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第27階層 オークの洗礼

 闇音を背負っても十分に余裕を持って洞窟の底に降り立つことができた。闇音からクライミング道具を回収する。どさくさでおっぱいを触ってもいい気がしてきた。揉み応えがないだろうからしないけど。ぐずる闇音を宥めすかして奥へと進む。


 腕時計に目を落とすが、時間はまだ昼過ぎ。夕方にはしばらく間があった。闇音の元気になる時間帯にはまだ早い。

 冷たい風を頬に感じながら進んでいくと、ふとした瞬間に途切れた。抵抗感のない薄い膜を破るような感覚の後に、腹の底が少し熱くなってきた。迷宮内の魔力に、体内の魔力が反応したのだ。基本的に魔力のないところでの魔術の行使は難しい。体内の魔力のコストを余計に支払って発動させることはできるが、迷宮や霊脈と呼ばれる魔力が溢れている場所では、そのコストがだいぶ減るのだ。たとえるなら健康保険三割負担が迷宮、全額負担が魔力のない場所、といった具合か。感覚としてはホントにそれくらい。

 景色がゴツゴツした足場の不安定な岩場から、遺跡を模した四角い通路に変わっていく。


「遺跡タイプか……」

「帰りたい……」

「自分の足で歩いてから言ってくださいよ……」


 声が反響する。相変わらず闇音はだらっとして、背負っている状態だ。僕では小脇に抱えて運ぶのは長時間無理だった。

 野良迷宮を数多く踏破することで、なんとなく傾向はわかってくるものだ。自然の洞窟、遺跡、土を掘り抜いたような鉱山跡。これらが一般的か。

 環境が変化するほどの迷宮にはお目にかかっていないが、恐らく時間をかけて魔力を溜め込んだ結果に環境さえ歪めてしまうことで、平原や雪原地帯が生まれるのだと思う。その中で遺跡というのはちょっと用心が必要だった。洞窟だと平均的に大した魔物は出現しなかったが、炭鉱跡や遺跡はちょっと手強い魔物と遭遇しやすいと思う。感覚の問題だけど。

 とはいえ用心していれば問題のない範囲だ。こちらはコアトルを呼ぶし。遺跡の幅が広くなってきたところで呼び出すことにした。


「〈召喚獣・翼蛇(コアトル)〉、召喚!」


 手をかざすと地面に魔力で編まれた円形の文様が浮かび上がる。そして召喚陣から鎌首をもたげ手ぬっと現れた強烈な魔物。蛇腹をくねらせ陣から這い出ると、シュルシュルと音を出し、縦に割れた瞳孔でじっと迷宮の奥を様子見している。通路の半分を埋めるコアトルは、羽を器用に折りたたんでおり、洋画のアナコンダを思わせる太い胴体を躍動させるようにうごめかして、あっという間に奥へと消えた。

 コアトルによって魔物は一掃されるし、僕らは何をせずとも経験値を得る。そんな調子で明日の昼くらいまでに最奥まで攻略できれば今回の探索は完了である。


 しばらく一本道が続いたが、やがて体育館ほどの広さがある部屋に辿り着いた。部屋には生き物の気配はない。しかし足元に飛び散った血が、ここで戦い、あるいは虐殺があったことを物語っている。魔物の死体がないのは迷宮に吸収されたというより、コアトルに丸呑みされたのだろう。あ、オークらしき骨太な腕がひとつだけ転がっている。


 ブブヒィと鳴き声がすると思ったら、大部屋に続く幾つかの通路のひとつからボロ布をまとっただけのオークが三体ほど現れた。土色の肌に、でっぷりとした腹。腰巻だけの装備で原始人なみの姿だ。高校の迷宮に出現するオークは装備もしっかりして、刃が通りにくい防具を身に付けているらしいので、これが野生と管理された迷宮との違いだろう。野良迷宮はできたばかりで、中の魔物の熟練度は大抵低い。


 先頭のオークがこちらに気づいたようで、後ろに続く仲間にくいくいと指で合図を送っていた。三体ともいずれも素手だが、戦闘態勢は万端のようだ。僕の方もちらりと後ろを見やると、こちらは戦闘態勢のせの字も準備ができていない闇音の寝顔があった。あらかわいい。涎を垂らしてくれなければなおよかった。


 ひとつの通路しか進まないコアトルは、大部屋のような分岐点では存外取りこぼしが多く、それだけこちらの危険が増す。昼過ぎの闇音はしょぼくれて使いものにならない。だが、異臭を嗅ぎ取って目を覚ました。


