嫁にしたいくらいだ。


「霧裂はひとり減らしたようだな。さすがの覚悟だ」

「龍村だってJKとは思えないくらいの勇ましさだよ」

「女子高生である前に、私は冒険者だからな」


 普通は逆だ。その心意気は自分に通ずるものがあって信頼できる。僕を守るように立つ龍村は、しかし肩と腕に矢が刺さって満身創痍だ。それを無理矢理抜いて、絶えず周囲を警戒していた。


「どうやら痺れ薬が塗ってあるようだ。右腕の感覚がなくなってきている」

「敵さんは対人用にキャパを割きすぎじゃない?」

「人を襲うことに手慣れている。褒められたことではないが、手際はいい」


 荷物からすぐに解毒薬を取り出し、後ろから傷口に浴びせかける。流血はまた別の調合薬をかけると、あっという間に血が止まった。


「治癒助かる」

「僕にはそれくらいしかできないから」


 傷の具合を確かめている間にも、バラバラな格好に覆面だけ統一された襲撃者たちがじりじりと輪を狭めてきている。姫叉羅が相打ちにした覆面以外、龍村が重傷を負わせてひとりが下がり、矢を放ってくる射手が岩山にひとり。ふたりほどが龍村を両側から攻め崩そうとしていた。六人がパーティの上限であることから、ひとりは隠れて様子をうかがっている可能性が高い。ふたつのパーティかもしれないが、同じエリアへ入るには割とコツがいるらしいので、六人以上である可能性は考えなくてもいいだろう。四人が前衛のようで、ひとりが弓手である。残るひとりが後ろに下がって支援を行うのか、あるいは虎視眈々と隙を狙っているのか。

 いや、おかしい。さすがの闇音だって矢が刺されば悲鳴くらい上げる。黙ったまま死ぬような女ではないことくらい、短い付き合いの中でよく知っているはずだ。とにかく喚いている姿しか想像できないのだから。そんな闇音が声も発さず死ぬ状況……。


「《暗殺者》」


 そのジョブが頭に浮かんだと同時に、背後に殺意を感じた。危機回避能力のたまものであった。短剣を突き出した覆面が、そのまま龍村の背中を狙う。


「龍村、後ろ!」


 龍村は避けなかった。いや、振り返りつつもわざと短剣を腹で受けたのだ。逃がさないとばかりに。手の槍を逆手に持って、暗殺者の背中から、自分の腹を貫通するように突き刺してさらに縫い止める。


「な、んだよ! 頭おかしいぞ、てめえ」


 覆面の中からくぐもった怒りの声が聞こえた。普通命惜しさに逃げ惑うであろうに、常軌を逸した忠義心を見せる龍村にうろたえている様子だ。


「リーダーを主人と定めた。この命燃え尽きようとも、手出しはさせない」

「ごめん、僕が油断したばっかりに。敵は魔物だけだと思い込んでた。襲ってくるのは何も魔物だけじゃなかった。僕が一番それを理解しているはずだったのに……」

「リーダー、後悔ならいつでもできる。いまはこの失敗をどう切り抜けるか、そして次にどう活かすかを考えるべきだ」

「わかった。ごめん、龍村」


 龍村が口から血を流しながら、暗殺者を巻き込んで斃れる。

 それを見届けて。


「〈収納〉」


 広げてあったすべての道具を一瞬にしてアイテムボックスへ収めてしまう。本来ならゆっくり片付けるところを、緊急避難用に一瞬で片付けてしまう。できるならいつもやれと言われそうなものだが、散らかしたおもちゃをおもちゃ箱へごっちゃに放り込むようなものなので、後で取り出したときにひとつずつ整頓する必要があるのだ。それが面倒くさい。水物とかぐっちゃぐちゃになっているだろうし。


「〈コアトル召喚〉」


 仲間がいなくなった後に〈収納〉で装備品をすべて回収し終え、残ったのは襲撃者四名と僕だけ。戦えない僕が唯一持っている刃をここで出し惜しみもなく取り出す。


「コアトル、食い殺して。でもひとりだけ残してくれると助かる」


 そんなこと知るかと翼を持つ大蛇は牙をむき出しにし、撤退しようとじりじりと下がり始めた襲撃者へ問答無用で食らいつく。悲鳴が重なり背を見せて逃げ惑うのを見て、ため息が出た。順調に進んでいるように見えても、小石にけつまずくことがある。近道を進んでいるように見えて、遠回りさせられてしまう。人生うまくいかないものだ。


