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第35階層 私の冒険

 あら不思議、迷宮に憩いの空間が。

 四つの衝立と、便座の椅子で構成される簡易トイレ。

 これも男が用意したもので、気が利くことに尻をつけるところにはカバーが付いていた。これで尻が冷たくならない。便座がヒヤッとするのは龍村でも苦手だ。地面を掘った上に便座椅子を乗せ、済ました後に土をかけるという原始的なものだが、椅子があるのとないのでは大違いだ。龍村は腹を下した経験から、それを身を以て知っていた。それに疲労の極みにあるときにしゃがみ込むと、その動作だけで腹筋が()りそうになる。

 トイレ事情は割と重要で、十代の学生パーティではそこまで意識が回らなかったりする。誰も紙を持っていない状況で迷宮に潜れば、何を犠牲にして尻を拭くのかという重大な選択を迫られ絶望する。

 かくいう龍村も、過去に嫌というほど後悔したのだ。そこから学習し、最低限トイレットペーパーだけは忘れずにアイテムボックスに入れている。

 しかし男の準備は想像を上回り、インテリアのような立脚式トイレットペーパー巻き取り器具と、芳香、消臭剤がそっと隅に完備されていた。限られたリソースにこれらを投じる意味がわからず、もはや頭がおかしいとさえ思う。そもそも立脚式トイレットペーパー巻き取り器具なんてどこに売っているのだ。見たことがない。


 恨み辛みはどこかへ消え去り、すべての煩悩が流れ出ていく。しっかりと便器に腰掛けて、この世の楽園にいるような心地であった。しかし我慢していた所為か、わずかに痛みは残っている。膀胱炎になったら嫌だなと思う。迷宮を出たら治ってしまうのだが。

 思い悩んでいたのがバカらしくなって、明鏡止水の境地にいるような錯覚すらある。こんな醜態晒して、今更プライドも何もない気がした。しかしトイレから出た瞬間から茶化すような目を向けられれば、それはそれで不愉快なものだ。

 龍村の耳に水のせせらぎが聞こえてくる。男がこれを使ってと控えめに渡してきたスピーカー内蔵の音楽プレイヤーだ。スイッチを入れたら流れ出した。音姫か。


 ふっ……と口元を緩め。

 はぁ……と溜息を吐いた。

 認めよう。彼は気持ち悪いくらい気が回る。もはやキモい。頭がおかしい。


「ふはっ」


 それでも、いいやつだ。それも、お節介と思うほどの。

 用を済ませてトイレから出ると、まとまって休憩していた輪に近づく。男が顔を上げ、目が合った。どくん、と心臓が高鳴る。顔が熱くなり、それ以上目を合わせていることができなくなった。


「おかえり。ゴブリンはとりあえず殲滅したよ~」

「あたしがんばったよ☆」

「ホットミルク作ったんで飲みますか?」


 ぷいっ、すすす……。

 目を逸らして男から距離を置く。やっぱり恥ずかしい。感情があまり表に出ないポーカーフェイスであることに、今日という日ほど感謝したことはない。ギャルふたりの後ろに隠れ、うずくまった。ロリドワーフがよしよしと頭を撫でてくる。


「えーと?」と困惑気味の男。

「察してあげて~。恥ずかしい思いをしたんだから~」

「タッちゃんかわいい☆」

「いまは、私に近づかないでくれ。顔を合わせられない……」


 心を整理する時間が必要だった。ただ、龍村は自身の槍にかけて、迷宮攻略を疎かにするつもりはない。意志とは別に、揺れ動いて抑え込むのに必死な感情を落ち着ける時間さえあれば大丈夫なはずだ。

 三十分後、龍村は男の顔を見た。大丈夫、大丈夫……。男がにこっと笑った。ガツンと殴られたような衝撃を受ける。心拍数が跳ね上がり、無意識に胸を抑え込んだ。


「えーと……行けますか?」

「だだだいじょうぶゅだ」

「…………」


 龍村は別の意味で、男を意識するようになった。





【恋愛】パーティに気になる異性がいるときどうする?【相談】



385 :名無しさん@ぼくたちルーキー:

   告白……できるわけないだろ?

   そもそも異性と組んでねぇよ馬鹿野郎( ゜д゜)


386 :名無しさん@ぼくたちルーキー:

   それはどこのリア充ですか?

   フルネームで

   もちろん爆散希望


387 :名無しさん@ぼくたちルーキー:

   私情を迷宮に持ち込んじゃダメだと思います

   メッ( ´・ω・`)ノ


388 :名無しさん@ぼくたちルーキー:

   そんなのはわかってると思うよー?

