<< 前へ次へ >>  更新
14/47

第14階層 余計な魔術師

 パーティの空気が悪くなったのは、二階層を進んで半日が過ぎ、ちょうど野営の準備を進めていた頃。

 闇音の充電が切れた。


「……あうー。力がでないー」

「力が出なくてもテントは建てられるでしょ。アタシなんてひとりで戦闘やってんだから、センパイもちょっとは役に立ってよ」

「えー……いまはそういうときじゃないっていうかー」

「はっ? 働かない人間ってイライラするわー」


 斥候から戻ってきてみれば、ふたりが何やら険悪になっていた。無気力な闇音に姫叉羅がキレそうになっている。

 姫叉羅の方は苦労は平等に、というスタンスなのか、ひとりだけ作業の外にいるのは我慢できないといった様子だった。それでもテキパキと仕事をこなし、結局ひとりでテントを立ててしまうところには好感が持てる。


「見張り番は僕がやるよ」

「一日中? それは悪いよ」

「霧裂さんには休んでもらわないと。ひとりで戦闘もこなしてもらってるし」

「いや、君には斥候とか休憩のときとか動いてもらってるし……」

「ママー、ごはんまだー?」

「誰がママか」


 途中で会話を遮られたことで、姫叉羅は何も言わないがむっとしている。

 まあまあと宥めつつ、アイテムボックス次々と道具を取り出していく。

 固形燃料に火を付けると、フライパンをかざし、そこにバター、パン、ベーコンと順に焼いていき、しゃきしゃきレタス、トマト、バーベキューソースを挟んで即席のBLTサンドを作り、紙皿に載せて無気力に毛布に寝そべる闇音に手渡す。

 闇音はやる気のない顔で受け取ると、ゆっくりと体を起こした。


「食べる前に手を拭いて。こっちに除菌シートあるからこれ使う」

「めんど……」


 闇音はいやいや手を拭った後、ウェットティッシュを僕に押し付けてくる。「いらないよ」と言いつつ受け取り、ゴミ袋に突っ込む。

 闇音はすでに八重歯を覗かせながらがぶりとサンドイッチに齧り付いていた。もそもそと無感動に食べる闇音に対し、姫叉羅は不満を露わにしている。それはもう眉間に皺が寄りまくっている。用意できたサンドを姫叉羅に紙皿ごと押し付け、自分のパンを焼く。チラチラと闇音を見る姫叉羅の目が信頼の欠片もないことに、いっそ笑いたくなった。


「まあまあ、このヒモノ女に腹を立てる気持ちはよくわかる。でもね、彼女も生きて呼吸をしてるんだ。目を細めて、どぶ川に住む魚だと思って見てあげなよ。そうすると怒る気持ちも不思議と静まるから」

「それってどうなの……?」

「まあまあ」

「……はぁ」

「ぴーす」


 姫叉羅が言われたとおりに目を細めて見ている。無気力な顔で二本指を立てる闇音と見つめ合っているのが笑えた。


「きっと黛さんは役に立つよ。まだそのときじゃないだけで」

「そうそう、うち、やればできる子」

「本当にそうかなあ? いまこのパーティに必要なのって切り札というより安定した戦力じゃないかなあ?」

「……僕だってそう思うさ」

「じゃあ目を逸らさずに言いなさいよ。そんでこのパイセンに言ってやりなさいよ」


 ちょっと情けない話になってきたので、僕はサンドイッチを齧ることに専念した。姫叉羅は納得していない様子だが、闇音は食べ終わって手に付いたソースを犬のように舐めている。

 闇音の呼び方をセンパイからパイセンに変えたことについて、きっとなけなしの敬意が失われた瞬間なんだろうなと思った。


「黛さんの〈獣化〉で近接戦闘に参加できると思うんですけど」

「ジョブスロットに《獣戦士(ビーストファイター)》セットしてないから無理。いま《闇魔術師(ソーサラー)》と《影魔術師(シャドウウィッチ)》だから」

「早速詰んでるじゃないのさ。というかパイセン、どちらにしろ使えないんだから《闇魔術師》いらないんじゃ……」

「そしたら黒のローブが意味ないじゃなーい」


 水筒をくぴりと飲んだ後、スマホ片手にごろ寝する闇音のやる気のなさに気が抜ける。タッチ画面の灯りが闇音の顔を青白く浮かび上がらせている。いろんな意味で不健康なひとだ。

