第38階層 加入と思惑と
二話連続投稿の二話目。(2/2)
教室で待っているはずだったのに、気づけば迷宮の中にいる。いや、迷宮内なのに草原だ。十一階層から環境変化のフィールドが増えてくると言われているが、いままさに地平線の向こうに夕日が落ちようとしている草原は、ここが迷宮内であることを忘れそうになる。
そして目の前には大型犬ほどもある灰色の角ウサギが飛びかかってきており、龍村は大楯で突進をいなし、脇腹に槍を突き刺すのだった。兎の額から伸びている巨大な角は硬質で、刺されば激痛だろう。草原をひょこひょこと移動しているかと思えば、突然ターゲットしてきて敏捷な突進をかましてきたのだ。集団でいることが多く、リーダー格の一羽が動けばそれに従う形で集団突撃を敢行してくる。
「九頭さん、後続来てるよ、防御お願い!」
「わかってる」
いや、どう行動すればいいのかはわかるが、なぜ迷宮に連れてこられたのかはわかっていない。教室で待っていたら三人がやってきて、説明不足のまま迷宮に連れて行かれたのだ。困惑気味なのは黒髪男子も一緒で、主に姫叉羅と小柄な魔女っ娘が何やら言い争いをしている中で迷宮へ向かうことが決まったようだ。道具を取ってくる時間はあったが、落ち着いて話す時間はなかった。こういうときに一歩引いた目で色々教えてくれそうな姫叉羅は、魔女っ娘に対する不機嫌を隠しもせずムッとしていた。一体自分は何に巻き込まれているのだと思う。
「闇音! コラ、駄犬! 前に出過ぎない!」
「このクソガァァァ!! 殲滅だおらァァァ!! アヒャヒャヒャヒャー!!」
タンクである龍村の横合いをすっ飛ばして、なにやら奇声を上げながら魔女っ娘は角ウサギに殴りかかる。魔術師のような恰好をして素手で殴りにいくとは虚を突かれた。しかし怯ませたのは一瞬で、すぐさま別の個体が闇音の脇腹を突き上げ、動きの止まったところに残りの角ウサギが殺到する。ツノアタックの集中砲火を受けてかなり追い込まれている闇音に、ふたつのため息が漏れる。
「ギャァァァ!! たすけ……タスケェェェェ!!」
「自業自得だ、バカ……」
「学習能力ないんですか、ホント……」
「一体なんなんだ……」
それでも自分はタンクである。ボロ雑巾のようになっている魔女っ娘に駆け寄り、盾を銅鑼のように打ち鳴らし角ウサギのヘイトを集める。
数羽がこちらを向き、鼻をヒクヒクさせた。見た目は可愛いのだ。ツノを突き上げるように飛びかかって来なければ。盾で受け、あるいは槍で突き落とす。ここにいるのはそれほど手間取るほどの敵ではない、いわば雑魚である。龍村は一羽ずつ確実に仕留めた。
「あー! うちが大事に大事に丹精込めて育ててこれから涙ながらに収穫しようと思ってたウサたん皆殺しにしたー!」
「人聞きの悪いことを言うな。いつ育てたのだ。結局殺すつもりだったろうに」
ボロボロになりながらも、魔女っ娘はいまにも息を引き取りそうなウサギを抱え上げて悲嘆に暮れている。意味がわからない。そのうち「助けてくださーい!」と群青の空に向かって喚き始めた。ウサギの方は最後の力を振り絞って長い角で魔女っ子の頬をビンタし、ぐったりと動かなくなった。
「見りゃわかると思うけどパイセンの言うことなんて聞くだけ損だよ」
「あの人、その場のノリで生きてるところあるので」
追加で「それがいちばんの問題になってるんですけどね」とほとほと疲れた顔で黒髪男子は乾いた笑いをする。
「結局私を連れてきて何がしたいんだ? なんで連れてこられた?」
「タンクがいれば立ち回りの練習ができると思って」
「タンクいても同じだよ。そもそもがパイセンが台無しにするんだよ。あれを矯正しなきゃ何にもならねぇよ」
姫叉羅は腹立ちまぎれにメイスを振り回している。
どうやら連携が煮詰まっていることと、数戦しただけで精神的に疲れることが問題のようだ。当事者の魔女っ娘は、小さなノコギリを取り出して息絶えたウサギから嬉々として角を切り取ろうとしている。このパーティに対して怒ったことがあったが、それもあながち間違いではないのでは、と思い始めている。
「スペックは高いんだけど、それを扱う能力が低くてね。いろいろ考えては見てるんだけど、あんまりうまくいってない」
「甘え過ぎなんだよ、パイセンは。調教したほうがいいんじゃね?」
「調教……調教ねぇ。
「付かぬ事を聞くが、人権というものを知っているだろうか?」
姫叉羅と黒髪男子の目が龍村に向けられる。「え? 何それ美味しいの?」と純粋に思っていそうな曇りのない目だったので、龍村のほうが気圧された。目に末期の色がある。具体的にいうと血走っていて狂気的である。