   その上でどうしようもないってことだよね?


389 :名無しさん@ぼくたちルーキー:

   …はい。どうしても気になって目で追ってしまいます。

   見ないようにするんですが、声が聞こえてくると耳をすませてしまいます


390 :名無しさん@ぼくたちルーキー:

   わかる

   気持ちわかる

   恋愛するのに迷宮関係ない


391 :名無しさん@ぼくたちルーキー:

   じゃあここで相談するのやめろよ

   といいつつ見に来てしまうんだけどさあ!

   だって女の子だもん


392 :名無しさん@ぼくたちルーキー:

   >391 話し方が男にしか見えない件について


393 :名無しさん@ぼくたちルーキー:

   >392 あ?ぶっ〇すぞ


394 :名無しさん@ぼくたちルーキー:

   で、相談ぶっこんできた子はどっち?

   女→男?

   男→女?


395 :名無しさん@ぼくたちルーキー:

   男→男かもしれない

   むしろそうであってほしい

   指差して笑いたい


396 :名無しさん@ぼくたちルーキー:

   気になる異性って最初に限定してるよ


397 :名無しさん@ぼくたちルーキー:

   >396 わかってるよおおおお!( ;゜皿゜;)


398 :名無しさん@ぼくたちルーキー:

   贅沢な悩みだよな。衣食住が満ち足りて恋愛する余裕があるなんて


399 :名無しさん@ぼくたちルーキー:

   そんなあなたを応援してあげるニャ

   どしっと構えてれば女の子も寄ってくるニャ


400 :名無しさん@ぼくたちルーキー:

   卑屈なのは仕方ないと思うよ

   私たちの目的はあくまで迷宮に挑戦することだからね

   何かを取れば、何かを捨てなければならないんだよ


401 :名無しさん@ぼくたちルーキー:

   マジ辛いよ

   一年の間に十階層越えられないかもしれないと思うと絶望しかないし……


402 :名無しさん@ぼくたちルーキー:

   >401 余裕は作るものだと思うけどねw( *´艸`)様


403 :名無しさん@ぼくたちルーキー:

   知ったか乙


404 :名無しさん@ぼくたちルーキー:

   話逸れてるよー

   わたしは応援するよ!

   パーティの空気が悪くなるかどうかも結局は自分次第だと思うし!


405 :名無しさん@ぼくたちルーキー:

   >404 はぁ?安易に煽って雰囲気悪くしたらどうすんだ。

   責任取れんのか?責任取って僕と付き合ってください


406 :名無しさん@ぼくたちルーキー:

   >405 私、男の娘だけどそれでもいいのならどうぞ


407 :名無しさん@ぼくたちルーキー:

   ある意味ご褒美ww


408 :名無しさん@ぼくたちルーキー:

   まぁまぁ、もちつけ

   脱線しまくりだ


409 :名無しさん@ぼくたちルーキー:

   具体的にどうしたいの?

   付き合って××××したいの?

   そんなのダンジョン以外でやれよ、×××が!


410 :月光の管理人:

   >409 のコメントは削除されました。


411 :名無しさん@ぼくたちルーキー:

   過激な発言はあかんて~


412 :名無しさん@ぼくたちルーキー:

   月光の管理人ェ…


413 :名無しさん@ぼくたちルーキー:

   要するにどうにかしたいなら

   無責任なここで相談せずに自分でどうにかしろよ

   ということだね☆


414 :名無しさん@ぼくたちルーキー:

   まさにww


415 :名無しさん@ぼくたちルーキー:

   掲示板の存在を軽くディスってるところに草生える





 休憩や就寝のときも、大した不便を感じなかった。折りたたみ式のベッドなど龍村は初めて使ったが、ハンモックのような浮遊感も感じつつ、それでいて地に足着いた安心感もあって、とても快適だった。これらはすべて男が持参したものだ。意図的に三つしか用意しておらず、ひとりは必ず見張りに立つように仕向けられていたことにも感心させられた。ベッドは交代のときに代わる代わる使い、自分専用というものを作らないことで清潔を心掛けようという意図もわかった。「いや、いつも使う人が三人だったから」と男は苦笑気味に語った。龍村は赤くなって顔を逸らした。


