97 見えない活路
チロルもヴェリテ公爵家の名前が出たのに気が付いたのか、移動をやめてじっと隠れているようだ。
「あぁ、まさかヴェリテ公爵家の娘がやって来るとは……」
「大丈夫なのか? ヴェリテ公爵令嬢といえば、王太子妃候補としても名が挙がるご令嬢だろ」
「でも、彼女はその気がないとはっきり宣言されたそうよ。あんなお子ちゃま王子では物足りないのではなくって?」
「なるほど、それで我らが公爵閣下のもとに来られたというわけか」
(……なんか、ものすごい勘違いされてる!?)
彼らの話す内容に、オルタンシアは冷や汗をかいた。
社交界ではどこまでも噂の尾ひれがついていくということは知っていたが、やはり自分のこととなると心穏やかではいられない。
(そういえばリニエ公爵って独身だったっけ。でもまさか、そんな風に思われてるなんて……)
オルタンシアは小さくため息をついた。情報を探るのも大事だが、自分の身の振り方ももっと気を付けなければいけないのかもしれない。
「そういえばヴェリテ公爵令嬢は、かつてあの教団に誘拐されたと聞いているが」
「一度彼らの手に堕ちたのだから、今度は自分から身をゆだねる可能性もありますわ。人は危険に近づかずにはいられない生き物ですもの」
「まぁなんにせよ、彼女を抱き込めば閣下の計画も大きく前進することだろう。噂によれば、王族に匹敵するほどの強大な加護を持っているそうじゃないか」
オルタンシアは知らず知らずのうちに、手に汗握っていた。
心臓がバクバクと早鐘を打っている。
彼らはいったい何の話をしているのか。
ごくりと唾を飲んだ、その時――。
「彼女を手中に収めれば、閣下が王冠を戴く日も遠くないだろう」
「偽りの神を真の神が打ち倒し、偽りの王を真の王が裁く……素晴らしいですわ」
「彼らは確実に勢力を伸ばしている。一度壊滅に追いやられ地下に潜ったとは思えないほどだな」
(そんな、まさか……)
大きなショックを受けたからか、プツンと感覚共有が途切れてしまう。
だがそれにも気づかずに、オルタンシアは呆然とその場にしゃがみこんでいた。
(リニエ公爵が王冠を戴く? 偽りの神を真の神が打ち倒す? 壊滅に追いやられ地下に潜った者が勢力を伸ばしている……。それってまさか……)
たどり着いてしまった答えに、オルタンシアは自分を抱きしめるように身震いした。
(リニエ公爵は邪教崇拝集団と手を組んで、王位簒奪を目論んでいるの……!?)
たどり着いた答えに、オルタンシアは呆然とその場に座り込んだまま動けなかった。
『……シア! シア! 大丈夫か!?』
気が付いた時には、いつの間にか戻って来たチロルが心配そうにオルタンシアの膝をふみふみしているところだった。
「チロル……?」
『顔色が悪いぞ。何かあったのか?』
「…………うん」
チロルの呼びかけに、オルタンシアは力なく頷く。
長時間「感覚共有」を行っていた副作用で、今にも倒れそうなほど疲労婚倍状態だ。
だがそれ以上に……チロルを通して得た情報が、オルタンシアに大きなショックを与えていた。
(まさかリニエ公爵が邪教集団と組んでいるだけじゃなく、王位簒奪を目論んでいるなんて……!)
あまりの衝撃に、オルタンシアはどうやって公爵邸に帰ったのかもよく覚えていないほどだった。
だが気が付けば、いつものように公爵邸の自室で、パメラと就寝の挨拶を交わしていた。
室内に誰もいなくなると、オルタンシアは枕を抱えて大きくため息をつく。
とてもじゃないが、ゆっくりと寝られそうにはなかった。
(どうしよう……リニエ公爵が王位を狙っているだなんて、誰かに話した方がいいよね? でも……)
たった一回噂話を聞いた程度で、軽率に話していいのだろうか。
(お父様は……きっと真剣に取り合ってくださる。でも証拠も何もない状態じゃリニエ公爵にも、邪教集団にも逃げられてしまうかもしれない。それに……)
オルタンシアの脳裏に、一度目の人生で経験した父の葬儀の情景が蘇る。
(私のせいで、お父様の身に何かあったら……!)
オルタンシアが余計なことを伝えたせいで、彼が政争に巻き込まれてしまうかもしれない。
その結果、一度目の人生の時のように早すぎる死を迎えてしまう可能性も――。
(ダメ! 絶対そんなことはさせられないよ……!)
涙が溢れそうになって、オルタンシアはぎゅっと枕を抱きしめた。
(お兄様ならどうかな。でも、お兄様は……)
――「お前は、何もしなくていい。ここでおとなしくしていろ」
――「無防備にうろつかれても迷惑だ。必要最低限のことだけこなし、屋敷でおとなしくしていろ」
少し前に投げつけられた、冷たい言葉が蘇る。
……今の彼は、きっとオルタンシアの話を聞いてはくれないだろう。
むしろ勝手に危険な場所へ出向いたことで、失望されるかもしれない。
それよりももっと、悪いことが起こるかもしれない。
(……早く邪教集団を何とかしないと、お兄様が――)
今の彼は明らかにおかしい。女神の言うとおりに、魔神の力がなんらかの悪影響を及ぼしているのだろう。
(邪教集団を何とかすれば、優しいお兄様に戻ってくれるかな……)
今は、それだけがたったひとつの希望のように感じられる。
父も、兄も、オルタンシアのせいで危険に巻き込むような真似はしたくない。
だとしたら――。
(私が一人で、もっと情報を集めなきゃ)
リニエ公爵の目的はわかった。
彼に賛同する振りをして、懐に潜り込めば……もっと決定的な情報が手に入るかもしれない。
「…………はぁ」
不安が雪崩のように押し寄せてきて、オルタンシアは大きなため息をついてしまった。