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第26階層 野良迷宮の入り口

「もしもし? 朝早くごめん、やっぱりきてなかった。……うん。……そう。……そこをなんとか! 姫叉羅様仏様鬼神様! ……あ、いや、ごめん。冗談じゃなくて、姫叉羅しか頼める人がいなくて。僕が女子寮を勝手に歩くわけにもいかないし……」


 電話の相手にペコペコ頭を下げ、ようやく通話を切る。

 土曜の朝七時。

 場所は女子寮のエントランス。


 女子寮とはいえ男子寮と同じ作りなので、一階に女子部屋はなくエントランスまでなら男子も立ち入ることが許可されている。……のだが、用もなく居座ることはもちろんできず、正義感の強い寮長に、エントランス横の寮長室からいわれのない鋭い眼光を向けられて落ち着かないのが当面の問題だ。

 女子寮の寮長は牛獣人である。

 しかし皆の衆、乳牛(カウ)ではない。猛牛(ブル)である。性別上メスのはずなのだが。


 捻じくれた角と鍛え上げられた上半身は、もはやミノタウルスと呼称して問題ない気がする。

 アメフト部の男子もかくやという鋼の肉体にして、どんな女子高生よりも心と体が清らかな鉄乙女。こじらせた彼女のことを、ひとはマッスルレディと呼ぶ。面と向かって呼んだらミンチにされるだろう。人族代表の虎牟田先生とどっちが強いだろうか。


 寮長室の正面に設置された応接用のソファで居心地も悪く待つこととなった僕は、一刻も早く姫叉羅が闇音を引っ張ってきてくれることを願った。

 本来なら闇音がエントランスの一角に設えた応接間で待っているはずだった。やはりというか、待ち人おらず。僕はぐっすり眠っていた姫叉羅に電話して闇音を連れて来てもらうことになった。電話越しの不機嫌そうな低音ボイスがまだ耳に残っている。

 まぁ、闇音の素行を知っているなら想像できなかったわけでもない。彼女の罪悪感に一縷の望みをかけ、裏切られただけのことだ。


 そうして所在無げに待っていると、上階からあまり面識のない女子が降りてくるたび、なんだこいつ?という目を向けられるのはなかなかに針の筵であった。朝練のためにジャージ姿だったり、目一杯おめかししてデートを匂わせる私服姿だったり、寝巻きにボサボサ頭なんて女子もいた。その子は僕に気づくと「ひゃいっ!」という奇声を発して逃げて行った。失礼だな。僕の方が失礼か。

 姦しい声にも慣れてきた頃、降りてきたのは改造制服の三人組。まあ、この学校は自由制服だ。いくら改造しようと、常識と倫理の範疇で自由だった。そしてその三人は、僕と面識のある女子たちだった。

 背中にギターケースを背負っているところを見ると、これから学校で練習か。


「お? おは~」

「おはよう」


 最初に気づいておっとりした声で手を振ってきたのは、背中に小悪魔チックな羽を生やしたコウモリ娘。名前は古森(こもり)()(らん)。爪には色付きネイルが光る。


「やーやー、おはー☆」

「どもども、おはよう」


 若干低めの位置から声をかけてくるのはドワーフ娘。名前は岩成(いわなり)緒流流(おるる)。背丈が百二十センチしかない。頭のてっぺんから声を出しているみたいなキンキン声だが、僕はどっちかというとアニメ声で慣れているので、これがどうしてなかなか悪くない。


「朝から女子寮に侵入とはやるネェ。ミルねぇさんに殺されないように気をつけんダヨ」


 ウキキとサルのように笑うのは、サル顔の女子だ。クラスメイトの藤木(ふじき)藤吉(とうきち)の双子の姉である藤木藤乃(とうの)。性別が違うだけでマジそっくり。しかし双子の仲は悪く、顔を付き合わせるたび罵り合っていた光景を思い出す。余計なことは言わぬが仏である。

