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第39階層 鈍感主人公になりたかった

あけましておめでとうございますぅぅぅ

みなさま覚えておりますでしょうか

投稿再開しますぅぅ

なるべく毎日更新するようにしますが、間に合わなかったらそういうことだと思ってください

とりあえずキリのいいところまでは書いております

 注文を運んでくるウェイトレス。子どもの泣き声が響く店内。そういったものを退けるように、ぐいっとグラスを仰いだ。途端にコーラの炭酸にむせて、鼻からツンとしたものが垂れる。慌てて紙ナプキンで鼻を覆った。


「荒れてるです」

「荒れてるニャア」


 対面には呆れた顔の猫耳少女と、なで肩の白いパーカーを着た白猫が僕を見ている。同じことをつぶやいたくせに、このひとりと一匹はあまり仲がよくない。いまも顔を合わせるなり、ツンとそっぽを向いている。お互いの語尾について、猫の名を冠するものとして一家言あるらしく、先ほど皮肉と嫌みたっぷりの意見交換を交わしたばかりなのだが、結局互いに歩み寄ることはなかった。キャラに沿っていればいいと思うのだが、可愛いキャラを確立している猫、そのイメージ像の解釈が互いに許せないらしく、媚びている態度として目に映るのだ。正直どっちもどっちなので至極どうでもいい話だが、僕の意見は黙殺された。

 一方で僕で少々落ち込んでおり、ドリンクバーに席を立ち、同じコーラを入れて戻ってきて、一口飲んだ。ごほごほっ。またむせた。


「二十階層突破しておいて何をそんな暗くなってるのニャ。十階層も突破できない下々に失礼だと思わないのかニャ」

「全然」

「表出ろニャ! このハーレム野郎!」

「はぁぁぁぁぁ」


 深いため息を吐く。

 そう、傍から見たらハーレム野郎に見える僕だ。ハーレムパーティに見えてただの荷物持ちだろアハハと嘲笑されるのかと思いきや、パーティメンバーのひとりから本当に告白されるという事態である。どうしていいのかわからない。生まれてこの方女性から好意を向けられたことのない、恋愛耐性のない童貞野郎なのだ。シコって寝るくらいしかできないちっぽけな生き物である。


「ハーレム野郎と言った手前アレだけど、そこまで卑下することはないニャ?」

「藤吉が自家発電は若者の日課だって言ってたです」

「えー、男のそういうの、ちょっとキモイから聞きたくなかったニャ~」


 あずかり知らぬところで誤爆する藤吉が不憫だ。廊下ですれ違ったとき、女子からちょっと距離を取られたりするのだろう。本人は原因がわからず困惑し、自信喪失して引きこもってしまう。だけど藤吉なら、むしろ視線を集めて「オレモテてる?」と勘違いするか、「冷たい目に晒されるのもご褒美!」と興奮してしまうかもしれない。生粋の変態である。


「そもそも告白されても、いいにゃと思ったらお付き合いすればいいだけだし、嫌ならお断りするだけニャ」

「結果はどうあれ、向き合うのが大事だと丸は思うです」

「真剣に悩んでるからこそのこの状態だよ。はぁぁぁぁぁ」


 告白されたときも「え? なんだって?」と鈍感系主人公で通せればよかったのだが、好意を向けられて思わず「え? 本当?」と聞き返してしまったのが運の尽き。まさに愚か者である。もはや言い訳のしようもなく、返答はいまのところ保留にしているが、付き合う付き合わないの次元よりも、果たしてなんと答えればパーティを維持できるかが問題だった。

 ちなみに告白自体は嬉しいし女の子と付き合いたいという年相応の願望もある。手をつなぎたい、笑っておしゃべりをしたい、デートをして、ちょっと進んでキスも、それからもっと大胆なことも。健全な男子なら当然である。