「いや、でも調教師の効果で人って縛れるのか? アタシは聞いたことないぞ」
「その辺りは僕の方で調べておくよ。なんだか悪くない気がしてきた」
「そうだな。これでパイセンをコントロールできるならアタシの苦労も報われるわ。ははは……」
「できない子には中途半端じゃなくて、骨の髄まで教え込まなきゃダメだよね。ははは……」
ふたりの目がおかしいことになっている。龍村はそっと距離を置いた。
パイセン、闇音――と呼ばれる魔女っ娘は、その後も魔物が現れるたびに突貫して搔き回した。魔物の敵意――ヘイトがすべて闇音に向くので、各個撃破は難しくなかった。まるでリードを外されて馳け回る犬のようだ。黒髪の中ににょきっと黒耳も生えているし、マントの下には尻尾もある。だが、たまに味方にまでぶつかってくることがあり、鬱陶しく飛び回るハエのようでもあった。タンクとしてもヘイトを取られたままというのも気に障った。タンク職が敵意を自分に集め、その間に仲間のアタッカーが各個撃破していくのが理想形だからだ。姫叉羅とは割とうまく合わせているが、闇音との連携はまったく取れていない。
黛闇音。
吸血鬼と狼獣人の特性を引き継ぐ二系遺伝をした稀な存在だ。吸血鬼の特性を活かす上で夜行動は避けて通れないというが、それも吸血鬼のスキルで緩和できたと記憶している。現在の闇音のジョブは闇魔術師と影魔術師であるため、吸血鬼のジョブは取れないらしい。中途半端な存在ゆえに本家には劣るということだ。日中は活動が極端に落ちるらしいから、昼間見たやる気のない眠たげな態度は、夜行性からくるものだったのだろう。それにしても変わりすぎだ。
草原を進んでいると、灌木の間からキリンのように首長で頭に巻き角を生やした山羊が現れて襲ってきた。体長は四メートル近くもあり、首を振り回して攻撃してくる。体重も相当なもので、踏まれればタダでは済まないだろう。そんな相手にも闇音は闇雲に突っ込んで行き、振り回された首にジャストミートして五メートル近く空を飛んだ。まるでゴルフのワンショットを見ているかのような光景だった。パーティのふたりは心配するより笑いを堪えるほうに必死になっている。
十一階層の草原地帯。
どこまでも続く群青の空も、日が落ちて暗褐色になっていた。迷宮内で空があるのは珍しい。環境変化のもっとも大きい恩恵だと黒髪男子は目を輝かせて言う。なるほど、彼は迷宮の超常現象が好きなようだ。サバンナにも似た大地で、陽が地平線の向こうに落ちていく様を眺め、ちょっと表情が和らいでいた。
「このフロアに行き止まりはないんだって」
「へー、端っこがないのか?」
「ぐるっと一周するらしいよ。小さな世界みたいだね」
「どうなってんだか。じゃあ空はどこまで行けるんだ?」
「それも検証済みだよ。鳥人族が頑張ったみたいだけど、だいたい二百メートルあたりで地面に引っ張られるみたいに上に行けなくなるんだって」
「それがわかっても何の役にも立たないけどな」
夜の草原を、会話しながら探索していた。闇音はどこからか取り出したチョコレート菓子を頬張っており、龍村は一行の後ろを歩いた。黒髪男子と姫叉羅は仲が良く、会話の中心は主にこのふたりだ。龍村は何となくモヤモヤしながら見ている。夜ということで警戒もしなければならないが、前が気になってしまう。それに暇を持て余した闇音が気になる異性に悪戯をする小学生のように、黒髪男子の背中にちょっかいをかけるし。
普通のパーティならば夜は野営するところなのだが、夜特性を持つ闇音がいるために夜行動昼就寝とならざるを得ない。龍村は少し居心地が悪いまま、夜の散策を続けた。なぜ据わりが悪いのかと考えてみれば、まだ彼らにちゃんと謝っていないからだ。黒髪男子は気にした様子は欠片もないし、魔女っ娘闇音も聞いていたのか怪しい。ただ、姫叉羅には次の機会に謝罪すると言った。それがずるずると先延ばしにされているのが心に引っかかっているのだと龍村は思った。
それから五時間ほど探索し、四人は草原一帯で妙に明るい場所へ辿り着いた。ひとの背丈を優に越える大岩が、ほのかに発光していたのだ。迷宮の洞窟エリアでは珍しくない発光石の巨岩だった。
「ここで休憩にする?」
「するー☆」
「パイセン、目元ピースはやめろよ、恥ずかしいな」
「闇音はたぶん、岩成さんをパク……リスペクトしているんだよ。打ち上げ以来、ファンになったみたいだから」
「ふーん、あんなに敵意剥き出しだったのにな」
「オルルちゃんマジ天使☆ 鬼さんじゃ絶対辿り着けない境地にいるから」
「ああ? 別になろうとも思わねえけど、言い方がムカつくな」