 そんなサルの双子が好奇心から近寄ってくる。


「なにナニ? チートマンこんなところで誰を出待チ? もしかしてあっしら待ってタ?」

「そうそう、そうなの。サインください。男子寮で売るから」

「匂いとか嗅がれそうだからやだ~」

「誰があげるか、ベー、なんだよ☆」


 チビのドワーフさんからあっかんべーをいただきました。ちんまいところが可愛いね。


「なんだ~、あたしたち待ってたんじゃないんだ~? もしかしてパーティ待ち~?」


 コウモリ娘さんがゆっくり小首を傾げる。あざと可愛いですね。


「そうそう、そうなんです。でも寮長の視線が怖くて」


 それを聞いて、姦し三人娘はケラケラと笑った。「殴り殺されないようにねー☆」とドワーフさんからありがたい助言を頂いたが、それって僕にはどうしようもないよね。

 彼女らは手を振って出掛けて行った。「また白猫ちゃんの画像ちょうだいねー☆」と言葉を残して。今日はちょっと遠くの街で、知り合いのライブにゲリラ参加してくるとのこと。

 三人は軽音部に所属し、ガールズバンドを組んでいる。確か、〈ベイビーピンク〉というバンド名だったはずだ。演奏を聞いたことはないが、学内でもそこそこの知名度はあるようだ。今度聞いてみよう。サインとかも本当に売れるかも。


 それから待つこと十分。

 部屋着のグレーのスウェットに真っ赤なパーカー姿の姫叉羅がサンダルをつっかけ、魔女っ子姿に着替えさせられた闇音を小脇に抱えて降りてきた。

 姫叉羅はいかにもオフ日といった様子で、いつもあまり化粧っ気はないものの、今日はやけに素朴に見えた。


 おはようの挨拶もそこそこに、「あんまりじろじろとヒトの顔見んなよ」とそっぽを向かれた。恥ずかしがっているようだ。


「ほい、ぐうたら魔女っ子お待ち」

「あぅ」


 闇音はぽいとぞんざいに投げられ、空いたソファに着地。そのままぐでっとした体勢のまま動かなくなった。


「いつもすまないねぇ、姫叉羅さんや」

「それは言わない約束だろう……ってなにやらすんだ」


 ノリが良くて助かります。

 姫叉羅は僕の横にどっかりと座り、対面の黒い芋虫と化した闇音を眺めて嘆息した。姫叉羅から優しい匂いがして、ちょっとドキッとした。暖かそうなパーカーの胸元は、大きく盛り上がって、呼吸に合わせて上下している。ガン見してはいけないと思いつつも、視線は吸い寄せられてしまう。


「けどさ、本当に行くつもりなんだな。アタシも連れてってよ。野良で戦ってみたいよ。いまから準備したら連れてってくれない?」

「死んじゃうからやめときなよ。種族Lv.100超えしたら嫌でも連れてくからさ」

「いやー」

「だから闇音は嫌でも連れて行きますって」


 ソファの方からくぐもった声が聞こえたが、こっちは強制だ。


「ダメ?」

「……ダメです」


 隣り合って座る体勢から動き、姫叉羅は横向きになってこちらを見つめてくる。僕より背が高く、視線を少し落とせばパーカーを盛り上げる胸元に目が行ってしまう。向こうはなんてことないのか肘を立ててリラックスした様子だ。僕の方は童貞力を如何なく発揮して緊張を強いられているというのに。


「アタシ、危険なところに興味あるんだけどなー」

「それで死んだら大変なことになるので、またの機会に」

「えー、アタシ役に立つよ? パイセンの面倒だって見るし」


 頬を指先でくすぐってくる。さっきのギャル三人と違い爪は荒れていて、メイスを振り回す手なので潰れたマメの痕も残っていた。だが、その手は努力の証だ。嫌いではない。


「今回はホントに申し訳ないんだけど、留守番しててよ。……あと、寮長が僕を始末しようと睨んできてるんでここらへんでご容赦を……マジで」

「ふふん、知ってた」


 にやっと意地の悪い笑みを浮かべで、触っていた頬から離れてくれた。


「まぁ、サツに見つかんないようにね。未成年だから注意くらいで済めばいいけど」

「そこら辺も気をつけるよ」


 野良迷宮を探検していいのは国から資格を得た冒険者だけだ。しかし昨今は興味本位で潜ってみる人間が多く、その何割かは二度と戻って来ない。だから野良迷宮を見つけたら警察に届け出るのが義務化されている。……のだが、迷宮の規模によって危険度がピンキリのために、見つけたところで放置されることが多い。