「何が不満なのかニャ。あの九頭龍村と言ったら、普通に綺麗系の美少女だニャ。それとも心に決めた猫獣人さんでもいるのかニャ?」

「全然これっぽっちも不満はないけども。あと猫獣人さんとはこれからもお友達の方向で」

「なんかフラれたみたいになってるのがむかつくニャ」


 九頭龍村。

 竜人族の武士系美少女である。家事全般を苦手にしており女子力は低めだが、一本筋の通ったモデルのような凜々しさを備えている。化粧してビシッと決めたら、女子受けしそうな格好いい少女だ。スタイルは欧州系の腰の細いモデルのようで、腰の位置が高いし、凹凸はっきりした巨乳属性である。見ているだけなら本当に綺麗だと思う。肌の上に竜のうろこのようなものが透けて見え、耐熱に関しては種族トップクラスだが、実は冷気に弱いという弱点もある。冬場は朝起きるのが苦手だというギャップも心をくすぐる。深海のような深い青の髪をポニーテールにしており、涼しげな顔立ちと爬虫類を思わせる金色の目が人を遠巻きにさせる。口下手なところも相まってぶっきらぼうだが、他人を突き放しているつもりはないのでただただ不器用なだけである。それがわかってしまえば、とても愛らしい女性に見えるのだが……。


「竜の人には恋愛感情ないです? どっちかと言うと、鬼の人の方が好きです?」

「それって姫叉羅っちニャ? うそ、マジニャん?」

「もう余計なことを言わないでください太刀丸さん、お願いします」


 口を押さえてにまにまし出した猫獣人さんはとりあえず帰ってほしい。太刀丸とファミレスで話していたところに偶然居合わせ、彼女から話しかけてきたこのあと遊ぶ予定があって、その待ち合わせ時間までの穴埋めに相席しているに過ぎないのだ。こちらから相談事もあったので待ち時間ついでに同席してもらったが、迷宮の進捗具合やパーティメンバーの話は普通にできていた。彼女のパーティメンバーの犬獣人さんと熊獣人さんが種族の違いから歩調が合わず、もういっそ猫獣人だけで揃えようかなと愚痴を聞かされていた。そこに白猫の猫人さんが「九頭さんへの返事はどうするです?」と話を振ってきたから、興味を持った猫獣人さんになし崩しで経緯を説明せざるを得なかった。話の肴にしてはこれ以上ないくらい暇つぶしにふさわしい話題だろう。僕以外にだが。


「姫叉羅っちはいい子だニャ。あれは間違いなくいい奥さんになるニャ。泣かせたら許さないニャ」

「結婚前提で話を進めないで……」

「鬼の人は丸にも優しいから好きです。無理矢理撫でないところ、ポイント高いです」


 話題に上がった霧裂姫叉羅は、近づき難い怜悧な印象を受ける龍村とは系統違いの威圧感のある女子だ。身長が一八〇に届き、学年の中で女子最身長。学校内でも彼女を超える女子はそういないと思う。鬼人族という種族の特徴で、こめかみに指の先ほどの小さなこぶのような角が生えている。波打つような茶髪のソバージュをボブカットにしており、褐色な肌に着崩した制服はまさしくギャルである。一見すると荒んでいそうに見える外見だが、実際のところ面倒見がよく気立てがいい。猫耳の里唯奈さんのいうとおり、いい奥さんになりそうだと僕も思う。そしてGカップはあろうかという巨乳も魅力のひとつだろう。おっぱいは正義である。


「猫女は鬼の人と知り合いなのです?」

「同じダンス部だニャ。キャンディーギャルっていうガールズ系のダンスチームを組んでる仲良しさんニャ」

「知らなかったです」

「僕は知ってたよ」


 三ヶ尻里唯奈。

 隣のクラスの女子で、選択授業で知り合った猫獣人の少女だ。性格は明るく面白そうなことにすぐ首を突っ込みたがる。男女分け隔てなく接するので人気は高い。勘違いした男子が告白するらしいが、お目当ての相手ではないのか付き合ったことはないという。青灰色の髪と尻尾が特徴的だ。肩に届くくらいの柔らかそうな猫っ毛は、小悪魔的な笑みを浮かべる活動的な彼女によく似合っている。なんというか、自分の笑顔がどう思われるのかわかっているスマイルを浮かべるのだ。