「うぉ、くせぇ……」

「言い方……」


 土くれを不細工にこねて固めたようなオークからは、わずかに臭気が漂ってくる。彼らからしたら僕らは食いでのある獲物で、意気揚々と近づいてきた。そりゃそうだ。ここは正規の冒険者がまだ立ち入っていない上に、探検気分で入った一般人がまんまとオークの餌食に遭った場所だろう。それに、僕らは荷物を抱えているが、武器になるようなものはほとんど持っていない。


 オークたちはブヒブヒ会話を行っており、お互いに距離を少し開けて迫ってきた。恐らく逃さないように半包囲が目的だろう。学校の迷宮なら九階層あたりの判断だ。野生らしく狩りの知能はある。

 コアトルの現在位置は、少し離れている。いつも通りなら限界距離まで離れ、折り返してくるはずだ。それまでにかなり時間があり、援軍は期待できない。


「闇音、戦えます?」

「うちに死ねというのなら」

「言わないからとりあえず突破を考えましょうか」


 大した抵抗もせず距離にして三メートルほどまで近寄られた。にたりと嗤われる。オークにも感情があるのだ。嬉しい。餌を喰えて嬉しい。そんな感情が見え隠れする。

 そして、彼らの体臭が漂ってくる距離だった。鼻が曲がりそうなほどに臭い。しかしこの臭いを嗅ぐとなぜか迷宮に潜っているんだなぁとしみじみ思わせるから不思議だ。どこから臭うにしろ、臭くない迷宮は迷宮ではない。


「とは言っても僕、迷宮では攻撃ができない仕様なんですよね」

「もう詰んだよね、それ?」

「いやいや、不朽の名作RPGには大抵隠し要素があるものですよね? 設定の抜け穴とか探すの僕好きなんですよ」


 小粋なメタ発言をかましつつ、防衛のための道具をアイテムボックスに手を突っ込んで探す。

 指に挟んで取り出したるは、ガラスの試験管に封じられし調合薬。黄色と緑の間の色が液面をたゆたっている。資金に余裕ができたので麻痺毒の調合薬を試作してみたのだ。《調合師Lv.15》のLv.UPは戦闘経験値では上がりにくく、調合して実物を作ってようやく経験値が入る。これは生産職なら誰でも知っていることだ。


「ああ、死んだ。うち、くッ殺されるー」

「死にませんて。女騎士じゃあるまいし」


 オークが三体同時に襲い掛かってきた。しかし掴まれないように腕の下を潜り抜ける。ちらりと見えたオークの脇に、カビのような緑のくすみが見えた。オークはあっさりと包囲を突破されたことに驚いていた。間を抜かれたオークが仲間オークに叩かれている。ぶっちゃけ動きが遅すぎて欠伸が出るというやつだ。

 跳躍。ステータス差によりふわりとオークの頭上へ飛び上がり、一匹の肩の上に立った。闇音を背中に負ぶっていても重さは気にならない。


「直接攻撃、投擲攻撃、魔術攻撃は制限が掛かっているのか当たらないんだ。けどね、こんな感じでさ――」


  空いた手に試験管を挟んでおり、親指で蓋を外し、試験管の中身をトポトポとオークの頭に降り注ぐ。オークが暴れだしたので、頭を飛び越え距離を取った。

 顔に飛沫を受けたオークは、頭蓋と顔を焼かれる痛みに野太い絶叫を上げ、地面をのたうち回っていた。目を押さえているのだが、その指の間からシューシューと肉を焼くような煙が上がっていた。


「これ、うちの知ってる麻痺毒じゃない」

「僕の知ってるのとも違いますね。調子に乗って色々なパターンを調合したから、その中に硫酸みたいな効果のものができたんだと思いますね」

「オーク哀れ……」


 残りの二匹にも、仲間が意味不明の効果で悶え喚いて動揺している隙に後ろに回り込み、頭から試験管の中身を被ってもらった。三匹とも効果が違うようだ。赤く腫れ上がった皮膚がべりべりと剥がれ落ちたり、水泡が現れては弾けて黄色い膿のようなものを噴き出したり、溶けて煙を出したり、紫に変色していたりと効果はそれぞれであった。しかしどれも効果が強すぎるのか、三匹とも地面をのた打ち回っている。


「ひとつたりとも麻痺毒じゃない」

「そういうこともありますよ」

「ないわー……」


 対人戦でぶっかけたら相手にトラウマを植えかねない効果である。肉がドロドロと溶けて、骨まで見えてるとかどこのスプラッタホラーだ。

 僕はこの隙にオークたちにトドメを刺した。首の下にさくっと短剣を突き刺して回る。直接戦闘はなぜだか封じられているのだが、無抵抗の状態の場合のみ攻撃が通るという謎仕様だ。

