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第24階層 ぼっちプレイヤー龍村

「どうしたらいい?」


 パーティメンバーに放置プレイされて、戻ってみたらそのパーティメンバーが魔物に殺されていたとき。

 ①これもプレイの一環だと思う。興奮の材料にする。

 ②死人に唾を吐く。ざまーみろ。

 ③見なかったことにする。孤独が深まる。


「わからない……誰か教えてくれ」


 誰にともなしに呟いたが、どこからも答えは返ってこない。こういうときに彩羽はなんというだろうか。②番を選びそうだ。ハイヒールでぐりぐりするかもしれない。想像だが。

 龍村は、たぶん②番を選ぶべきなのだろう。迷宮で置いて行くのは、明確な裏切り行為だ。その報いを受けてしまったと思うのが普通なのだ。しかし、いまの龍村の胸中は索漠としており、まったく怒りが湧いてこない。虚無感がべったりと残っているくらいか。


 ふと、授業の一コマを不意に思い返す。

 『迷宮で死んだ場合、ペナルティで所持品を一割か二割ドロップしてしまうことがある。ただし、そのドロップ品は死体のすぐ近くにばら撒かれるので仲間が回収すれば実質ペナルティはない。回収物の所有権は拾った者に準拠し、これを前所有者に返却するかは拾った者次第である。酷なようだがウチの迷宮ではそういうルールにしている。拾ったやつの善意に委ねる形だな』


 教師の言葉を思い出し、ノロノロとクラスメイトの遺体周辺に散乱したアイテムを回収する。装備品は死体から剥ぎ取らない限り死に戻りしたときに装備したままだが、武器は手から離れているとドロップしてしまうのでこれも回収しておく。


 すべてが終わった頃にふたりの体が光に包まれた。やがてそこになにもなかったように消滅し、彼女らは迷宮の外へ死に戻りした。

 ゴブリンが落としたものはすべて放置した。剥ぎ取りやドロップ品を拾う気力がないのだ。そうしていると、ゴブリンたちも光に包まれ消滅した。

 もしかしたら、ゴブリンたちもどこかへ死に戻りしているのかもしれない。

 だからこの迷宮は、いくら狩り尽くしても決して魔物がいなくならない、とか。


 そんなことをぼうっと考え、ふと途方に暮れた。次に何をすればいいのか、咄嗟に思いつかない。


「進むしか……ないな」


 結局はそれしかないのだ。自分は冒険者になりたい。迷宮があれば深層へと進まねばならない。龍村は、自分が前を見ることしか知らない人間だと知っている。それゆえに、先に進むことしかできないのだ。

 クラスメイトふたりから回収した中に、水と食料があった。消耗品だし、所有権はすでに龍村に移っているので、ありがたく使わせてもらうことにした。


 ――現在七階層、ここからのソロ攻略。

 できないことはないだろうが、依然として条件は厳しい。自分の持ち物と合わせても食料と水は一日分が限界だった。合わせてそれだけというのも、龍村は非常食程度にしか持ち込んでいなかったし、死亡が確定して中身がぶちまけられた際に、ゴブリンたちに踏み潰されたものがそこそこあったためだ。龍村は飲まず食わずで三日は動けるが、最後の方は戦闘力が八割減といったところだ。


 悩んだ上で、龍村はその場で食料を取り出し食べ始めた。クラスメイトの所持品だった野菜を丸かじりする。トマトに芋、大根を、生のまま齧る。

 龍村は料理ができない。ならばいずれ腐るナマモノは先に処分するしかない。生肉もあった。豚である。竜人は胃袋も強い、そう念じながらタッパーを開封して豚バラを味も考えずに噛み千切り、胃に落とした。(良い子は絶対に真似しないでね!!)

 ペットボトルの水で流し込めば食事は完了だった。


 それから、槍の汚れをボロ切れで落とし、布をアイテムボックスにしまうとおもむろに手を擦り合わせる。汚れと垢がポロポロと落ちた。ここでは手を洗う水すら制限されるため、汚れに気を取られる余裕はない。


 ともすればずっと座っていたい衝動に襲われるも、ぐっと丹田に力を込めて立ち上がった。槍を手に、歩を進める。もはや感情が削げ落ちた無機質な目の龍村がそこにいた。

 力ならばある。だが、裏を返せば力しかない。頼るものもなく、気を取られる仲間もいない中、龍村は冷徹になるしかなかった。氷のような冷ややかな目をして、奥へと進んだ。敵と見ればあっさりと屠る。守るもののない今、盾は邪魔だとアイテムボックスにしまい、槍一本で襲い来る餓狼の群れを虐殺していった。