 今日は学外なので私服姿だが、もう十二月だというのに短パンに黒のストッキングという肌寒そうな格好が、僕としては寒くないの?と気になるが、本人がそれでいいならいいのだろう。

 噂話が好きなこともあって、部活動中に「あいつ姫叉羅っちのこと好きらしいニャ」とあることないこと姫叉羅に吹き込む可能性が高い。そして何も言ってないのに姫叉羅から「ごめん」と申し訳なさそうに謝られ、パーティ内で気まずくなる様子がありありと思い浮かぶ。お願いだからやめてください。


「絶対に姫叉羅に余計なことを言わないで。もしパーティが崩壊したら三ヶ尻さんの悪評を広める。学校にいられないくらいの噂を広める。誰も組みたくなくなるようなえぐいやつ」

「や、やだニャあ、そんな怖い目をしないほしいニャ~」


 僕が本当にやる目をしているので、里唯奈は誤魔化すように「ニャはは~」と笑って降参の諸手を上げた。


「というかこのあと、姫叉羅っちとも遊ぶんだけどニャ」

「絶対に言わないでよ?」

「ニャはは……」


 目を泳がせる猫耳少女。その顔は無意識でぽろっとこぼしそうな危険な顔をしている。なんなら身軽さと口の軽さに定評のある女子と言えば、この三ヶ尻里唯奈の名前がまず挙がるくらいなのだ。なぜ話してしまったのか、一時の気の迷いとしか思えなかった。


 休日の過ごし方として、迷宮高校の寮生なら寮長に許可証を発行してもらえば誰でも学外に遊びに行くことが可能だった。学外に出ることを禁じられるようなものは、大半が素行不良とか迷宮内で問題を起こした生徒だ。ちなみに闇音はひとりだけでの外出許可が下りなかった。随伴者がいて行動を監視することが条件で、外で問題を起こさないようにと厳重に注意された。もはや歩く危険物である。

 迷宮高校だからと言って土日にまで迷宮にアタックするストイックな生徒は少数派で、ロックな楽器を背負って演奏活動しに遠征したり、複数名でテーマパークに遊びに行ったりと割と自由がきく。僕の場合は野良迷宮を調査することに時間を割くことがほとんどだが、今日ばかりはちょっとお休みである。


「結局結論を出さない方がいいんです?」

「それが一番なんだけどね、それだと誠意に欠けるし、かといってOKしてもお互い不幸になるだけだと思うし」

「お試しで付き合ってみればいいのにニャ。付き合ってみなければ始まらないニャ」

「そういう自分はどうなんだよ、モテモテの三ヶ尻さん」

「アチシは理想が高いからニャ」

「言ってることとやってることが合ってないよこの猫」


 龍村のことは嫌いではない。付き合ったとしてもなんの問題もないように思える。しかし目標はあくまで強いパーティ、いずれはクランを設立して、対翼蛇コアトル戦に向けての戦力強化をすることである。そういう状況でお試しに付き合うとか、どこのチャラ男だ。僕自身、そんなに気楽に女性と付き合えるスペックがあると思ってない。いまは共に目的のために迷宮に潜ってくれるだけで十分なのだ。ちなみに同じパーティに黛闇音という留年生がいるが、彼女だけ蚊帳の外なのは、恋愛をしたいと思える要素がなにひとつないからである。乙。


「ところでアチシのパーティに入ってくれる件、どうなったのニャ? こっちも返事がもらえてないニャ」

「お断りします」

「即決ニャ! あんまりニャ!」


 さめざめ泣くふりをしながらスマホをいじっているこの猫娘、頭をはたいてもいいと思う。


「だって三ヶ尻さんのところ、話を聞く限りもっと慎重に行動すれば十階層は突破できるよ。迷宮に必要なものといらないものを精査しなよ。あと迷宮内で無駄な時間をかけないようにいろいろパーティで話し合うべきだよ」

