98 危険な賭け
そうして再び、オルタンシアはリニエ公爵の主催する夜会へと赴いていた。
(何を言われても動揺しちゃダメ。にっこりと微笑んで、「すべて存じておりますわ」って顔をするのよ……!)
淑女たるもの、いついかなる時も優雅さを忘れてはいけない。
そんなアナベルの教えを胸に刻み、にこやかに挨拶を交わしながら、オルタンシアは前とは全く違った面持ちで周囲の者たちを眺める。
(ここにいる人たちは皆リニエ公爵の賛同者なのかしら。魔神を崇拝している人もいるのかな……)
かつてオルタンシアを誘拐した仮面の集団。
ジェラールらの尽力によって壊滅に追いやられたはずだが、もしかしたら彼らの生き残りも混じっているのかもしれない。
あの時のことを思い出すと、今でもぞわりと鳥肌が立つ。
だが怯えた態度をおくびにも出さずに、オルタンシアは優雅に微笑み続けた。
そのうちに、リニエ公爵が会場に姿を現したのが視界の端に映った。
慌てず、焦らず、あくまで自然に。
オルタンシアはそれとなくリニエ公爵の動向を目で追う。
やがて彼がこちらへ近づいてくるのが見えて、オルタンシアは気を引き締めた。
(来た……!)
そっと息を吸い、オルタンシアはやって来たリニエ公爵に微笑む。
「ごきげんよう、公爵閣下。今宵もお招きいただき感謝いたします」
「これはこれはヴェリテ公爵令嬢。またお越しいただき光栄ですよ。今宵の集まりを楽しんでおられますかな?」
「えぇ、とても。……皆さま、とても博識でいらっしゃいますのね。他の夜会ではなかなかお目にかかれないような貴重なお話も聞けて、知見を広げる良い機会です」
そう言って、オルタンシアは意味深に微笑む。
いかにも「私はあなたの考えに賛成ですわ」とでもいうように。
「ほぉ、それはそれは……」
オルタンシアの従順な態度に、リニエ公爵はにやりと目を細めた。
(よし、良い感じ……!)
軽快された時のことも考えてはいたが、この様子だともう少し踏み込んでも良さそうだ。
「できれば、公爵閣下ともお話しする機会があればよいのですが……。でも、難しいですよね。公爵閣下は忙しく、皆が待ちわびておりますもの」
少し引いた態度を見せると、オルタンシアの目論見通りリニエ公爵はこちらへ一歩踏み込んだ態度を見せた。
「気を使わせてしまい申し訳ございません。ですが、ヴェリテ公爵令嬢が遠慮なさることはありませんよ。私も、是非あなたと話し合いたいと思っておりましてね」
にこやかな笑みを浮かべるリニエ公爵が、そっとオルタンシアの耳元で囁いた。
「別室へご案内いたします。どうぞ、ついていらしてください」
あくまで彼は、オルタンシアの意志に任せようというのだ。
(大丈夫……チロルだって傍にいてくれるんだもの……!)
ごくりとつばを飲み込み、オルタンシアは手足が震えそうになるのを誤魔化しながら、リニエ公爵の後へ続く。
大広間を出て、上質な絨毯の敷かれた廊下をオルタンシアは静かに進んだ。
かつて王族の離宮として建てられたこの宮殿は、今も色あせずに荘厳な空気に満ちている。
だが逆にそれが、オルタンシアの緊張感を高めていく。
やがてたどり着いたのは、大きな扉の部屋だった。
扉には王家の紋章が刻まれており、オルタンシアはぎゅっと指先を握り締めた。
「どうぞ、こちらへ」
にこやかに微笑んで、リニエ公爵はゆっくり扉を開ける。
オルタンシアは一瞬、扉を開けた途端にかつて自分を苦しめた、仮面の集団が待ち構えているのではないかと身構えた。
だが中には誰もいなかった。
扉の向こうには、上質で落ち着いた応接間の光景が広がっているだけだった。
「さぁ、どうぞこちらへ」
リニエ公爵がオルタンシアへ席を勧める。
オルタンシアはちらりと室内を一瞥し、誰もいないのを確認した後……静かにソファに腰を下ろした。
「こうしてお目にかかれて光栄です、ヴェリテ公爵令嬢」
リニエ公爵もオルタンシアの向かいに腰を下ろし、悠然と微笑む。
「あなたが噂通り聡明な方のようで安心しました。高位貴族の中には見栄を張って、とうてい実態とはかけ離れた評判を吹聴する者も多いですから」
「まぁ……」
オルタンシアは何と言っていいのかわからずに苦笑した。
何ヶ国語に通じてるだの、一目見ただけで卒倒する美人だの、楽器を弾かせれば国一番だの……その手の噂はオルタンシアも飽きるほどに耳にしていた。
それを言えばオルタンシアも実力以上に評価されすぎているハリボテ令嬢の自覚はあるのだが……少なくともリニエ公爵の前では黙っておいた方がよさそうだ。
さも「そんな風潮には辟易しておりますわ」という顔をして、オルタンシアは優雅に微笑んでみせた。
「既にご存じのことかとは思いますが、ここに集まる者は皆、聡明で、時流を読むことに長けております。あなたもそうでしょう?」
オルタンシアは否定も肯定もせず、ただ静かに微笑み続けた。
それで、十分だったようだ。
「我々はあなたのように、優れた能力の備わった同士を欲しております」
「偽りの王を真の王が裁く――そのために?」
チロルを通して得た情報を思い出し、オルタンシアは静かに声に乗せた。
すると、リニエ公爵はにやりと笑う。