 一晩寝て、目覚めは快適だった。迷宮内というのが信じられないくらいスッキリしている。なんならゴミ溜めの自分の部屋より清々しい。


「おはよう」


 テントから顔を出すと、男が鉄板の上で目玉焼きとウインナーを焼いていた。龍村が起き出すのに気づいていたのか、バッチリと目が合った。


「ぐっ……」

「ぐ?」

「お、おはよう……」

「そんなに憎しみを込めて言わなくても」


 そんなつもりは一切ないが、顔やら声やらに力がこもってしまいちゃんとした返事ができないのだ。


「十階層、今日で突破だね」

「問題ない」

「トイレはちゃんと行ってね」

「そそそそんなことわかってる! バカにするな!」


 こういうふうにからかわれるのが嫌だったから、隙を見せたくなかったのだ。と以前なら思ったが、いまはそれほど不愉快ではない。ただ、感情が千々に乱れて、会話だけであたふたしてしまい、どうしてもいつものように処理できない。


「龍村さんには期待してるよ。ウィンナー、一本多く入れとくね」

「……ぐっ」

「ぐ?」

「……うるさい」


 別に期待されたところでいつも通りやるだけだ、と思ったが、口から出たのは突き放すような言葉だった。「そうだね、ごめんね」と返事をする彼に、申し訳なさが込み上げる。大して気にしてなさそうだが、龍村は機微に疎いから確かなことはわからない。

 龍村は口をへの字に曲げたまま、さっさと男の前から離れた。

 結局謝れない。なぜなら竜人は気位が高く、謝ることを良しとしないから。生まれてからこちら、竜人は優秀、竜人は正しいと教えこまれ、謝罪は非を認める屈辱的行為と教えられてきたから。……というのはただの建前で、単純に素直になれないだけだ。恥ずかしい。


 男が用意した洗面器の水場で髪を縛って顔を洗い、タオルで拭う。物干しに吊るされた洗濯物を取り込みアイテムボックスに収納する。昨夜のうちに洗濯機がないからと手洗いしたもので、さすがに作業は大変だったが、着の身着のまま三日くらい彷徨い歩いた原始人生活を思えば、随分と進歩したものである。取り込んだ洗濯物からふんわりと柔軟剤の匂いがして、男の細やかさが無性に腹立たしかった。

 迷宮内で朝の日常のような一コマが送れるのも、ここがすでにボス扉前の魔物が出現しないエリアだからだ。昨夜のうちに到着し、一夜過ごしたのだ。


 岩の上に足つきの鏡を置いて、ギャルたちが真剣に鏡と向き合っている。ギャルたちには欠かせない朝の支度だった。メイクができるのも、男が生活水準を上げているからだ。衣食住充ちてギャルはメイクである。龍村は化粧をしたことがないが、彩羽が「これだけは使っておいたほうがいいです」と化粧水と保湿液を持たされていた。学内では使うが、迷宮にまで持ち込んでいない。どうせ肌の荒れも迷宮から出れば戻るのだから。しかしいまは、なぜか持ってこなかったことを悔やむ自分がいる。


「タッちゃんもメイクする~?」

「いい。というより、できない。やったことがない」

「そんなバカな! 昨今の乙女が化粧をしたことないなんて!☆」

「ホイップクリームがたっぷり乗ったパフェを嫌いな女子っていうのと同じくらいありえないね~」


 甘いものは好きだが、どちらかといえば和菓子の方が好きだ。特にどら焼きに目がない。


「どう思います、ヨッちゃん?☆」

「これはゆゆしき事態ですね~、オルちゃん」


 チンパンジーでも見るような楽しそうな笑顔でふたりは近づいてきた。身の危険を感じ、後退る龍村。


「ならやってあげるよ、ギャルメイク似合うよ☆」

「キリッとした顔立ちだから、少しぼかして柔らかくしたら可愛いよ~」

「いい、やらない」


 首を横に振るが、じりじりと距離を詰めてくる。仲間を増やそうとするギャルの笑顔が怖い。


「ご飯できたよー。食後のフルーツカクテルも用意してるよー」

「ごはんー☆」

「ごはんごはん~」


 ギャルたちはくるっと踵を返して行ってしまった。彼女らのことは嫌いではないが、ことあるごとに勧誘してくる。いままで興味のなかった分野なので、尻込みしているところもあるのだ。女子力とは無縁で生きてきた弊害だった。それでも、いまさら興味を抱き始めている自分に、龍村は戸惑った。

 食事を終え、支度が済むと、最後の作戦タイムだ。


「十階層ではまだ飛行系の魔物は出ないから、これまでの地上戦を生かせれば問題なく突破できます。これまでと同じように、九頭さんが正面を引き受ける、横から緒流流さんが攻めて、離れた位置で夜蘭さんが支援魔術のサポート」