「そうはいっても必要なものもいらないものも運べてしまう荷役がいれば万事解決じゃニャい?」

「そういうことを言うからやなんだよ。もう女子だけの臨時パーティには入らないと決めているので」

「そんなこと言わずに! なんなら仲間の発情の時期に合わせてもいいニャ。迷宮内で起きたことは一切他言しないと約束するニャ」

「仲間を売るような人とはちょっと……」


 教師側からも一応の釘は刺されている。性的なことでなく。実力で突破できると思われたパーティが楽をしてもいいことはないのだ。そういう意味では龍村を含めたパーティも、自分がいなくても問題なかったとは思う。全身傷だらけのヤクザのような虎牟田先生が、龍村の孤立を心配してサポート要員として送り込まれたがゆえの介入だったのだ。そういう経緯があって、四人目のサポートとして参加するのは教師側の承認が下りた場合のみとなっている。そしていまのところ、教師側からサポートを必要とされている問題児パーティは一組しかない。いや、問題児を集めて臨時パーティにするかという意見が出ている段階で、まだ確定したわけではない。その問題児の中には、同じクラスの留年組の眼鏡男子がいるという事実。最初は珍しいジョブを持っているということで勧誘しようと思ったが、話してみると灰汁が強く譲歩が一切ない。いまはメンツがそろってきたので必ずしも入れなければならないわけではないし、我が強すぎる性格については不和を起こしかねないので、ちょっと倦厭気味だ。


「あ、来たニャ」


 里唯奈が入り口の方を見て手を上げる。

 振り返ってみれば、そこにはいま話していた顔ぶれがそろっている。龍村と姫叉羅。そしてふたりの腰くらいの背丈しかないドワーフ女子の岩成緒流流。蝙蝠羽根を背中に生やした小悪魔女子の古森夜蘭。猿顔女子の藤木藤乃。当たり前だが全員女子である。


「じゃあ丸は行くです。これから集会があるです」

「じゃあ僕も」


 丸は伝票を咥えてテーブルから飛び降りたが、僕は立とうとしたところをガシッと里唯奈に掴まれた。不憫そうな表情を浮かべつつも颯爽と去って行く白猫の後ろ姿に恨めしさしか沸かない。


「こんなに面白そうなのに、帰るなんて許さないニャ」

「なんで!」


 逃げ遅れた僕はぞろぞろとやってきた女子メンツに退路を塞がれてしまう。


「あれ、リーダーじゃん。なんでここにいんの?」

「さっきまで丸と喋ってたんだけど、そこに三ヶ尻さんがやってきてお喋りしてただけだよ」


 姫叉羅は嬉しそうに手を上げてくるが、隣の龍村は目を見開いたあと、ぎゅっと目を眇める。別に不機嫌になったわけではなくて、緊張している模様。そんな様子を見てとって、ちょっと気まずそうな姫叉羅になんだか申し訳なさがこみ上げてくる。こういうのがあるからパーティ内の恋愛は御法度になるんだろう。


「リーダー、い、いい天気だな。調子はどうだろうか?」

「う、うん。まあまあ。龍村は元気?」

「ああ、私は問題ない。むしろ、元気になったまである。いや、何を言っているのかと思うかもしれないが……」


 この初々しい会話である。恥ずか死ぬ。だけども僕らはまだ十代だった。感情が止まらなくなってしまうのも、ダメだとわかっていても自制が利かないのも、すべて若さゆえと言い訳が付いた。いや本当、龍村に好いてもらうとか、どれだけ恵まれているんだと思う。サムライガールのような凜とした美人が会話ひとつであたふたする様子はなかなか見られないだろう。