 放っておくと迷宮はどんどん深層化していき、やがて魔物が迷宮から溢れ出すことになるが、これまで日本の迷宮は野生の熊に襲われた程度の頻度と規模でしか魔物が出没していないため、魔物の大量発生など災害と同じようにしか思われていなかった。起こってからようやく対策を取るやつだ。やはり大陸とは規模が違うし、発生しにくいのだろう。しかし、発展途上国の村がひとつ丸ごと消えてしまったこともあるので、軽視はできない。だから野良迷宮を攻略する冒険者には、国からおいしい特典を付けてくれるのだ。


「じゃ、行ってきます」

「休み明けには無事に帰ってこいよ」


 姫叉羅に見送られ、僕らは女子寮から外に出た。気怠げな闇音を半分引きずりつつ。そこから最寄りの駅までバスに揺られ、電車を乗り継ぐこと三時間。跨いだ都道府県は二つ。もはや小旅行である。

 単線から降りてみれば、ツンと涼しい空気の美味しい山地である。


「ミザルー着飾る岩猿?」

「たぶん一個も合ってない」


 道中、駅弁の牛めしを無心で食べる闇音はまさに観光気分だったが、これからそんなに甘い展開ではないことを僕はこっそりと哀れに思った。

 季節は秋、十一月の山々が鮮やかな赤に彩られ、暖色の絨毯のような景色に感嘆が漏れる。山々の色づきは車窓からも見ることができたが、やはりその土地に立つとまた綺麗な景色に圧倒される。


「男の子と紅葉狩りとか照れるね」

「え、なんで?」

「デートなんて生まれてこの方初めてだから」

「え? デート? 紅葉狩り? しっかりしてくださいよ、野良迷宮で魔物狩りでしょ?」

「……死にたい」

「死んでも蘇らないんで気をつけてくださいよ。割と本気で」


 テンション低いながらも熱がこもっていた魔女っ子に、あえて水を差す僕である。わかっていてやった。後悔はない。現実を思い出して途端にやる気をなくす闇音は、ふてくされて土産コーナーへ逃げようとした。でも逃げられないのだよ、野良迷宮からは。


 観光地だけあって人で賑わう駅前。土産屋さんの牛肉のしぐれ煮を物欲しそうに見つめる闇音の首根っこを引っ張り、僕らは駅前から発車直前のバスに乗り込んだ。

 バスの中でもぐったりしている闇音は、ビーフジャーキーを咥えつつよだれを垂らしていた。横顔を見ると半目で寝ていた。怖い。


 僕はその横でイヤホンを差して読書を始め、活字の波に揉まれていった。揺られること三十分。突然闇音の肩がビクッと跳ねた。僕までビクッとしてしまった。恥ずかしい。ちょうど主人公が愕然とした能力差にも心折れず知略で覆そうとする胸熱なシーンだったのだ。集中してるときに横でふざけられると反射レベルでビビる。


「ステーキは?」

「寝惚けないでくださいよ、ああもうヨダレ拭いて」


 闇音の黒ローブの端を摘んで口を拭いてやる。まったく世話の焼ける子だよ。ほら、ついでにチーンしなさい、君のローブだけど。

 甲斐甲斐しく面倒を見ていると、左手に見えていた湖が途切れた。そろそろ目的地だった。

 バスが大きめの駐車場に停車する。降りてみると身を切るような冷たい風が吹き付けてきて、ダウンジャケットのファスナーを首のところまで引っ張り上げた。広大な高原湿地に到着した僕たちは、ぐずる闇音を急かして湿地の中に作られた木の橋を進んでいく。


「なんでこんなところにぃ」

「こんなところだからあるんですよ」


 しばらく歩いていると、単調な道にもかかわらず闇音の息が上がってきた。青い顔をして足を引きずり始めたので、肩を貸す羽目になった。性格に難はあるが、女の子独特のやわっこさと髪から香るシャンプーの匂いはあるんだよなぁ。遠い目をしながら、女子の女子たるはなんぞやと思う。

 姫叉羅はいいけど、闇音はちょっと、残念過ぎて女子として見られない。


 途中、木の橋の観光コースから外れた。藪の一部が踏み分けられた跡を目印に、足場のしっかりした草地に分け入っていく。「えー、こんな道行くのぉ」と不満の声が聞こえたが黙殺である。

 百メートルも歩くと、チェーンで立ち入りを制限されている場所が唐突に現れる。この旅の目的地である。“この先立ち入りを禁ず”と風化してボロボロの白看板が吊り下がっていたが、僕らは全く気にせず乗り越えた。闇音がチェーンに躓いてずっこけた。