「てめえ、ありえねえだろ!」

「ひぃぃぃ」

「喧嘩売る相手を間違えたよね。ここで食い殺されたからって手打ちにするつもりはないから。向こうでもきっちりと落とし前つけてもらう。しっかりと頭に刻んどいて、先輩方」


 コアトルにあっさりと食い殺される襲撃者へ死の宣告である。さすがに迷宮の外で殺すことはしないが、社会的に抹殺する気は満々である。姫叉羅たちを殺されて、自分でも相当に頭にきていたみたいだ。殺しはよくないとか、そういう倫理観が迷宮では極端に落ちるのは否めない。魔物を殺して進んでいる以上、躊躇ったら終わりだからだ。魔物を仕留めることができない人間は、そもそも十階層を突破する前に迷宮科を辞めている。

 なんとかひとり尋問して、正体を暴くつもりだった。仲間を殺した恨みは必ず晴らす。こういうときのために《調合師》のレベルを上げているのだ。自白剤に近いものから仮死状態になる薬まで、さまざまに取り揃えている。

 たぶんいまの僕はぞっとするほど冷たい顔をしているはずだ。パーティの仲間には見せられない貌である。

 傍にいたふたりをあっという間に平らげ、コアトルが岩山の上の弓手を食い殺したところで、龍村が最初に重傷を負わせた覆面を甚振るつもりだった。しかし、自らの首を掻ききって死のうとしている。


「させるわけないじゃん」


 岩山に寄りかかり、いまにも事切れそうな覆面の頭に、どぼどぼと回復薬を流し掛ける。欠損は治せないが、傷口ならあっという間に塞がる調合品である。傷はあっという間に塞がっていく。だが、覆面の男も正体を死んでもバラしたくないためか、その執念を見誤っていた。自分の胸に短剣を突き立てたのだ。激痛でそれこそ死ぬ痛みを味わっているだろうに、息を殺して死を受け入れようとしている。自死を躊躇いなく選べるくらいの覚悟があるなら、最初からまっとうに迷宮攻略に望めよと言いたくなる。しかし、かひゅっと最後の呼吸を残して、回復薬でも追いつかない傷によって命を絶った。一年ほど先を歩く冒険者だが、何度も死に戻りしているうちに生と死の境界が薄くなってきているのかもしれない。

 龍村なら己の意地で恐怖をねじ伏せて切腹できるかもしれないが、姫叉羅や闇音、ましてや僕なんて、自死を選ぶのは相当な恐怖であり、躊躇するものだ。同じ学校の人間を殺してアイテムを奪おうとするだけあって、倫理観も死生観も歪んでしまったに違いない。

 せめて覆面を剥がすべきであったが、掴んだ瞬間に身体が光になって消えてしまった。もちろんすでに襲撃者の死体は光となって消えており、姫叉羅たちも迷宮の外へと死に戻りをしているはずだ。

 向こうで襲撃者の特定ができるといいが。覆面だけ握りしめ、そんなことを思う。


「はぁ、おまえを鍛えるのは癪だけど、僕のレベルアップでもあるしな」


 岩山に絡みつきこちらを見下ろす翼の生えた大蛇へ軽蔑するまなざしを向けるが、とうのコアトルは知らん顔をして荒野の彼方へ視線を向けた。ここから三十階層まで、コアトルが魔物を喰らっていくだけのつまらない時間が続く。どうせ三十階層のフロアボスも食い殺してしまうに違いない。戦えない僕が選びうる、生還にもっとも近い選択肢はこれしかないのだ。チームとして三十階層をクリアしたことになるが、パーティの方針はあくまで全員で三十階層の突破であった。

 コアトルが獲物を見つけ、引き絞られた矢が放たれるように飛んでいく。

 僕にとってはとてもつまらない駆逐の時間である。

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