姫叉羅が闇音の頭を片手で包み込み、アイアンクローのようなもので痛めつけていた。その間に黒髪男子がテキパキと準備を進めると、周囲を警戒している龍村にそっと近寄ってきた。それだけでドキリとする。
「九頭さんも休んでよ。警戒は僕がしておくから」
「……その前に、私から言いたいことがあるのだが」
「なに?」
「この前の一件を謝りたい」
「ああ、姫叉羅がめっちゃ怒ってたからね。僕は気にしてないけど」
「私が気にするのだ」
三人を集めて、龍村は深々と頭を下げた。
「済まなかった。狭量だったのだ。自分の価値観以外を認められなくなっていた」
「僕はもう何とも思ってないよ。認めて反省してるならそれでいいと思うし。姫叉羅は?」
「アタシだってもう気にしてないさ。仲良くやろうぜ」
「人生いろいろあるさー」
姫叉羅が横に並び、バシンバシンと強めに龍村の背を叩く。筋力の強い姫叉羅に平手で打たれるが、龍村は平然と耐え切って涼しげな顔をした。これは洗礼というやつだろう。黒髪男子と闇音はその威力と音に震え上がっていた。
「姫叉羅がアタッカー担当。僕が家事全般担当」
「そしてうちが!」
「お笑い担当」
「いやいや、パイセンはお荷物担当だろ」
「そう、最終兵器魔女っ娘闇音とはうちのこと! キラッ☆」
目の下の隈は割と濃いが、日曜朝の魔法少女系アニメに登場してもおかしくない見目をしている。最初は悪役で登場しそうだ。かくいう龍村も幼少期は娯楽がテレビだけだったので、熱心に視聴していた覚えがある。
何を言われても動じない闇音に、龍村は別の意味で感心していた。普通、これだけ貶されれば負の感情をどこかに匂わせるものだが闇音はまったく嫌味を嫌味として受け止めていない。それだけ彼らのことを信頼しているのだろう。『打ち上げ』で見た姿は、人の多さに場慣れしておらず、警戒心が剥き出しで馴染めていなかった。とてもマイペースなのは戦い方を見てわかってはいたが、心を開いた相手には相当依存する様だ。その依存度が極端で、だからふたりは困っているのだろう。
「そう、ハッピーガール闇音とはうちのこと! キラッ☆」
「脳内がハッピーの間違いですよ、闇音さん」
「最初はやる気のない黒芋虫だったのにな。リーダーが甘やかすからだぞ」
「僕の所為にしないでくださいよ。なんだかんだ言って姫叉羅も面倒見がいいから」
くふっ、と龍村が堪え切れない様子で笑った。たいして大きくない音だったが、三人の目が集まった。龍村は誤魔化すように手で口元を隠し、咳払いする。しかしそれが、長年凍り付いていた龍村の心の氷解する音だと誰が知ることができただろう。本人すらその予兆に気づいていなかった。思わずといった様子で漏らした笑みは、龍村の心の在り方をほんの少しだけ変えた。
「槍と盾しかない。いまは。でも、いまはそれでいいと言ってくれるのなら、よろしく頼む」
龍村は頭を下げる。正直不安しかないパーティだが、むしろ望むところだとぐっと拳を握る。
「こちらこそ、よろしくお願いします。盾が増えると戦闘が安定するので」
「アタシも歓迎するよ。よろしく!」
「…………」
闇音は返事をしなかった。警戒心が強いのはわかったので気にしない。
「それともうひとつ、伝えたいことがあるのだ」
龍村は黒髪男子の目の前まで近づいて向かい合った。その手を両手で包み、じっと目を見つめる。
「私と交際して欲しい。この際だからはっきり言うが、私のものになってくれ」
「……は? え? え?」
驚愕一色で狼狽える黒髪男子を見て、龍村は勝利を確信した。後ろに逃げようとする彼を両手で掴んで離さない。これまで彼に何とかしてひと泡吹かせてやろうと思っていたことがようやく叶った気がする。
「それと、名前を教えてくれないだろうか? 何と呼べばいいのかわからない」
「……いや、順序逆じゃね?」
話についていけてないのかポカンとする姫叉羅が、放心したままもごもごとツッコミを入れた。
「どうだろうか。できればこちらもOKしていただきたいのだが」
「それは……えっと……狭間真名です」
視線を彷徨わせた黒髪男子は、とりあえず名前を名乗った。そうではない、と彼の両肩に手を置く。自分よりちょっと低い彼の肩から緊張が伝わり、それすらも愛おしいと思った。
闇音が目をまんまるにしてぽけ~っと見上げている。
「恋仲になろう、と言っている」
「あうあう……」
目を白黒させる狭間真名の唇を、龍村は心ときめかせながら見つめ続けた。
更新お待たせしました。話がうまくまとまらず長引いてしまいました。
なんか強引な感じになりましたがようやく肉食系女子の片鱗が見えたという感じです。
次の章は女子同士の足の引っ張り合いになることでしょう。たのしみだなあ~(棒)