 それでも、いくら武人といえど、できないことはあった。外側を鋼のように鍛えても、内側――つまり内臓は無理だ。尿意はあるし腹も下す。

 ――そう、腹を下した。


 ナマモノを処分した食事から六時間ほど過ぎただろうか。

 龍村は猛烈な脂汗をかいていた。前後不覚になるくらいの強烈な腹痛に見舞われ、それでも容赦なく襲いくる魔物を相手に槍を振るわなければならなかった。

 もはや戦略などない。出会い頭に槍を叩きつけ、ドロップ品を拾う余裕もなくよろばうように歩を進めた。

 腹を下すのは自分が軟弱な所為だと龍村は決めつける。もし彩羽が今の龍村を見たら、「いやいや汚れた手でナマモノ食べれば当たり前ですから」と呆れ返るに違いない。


 しかもほぼ一本道の通路に、ときたま現れる分岐点。そこを面白いほど間違え行き詰まりに当たること五回。一分一秒が惜しいこの状況で、龍村は正しい道を見抜く観察眼を持ち合わせないことにも絶句した。


 足を動かすのもつらい状況で、龍村は六度目の行き詰まりにぶつかったとき、ついに限界がきた。きつく締めたベルトを解いて引き裂く勢いで下着を下げると、その場にうずくまる。地面に穴を掘って簡易トイレを設置するのももどかしく、屈んで用を足した。魔物よ現れるなと祈りながら、一方だけぽっかりと開いた通路の暗がりを親の仇のように睨んだ。

 体から毒素が抜けていくような気分と、ぐるぐるといまだに唸って荒ぶる腹に悩まされながら、龍村はこの世の不幸を嘆いた。トイレットペーパーが手放せない。


 漂うにおいに生き物の気配を嗅ぎ取ったか、四つ足で獣系の魔物が群れを引き連れ向こうから現れた。餓狼。幾度となく屠ってきた雑魚だが、いまは最難関のフロアボスのようにも見える。

 自分はこの場を動けない。しかし魔物はそんな事情を考慮するはずもなく、警戒心からグルルと唸りながら近寄ってくる。

 「私のお腹にだってグルルと唸る獣がいるんだ……」と龍村は嘆いた。どちらかと言えば、腹に住み着く魔物の方が手強いのだ。

 恥に唇が切れるほど噛み締めながら、龍村は選択を迫られていた。


 このまま食い殺されて死に戻りしたほうがいいのではないか。普段なら軟弱と切って捨てるような選択肢が思い浮かぶ。平静なときの龍村なら絶対に思い浮かばない思考だろう。パーティを組んだふたりとはぐれ、あまつさえ彼女たちが既に死んでいた衝撃、それと腹下しによる内側からの鈍痛が龍村の弱気をわずかなりとも引き出していた。


 死に戻りが脳裏をよぎったのも、腹痛・頭痛などの内部の痛みすら、迷宮は怪我として認知し処理するため、迷宮を出ることであっさり回復すると座学で聞いていたからだ。

 教師のひとりが笑い話のひとつとして、トイレ中に襲われて下半身露出したまま死に戻りした男子生徒のネタで笑いを取っていた。しかし実際に直面したら笑えない。

 この世の絶望すべてを引き受けたような錯覚に陥る。


 龍村は決断した。目には不屈の光が宿る。

 魔物に見られることなど羞恥に入らないとばかりに立ち上がり、下半身の動きを制限する下着を、ズボンごと真っ二つに切り裂いた。

 大事な部分を丸出しにしつつ、飛びかかってきた獣たちを怒りとともに返り討ちにする。龍村は竜になった。なにものも触れることの許さない剥き出しの竜となった。そして龍村は、意外と毛の薄い方だった。

 我に返り、千切れて使い物にならなくなった下着から新しいものを履き直す際、物凄く自己嫌悪した……。


「お気に入りだったのに……」


 世の中は大抵、無常である。





 結局腹痛は丸二日続いた。その間水しか飲めず、握力がだんだんとなくなってきたことに不安を覚え始めていた。

 十階層、ボス部屋の前。到着したはいいが、体調は最悪である。

 携帯食を飲み下す力ももはや失い、先程の休憩で盛大に吐いたばかりである。なぜ苦しんでまで先に進まなければならないのだろう。なんのために迷宮へ挑んでいるのかも曖昧になってきた。


 それでも体は動いた。前へ前へ。自分を鍛えてくれた祖父の薫陶の賜物である。いつだって最前線で戦う鋼のごとき強さを誇る祖父を、龍村はこの世の誰よりも尊敬していた。

 ギギギと鉄の軋む音とともに鉄扉を押し開く。手だけでは押し切れないので、肩を使い全体重を乗せて。普段の龍村なら誇張でなく人差し指で開けられる扉だった。自分でも弱体化していることに気づいているが、素直に認められないのが竜人の性だろう。

 鉄扉の隙間に身をねじ込んで大部屋へと侵入する。「くっ」と歯を剥き力の入らない手で槍を握る。もはや常駐となった腹痛に脂汗をかきつつ、胡乱げに辺りに気を配る。


 劇場のホールに似た半円すり鉢状の地形、中央のもっとも低位な舞台に当たるところに、一頭の白狼が寝そべっていた。遠目だが、サイかカバほどもある巨体を丸めて眠る姿に、チリチリと首の後ろが熱くなってくる。


 ザックリとだが白狼の強さを推し量るが、間違いなく初心者相手にボスの名を冠する魔物だ。その名をダイヤウルフと言い、狼系の中位種であった。


 鉄扉がゆっくりと閉まり、錠の落ちる無慈悲な鉄音とともに、ダイヤウルフが重い瞼を開いた。前足で鈍重に立ち上がる姿は、初心者の最後の教習と言われる十階層ボスの貫禄としては、少々不気味さを伴っていた。