「いつもと変わんないじゃん☆」

「ね~」

「いつもと変わらないことをすれば大抵勝てます。これを基準に、タンクが機能しなくなったとき、後衛に敵が集中したとき、アタッカーの攻撃を無効化する敵が現れたとき、色々想定して、自分が一番嫌だと思う場面を話し合いましょう」


 理論的な話は好きだ。それも、迷宮関連となればなおさら。龍村の頭の中には、すでにいくつもの構想が浮かんでいる。


「じゃあまず、タンクが機能しなくなったとき」

「私に弱点などない」

「タッちゃん無敵説☆ 完☆」

「膀胱が弱かったりしなかったり~? らじばんだり~」

「弱くない!」


 そういういじられ方は嫌いだ。だが、肩と肩が触れ合うくらいの距離まで仲間としての距離も縮まっていた。


「竜人は寒さに弱いと聞きますけど?」

「動きが鈍る程度だ」

「タッちゃん、冬とか大丈夫~?」

「カイロを十個ほど身につけていれば問題ない」

「どう見ても弱点じゃんww」


 そんなふうに話し合っていると、二時間があっという間に過ぎた。脱線しそうになる話は、たびたび男が軌道修正をして戦略の話に戻る。

 悪くなかった。龍村はこと戦いの話になると饒舌で、槌戦士の不得意な飛行系には地面や岩を飛ばして飛礫にするのが効果的とアドバイスしたり、物理攻撃に弱い後衛は魔術障壁を習得してバリアを張るのが有効と教えたりでよく喋った。

 なぜ知識があるのかといえば、実際に現役で活躍する祖父のパーティに入れてもらい、国々の迷宮へ挑んだことがあるからだ。彼らはひょうきんな性格だった。祭り好きと言えばいいのか。リーダーの祖父も偉丈夫で、ガハハと大声で笑いながら、その土地の酒を浴びるように飲むのが好きだった。

 あえてきつい場所を求めるためか、中には死ぬものもいる。龍村が連れて行ってもらった際にも、ひとり死んだ。仲間の死に涙し悼みつつも、彼らは迷宮へ潜り続けた。死者の親族から心無い罵倒をされようともだ。

 彼らは登山家に似ている。なぜ挑み続けるのか。そこに迷宮があるからだ、と平然と言ってのける剛毅な性分なのだ。

 龍村も憧れた。そしていまもその思いは変わらない。キラキラした夢が、いま目の前で形をもって語られている。


 ああ、と納得する。

 これが仲間か。





「よし、ボス戦だ。気を引き締めて行こう」

「よっしゃー☆」

「これでルーキー卒業だ~」


 緒流流と夜蘭が左右の扉にへばりついて、ゆっくりと押し開けていく。重厚な音を立てて開いた鉄扉は、奥に潜む強敵の存在を期待させる。

 盾を構え、ゆっくりと扉を潜った龍村は、再びこの地を踏めたことに震えた。

 半円形の空間に、すり鉢状に深くなる地形。中央の舞台のような場所には、白く気位の高そうな狼が伏せっていた。

 血が湧き、龍村は笑っていた。

 私はいま、最高に楽しい。

登場人物紹介コーナー


名前 / 九頭(くず)龍村(たつむら)

年齢 / 15歳(3月30日)

種族 / 竜人族Lv.46(※種族レベルは職種レベルの合計値)

職種 / 竜騎士(ドラゴンナイト)Lv.31 槍士(ランサー)Lv.15

ポジション / タンク


HP:750/750

MP:190/190

SP:260/260


STR(筋力値):190

DEX(器用値):90

VIT(耐久値):450+460

AGI(敏捷値):120

INT(知力値):60

RES(抵抗値):370


《竜騎士》 威圧感Lv.14 大円盾Lv.9 遮魔盾Lv.8

《槍士》 槍術Lv.15

パッシブスキル / アイテムボックスLv.1

潜在スキル / 竜の末裔Lv.6 竜の息吹Lv.4 咆哮(未装備)



 一人称・私。

 若干日焼けしているが白肌。180の長身。Dカップで均整の取れた肢体。手足が長く細身。瞳は金色。瞳孔が縦に割れている。人肌だが、一部鱗状になっている。頑丈。宵闇のような藍色の長髪。伸ばせば胸元まで届くが、後ろで束ねてまとめている。

 制服はかっちり着こなすタイプ。黒ストッキング派。スカートももちろん膝まで届く。それでも野暮ったい感じはしないというモデル体型。




最近入れてなかったので入れてみました。

残り2話ほどですが、土曜日から四日ほど遠出してしまう事情があって、もうストックがないのもあいまって次話は来週の水曜日更新になります。

楽しみにされていた方は申し訳ありません。

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