 オーク三匹で何かのジョブのレベルが上がったのを実感する。ただしステータスは学内の専用タッチパネルか、鑑定のスキルがないと見ることができない。パッシブタイプのスキルなので、鑑定をしてようやく《召喚士Lv.47》に上がっていたとわかる。普通の冒険者はちょっと強くなったかも? という感覚でいいらしい。姫叉羅や闇音も、レベルが上がってるのが感覚でわかればいいじゃん? というタイプだ。僕は気になって仕方ないんだけど、これって神経質だろうか?


 ところで僕はジョブを増やせると知ったときから鑑定士のジョブを押さえておくと心に決めていた。自分のステータスを小まめに確認できるのが強みである。

 鑑定士の強みは他にもある。ジョブチェンジに際して、希望するジョブの必要経験値、技能がわかるのだ。敏捷値があと50足りないとか、必要技能はどうすれば習得できるとか、痒いところに手が届く仕様だ。派生ジョブ、中級職ジョブと呼ばれる基本ジョブより数段有用なジョブを得るのに最短を知ることができる。


 だが。

 迷宮高校では一転してこの鑑定士のジョブは取得者があまりいない不人気職だ。なぜなら鑑定士の強みは学内の専用タッチパネルで確認可能だからだ。音声機能までついて、『あなたの、鍛治士、ジョブは、あと、器用値35、で、熟練鍛冶士に、成長可能です』と知らせてくれるのだ。鑑定士のジョブを得たのが中学三年のときで、高校入学後、地味に凹んだ。


 臭いがきつくなってきたので、僕らは先へ進んだ。闇音は無理やり歩かせ、僕は道具の在庫を確認している。基本、試験官は使い捨てになるが、一本あたり百円くらいなので地味にコストがかかる。かといって攻撃方法のない僕には、乱戦に持ち込んで同士討ちを狙うか、逃げの一手に徹するかしか取れる手がない。出し渋っている余裕はなかった。


 その後もコアトルの取り零しと遭遇するたび、文明の利器と魔術の融合を駆使して撃退していった。用意した試験管の中身をぶっかけるだけの簡単なお仕事だ。

 何もない道中でもコアトルの戦果が経験値となって入ってくるので、少ないながら闇音にも分配され、勝手にレベルが上がるおんぶ抱っこの寄生チート方式。野良迷宮だとパーティに経験値を均等に振り分けできないのが残念でならない。指揮官のジョブが経験値均等振り分けのスキルを習得できるので、早めにジョブを獲得したいところだ。しかし何らかの兵士職を上級職に昇格させないと条件を満たさないために、先送りにしている。攻撃できないから育たない兵士職を上級職にレベルアップさせるは至難の業なのだ。できないことはないんだけど。

 面倒臭がりの闇音は働かないで経験値を稼げるので喜んでいるクズニートだったが、それだけで浮かれるのはまだ早い。この遺跡、割と横道が多くて安全とは言い難いからだ。


「暗くてつまんない」


 カツカツと、登山靴が石畳を打つ音が響く。腰に据え付けたライトが正面を照らし、カビ臭さと埃っぽさと、コアトルが蹂躙した血臭がわずかに漂う中を、すでに二時間以上は歩いている。そろそろ夕刻だからか、闇音は元気を出しつつあった。


「本当に迷宮に向かない性格ですよね、闇音って」

「うち、本当は迷宮科じゃなくて楽な農業科とかに行きたかった」

「楽と言っても語弊があると思いますけど、まぁ普通科よりは勉強量が少なくなるみたいですね」

「うちの親が迷宮科以外許さないってうるさいから」

「よく考えてくれてると思いますけどね」

「えー」


 闇音は心底嫌そうな声を出す。

 彼女の思いはどうあれ、吸血鬼と人狼のハイブリッドで、ユニークスキルを両方とも受け継ぐ貴重な人材である。両親が娘のもっとも活躍するである場を強制したのは無理からぬ話だ。見る限り、現状他ではやっていけなさそうな難儀な性格だし。


 ゴツゴツした足元に注意して進んでいると、階層を下る階段が現れた。階段と言っても段差が不規則で、場所によっては落差が三メートルもあるため、闇音が滑落しないように注意しながらゆっくりと降りた。

 どれくらい下ったか。おそらく三十メートルの高低差を降り切ったところでようやく広い地面に辿り着いた。二階層目に到着である。

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