「ここら辺で野良迷宮見つけたって情報があったんですよ」

「何情報?」

「SNS情報」

「なんだよそれー、うさんくさー」

「いやいや、これが意外と馬鹿にできないもんなんですよ? ハッシュタグに♯野良迷宮を付けてるツイートを探せば意外と見つかるものなんです」

「裏世界に伝手があるのかと思った」

「ありますよ。組をひとつ潰したこともあります。主に蛇が、ですけど」

「……冗談だったのに」

「野良迷宮をシノギに使う組織って多いみたいなんですよね。ほら、手に入るドロップアイテムとか素材とか高値で売れますし」

「自然の成り行き?」

「かち合っちゃったときはさすがに笑えなかったですけどね」


 そんなことを話しているうちに土が大きく盛り上がった場所を見つけた。近づくにつれ全容が見えてくる。大きく口を開いた怪物にも見える洞窟がぽっかりと現れた。


「SNSだと『入り口見つけた、これから入ってみる。今日から俺も冒険者だ!』で更新が途絶えてるんですよね。十中八九死んでるんで、ここに野良があるってわかったわけです」

「……もう帰っていい?」

「ここからが本番ですって」


 闇音を叱咤しつつ、僕は準備のために手のひらにコアトルを召喚した。

 鉛筆程度の体長に小指の爪ほどの羽がついた、コアトルの分体の分体である。レベルは1。魔力で生み出されたものなので、この手乗りコアトルを何匹プチプチ潰そうとも召喚獣であるコアトルは痛くも痒くもない。

 手乗りコアトルはぱっくり開いた洞窟の入り口に向き直り、しゅるしゅる舌を出していたが、やがて威嚇するように小さな牙を剥いて「しゃー!」と唸った。

 僕はそれを見て頷くと、手乗りコアトルをぐしゃっと握り潰した。といっても感触はなく、手を開いてみれば跡形もなくなっている。


「魔力反応あり。ここ、やっぱり迷宮ですね」


 それだけ言って、リュックから道具を取り出していく。ピッケル、耐久性の高いロープ、カラビナフック、ハーネスを二人分用意する。


「僕らは浮遊の魔術を使えないんで、安全を考慮して慎重に降りていきます。見たところ五メートルほどの高さですけど、帰りは登ってこなければならないですからね」

「へー」

「これ、付けられます?」

「やってー」

「はいはい……」


 あんまり興味のなさそうな闇音に近づいていき、細い腰にハーネスを履かせる。腰と両太ももに体重を分散させる道具で、幼い子どもにパンツを履かせる要領だが、なんだろう、とても背徳的なことをしているように思える。闇音の太ももはちゃんとプニプニしてて女の子らしい。胸に関してはとっかかりのない平坦な道なりで、途中石につまづいたかと思ったらそれがふたつのティクビだったと気づくくらいにフラットだった。


 自分の分は革鎧と一緒にササッと装着し、しっかりリュックを背負い直すと、近くの幹の太い木にロープを回し、ハーネスとカラビナフックに通していく。


「一応念のための道具だから、ロープ使わないで降りられそうならゆっくり降りてください」

「すぴー」


 準備にちょっと目を離している隙に、闇音はローブを頭から被って猫みたいに丸まって草の上で寝ていた。本当に猫みたいだ。犬なのに。

 闇音を叩き起こしてから、僕は微妙に傾斜のある洞窟を、足場を確認しながら降りていった。


「ロープがなくても岩伝いにいけたな」


 洞窟の底は枯れ葉と水たまりが残っており、登山靴でしっかりと踏みしめていると横穴からひんやりした風が吹きつけてくる。風があるということは出口もあると思いがちだが、この風は吹き抜けているわけではない。ただの洞穴が迷宮に繋がってしまった場合、こうした温度差による風が吹くのだ。抜け道があると思って安心して入り込むと、迷宮で発生した魔物のエサになるというわけである。

 しかし遅い。さっきから闇音が降りてくる気配がない。


「まさか……」


 そのまさかだった。縦穴を登ってみると、ポリポリと尻を掻く闇音がいた。


「ブレないなぁ、この人は」

「くかー……」


 呆れを通り越してもはや尊敬する。冒険の入り口で力尽きているんだから。

これからしばらく主人公の冒険です。

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