 食後、僕は片付けと見張り。姫叉羅は最後まで渋っていたが、先にテントに入って就寝した。

 迷宮は薄暗いので、テントに入れば割と眠れる。姫叉羅はすぐに寝息を立てており、闇音は見張りをしている僕の傍らに寝そべって、相変わらずぐだっとしていた。先ほどスマホをぽいと横に捨てたので、何やらアプリゲームで負けてやる気を失くした様子だ。


「寝ないんですか?」

「迷宮ではあんまり寝られんのよ。寝てるときに何度も襲われて、それで死に戻りしてるから」

「ひとりだと夜営が大変そうですもんね」

「うちは昼になると動けなくなるし。安全なところに辿り着けないとモンスターにタコ殴りに遭って終わり。そんなうちをよくパーティに入れようと思ったわ。鬼っ子ちゃんの反応が普通なんだよ? 昼と夜でまるで別人みたいって、頭おかしいんじゃないのって嫌味言われたし」


 間延びした声に、だらんと垂れた腕。いまの闇音は縁側で寝そべる猫を思わせる。


「迷宮攻略はひとりじゃできないからね。持ちつ持たれつだと思いますよ。あと、さっき言ったことなんですけど」

「うん?」

「本当に思ってるんですよ、いまはそのときではないだけだって。でもそうですね、ジョブスロットをもうひとつ増やして、《獣戦士》も持っていると黛さんの戦闘は安定するんじゃないですかね」

「ジョブスロットも買ってくれるの? 数億円するらしいけど?」

「さすがにそこまでは貢げませんね。レアモンスターのドロップか、階層主討伐の褒賞アイテムを期待するしかないです」

「どっちも三十階層以降でしか出現しないって聞いたけどな~。随分と先のことになりそうだねぇ~」

「行けますよ。この迷宮なら三十階層以降でしょうけど。霧裂さんがいれば彼女の実力で突破できますから」

「大きく出るねえ。どこにそんな自信があるんだか」

「パーティの実力は高いです。それが自信ですよ」

「ふ~ん」


 能天気な返事をしながら、そのうちもぞもぞとローブを頭からすっぽりと被った。スマホでSNSをチェックしているうちにすやすやと寝息を漏らし始めた。テントの外だし、最近会った男の前で眠れるとか、警戒心がないのかな?

 普段教室の様子を見ているとそんなことはないと思うのだが、僕がなにかよからぬことを企んでいるわけでもないので別に問題はないのだろう。


 男女間でのパーティはあまり推奨されない。迷宮では何が起こるかわからないし、死に戻りするとはいえ死の恐怖が付き纏う中で、正常な思考を常に維持できるとは限らない。だが、禁止されているというわけでもない。高慢なエルフさんは、刃物のように鋭い竜人少女と大和撫子の歌姫委員長をパーティメンバーにしていた。う、うらやましくなんてないんだからね!


 僕自身は……あまり恋愛に現を抜かすつもりもない。それよりもさっさと高校を卒業して冒険者の資格を得て、日本各地に点在する迷宮に挑みたい。最終的には〈召喚獣コアトル〉と契約することになった迷宮『虎穴』を制覇し、迷宮主を討伐することが目的だった。


 させないぞ、ともぞりとコアトルが蠢いているような感覚があった。

 いつ腹を喰い破るとも知れない魔物――それを自分の意思ではなく飼っている恐怖。

 腹を押さえ、ぞくりと走る震えに体を掻き抱く。

 コアトルの本体を殺し、僕は呪縛から解放される。そのための準備期間がいまなのだ。


 正直、本当のことを一切話していない藤吉と太刀丸には悪いことをしたなと思っている。ただ、どうしても言えなかった。一を話そうとすれば、ずるずると芋づる式に十まで話さねばならない。話した後に「馬鹿にしてんのか?」と信じてもらえい可能性もあると思うと、口は重くなってなにも言えなかった。