 龍村は弱っても武人。肌がひりつくような強者の威圧を一身に受けて、引くどころか前に出た。口元に浮かべたのは薄い微笑。狼よりも貪欲に、強さへの渇望からくる笑みを浮かべる。

 身体はちょいと押せば倒れるかねないほどに限界寸前だというのに、ただただ血肉が沸騰するくらい歓喜していた。

 強者へ挑み打ち倒すことが、竜人族の誉れだった。


 それまでの腹痛に歪んだ表情は何処へやら。ドーパミンどぱどぱで肉体の枷を一時ながら忘れてしまったようだ。低く姿勢を保ち、段状になったホールを軽快に駆け下りる。

 龍村の目は、高ぶると不思議と爬虫類のように瞳孔が縦に割れ、爛々と金色に光る。竜人族でも滅多にいない、竜に近しいものの証であった。


 青い龍気が、腕から、あるいは全身から立ち上っていた。

 潜在スキルと呼ばれるいわゆるユニークスキルを発動し、〈竜の末裔Lv.6〉による逆鱗が龍村の限界を底上げする。

 ベテランから見れば鼻で笑われてしまうような不格好で不完全なシロモノであったが、腐っても世界で十本指に入る冒険者の血筋である。青い闘気が肩口から揺らめき、それまでの襤褸のような姿から一転、濡れた青刀のような輝きを発していた。


 槍を低く構え、まずは横薙ぎにダイヤウルフに挑みかかる。槍先がかすめる前に一歩引いてかわされる。下がった反動で四つ足を踏み締めると、ダイヤウルフは真っ直ぐに飛びかかってきた。

 紙一重で伏せて牙を避けると、頬に獣臭い息が当たった。プチトマトをプチっとするように、頭蓋をひと噛みで砕いてしまいそうな鋭利な歯並びにゾッとする。もはや一本一本が杭のようである。

 食い千切られることを想像して、龍村は逆に愉快になって笑った。


 ダイヤウルフなどコアトルに比べれば何ほどのことはない。頭上から睨まれて金縛りにあったときの恐怖を思えば、自分とレベルがそう違わない狼など恐るるに足らない。

 とはいえハンデのある中、目まぐるしい攻防が続く。ダイヤウルフの突進は、まともに食らえばいまの龍村では二度と立ち上がれないほどのダメージだ。

 サイのような巨躯から俊敏な突撃である。まともな動体視力では避けきれないだろう。しかし龍村は、体から青く揺らめく龍気を自然に発し、ステータスを一時的に上昇させていた。体をこう動かしたいと頭で思えば、自然に体がついてくる。紙一重で飛び退きながら、ダイヤウルフの顔面にカウンターの槍を見舞うくらいにはよく見え、よく体が動いていた。


「ふぅ……」


 呼吸を整える。

 ダイヤウルフは勢いのままに坂を駆け上がって、振り返るところだ。そしてまた同じように飛びかかってくるのだろう。獲物をその爪、その牙で捕えてからが狼の独壇場なのだ。それまではヒット&アウェイを繰り返すつもりらしい。

 だったらと、槍を脇に手挟み、カウンターを狙う。ダイヤウルフは待っていても突っ込んでくるので、追うよりは攻撃のチャンスが多い。


 半円形のすり鉢状を上部から中心へ、落下するように龍村目掛けてひと呼吸の間に迫ってくる。

 勝負は一瞬だった。流水のごとく力を受け流して横に避ける。ダイヤウルフが前足で衝突した地面はひび割れて揺れた。まったく気配を消してダイヤウルフの顔の横っ面に移動していた龍村は、仕止めるつもりで槍を突き込んだ。


『グルァァァァァ!』


 迸る怒りの咆哮。

 片目の深いところまでズブリと差し込んだが仕留めるには至らず、すぐさま距離をとった。

 穿たれた片目から止めどなく血を流すダイヤウルフは、口端を戦慄かせて飛びかかる体勢に入る。

 次も容赦しない。そんな面持ちで槍を構えようとしたが、ごとりと落ちる。

 見れば愛槍が床に転がっていた。


 自分の指を見ると、小刻みに震え、ピクピクと痙攣していた。力が入らず、まるで棒になったかのように節々が思い通りに動かない。

 ダイヤウルフへ目を向ける。彼の獣はすでに飛び上がっていた。龍村は膝に力を入れようとして失敗した。その場に膝をついてしまう。

 ダイヤウルフが大口を開いて食いついてくる。龍村は一歩も動くことができず、ただ死が向こうからやってくるのを待つしかなかった。肩口に食い込む杭のような牙と、獣臭い生温かい息。

 命が尽きるその瞬間まで、龍村はその目を見開き、ダイヤウルフを睨んだ。

 次は私が勝つ、そう念を込める。

 強烈な痛みが襲ってきて、やがて意識がぷつんと焼き切れた。

一部下品でごめんね☆

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