「ちょうどいいからリーダーも一緒に行こうよ☆」

「男子ひとりとかハーレムだし~。藤のんは平気~?」

「アッシは別にいいヨ」


 いや、僕は行くとか行ってないし。しかし手を伸ばして里唯奈が腕を掴んでいるので動けない。結局ファミレスから僕は連行された。








 近場のカラオケ。

 少し暗めの照明にガンガンと唸る暖房の音。


「何入れるニャ? ウチはもう入れたから次どうぞニャ~」

「アッシも里唯奈とデュエットするシ」

「次はもちろんあたしらのカバー曲でしょ~。知らない人はここで覚えてね~」

「えー、でも緒流流歌いすぎで飽きちゃったよ☆ 次はドラマの主題歌になってる新曲のあれがいいなー☆」

「何飲む? 先に注文からしちゃうから言って。リーダーも緊張してないで飲みたいものは?」

「私はこういうところは初めてなのだが、リーダーもか? 飲み物はウーロン茶を頼む」

「……いや、男友達とはときどき来てたけど、なんというか圧倒される。ジンジャエールで」


 部屋の中はなんだか華やかないい匂いが充満していた。男だけの部屋ではこうはいかない。

 隣には狙ったわけではないだろうがピタリと龍村が肩を触れ合わせており、対面では緒流流と夜蘭が顔を突き合わせて端末から選曲を吟味している。入り口あたりの内線の受話器に姫叉羅が陣取って手慣れた様子で飲み物の注文を行い、さっさと歌い始めている里唯奈と藤乃は画面の前で立ち上がって熱唱していた。


「なんでこのメンツでカラオケに行こうと思ったの?」

「?」

「なんでカラオケに行こうと思ったのー!」


 反響するマイクの音で、顔を近づけなければ声が届かない。会話をしようと思ったら、自然と顔を寄せる必要がある。聞き取れずに首を傾げる龍村に、僕はぐっと近づいて声を張った。しかし僕が近づいた分だけ後ろに顔をのけぞるのはやめてほしい。息が臭いんじゃないかとか、体臭が不愉快なのかとか、いろいろ考えてしまうから何気にショックである。顔を近づけたことであわあわし出したのは、単に異性に慣れていないからだと思いたい年頃男子だ。


「タッツーの歌声を聞くためなんだと。軽音部に仮入部してもらうのに、歌えるかどうか確かめるとか言ってたけど、結局建前で理由付けて歌いたいだけなんだよこいつら」


 右手側に龍村がいるとしたら、左手側に姫叉羅が座り、長身に挟まれる形になった僕。ふたりとも僕より背が高いって言うね。

 黒いニットの長袖にジーンズ姿の龍村。彼女はあまり見た目にこだわっていないが、モデルのようなすらっとした体型なので、むしろシンプルさを追求したようなカジュアルな格好がよく似合う。スタイルがいいと何を着ても様になるのだ。

 一方で姫叉羅はロゴ入りの白パーカーだが、丈が長くてワンピースみたいだ。ぴったりと肌を覆う黒のレギンスは、いつもより女の子らしくてちょっとドキッとした。こちらも腰はぐっと締めたようにくびれているし、だぼついていないスタイリッシュなパーカーが身体の線を、特に前面部をはっきりと浮き彫りにしているので、おしゃれな上にかわいいし、目のやり場に困るまである。


「じゃあこれ、龍村さんの歓迎会なんだね。ところで姫叉羅はなんでいるの?」

「友達だからじゃダメですかコラ」

「……ダメじゃないです。むしろいいです。末永く仲良くしていてください」


 冗談を言ったら首根っこを腕で締められた。わがままGカップボディが頬に押しつけられて、むしろ至福の時間であったが、顔には出さないように努めようと思った。下心を晒して好感度がダダ下がる藤吉のような真似はしたくない一心である。