 しばらく蹲っていたが、僕は顔を上げた。通路の向こうからわずかに気配を感じたからだ。

 カタカタと音を立てて近づいてくる群れの中に、スケルトンリーダーが確認できた。二階にしては強力な魔物だ。パーティに十階層到達者がひとりでもいると魔物もそれに合わせて強くなるのだろうか? そんな話は聞いたことがない。しかし敵の強さはさほどではない。リーダーは七階層から出てくると前情報で知っていたが、姫叉羅の突破力なら問題はないだろう。

 テントに戻って姫叉羅を起こそうと思ったが、テント前に闇音が立って待っていた。黒いローブを頭からすっぽりと被り、眠たげな目でフラフラしている。


「……ふぅ、ついにうちの出番がきたようだな」


 闇音さんは気怠げだ。


「いや、寝ててください」

「フフフ、この貢ぎ物が本領を発揮するときがきたようだ」

「素直にテントに入ってくださいよ」


 闇音はどうせ動かないだろうからと脇をすり抜け、テントで休んでいる姫叉羅に声を掛ける。女子が寝ているところを覗くのは躊躇われて、姫叉羅が出てくるのを待った。

 ごそごそと動く気配がして、ようやく顔を出した。


「なに? なにかあった?」

「おおう」

「なに?」


 スマホを掴んで四つん這いでテントから出てきた姫叉羅の格好。グレーのタンクトップに黒のショートパンツ姿だった。大きく開かれた襟ぐりはクラスでもトップクラスの巨乳である姫叉羅の胸の谷間を余すところなく見せていた。というかノーブラ……。

 異性を意識するような目で見るつもりはなかったが、これは意識するなという方が酷だ。

 ぼさぼさのショートボブを掻きつつ、眠そうな顔で姫叉羅は僕の視線に気づくことなく、周りを見渡す。眠たげな流し目が色気を放っているようだ。もう彼女のこめかみのふたつの角でさえセクシーに見える。いや、言いすぎだ。角は角でしかない。


「魔物でも出たの?」

「えっと……群れがひとつ近づいてきてる。数は六、全部骨で剣装備だけど、一体だけリーダーがいる」

「すぐ準備する」


 姫叉羅の頭が引っ込み、一分もしないうちに革装備の姫叉羅が這い出てきた。

 僕はその間に心を落ち着けようとしていた。重力に逆らってシャツを押し上げる姫叉羅のふたつのメロン。窪んだ鎖骨と、少し汗ばんだうなじ。考えるなという方が無理だったかもしれない。健康的な小麦肌に、ショーパンから伸びるむちっとした太ももの合わせ技がなぜにこうまで男心をくすぐるのか。僕より身長が十五センチくらい高いことなどもはや些事。いやいや……意識するな、と悶々とした時間だった。


「あれ? パイセンは?」

「え?」


 振り返ると闇音の姿はなく。


「〈狂乱闇霧(ダークネスミスト)〉――」


 覇気のない声だけが少し遠くから聞こえてきて。

 その直後、通路を埋め尽くすような闇色の煙が押し寄せてきた。

 一瞬姫叉羅と顔を合わせ、脱兎のごとく駆け出していた。もうもうと上がる煙は、闇色の火山流のようであった。反対方向へと全力疾走するも、刻一刻と距離は縮まっている。


「なにこの魔術!」

「何か知りたい? 聞かないほうがいいかも!」

「聞きたくないけど言って!」

「触れるとランダムのステータス異常を起こす闇魔術。しかもスケルトンには闇属性があるからほとんど効かないやつ!」

「はぁっ!? なにそれ最悪っ!!」

「悲しいお知らせはまだあるんだ。状態異常の中には即死効果もあって、ランダムだけどかなりやばいやつなの」

「パイセンマジふざけんなぁぁぁぁっ!!!!」


 喉奥から絶叫を迸らせながら走る姫叉羅。

 しかし僕が足を縺れさせて転倒。暗黒雲のような闇にぱっくりと飲まれ、全身痺れ状態に襲われる。姫叉羅は僕を助けようとして一瞬立ち止まったのが命取りになり、石化状態に陥って振り返った姿のまま固まった。

<< 前へ次へ >>目次  更新