〇〇〇〇〇〇




 自分の心臓がドッドッドッとやかましく音を立てている。それはいい。問題はこの音を隣に座る意中の彼に聞かれて、意識しすぎに思われないかが心配だった。

 剣道場ではいくらでも精神統一ができるが、煩雑としたカラオケ場は初めての場所ということもあって、どこか気持ちがふわふわとして落ち着かない。肩が触れあったりすると、心臓がぎゅっと締め付けられて痛かった。

 猫と猿のデュエット曲が終わり、続けてポップなメロディが流れ出すと、緒流流と夜蘭のふたりがマイクを持ち、歌い込んでいるのか画面も見ずに軽やかに歌いだした。当然知っている曲ではない。


「龍村は歌える曲はある?」

「知っている曲は少ない。祖父やその仲間と歌った曲くらいだが、たぶんかなり古い」

「歌えるならそれ入れようか。曲名は?」

「辛川峠天時雨」

「渋い……」


 受け答えは難なくできた。彼は普段通りで緊張している様子がないので、無駄に気を張らずにしゃべることができる。「飲み物回ってきた」と姫叉羅がグラスを回し、彼から手渡しで受け取るときに指が触れると、ほんの些細な瞬間でもドキドキしてしまう。


「たっつんたっつん、これうちらがライブでも歌う曲☆」

「あーしがギターなんだよ~」

「そうか……何というか、キラキラしているな」


 メロディの合間に教えてくれるが、これを自分が演奏する姿が想像できない。


「ガールズバンドって格好いいね」

「そうか。うん、そうだな」


 頑張ろうと思う。何気ない彼の一言に決意を固める龍村であった。

 ふたりの曲も終わり、次に流れてきたのが渋めのイントロ。祖父に教わり、祖父が歌う姿を見てきた。いつしか自分も歌うようになり、暗唱できるようになると、祖父はたいそう喜んだ。そんな思い出の曲。

 目を閉じて、拳を作る。マイクマイクと言われて持たされたが、あまり必要性を感じない。まぶたの裏に曲の背景を思い描き、そのイメージのまま歌いきればいいだけなのだ。しとしとと降り続く雨の中、ひたすらに足を進める旅人。冷え込む夜闇が足下から凍てつかせていく。そんな山道の途中で、闇に差す一縷の光のような宿を見つける。宿を取り、疲れを癒やすために湯船に入る。溶けてしまいそうな心地を歌にして音程に乗せるのだ。

 歌いきると、しんと静まっているような気がした。

 目を開けて部屋を見回すと、ぽかんと口を開く面々。


「ご清聴ありがとう」


 ぺこりと頭を下げて、とりあえずグラスのウーロン茶を飲んだ。

 次の曲が始まっているが、誰も動く気配がない。不審に思って顔を上げる。


「「「「「めっちゃうまい」」」」」


 魔法が解けたばかりのように、止まった時間が動き出したように、ほぼ同時に口を開いた面々。「ありがとう」と、龍村は面食らいながら、とりあえずの礼を述べた。




〇〇〇〇〇〇




 龍村とリーダーが隣同士で、正直不安しかなかった。

 最悪、自分が仲を取り持とうと姫叉羅は身構えていたのだ。しかし蓋を開けてみれば、里唯奈からファミレスでくだを巻いていたとこそっと教えてもらった肝心のリーダーだが、平常運転で龍村と会話しているように見える。龍村の方も恋愛には奥手かもしれないが、緊張しているからといって言葉が出なくなるタイプではないし、むしろポンポンと会話が弾んでいた。リーダーの横に陣取った自分が会話に混じれず、注文したりグラスを捌いたり、つまめる料理を取り分けたりと給仕しかしていない。これは貧乏くじでは?と気を揉んだ自分が馬鹿みたいに思えてきたくらいだ。


「たっつんの美声に惚れたね☆ ボーカルはたっつんしかいない☆」

「ベースとボーカル同時にこなしたらこれ無敵~」

「オイオイ、アッシを忘れてないですカ?」

「藤のんとツインボーカルの道もあるね☆」

「人気が出る予感しかしないみたいな~」


 軽音組が龍村の話題で盛り上がっている。それも納得の美声だった。音程も外れないし、地力があって安定感があるしで、ボイトレをしたことのある歌声だった。掘り出し物に目の色を変える軽音組の気持ちもわからなくはない。ハァハァと息が荒いのが心配なだけで。


「姫叉羅は何か歌わないの?」

「あ? ああ、歌う歌う」


 リーダーに話しかけられ、少しキョドってしまう。いつも通りに会話すればいいのに、なんだか緊張の魔法にかかってしまったように話しにくい。画面を操作する手が心なしかぎこちないのは、やっぱりリーダーの目を意識しているからだろう。

 リーダーの向こう側では、軽音組が龍村にぐいぐいと押し寄せている。その所為で龍村、リーダー、自分と団子のように密着して、背丈の低いリーダーの頭や肩が二の腕に押しつけられて、どうにも落ち着かない。


「き、姫叉羅はどんな歌歌うの? たまに鼻歌で歌ってるやつ?」

「い、言うなよ、恥ずかしいな。それも好きだけど、あー、やっぱりロックなやつが好きかな」


 迷宮に入れば常に共に過ごすことになる。その間には、ふとした気の緩みから自室にいるときのようなリラックス状態で鼻歌を歌ったりするのだ。割と闇音が歌っていることが多いので、それにつられるように姫叉羅も歌詞を口ずさんだりすることがあった。リーダーに聞かれても恥ずかしくはないが、あえて話題にされるのがちょっと気恥ずかしいのだ。ちなみに闇音はほとんどアニソンである。


「そういうリーダーは何入れたんだよ」

「え? 有名どころのアニソン」


 なんだかんだ言ってあの闇音と波長が合うわけである。リーダーの歌声は可もなく不可もなく。高いキーに声が追い付かず、ときどき外す無難な仕上がりだ。

 二時間歌い切った後、龍村がカラオケ場を出るなり軽音組に拉致されて行ってしまった。早速楽器を持って練習するとかなんとか。残されたのは姫叉羅とリーダーと猫耳の里唯奈の三人である。


「まっすぐ寮に帰るニャ?」

「これから行きたいとこもないし、僕は帰るよ」

「アタシもなんだか疲れちゃったよ」


 帰り道を三人で歩く。里唯奈は同じダンスサークルの仲間なので気心がしれているし、喋っていないと死んでしまう病に罹っているかのように常に話題に事欠かない。リーダーと並んで前を歩き、姫叉羅はふたりのつむじをなんとなく眺めていた。


「あの龍村ってひと、遊びに慣れてない感じだったニャ」

「同年代とカラオケにくるのは初めてって言ってたね」

「陽キャガールズに連れ回されて悪い遊びを覚えないといいけどニャ~」

「ほどほどにしておいてほしいかなー。迷宮攻略に飽きられても困るし」

「迷宮攻略なら次はアチシたちの手伝いをお願いニャ!」

「先生の許可が下りないと思うのでごめんなさい」

「そんニャー!」


 打てば響くような会話のやりとりに、姫叉羅は口を挟むことなく聞いていた。

 里唯奈は嘆いているが、たぶん遠からず地力で十階層を突破するだろう。本当に行き詰まった人間が漂わせる悲壮感がまったくないのだ。逆に龍村が悪い遊びに嵌まって迷宮攻略がおざなりになる可能性は、ないとは言い切れなかった。軽音部の三人は遊びのプロだ。彼氏とデートをしたり、ライブハウスで演奏したり、校外に人脈が少なからずある。いままで狭かった龍村の世界が、一気に広がるだろうことは容易に想像できた。


「まあいいニャ。それよりも姫叉羅っちのことニャ。悩みをパーティリーダーに聞いてもらうがいいニャ」

「ふえ!?」


 変な声が出てしまったので慌てて口を押さえたが、いつの間にかふたりは振り返ってこちらを見ていた。


「悩みなんてないよ! 何の話?」

「部活仲間がふたり辞めちゃった話ニャ。そのふたりは姫叉羅っちの迷宮最初のパーティメンバーだったのニャ」

「ちょっと里唯奈! それ以上は」

「迷宮の攻略中にちょっとした仲違いを起こして、意見が割れたまま迷宮科から普通科に転科してしまったのニャ。それを自分の所為だと思ってずっと落ち込んでいるから、リーダーが慰めてあげてほしいのニャ」

「その話は少し聞いて知ってたけど、僕にできることなんてあるの?」

「いっぱいあるニャ。肩を抱いてそんなことないよって耳元で囁いてあげるだけでも、案外単純な姫叉羅っちは嬉しいはずニャ」

「誰が単細胞だって?」

「そ、そこまでは言ってないのニャ……」


 姫叉羅が睨むと、耳がぺたんと倒れて弱気を見せる里唯奈だ。


「耳元でささやくのが割と難易度高いです、三ヶ尻さん」

「けっ、へたれ童貞め、ニャ」

「いや、背丈的にね?」


 冗談交じりの会話。笑って話すやりとり。しかし本質は、もっと深刻だ。姫叉羅が思い悩んでいるのは事実だった。龍村なんかは、「縁がなかったのだ」と割り切った意見を言うだろうが、姫叉羅には半年ほど仲良くやってきた友人で、そう簡単に切り捨てられない。かといって、迷宮科、部活動を自分の意思で辞めていったふたりに、戻るように説得するのもなんだか違う。答えの出ない悩みだから、ずっと引きずっているのだ。


「でもさあ、それって仕方のないことだと思うよ。目の前にふたつの道があって、姫叉羅とそのふたりはそれぞれに分かれて進んだんだからさ、戻って同じ道をやり直そうよって言うのもちょっと違うし」

「部活動まで辞める必要はなかったと思うニャ」

「そのとき選んだ選択肢を後悔しないことが大事になってくるんじゃない? 聞く限り、姫叉羅が死ぬ思いをして上に上り詰めていくのを、ふたりはやっぱり生半可じゃダメなんだって思い知った感じだと思う。姫叉羅がふたりに言えることがあるとすれば、選んだ道をぐじぐじ後悔するな、その一言だけだと思う」

「後悔するな、か」


 それはひとに向けて言っているようで、その実自分に問いかけているように思えた。後悔するな。選んだ道に、足を止めるな。そう言い聞かせているようだ。確かに、リーダーの目的は途方もない。自分でいつでも足を止められるからこそ、その足を叩いて、鼓舞して、一歩ずつでも進まなければいけない。だから、後悔するな、そう言い続けているような気がした。


「後悔するな……うん、その通りかもしれない」


 腹の底にストンと落ちたような気がする。姫叉羅が諦めて後悔しない限り、ふたりに後ろめたく感じる必要はない、ということなのだろう。それはとてもシンプルで、とても重圧のあるものだ。自分は迷宮をひたすら潜る道を選んだ。そこには死と恐怖、不安と闇が広がっている。夜の海に飛び込むような根源的な恐怖を、毎回浴びるようにして挑んでいかねばならないのだ。

 姫叉羅は自然と、前を歩くふたりの間に身体をねじ込んでいた。そしてなんだなんだと驚くふたりの手を肩に腕をかけ、寄りかかりながら三人並んで歩いた。「姫叉羅重いニャ」という里唯奈の意見は黙殺する。


「悩みが完全に晴れたわけじゃないけど、ちょっと元気出た」

「そりゃよかった」

「いつもの姫叉羅っちがアチシは好きニャ」


 男子に自分から触れるなんて、いつもの姫叉羅なら恥ずかしくてできないだろう。現にいまだって、顔から火が噴いているのかと思うほど熱いが、それでも離れようとは思わなかった。後悔はしたくない、それだけをただ思った。

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